Archive for 5 月, 2011

大殺界最終年、上半期の事情。

今年で、大殺界も終わる。占いと言えば「当るも八卦、当らぬも八卦」と信じない方々も多いが、以前にも書いた通り、私の重大事に限って細木数子氏の六星占術がズバリ当っている。それだけに信じ過ぎると危険だが、警戒警報として参考にすれば良いと思う。

今年の上半期(4月1日以降)のと言うより10月迄の既に入ってる予定を見ると、比較的、自由のきく日曜日の8割以上に予定が入り込んでおり、やはり酷い日でトリプル・ブッキング。

月曜と金曜に空手があり、入門してから金曜日に定期往診と障害者グループと始めた仕事の会議が重なり、鍼灸の仕事の都合で遅れて稽古に行き、20:00からグループの会議が始まってるが、これも遅れて参加。それが月曜日も増えたからムチャクチャ。

月曜・水曜・木曜・金曜には定期往診も紆余曲折しながら増えたから、それはそれはトンデも無い事に成ってます。空手道場責任者には、「昼間は比較的暇な夜の蛾に成ってます」って、それはそれは悲しい言い訳(涙)。

「ソリャ、見境無しにアチコチ顔出ししたアンタの責任!!」と言われたらそれまでだが、入院以後、「泳ぐのを止めたら死んでしまうマグロ状態」に成ってる故に、仕方の無い部分がある。故に比較的、夜に自分の時間が取れる日が火曜日と土曜日のみ。この二日のみ、時間が取れて、観たい映画があり、愛妻の心身共に余裕があった時のみレイトの映画を観に行けるのです。タマ~に、火曜・水曜・木曜辺りに時間が取れる時があり、この時はくるまで10分位の所にある銭湯形式の天然温泉に夫婦で出かけます。故に、美人の受付嬢の覚えも良いですよ(笑)。

日曜も地元活動の場合、タマ~に15:00位から時間が取れる時がある。この時だけは、伊予三名湯と言われている西条市の本谷温泉へ行く時もある。唯一、夫婦だけでドライブを兼ねて湯治に行き夕食を済ませて帰る時ですか。

考えてみれば、「余命9ヶ月宣告」を受け、この7月中旬でまる8年に成る。一度は、家族揃って私の命を諦めてから8年なんですよ。家族ぐるみでガンと闘い、ようやく拾った命なんですよ。折角拾った命だけに大事にしたいが手術後、「何とか成る間に、何かを何とかしなくっちゃ!!」って、家族総出で十分で無いにしろ私が己の意思で動ける間に、「動け無く成る迄に、限られた時間のある間、何かをしておかなくっちゃ!!」と思い、家族は「何か心残りに成らないよう、したい事をさせておかなくっちゃ!!」って走った結果が、今の状態なんですよ(笑)。

余命宣告をされ、手術中に大量出血をし、その時に三途の川を見て渡りかけた私にとって、「死ぬ事は怖く無い」と言えば嘘に成るが、人間の生き死にの現実を見たようで、諦めとも納得とも付かぬ複雑な心境で毎日を生きてます。

昨年の猛暑以来、極悪の気候、東日本大震災、完全に身体状態が狂ってます。だから3月末に心身共に折れ、「空手を止める」と言い、とうとう道場責任者に申し出たが、道場責任者や家族・友人知人の猛反対、中には入門する事自体を反対していた友人までもが猛反対、1週間悩み続け、嫌で止める訳じゃ無かっただけに、情け無いが空手はまだ続けてます。それに私が入門した当時、市内の極真4道場で私が最高齢道場生だったのが、1年後に10歳も年上のジジイが他道場に入門。それから約4年、その道場に私より12歳も上のジジイが二人も入門。客寄せパンダ的状態だった私故、立場上、悲しいかな意地でも止めるに止めれぬ状態か(笑)。

何事もそうですが、最後は自分との闘い。体調最悪だが、ガンの転移再発とは違う部分の体調不良だが、このまま走り続けていくしか無いんでしょうネ~。誰に何と言われようと、変なオヤジ・変なジジイの道をひたすら走り続けるしか無いのでしょうネ~。

