コロナ~!!

コロナか本格的に大暴れしている。

比較的、感染者数が少なかった愛媛が全国の増加数に追従するように増えている。同じ四国内でも当初、高知が愛媛より感染者が多いように感じていたのが、今は信じられない位に少なく成っている。

この事実を観て思い出すのが、10数年前に小豆島ツアーの帰りのフェリー内での話。丁度、四国内の各県の大型観光バスが犇き合っていた。キャビンに入り空いたテーブルと椅子を見つけて、先客の老紳士に「空いてますか」と声を掛け、空いてると言う事で座った。

この小豆島~高松間のフェリーは1時間は掛かる。何処のバスか確認すると高知だと言うが、件の老紳士は上品で高知県独特のイントネーションが全く無い。不思議がっていると、「私、東京の高知県事務所に40年近く居たから消えました」と笑っている。私のオヤジも高知県人で、長く東京に居た関係か高知弁は無かったし、愛媛に長くいたのに愛媛弁も感じさせない程だった。

色々と話してると、確か日本の県民総生産が高知が一番低い話になった。だが、官民一体の活動が凄い。その辺りの話を聞くと、「地域柄、官民一体で動かないと忘れ去られてしまう」と言う。その位、高知は辺鄙だと言う。異論があるだろうが、歴史的な人物も豪傑が多いの確か。

そして、高知県人は酒飲みが多いと言われる。俗に言うヤクザ・暴力団の話も、他の地域と比べても少ない。何故なら、一般的な県民でも酒を飲むとヤクザ・暴力団より怖いと言う話(笑)。これは私が言ったんでは無く、昔からの言い伝え(笑)。

コロナの話が高知の話になったけど、地域柄の話の高知が感染者の数が増減するし増加傾向。新居浜も増減しながら増えている。それを恐れて治療に来なくなった患者さんの何と多い事か。スーパーへ食料品の買出しに行っても、休日は人出が多い。平日辺りは、買出し時間帯は少し混んでるが、それを過ぎると広い店内がガラッとする。それも、22時閉店の店でも20時過ぎたら閉店準備に掛かってる所もある。

飲食店関係は、補助金なりが貰えるが、当方のように中途半端な減り方だと、幾つもある補助金制度が一つも適合しないから、貧乏も極まりですよ。

ただ、補助金貰った方々は、後々、税金と言う形で回収されると言う噂。なら、借りた形の補助金なら受け取る事も無いかと思う。

まあ、大変な世の中になりました。

 

ウォーキング大会が転倒?

「?」と思われるだろうが、早い話が中止(笑)。ただ、それが3週間続けてと成ると疎ましい。
1回目が3月28日㈰だったのが、雨模様。土曜日午前中に主催者に電話で確認したところ「実行」との回答。雨具の準備も済ませて、久々のウォーキング大会にルンルン気分(表現が古いか・笑)。ところが、午後四時に成って当日の責任者から電話が入り中止と言う。
話を聞いてみると、28日のウォーキングは花見も兼ねてたから、雨の中での弁当は嫌だろうと言う事と、コロナの影響が見え隠れしてたんですね。そこで、JR松山駅の担当者と相談の上「中止」。コロナの影響も考慮し、上半期の4月~9月迄はお休みとする話。

そして4月4㈰は新居浜市の歩け歩け大会。十数年前に何度かさんかしたヤツ。これも楽しみにしてたのだが、天気予報は朝から中振り。それでも雨脚が止まるのを期待して朝起きると、奇跡かな晴天。姉が何日か前からスタート地点まで乗せて行ってやると言うから、片道だけと言う事であさ迎えに来て貰ったのは良いが、玄関の戸を開けた途端、雨が額にポツリ!! 「晴れとるが降るぞ」と言いながら集合地点に行くと、お揃いのジャンバーを着た男性が四人。車から降りて挨拶して事情を聴くと、「中止に成ってるし、市のHPに載せてますよ」と言う返事。「来週は晴天みたいだから決行です」と言う話で見送られたが、細かい雨が降り出した。
家まで送って貰い、普段の日曜予定の行動の準備をし家を出た。ところが小雨が止み、晴天に。「あのまま決行しても良かったんでは」と思ってる矢先、午前10時を過ぎた頃、土砂降りに。「歩かなくて良かった」と無責任な話に。

