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ガン死の映画

昨夜、久しぶりでもない映画に。20:00過ぎて行くと1200円で観られるから良いが、深夜00:00近くになるから辛い。

今回の映画は「僕と妻の1778の物語」で、最近の週刊誌にも原作者の取材記事が載ったりの話題作。以前にも「余命1ヶ月の花嫁」や「最高の人生を送る方法」も観て、内容的には「成功の・・・」に近い分があった。

原作者がSF小説家と言う事で、全編に随分とコミカルな表現が多かった。「・・・花嫁・・・」に比べると、大体が年老いた夫婦の物語だから、死を目前にした若い人達とは違った味わいがあった。

サブタイトルに「余命1年の妻に、僕は何ができるだろう」って言葉、ガンに限らず死を目前にした家族や友人・知人達に、同じ思いが沸き起こると思う。特に、医療知識や技術を持ち合わせてると、己の無力さが一層身に滲みる。人の力では、どうしようも無い現実、運命・宿命を痛感させられる一瞬でもある。

京大哲学科を出て臨済宗の管長にまで成った人でさえ、己の父親や知人の死を目前にして、己の不甲斐なさに医師になり、「僧医」と言う言葉を作った。

手前味噌で、私も順番が逆だしレベル的にも低いが、鍼灸=東洋医学から仏教=高野山真言宗で在家出家。まだ、人生に迷ってます(笑)。

同じ鍼灸学校時代の先輩にも、鍼灸界に居ながら仏教・臨済宗に身を投じた方も居るから、似た考え方・生き方をする人も多いようで、この先輩とも親交を温めさせて戴いている。

現代仏教は葬式仏教と呼ばれているが、神道にもキリスト教にも葬式があるから、仏教だけが葬式専門宗派ではない。歴史的な複雑な話があるから、此処では避けましょう。ただ一言だけ言えるのが、仏教が葬式仏教と呼ばれる理由。多くの僧侶、特に各仏教系宗派の上層部の方々の努力が足りないように思います。

と言う事で、ガンは人事では無い時代。ガンに限らず病気に成っても、生きてる間のモノの考え方や努力、安らかな死を迎える為に、平素から自分の生き方を考えておく必要があるように思います。

 

「風流?」か「勇気?」か、🎥 私には解らん。

アチコチにある幾つかのガン患者会のブログに、定期的にお邪魔させて戴いている。或る日、映画の話に成って、私の書いた「貸切状態の映画館で、弁当持込で笑い転げてた」って書くと、「映画を観ながら弁当、風流ですね~」ってコメントの後に、「映画館で弁当なんて、何と勇気のある人・・此処に居た!!」って書かれてた(笑)。

考えてみると、昔は弁当は解らないがジュースやお菓子程度の飲食物の持ち込みは結構、当たり前だったように思う。それでも、中学時代には遠足で学校から弁当・茶の入った水筒・御菓子持参で行った事もあるし、高校時代には日曜日に学校用の弁当箱に弁当作って貰って、当時は当たり前だった三本立ての映画を観てた事もある。

さすがに、新居浜のような田舎でもロード・ショウーや封切が当たり前になり、当然、映画館の売店で売ってる飲食物以外の持込は禁止状態。それでも、弁当の類の準備が出来なかったら、ウナギの寝床みたいなイオンの建物の端っこのジャスコで安売り状態に成ったオニギリやパンやジュース・御菓子類を買って、リュックの中に詰め込んで、建物の反対側端っこのシネマ・コンプレックスへ行って映画鑑賞が私には当たり前(笑)。多分、見付かったら嫌味な視線を浴びせられるかイヤミな一言を言われるか・・・どちらか程度で済むと思います。責任持てないけど(笑)。 で、これを読んだ方々に御願い。決してチクラ無いように(笑)。