 

「???」×10の話。

よく、「歯医者も医者だろう?」って聞かれる事がある。だから、必ず答える事にしている。「歯医者は、医者では無い」って。すると、必ず迷答が返ってくる。「エッ~!? だって、歯医者って医者って名が付いてる」「だから、歯医者は歯医者であり、医者では無い。歯医者が医者なら、歯って名をワザワザ付ける必要が無い」「内科医とか、外科医とか、産婦人科医とか言うじゃないか」「それは、医師免許を持った人が厚生労働省が認めた診療科の中で、勉強した得意な分野を表記してるだけ」「だから、歯医者は医者で、歯が得意だから歯医者になったんじゃないのか?」「歯医者だけ別で、医者とは違う学部へ行く。医者に成るには医学部へ、歯医者に成るには歯学部へってさ」「医者の学校って、みな同じなんじゃないのか?」「だから、医者は医学部へ行き、歯医者は歯学部へ行き、其々卒業してから国家試験を受け、受かったら保健所経由で厚生労働大臣に免許申請すると、厚生労働大臣名で免許が下りてから医者なり歯医者として仕事ができる」「そんなの解ってる!! だって医者も歯医者も医大へ行くだろう?」「だから、医科系の大学には何種類かあって、総合大学の医学部とか歯学部、医科の専門単科大学の医学部とか歯学部なんかがある。国立の単科大学としては、東京医科歯科大学って超難関の単科大学がある」「やっぱり歯医者は医者ジャ!!」「あのな~!! 法律的に言っても、医者と歯医者は別扱い。その証拠に、必ず【医師もしくは歯科医師もしくは薬剤師】って区別されている。医師も歯科医師も同じ免許なら、こんな区別は必要無い!!」「それは法律上の呼び方であって~」「だからヨ~!! 医者が歯の治療したくったって虫歯の治療は出来ないんだよ!! 歯医者が産婦人科の医者したいったって、出来ないんジャ!! 風邪引いたって言って歯医者の所に、いわゆる歯科医院へ行ったって、風邪薬の処方や注射をしてくれたり、胸部のレントゲン写真を撮ったりした事は無い筈ダロ~!! 歯科医院でお産をした話も聞いた事は無い!!」「・・・確かに・・・」「ただな、家族で医師免許や歯科医師免許を持った人が複数居た場合、そうなる場合があるけど、それはただ単に経費節約で同じ建物を共用してるだけ。超小型の病院みたいなモン」「・・・」「それと、チョッと特殊な分野に口腔外科がある。事故なんかで顎が粉砕骨折した場合など、歯科分野の話で歯列が解らない整形外科医や形成外科医だけじゃ治療が難しい場合、口腔外科医として講習を受けて厚労省から認可された歯科医師も部分だけ参入でしる。だから、口腔外科医の資格を持ってる歯科医師は、それ以外の医師が携わる一般治療はできないし、普通の口腔外科医であっても歯科診療・・・いわゆる虫歯治療や入歯製作は出来ないんじゃ!!」「・・・」「だから基本的に、どう言ったって医者は医者であり歯科治療は出来ないし、歯医者は歯医者であり歯科治療以外の一般治療は出来ない!!」「だったら何故、歯医者に医者と言う名前が付く? おかしいや!!」「それはそれ、法律の問題であって此処で論議する話とは違う。だから、区別の為に「医師」と「歯科医師」としてるだろう!? ・・・って、何回も同じ説明をさせるな!!」・・・と言う具合に、そこらの下手な漫才以上に面白い話となる。