そして4月11日㈰も準備をしてると、8日辺りから新居浜市にもコロナ感染者の数字が出て、9日にも多い数が発表された。慌ててネットで「4月11日、新居浜市の歩け歩け大会は?」って呼び出すと、「コロナの影響で中止」やはりかと思いながら11日も普段どうり。

3連荘で此処迄ダメになると、腹の立つ事も無くなります(笑)。

 

四国八十八箇寺巡り+番外20箇寺

昔々。鍼灸学校に行きだして回り始めた。その切っ掛けもおふざけだが、彼方此方へオートバイで旅行してて、道すがら袖すり合った人と話をしてると、「四国の方、結構 旅をされてるが、お四国サンは回られてるんですね?」と切り込まれた。そう、何箇寺はついで寄りしたが、納経帖までは作って本格的にはしてない。で、回る事に。
鍼灸学校が高松だったから、休日は新居浜までオートバイで帰ってたんです。当時だから、四国には高速道路なんて洒落たものは無い。それでも国道はチャンとあったから国道を走ってると、寺の案内板があるから目に付いた処から回りだした。平日は高松市近郊の寺を回った。
やがて学校を卒業し、国家資格を取り、大阪へ半年ほど勉強に行き、新居浜へ帰って来てから病院勤めを初め、休みの時にボツボツと回っていた。
やがて結婚をしてから、愛妻に「一緒に回らないか?」と誘うとOKが出た。その裏には、私達夫婦は新婚旅行をしてないし、私の両親と同居してたから、何かと理由を付けて出掛けるのに都合が良かった。
回りだしてみると、番外寺がある。両方足して108寺。煩悩の数と同じだから一緒に輪割る事に。でもね、108カ寺とは言うものの、88カ寺の30番札所が2つあり、何方も「ウチが本家!!」と喧嘩してたんです。そして番外20番の20番が二つ。と言うのが、1番札所が雪深い所で、冬の巡礼が難儀するからと、JR阿波池田だったかな駅の真裏の蓮華寺を仮札所にしてたのです。一応、私は110カ寺を回りました。それに、高野山へ打ち止めに行ったり、京都の東寺にも行くようになってた納経帖もあったので回りました。

四国八十八カ寺を回るには勿論、人其々の理由がある。私達夫婦が八十八カ寺は、子供が出来た事が切っ掛けで一休みとなった。子育てをしないといけないし、費用やら時間も結構掛かる。そして腹立たしいのは、費用の話になると「先生トコラ金があるのに、費用の事を言ったらいかんわ」と言う無礼な御仁が居る。思わず「アンタ、私の年収知ってるの」って聞いた事もある。

人間って弱い生き物だから、心に迷いが有ったり悩みがあったりする。そこで信仰に救いや安らぎを求めるのだ。それでも「金が有るのに悩みがあるなんて、贅沢じゃ!!」って言い放ったオバちゃんが居たのには驚いた。面白い事に、何処にでも居るのだが、特に新居浜には他人様の懐具合を興味津々で探る人が多いように思う。

それに、私を自分の子分にしようとか、手先&手下にしようとか、目論んで近寄ってくる人も多い。で、表向きだけジックリ話してみると、「以外にチャンとした考え方をしてるんじゃ」と言い、私から遠ざかる人が未だに多いのも事実。

こう言う話をすると、私は泊地に見えるか。玩具に見えるか、自分を持たない意志薄弱の気弱なオッサンに見えるのだろう。

八十八カ寺も、二度目が中途半端だがお休みして、自由気ままな御朱印帖の旅に切り替えようと思っている。

 

