Archive for 1 月 19th, 2011

ガン死の映画

昨夜、久しぶりでもない映画に。20:00過ぎて行くと1200円で観られるから良いが、深夜00:00近くになるから辛い。

今回の映画は「僕と妻の1778の物語」で、最近の週刊誌にも原作者の取材記事が載ったりの話題作。以前にも「余命1ヶ月の花嫁」や「最高の人生を送る方法」も観て、内容的には「成功の・・・」に近い分があった。

原作者がSF小説家と言う事で、全編に随分とコミカルな表現が多かった。「・・・花嫁・・・」に比べると、大体が年老いた夫婦の物語だから、死を目前にした若い人達とは違った味わいがあった。

サブタイトルに「余命1年の妻に、僕は何ができるだろう」って言葉、ガンに限らず死を目前にした家族や友人・知人達に、同じ思いが沸き起こると思う。特に、医療知識や技術を持ち合わせてると、己の無力さが一層身に滲みる。人の力では、どうしようも無い現実、運命・宿命を痛感させられる一瞬でもある。

京大哲学科を出て臨済宗の管長にまで成った人でさえ、己の父親や知人の死を目前にして、己の不甲斐なさに医師になり、「僧医」と言う言葉を作った。

手前味噌で、私も順番が逆だしレベル的にも低いが、鍼灸=東洋医学から仏教=高野山真言宗で在家出家。まだ、人生に迷ってます(笑)。

同じ鍼灸学校時代の先輩にも、鍼灸界に居ながら仏教・臨済宗に身を投じた方も居るから、似た考え方・生き方をする人も多いようで、この先輩とも親交を温めさせて戴いている。

現代仏教は葬式仏教と呼ばれているが、神道にもキリスト教にも葬式があるから、仏教だけが葬式専門宗派ではない。歴史的な複雑な話があるから、此処では避けましょう。ただ一言だけ言えるのが、仏教が葬式仏教と呼ばれる理由。多くの僧侶、特に各仏教系宗派の上層部の方々の努力が足りないように思います。

と言う事で、ガンは人事では無い時代。ガンに限らず病気に成っても、生きてる間のモノの考え方や努力、安らかな死を迎える為に、平素から自分の生き方を考えておく必要があるように思います。