また、次のような話もある。30数年前、ある警察官との話で困った事がある。職業を聞かれた事から、「鍼灸師ですよ」「最近、鍼灸師ってきくけど、一体それって何?」「鍼治療とか灸治療をする国家資格を持った医療関係の技術者」「そんな抽象的な説明を受けても解らん!!。具体的に説明しろ」と成ったのだが、詳細は忘れたが色々と例を挙げて説明をしても解ろうとしないと言うより、ワザとゴネ回しているようにしか見えない。挙げ句には、「それって、鍼灸治療師だろう」「法的な観点から言えば、そう言う資格は無い。もっと正確に言えば、「鍼師」「灸師」と言う別個の国家資格で、両方持ってる場合が多いから、「鍼灸師」って呼ぶケースが多いが、鍼灸治療師って呼び方は初めて聞いた!!「具体的に鍼灸治療師って言わないと、鍼灸師だけじゃ解らない奴が多いしワシも解らん!!」。思わず思ったのが、「ソレって、アンタの勉強不足で単なる世間知らずだろう」って、思わず喉元まで出てたが引っ込めました。

4コマ漫画の一つにあった話で、盛岡のドクターに大受けした話。ヤクザの抗争中、組事務所ドアに「ヤクザイシ 募集」と張り紙をしてる。たまたま勤め先を探していた薬剤師が、履歴書を持って抗争中の血だらけのヤクザに声を掛けた。ヤクザ曰く、「チョウド良い!! そこいらの怪我をした血だらけの連中の治療をしてくれ!!」「イヤ・・・僕は医者じゃないから・・・」「オメエ、組事務所の張り紙見て来たんだろう!!」「そうです」で、最後のコマに成ったら、「薬剤師=ヤクザ医師」の注釈が!!

「薬剤師じゃ無く、腕の立つヤクザな外科医が必要だった」・・・と言う笑話。盛岡のドクターに話すと、「私は内科医だが、ヤクザ医師です」って笑ってました。古い話ですが(笑)。

 

行ってきました!! 「石鎚山系 元気ウォーキング大会」

今年で5回目となる同大会、お隣は西条市の主催で、愛媛県久万高原町と高知県いの町が共催。参加募集定員が1000名と言うから、かなり大掛かりな大会。1000名募集と言いながら、2000円の送迎バス利用者が700名と自家用車利用参加者が400名ほど居たと言う。それでも、翌日の新聞報道では約1000名と書いてました(笑)。

数日前から体調を崩していながら、当日は朝5時起きで準備し前日の午後11時過ぎに就寝。ところが、いきなり目が醒めると頭がガンガン疼いている。時計を見ると午前4時。「困ったナ~」と思いながら、按摩イスに座りゴトゴトと掛けること1時間。痛みが軽減したから出発準備を始めた。

リュックには、昼の弁当はオニギリが3個、自然塩が少々、茹で卵が2個、ドリンクゼリーが1個、紅生姜の天麩羅少々、500mlスポーツ飲料が4本、勿論、水割りのブランデーが500ml一本(笑)。職業柄、鍼灸の治療道具が一式と怪我薬などが入ってるか再確認。それにしても、コンパクトに収めた救急用品だけでも邪魔になる。

体調が思わしく無い上に身体が十分に目覚めていないから、着替えるにしても時間がかかる。尾籠な話だが、笑い話じゃ無く山行きだからトイレは十分に済ませておく必要がある。やがて、セットしていた出発時刻を知らせる携帯電話のアラームが鳴り、装備を背負って出る頃に母親が起きてきて見送りを受ける。女房は、前日からお泊り保育の仕事で居ない。母親に、戸締りと留守番を頼み出発。

06:30、何がしかのアクシデントがあっては成らないから、大体30分前に出発する事にしている。温かく成ってから、周囲は随分と明るい。寒い時に比べ、人通りも幾分多い。

今日は市内の各校区の町民運動会だが、色々あったから此処十数年参加はして無い。別段、誰も誘いに来ないから気兼ねが無い。その分、マイペースで事が運ぶ。ワガママと言えば其れまでだが、此処へ移り住んで45年、色々とあり過ぎた。

15分後、駅に着き、西条駅迄260円の切符を買い、改札を済ませて二番乗り場に。今日は、クラブ活動や登校の高校生も少なく、四国八十八カ所巡礼のお年寄りが一人と高校生が3人だけ。随分と閑散としている。上り電車が入り、私の乗る下り電車の待ち合わせで停まっている。やがて下り電車が入り、乗り込んだ頃に上り電車が発車。下り電車も定刻発車し、10分後には伊予西条駅に。今迄の松山行きなら此処で乗り換える事に成るのだが、今日はそのまま改札口を抜けて送迎バス乗場である西条高校へ歩いて向う。