美容に

当院で、厚労省から「内科的病気に効果がある」と言われているマイナス・イオン治療器。普通なら、内科の病気には薬剤以外は認められる事は少ないが、当院で使ってる医療機器は、日本では稀な治療器で、恐らく日本初と思われる治療器である。

本当は私のガン治療の為に買った医療器なのだが、あまりにも効く事から患者さんにも使いだした。すると思わぬ効果が出るもんで、随分と驚いている。珍しい所では、女性の不感症から始まり、不妊症などなどかなり広範囲で婦人科系の病にも効果が上がる。

少々、下の話になるが、女性の不感症や男性のインポにも効果がある(笑)。私が病院勤務をしていた時、生理が終わってから数年と思しき女性から「鍼は不感症に効きますか?」って聞かれた事がある。一応は「効きますよ」とは答えたが、鍼灸治療を手品か魔法のように錯覚している方々が居る・

病気治療にしても不感症(これも病気か・笑)にしてもインポにしても、長々に悪くしたものを、一回や二回で完璧に治せと言うのも無理な話。歳を取ると言う事は、年々再々 老化をしている。鍼灸治療は、悪いと言う自覚症状を取りながら、その老化現象のスピードを抑えてるのです。映画のハリーポッターの世界でも、魔法で病気を治したり死なない方法が無いのです。

治療してても治らない&快方へ向かわない状態がありますが、可笑しいと思って色々聞いてみると、[しては成らない事を堂々とやってる]事があります。くれぐれも自分の身体の事だから、度が過ぎると困るけど。臆病な位に警戒心を持っても宜しいかと。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】㊺「自己愛性人格障害」

最近、とみに「自己愛性人格障害」と言う名を聞くようになった。私が最初に聞いたのが、10年程前か もう少し前位か。ネットやYouTubeにも掲載されてるので読んでみたりしたが、素人が経験した事を簡単に説明したものとか、専門家と呼ぶべきか精神科の医師などが色々と書いていたモノばかりで、書いた本人達でさえ十分理解してないから、具体的に「こうである!!」とハッキリと書かれて無い。意味は解っても人様に正確に説明しにくいものだった。
ところが、最新版扱いの2020年2月10日発行の「結局、自分のことしか考えない人たち~自己愛人間の対応術」と言うタイトルの本を手に入れた。ネットか新聞で紹介されてたから買って読んでみると、マア整理された具体的な書き方で充実した書き方である。まだ十分読んでは無いが、主なる部分を読んでみると、「あぁ、やっぱり彼奴のあの行動は典型的な自己愛性人格障害の行動であった訳だ!!」と思える事が幾つも書かれている。原因なども十分書かれている。ビックリしました。

そこで一つ御注意を。人間誰しも自分が一番可愛いのだ。だから自己愛を持ってて当たり前なのだが、この項のタイトル通り「自己愛性人格障害と言う病気」の話。この辺りを、どんなに説明しても理解できない人が多い。YouTubeから採った簡単な案内ビデオを見せたら、「これって、皆さん当たり前に持ってるんじゃないですか?」って返答だったから、回りくどい説明は辞め、「内容は違うけど、私はガン患者ってのはご存じですよね。このガン細胞って元気な筈の皆さんも持ってるのはご存じですよね。でもガン患者とは言わない」。此処まで説明すると、多くの人は理解する。結局、体内に普通に存在してるガン細胞がストレスや色々な事が原因で暴れだし、増殖してガンと呼ばれる肉塊となる。

それと同じで、誰しも持ってる自己愛が色々な事が原因で~~後は余り高くない千円でお釣がくる位だから、買って呼んだ方が良いかも(笑)。

 

年寄りの昔話。

高校に入って何を血迷ったかブラス・バンドに入部した。何事も3か月程は上達しない。おまけに、慣れた連中は「何をトロ臭い!!」と言った目で見る上に、「まだ出来ないんか!!」と言う輩も居て、長続きしなかった。それも高校に入ってからは減ったが、小学校の5年生位から酷くなり中学の1年生頃が最悪で、担任の女教師に特殊学級に放り込まれるところであった。明らかに、住友系の企業城下町サラリーマン社会の新居浜故に、数少ない自営業の息子だったから、やはり地位と名誉と財産が絡む妬みから敵対意識を持たれたのである。だから、何かにつけて仲間外れにされてました。それが、今だに続いているから何を言わんかである(笑)。