昔々この辺りの医院にも勤務していた事もあり、途中のアーケード街は懐かしい。ユックリとアチコチ観ながら思い出に更け歩いた。本来なら、もう一便遅い電車で来ても間に合うのだが、懐かしい風景を見ながら散策するのも目的だったから、体調不良以外は、随分と良い一日に成る筈。

15分も歩くと官公庁街に出た。バス乗り場の西条藩の陣屋敷があった跡地の西条高校まで行く事に。ノンビリと歩いていると、西条高校入口近くの道路を挟んだ向かい側バス停ベンチに座った不審者(笑)らしき人が私に会釈をする。「係の人かな?」と思いながらも、会釈を返してその場を離れた。理由は、日曜早朝にリュックに帽子、手にはウォーキング・ステッキを持った変なオッサン(私)が歩いているだけで不審者扱いされ、通り掛かった車のドライバーからでさえ変にジロジロ見られてたから。

暫くウロウロしてたが、体力の温存?もあり、少し離れた堀端の木陰のベンチに座り、鍼灸の仕事もしながら映像の世界にもいた頃、この西条高校前の堀周辺はダンジリの撮影スポットにも成っており、当時の祭の喧騒と体力に任せた撮影紀行を懐かしんでいた。

丁度この頃、時期は晩春から初夏に移りつつある時期。堀を覗くと、鯉や名も知れぬ小魚が人の気配で寄ってくる。僅かな薄雲が入ったような朝の穏やかな陽の光を浴びながら、犬を散歩させてる人や、早朝ウォーキングをしている人々が行きかうのを見ていると、坂本冬美の「まだ君に恋してる」の一節が似合いそうな風景である。

歳のせいか、怖い顔の割に変な感傷に浸っていたが、リュック姿のグループや個人の方々が続々と集まりかけたので、慌てて集合場所へと向う。

やがてバスが集合し始めた。どれも25人乗り位のマイクロ・バスとしては、ユッタリ席のだ。各々、指定された号数のバスに向かい、受付をしている職員にバス代2000円を渡し、必要書類やゼッケン、案内書などが一通り入った封筒を渡され、領収書を受け取るとバスに乗り込んだ。

私より早く申し込みした女性グループ6人は、看護師や介護士の医療関係者ばかりらしく、口々に好きな事を言い合いながら遠足気分ではしゃいでいる。私ときたらムサいオッサン一人だから、何時の間にか仲間に入って話し込んでいた(笑)。この辺り、顔が怖い割にチャッカリしてると言うか要領が良いと言うか、何故か得意技(爆)。

出発時間の08:40が過ぎてもバスは出ない。様子を見ていると、ギリギリで来て受付している御仁がいる。他の小松・東予・丹原の各支所は08:00だと言うにだ。私と言えば、団体行動故に1時間以上も前から来てると言うのに。

定刻を過ぎてバスが出た。西条高校前から町並みを抜け、国道11号線を西に走り、加茂川大橋を渡ると川沿いに走る国道194号線に入り、ひたすら高知方面へ走る。やがて笹ヶ峰トンネルを抜け暫く走ると、案内の看板に沿って旧国道194線へUターンの格好で入り、後は瓶が森駐車場方面に走る。

暫くはマアマアの道幅が、やがてプロの運転手の操るマイクロ・バスが大丈夫かと思える程の狭い道幅になる。途中、トイレ休息用のスペースがあり暫し休憩。何故なら、数が少ないのに人間が大挙押しかけたから(笑)。

全員乗車し出発したのだが道幅がますます狭くなり、冗談じゃ無く本当に最後まで行けるのかと思う程に狭い道路じゃ無く道をクネクネと走る。その道幅たるや、軽四同士が出会っても、擦れ違うのに数十m以上はバックしないといけない程。思わず思ったのが、「自分の運転する車では、絶対に来たく無い!!」って事!!。