でもね、そんな中にも庇ってくれる友人達も居たが、虐ねる側が圧倒的に多かったから、巻き添えを恐れて離れていったのです。その時の質の悪い連中の行動で{他人ってこんなモノ]と人間不信と成ったのは確かで、何事も苛めで仲間外れに成っても一人で黙々とする事をしておいて、後は黙って他の人間とは交わる事はしなかった。それも10位の時からですよ。酷くなったのは11歳から13歳位の時が、人生最初の地獄をもました。

鍼灸の資格を取って就職した岩崎病院でも同じで、私より後から入ってきた性格の良い看護師も、中卒の襤褸看護師集団に組み込まれて私の敵に!! 若しくは直ぐ辞めるとか!!

薄々解っては居たが、当方に来ている患者さんが「ワシの知り合いが岩崎病院に行ってて、話を聞いたら<此処の看護師、中卒ばっかりじゃないか!!>と驚いてた」と言う。私が当地で開業しても、来た患者さん達から病院の悪い評判を聞かされる事も多かったし、病院が何か行事する時は、「私の仕事を放ってでも病院の行事をだた働きで手伝いに来い!!」と理不尽な事を言いに来たり。マア理不尽な扱いは慣れては成らないが、やたら多いのには反吐が出そうです。

母親が黄泉の国に旅立って1か月が過ぎたが、良い思い出は一つも思い出さない。何時もギャーギャーと怒鳴り散らして怒ってばかり居たから、私は母親に[マントヒヒ]って綽名を付けていた。中一の夏休みの或る日、半分徹夜状態で何かをしてたから朝の7時か8時に床に着いた。ところが、どこかで男女の怒鳴り合いが聞こえる。目を覚ますと、昼食を食べてる父親に、凄い剣幕で子近所さんに聞こえる大声で怒鳴っていたのです。

そこで我が愚姉二人の話。家族の為に汗水垂らして仕事している父親が休息を兼ねて食事をしているのに、母親が大声で叱責する。内容は忘れたが常にその状態が続いていたから、愚姉達は父母の何方に就いて味方した方が自分にプラスとなるか、計算したら母親の味方をした方が得!!と成ったようです。だから次女はこの辺り巧いもんですよ。これを毒家族って言うんです。この何かがあったらキレまくり、ギャーギャーと怒鳴り散らすのは、母方の祖母ちゃんがそうだったから。だから長女だった我が母がソックリそのまま。

随分前から・・・10年以上経つか、「自己愛性人格障害」って精神病の話にこっている。最近「結局、自分のことしか考えない人たち~自己愛人間への対応術」と言う本を買ってみた。税込みで935円だから、高くはない。

買ってきてパラパラと捲って読んでみると、理解は出来てるが言葉として表現しにくかった部分が素晴らしい文言で表現されている。ただ部分、哲学的な表現になってる所があるの理解するのに時間の掛かる部分もある。だから何度か読み返しをしている。

私が何故、自己愛性人格障害の事を熱心に勉強を始めたか。10数年前と言うより20年近く前になるか、某障碍者グループとの付き合いが始まった。詳細は省くとして、リーダー格の一人がHPの制作会社を立ち上げており、私としりあった時は会社は友人に譲り、個人客相手の仕事をしていた。そして後の二人はPCの勉強を教わっていた。ただ、この二人、社会的にも個人的にも随分と問題児だった。その一人、Yと言う酷い嫌われ者が居たのだが驚いた事に、奴の嫌われている部分が若い時の私とソックリどころか瓜二つ!!(笑) Yの顔を見ていると、「昔の自分って、こんなに酷い人格障害があったのか!!」と、余りの恥ずかしさで赤面していくのが解る程だった。これらが10数年前。そうすると、徐々に周囲の対応も変わりだし、気分も楽になり始めた。だが、何十年も人格障害を持ちながらの生活だった故に、おいそれと治る訳でも無く時々失敗しますね(笑)。