道路は山の標高から言えば稜線近くだから、ズッと前を走ってる同じグループのマイクロ・バスや、一般車両が走ってるのが見える。昔の歌にあった「随分、遠くへ来たもんだ」って雰囲気。普段は目にする事の無い不思議な光景。

体調不良に睡眠不足に少し車酔いも出た関係で、ウォーク・マンで音楽を聴きながらウトウトと始めた。熟睡している訳では無いが、どの位寝たのか、通路に食み出していた短めの脚に何かが当る。フッと目を醒ますと、皆さん、各々荷物を持って車を折り始めている。窓の外を見ると、整理すると200台位以上は入る駐車スペースに、行儀良く車が停められている。

そうこうする内、全員が下車したところで添乗員役の職員が、「開会式が行われていますから、その先の方へ入ってください」とは言うものの、その広場の一番奥にステージらしき物があり、誰かが入れ替わり上がってはハンド・スピーカーを使って何か言ってるが何も解らない(笑)。こう言う時の単独参加って、何も解らないままにいきなり事が進んじゃうから、オジンに成っても心細いのなんのって(笑)。

顔見知りと成った25号車の参加者を探している内に、ハンド・スピーカで何か叫んだ拍子に、パ~ンと音がした。すると、ステージ方向を向いてた参加者が一斉に振り返り黙々と歩きだした。私の周囲に居た人々も、訳の解らぬまま半ばウロウロしている内に、誰かが言いました。「スタート!!って言うと、スタートのパ~ンって音がしたじゃない?」って。すると同行者と思える人が、「じゃあ、歩いて良いんだ」って・・・。何故か不思議な感じで事が進んでましたよ~(笑)。

後は何も解らず、ゼッケンを付けた参加者一団が歩く方へと迷子のオッサンが一人付いて行きました(笑)。それでもパステル・カラー(黄緑色)のスタッフ・ジャンバーを着た人達が紛れ込むように歩いているから、「マァ~、良いか・・・」って歩いてました。

距離の目安は、1km置きに設置されている。道の要所要所にはスタッフ・ジャンバーを着た職員が二人一組で立って声掛けをしている。この辺りは平均的ではあるが、主催者が市だから事故が起こったら大変なのでしょう。

スタート地点からと言うより、広域林道だけに舗装が完備されているが、非常に厳しい下り坂ではある。何度も参加している人達が話してる内容を聞いてると、上りが何箇所かあると言う。平地は得意だが、上り下りが不得意な私は「困ったナ~」と思いながらひたすら歩いた。

その長い下り坂を降り切った場所に、山小屋風の喫茶店がある。その前にテントが張られ、チェック・ポイントに成っている。参加証の裏側にチェック印を押す場所がある。何人もの職員でゼッケンの番号を確認し、チェック印を押して貰い、一口だけ舐めるようにスポーツ飲料を飲んだ。と言うのも、用意していたスポーツ飲料が既に半分無いのである。チェック・ポイントが丁度、中間地点だから、この先は思いやられる。

チェック・ポイントを出ると、後は上り道。暫く歩くと、監視員薬の職員が居た。「これから先、ズッと上り道ですか?」「下りもありますよ。この辺りの坂が、一番キツイんです」「え~ッ!!」と良いながら、風景を楽しむにしても石鎚山の美しい頂上の景色しか興味の無い私は、ひたすら歩くだけ。

何組めかの監視員さん達が、参加者相手に何か話してる。様子を聞くと、「貴方が73人目の通過者ですよ。それも1000人も居る73番目ですよ」と言う。「でもね、昨夜から体調最悪で来てるから、直ぐ後の何人かに追い越されますよ」と言うと、「先行の人の中には80歳台のお年寄りが居たですよ」と言う。「ヤッパリか。後姿から、随分と年取ってると思った。追い越してやろうと思っても追いつかないし、私が追い越されかけてる」って笑っちゃいました。それにしても、どのウォーキング大会にも、必ずと言って良い程に兵がいるものです。

そして9kmの表示のある処に居た監視員さん達が声を掛けてきた。「もう最後の1kmです。頑張って!!」「もうイヤよ。何処かで引っくり返ってやろうか」「ダメですよ!!」「その辺りで野宿しようか?」「いけませんよ!!」「じゃあ、ゴール2m手前で大の字になってぶっ倒れるとか(笑)」「ますます、いけません!!」「だって大の字に成ったら、指先がゴール手前20~30cm位手前に成るから」・・・この辺りに成って、真面目に受け答えしてた女性職員がからかわれていたのが解ったのか、横を向いたまま大笑いを始めた。側に居た男性職員は最初から解っていたから、後で手を組んでアッチ向きコッチ向きしながらズッと笑ってました(爆)。

休息がてら監視員さん達に遊んで戴いて、最後の踏ん張りでゴールを目指した。しばらく行くとゴールの表記がある割に、塗装中の石鎚神社の分社らしき建物があった。残念ながら、確認し忘れている。側に居た係のスタッフが方向を指すので進むと、土小屋第二駐車場まで500mと書いてある。「ゴールと書いてあるのに、あと500mと書かれても・・・」と言いつつ、ひたすらゴールを目指しました。ただ救われたのは、上りでは無かった事くらいか(笑)。

やがて駐車場が見える辺りまで来ると、マイクロ・バスが揃ってるわ揃ってるわ!! 伊予鉄バスと瀬戸内バス以外のバス会社の総揃いと言う感じ。表現は可笑しいが、大きさこそマイクロ・バスだが中型らしいボディの数社のバスが揃うと、何処かの観光地かサービス・エリアに迷い込んだと言えば少々大袈裟だが、本当にある種、見応えがありますね。

ゴールは順位を決める競技じゃないから、ノンビリと大体80番目位に到着。ゴール地点を越えると、籤引の引換券とキジ鍋引換券と有名スポーツ飲料を手渡され、順番にハズレ籤を引き、具も中身も少ないキジ汁を頂き、さしあたり飲みかけのスポーツ飲料を飲み干し、キジ汁を頂きながらオムスビを1個だけ食べました。

本来、これだけ疲れると食欲が減退するのだが、予定よ随分早く起床し、コーヒーとタブレットを飲んだだけで何も食べ無いまま家を出て、ゴール地点で約14kmほど歩いた計算だ。それに「暑い!!」と言いながらも、やはり1500m級の山道だ。空気の綺麗な風が心地良く冷たい分、俗に言うマイナス・イオンもタップリ吸ったのでしょう。体調最悪ながら、何故か食事が美味しい!!

その後、現地で売ってた珍しい土産物を幾つか買いました(笑)。私がゴールを急いだのは、実は・・・これが目当ての部分があったんです(笑)。と言うのも、中盤以降のゴールに成ると、混雑した上に品物も少なく成ってるし、キジ汁を戴くにしても待たなけらば成らないから、体調最悪で疲れた身体には堪えます。

単独参加だから話す相手が居ないんで、時間を持て余した。迷惑だろうが、独断で運転手さん達に話相手に成って貰い、乗ってきた25号車に一番乗りで乗車させてもらって、座り心地の良い座席で残りの弁当をユックリ&ノンビリ食べました(笑)。

やがて全員が乗ったバスから発車し帰路についたのだが、来た道が狭すぎた事から面河渓方面から遠回りし高速道路を使って帰る事に成ったのだが、医療系職員グループの一人が何の予兆も無く突然吐き始めた。様子を聞いて酔い止めの鍼をし、吐く袋が少なかったのでゴミ袋として持参していた小型のレジ袋を何枚か渡した。オバチャン看護師が居ても、さすがに出発直後から呑んでても、こんな時は私の方が一枚も二枚も上。

やがて吐いてた人も落ち着いた事から、再びウォークマンで音楽を聞きながら呑み直しウトウトとしていると、今度は後の席の女性が吐いたから車を停めてくれと言ってる。様子を聞くと、吐いた割に出るモノが出たらスッキリしてると言う。ただ、吐社物を捨てたいだけだったらしいから、持参のレジ袋を渡すと、「そのまま帰ってくれ」と言う。で、私はまた寝ちゃいました(笑)。