そして医師の診断は受けて無いが、私は発達障害と言う病気も持っていると話してる内に、昨年、Yは松山の病院に行って検査を受けると「発達障害を持ってる」と診断され、改善方法の指導を受け努力しており、以前と比べると随分と人間らしくなってます(笑)。

これらの話のような[精神障害]系の話に限らず、自分の悪い所を改善するのは[気付き]と[それをどうするかを決めるのは自分]です。よく勉強しましょう。でもね、自己愛性人格障害の場合、決して自分のマイナスは認めません。多くの場合、悪い事は人の責任にして、自分の心の安息をしますから。紙幅の関係もありますります。上記の本を買って(笑)、勉強してみて下さい。

そうそう。1月11日に逝った母親の49日(納骨式)は2月28日に無事終えました。今頃、笠と草鞋を身に付けた旅支度で、どの辺りを歩いている事やら。閻魔様の逆鱗に触れなきゃ良いが(3月2日 記)

 

色々と思い出してみたら、総べては恨み節(笑)。

亡き人を思い出すと言うが1月11日に旅立った母親の事は思い出す事は殆ど無いし、涙も出ない。一昨年の11月1日に母親を亡くした患者さんは「思い出す事も無し涙も出ない」と言ってたが、母親存命中には「おふくろが」「おふくろが」と煩い位に言ってたから、母親が旅立ったら大騒ぎ&大泣きをすると思ったが、意外と思える位ににアッサリした別れであった。

私の場合、母親と二人の姉達が、女房に対しかなり酷い人権侵害をやってたから実家に帰ったまま。そんな女房を庇い切れなんだ私も情けないが。そんな関係での独り住まいだから、認知症にった母親の面倒を見切れな成って施設に入れたんです。アメリカに行ってる姉や近くに住んでる姉は、[何もしないで口だけ挟むだけ]だから、母親を姥捨て山に入れる感じで預かって貰った。だが、施設に入れた途端、母親が「此処から出して家に連れて帰ってくれ」と懇願したが、連れて帰ってもどうしようもないから預けておくしかない。

丁度、アメリカへ行ってる姉も帰っており、「お母さんが出してくれって言ってるんから、此処から出して!! 私の頼みも聞いて貰えんの?」と言ったが、認知症の入った母親を見ても無いオナゴの頼みなんか聞けるか!! 「出してくれたら、アパートを借りて二人で生活して絶対に面倒を見るから」と言った。だが私は「何を言うか素人が。出来るもんならやってみな。お前のやり口は、<絶対できる・絶対する>と言いながら、<出来無い事が解った>ら、<あんた、後はお願いね!!>ってアメリカへサッサと逃げて帰るのは解ってる。」とまで言うと、それから新居浜駅を朝8時ごろ発の普通列車に乗り、伊予氷見の施設まで行って、基本、施設の人々の手伝いがありながら、4日目頃には疲れで風邪を引き熱までだした。おまけに薬まで買いに走らされたんですよ。結局、それっきり毎日施設へ行く事も無くなったが、このバカ姉の口車に乗って施設から出してたりしたら、大変な出費と無駄が出たのですよ。

そして「連れて帰れ」と言う母親を、私は言い含めた。「家に連れて帰っても良いが、貴方があの家に帰ったら私はあの家を出るからね。そしたら貴方は食事やら何やら、訪問看護や訪問介護を頼んでも一人では生きていけない。当然、餓死か何かで逝ってしまう。すると、私が保護責任者放棄で犯罪者となる。それでも良いと言うなら、連れて帰ってあげる」と何度も何度も言いました。だって、近くに住んでる姉なんて、習い事や大した事をしてないのに「忙しい!! 忙しい!!」って、当家に殆ど寄り付かなんだ。娘にでさえ、「忙しいって、大した事をして無い」とまで言われたのだ。おまけに「母親が死んで49日も済んでない」のに、当家へ治療に来てはお仏壇の母親の骨に手を合わせる事無く、金の話をして「三分の一持って来い」「通帳出せ」って怒鳴り散らすのね。チョッと可笑しいとおもいませんか?