どの位寝たのか、医療関係者グループが大騒ぎを始めた。目を覚ますと、「車がヒックリ返ってる!!」とワイワイ騒いでいる。見ると、一台の白い乗用車が仰向けに成り、その後に乗用車が停まり、その車に乗ってた人達が数人車外に出ている。パトカーも一台着ている。・・・で、何故、此処まで詳しく書けるかって?丁度、桜三里PAでトイレ休憩の為に減速してPA内に入ろうとしていると、件の事故は対向車線の下りPA前で起こっていたから、ジックリと観察できたのです。不謹慎ですが(笑)。

バスが停まってから、私はトイレに直行。用を足し外に出ると、例のグループのオバチャン達数人が、芝生の土手を這い上がって事故見物に行ってる。その姿を見て、側で煙草を吸ってた他のバスの運転手さんに、「あのオバちゃん等、エエ~根性しとるナ~」って声を掛けると、その運転手さん、ムチャクチャ受けてました(笑)。

添乗員職員さんの「出発します」と言う声に、件の事故見物のオバチャン等、今度は降りるに降りられず、ヨタヨタ大騒ぎしてたが結局、芝生に腰掛けてズルズル滑り降りるように降りてきたけど・・・見っとも無い笑い話の報告でした(笑)。

PAを出発してから、レスキュー車と消防車が走って行ったが我々のバスは順調に進み、運転手さんの言ってた通り17:30には出発場所に着き、早々に同行者さん達と挨拶して別れました。

バスを降りてからは、今度は歩いて駅に向う。途中、アーケード街を歩いてると元患者さんに会い挨拶。格好から、私がウォーキングに行ってたのが解り、「先生、相変わらず頑張ってますね~」と言われながら、しばらく話してたが別れ、遠回りして家族に頼まれてた蓬と抹茶の太鼓饅(焼き饅頭とも言う)を三個づつ買い駅に向った。

駅に着き、上り普通電車の時間を確認していると、1時間近く待たなければ成らないと思い、女房に凡その時間を連絡していると普通電車が3番ホームに入った。放送を聞いてると、しばらく停車するとの事。慌てて260円の切符を買い、改札で聞くと20分程の待ち合わせだと言う。一安心でユックリと跨線橋を渡り、席を確保してホームの自販機へ。ところが時節柄、スポーツ飲料が売り切れ。仕方なく、120円の500ml缶入りのサイダーを買い、電車に戻って一気飲み・・・は無理でした(笑)。

この電車も定刻に出発。待ち合わせも無く10分程で新居浜駅に。改札を出て、待合室で迎えの電話をし、待ち合わせ場所に。と言うのも、さすがにこの日だけは、心身共に最後の15分を歩く事が出来なかったと言う情け無い報告でした(汗)。

「追伸」・・・でもね、刑事モノ探偵モノのドラマやアニメを見ていると、よくぞ行く先々でこれだけ事件や事故に巻き込まれるもんだと思っていたが、最近、出掛ける度に事件事故とは言わないが、何か必ず話題の一つや二つが振って沸いてます(笑)。

 

緊急出版「特別報道写真集」

仙台市の河北出版社から、「巨大津波が襲った 3・11大震災~発生から10日間の記録~」と題する写真集が4月8日に第1刷が発行され、直後位に愛媛新聞で紹介され、そのまま行きつけの書店に注文を出したのだが、1ヶ月経った5月8日に書店から連絡を受け、今日ようやく手に入った。

昼休み時間帯に電話注文したおり、「巨大津波が襲った~」って途中までタイトルを言った途端、女店員さんが即、正確に本のタイトルを言ったもんで話を聞くと、既に朝から数件の問い合わせがあったとか。少しビックリと嫌な予感がした通り、入手が遅くなった。発行日を見ると、4月8日の第1刷どころか5月4日に第3刷と成っている。第1刷が三万部だった事から、多分、全国から一斉に注文が来たのだろう。値段も写真集としては税込み1000円と安かった事もあるだろう。ただ、印刷の色が昔のビニ本の如く汚い写真もあったが仕方が無いか。そして、売り上げ金の一部が被災者のへの義捐金とした分だけ売れたのだろうと思う。