しかしネ~、冒頭の患者さんもだが、私も相当面倒は見たつもり。だから死んだ時は、正直「ホッとした」というのが本音。冷たいようだが、長く父親なり母親なりを<看取り続ける>って事は、<私自身の体力や時間を使ってる>、言わば<自分の命を削りながら看取ってきた>のね。それを<年取った両親を部分 看取った女房には遺産が行かず>、ほぼ何にも看取らなかった<姉達は[三分の一を寄こせ!!]って発言>する。法律では子供の数で親の遺産を山分けと成ってるが、<義務を果たさず堂々と権利のみを請求>するって厚顔無恥の典型である!!。やらずブッタクリの典型である!!

仕事上の都合で、休日は日曜日と元旦だけ。母親を施設に預けて約9年。松山へ会議に行く時は鈍行電車に乗り、帰りは伊予氷見で降りて施設へ。そのまま帰れば新居浜へは19時前後には到着するのに、施設へ寄ると20時位に。帰りの電車で疲れたからビールを飲み、飲み足らぬと駅でもう一本買い、空き缶を捨てに行こうとして階段で足を滑らせ、下まで滑り落ちた事も。約9年間、電車で行った時は夏の暑い日も冬の寒いも、駅から施設に歩きました。

タマ~に時間のある時には車で行く事も。時には、健康の為に讃岐方面に駅からウオーク大会に出掛け、帰りは新居浜駅を通り越し伊予氷見迄行って、面会済ませて新居浜へ。母親と同時期に入った入所者にしろ、途中で変わった施設長にしろ、私の行動力にはビックリしてました。と言うのも、認知症を患って無かったら施設に入れる事も無かったし、母親が帰りたがったのに、色々な意味を含めて姨捨山に放り出したと同じ罪悪寒もあったから。母親を施設に入れて数か月後、ある週刊誌に「高齢者と不動産を相続してはならない!!」と記事が出てたけど、両方とも相続した後(笑)。「もっと早く書いてくれよ~!!」って泣きましたヨ(笑)。

母親の旅立ち後、相続の手続きをしてるが、初めての事で解らぬ事もあり、銀行の人にも手伝って貰いながらやってるが、近くに住んでる姉は葬式一切の事も何も人任せだったから、何も出来ない。バタバタをしてるのに色々と聞いてくるが、理解力が無いし、私も2つも3つも用事を抱えてやってりがら、理解力の無い人間に説明する時間が勿体無いし、バタバタして置いた物が解らなく成ったりしてグチャグチャに!! 皆さん「一人で抱え込まない方が良い」と言ってはくれるのだが、姉に手伝わせたら余計にグチャグチャに成るし、「手伝わせた!!」と言って怒鳴り散らすんですよ。前に書いた通り、施設から持って帰った衣料品を下ろしに行ったら、「飯時に来て、私はご飯食べてベよるに!!」と怒りだしたから、「ワシや飯も喰っとらんわ!!」と怒鳴り返すと。それわそれはご近所さんに恥ずかしい位のどなり合いとなるんです。

このは話は極一部だが、信頼のおける方々に触りの話をして意見を聞いてみたら、「此処の話は複雑怪奇で何かが可笑しい」と呆れるのですよ。それも何人も。まあ何処にでも大なり小なりの似た話はあると思うが、「チョッとネ~」と言う話。

当家の女親子母親は欠けたが、頗る評判が悪いのです。当家の土地を売る話に成った時、何処からとも無く悪い評判が聞こえてきたから調べてみると、三人共、彼方此方で要らぬ事を言って相手を怒らせてるのね。私は他人の顔して事情を聴いてみたら、概ね親父の評判は良い。私の話は余り出なかったが悪い感情を持ってるふうは無かった。結局、女親子三人の悪口をボロボロに言ってたし、別の女性が「お宅のお姉さん、口賢く言ってるけど、心の通わぬ人だね」とか「気違い女じゃ」と言う話は必ず聞きます。その余波で、私も随分と悪く解釈されてたらしく、ある酒の席で「話してみると、聞いてた噂より随分と良い男じゃ!!」と言われた事がある。身内に変な奴が居ると困る典型でしょうな~。私も、女房や子供や孫の障害に成らないように気を付けないと(笑)。

 

母親が旅立ちました。

令和3年1月11日・成人の日、午前1時59分に旅立った。享年100歳、満98歳。姉も来ていた関係で、席を外した間の旅立ちだった。
丁度2年前の朝8時過ぎ、預けていた施設から緊急の電話が入り、病院へ行ってくれと電話があり、慌てて行ったら緊急用の部屋で目を開けたまま横に成っている。話を聞くと、起床後パジャマから洋服に着替えさせた途端、体調不良を起こし、慌てて病院へ連れて行ったと言う。病院玄関に車が停まり、外来の看護師が心臓が止まっているに気が付き、その場で心臓マッサージをして「今は生きている」と言う状態であった。
傍にいた看護師が「顔を見てあげて下さい」「何か話し掛けてあげて下さい」と言う。「婆さん、シンドイか?」と声を掛けると、ギロッ!!と私の顔を見た。瞬間、「ワシの命が吸われた」と感じた。冗談ではなく本当に吸ったみたいで、翌日「腹空いた」と言いゼリーを食べたと言うし、その翌日「腹空いたから食事を」と言って、流動食だが当たり前の分量を食べたと言い。病院や施設では奇跡が起こったと話題に成ったと言う。病院に運ばれた日に、持って一両日と言う医師の言葉に葬儀会場を予約したんです(笑)。だからキャンセルしました。
そして、この状態が2度程あったが、今回、医師の「老衰です」と言う言葉通り、一か月チョイで逝きました。それでも回復基調で食事も始まったが、「食べられなく成ったら、死が近い」と言う通り、逝く一週間程前から食事はピタリと止まりました。

 

遅かりしの投稿。「年末年始」

今日はXmasイブだから、2020年も後8日。本日19:30からいきなりステーキへおよばれに。今回で三度目か。
私は高野山真言宗で在家出家した身だから仏教徒。今年の1月か2月かにキリスト教系で洗礼を受けさせられた。外国人から言わせたら、日本人のこう言った曖昧さが嫌だという。私は私で一神教は大嫌い(笑)。
大体、今の宗教って沢山あるが、本来、神とか仏とか呼ばれている御大は一人だけと考えている。その一人の御大を、着せ替え人形的に自分達の都合の良いように手を変え品を変え好きなようによっている。ましてや宗教戦争なんて、下等な人間の考える事であり御大は迷惑している筈。

 

出先でのトイレの話

まさかトイレの話を書こうとは(笑)。でもね面白い話が結構あるんですね。

まずトイレットペーパーの話だが、壁に「トイレットペーパー以外の物流さないで下さい」と言う下り。「じゃあ、今出した液体と固体は流してはいけないのかね?一体どうするの?」と一瞬思った程(笑)。最近は洋式のトイレ伽藍が当たり前に成ってきているみたいだし、それでも杜トイレットペーパー以外の物を捨てる人が居るのかね。

それと、地方の中型スーパーのトイレに、「トイレの中では食事をしないで下さい」って類の注意書きがあって、足元には透明のオカズ入れが捨てられているし、思わずわが目を疑った程。何故なら、尾籠な話だが食事中に不覚にもトイレに行きたく成った時、口の中に食べ物が入っていたら全部飲み込んでトイレへ走ります。汚物を出しながら口の中の物をモグモグと・・・考えただけでも嫌ですね(笑)。