津波やその後の映像は、新聞やテレビ、震災・津波直後に発行された週刊誌で「これでもか!!」って言う位の分量を見ただけに、目新しいと思える映像は少なかったようですが、写真週刊誌以外の写真集として、一冊位は有っても良いと思いました。

初めて1眼レフを手にした41年前の高校2年生の時以来、写真家として歩むつもりで神奈川県の東京写真工業大学(現・東京工芸大学)を受験し合格したにも拘らず、無理解な両親から「大学出て迄、町の写真屋さんに成るのか!?」って反対され、結局、受験はさせて貰って合格はしたものの、結局、入学手続をさせて貰えぬまま。

大学は両親の希望に近い方へ行ったが、病気で体力ガタガタで2年で中退。そのまま自分の希望通り映像関係に進もうとしたが、やはり親の横槍で鍼灸の道に進んだ次第。でもね、今と成っては部分、良かったように思います。自分が一番苦手と感じてた医療分野の仕事で、我ながらビックリするような力を発揮してる部分があるから。とは言うものの、やはり映像の世界の夢は諦め切れない。

或る日、治療中に患者さんと映像の話をしていると、「先生、新居浜のCATVにコネがあるから、先生の話を振ってみようか。上手くいけば、出来るかも知れん」と言う事で御願いしてみると、下請けプロダクションだが「来てみるか」と話が纏まり、時間の配分を上手く回しながら鍼灸の仕事をしながら映像の仕事も始めた。

しかし4年後、西条祭の取材中に転倒し左脚が曲がらなくなる程の大怪我をし、半年後には結局、その怪我が元で映像の世界から引退の筈が、弱小プロダクションから応援依頼があったりしたが、再び人間関係が元で完全卒業の筈が、それから9年目の今、障害者グループと共にプロダクションを設立準備中と言うより、設立したものの、方向性が噛み合わず、ようやくこの春から稼動始めたのです。

映像関連に詳しく無い方々は、スチール写真と動画は同じモノのように考えてるお思いますが、全くの別物。

スチール写真は、極端に言えば何百万分の1秒の映像を切り取る作業だが、どうしても欠点がある。動かないから、目に見えるその写真の現場だけしか解らない。動画は、動いてるモノをそのまま表現するから、いわゆる平面の写真が連続的に動く映像を楽しめる。それだけに、本格的な写真を撮影をした事が一切無い人が、自分が業務用規格や放送用規格のカメラを使って撮影した映像をみると驚嘆する。そして言うに事欠いて、「写真なんて、動画の敵じゃ無い!! テープが回ってる間、全部が写っているから!!」と言うが、それは単に移り込んだだけで、一瞬を狙って切り取った映像(写真)とは似ても似つかぬ代物なのですよ。その辺りが、写真と動画の絶対的な違いであり、互いの大きな欠点でもある。

でもね、長年、写真を撮り続けていた関係か、よく言われたのが、「レンズを向け、ピントを合わせた一発目の映像が、さすが長年、写真を撮ってただけあって綺麗過ぎる」って言われてました。あとは写真家?の欠点で「チル(カメラの上下振り)とパン(カメラの左右振り)が下手糞‼」でした(笑)。それでも、1年も経った頃には上手く成ってましたけど(笑)。

そうそう、本格的な映像を撮ろうとしたら、まず手ブレ防止機能は解除する事。そして、動画の場合は三脚のヘッドが命。どんなに高価で素晴らしいスチール写真用三脚でも、絶対に動画用には無理です。プラダクション当時、私が使ってた動画用カメラの三脚、一番安い物でも30万円~40万円位はしてました。そして最高級クラスが、イギリス製のヴィンテンってメーカーの奴。5㎏以下用の奴でも100万円してまして、5㎏~10㎏用で150万円。それが、私が辞める頃には、100万円の奴が48万円、150万円の奴が85万円位の安い者が出始めてました。

その他、オーストラリア製のミラーってメーカーのは、良いのだが重いと言う欠点がありました。そしてヴィンテン程のナナメ操作が出来ないが、良い三脚でした。

三脚のナナメ操作って、カメラの動きの基本は上下(チル)と左右(パン)。これだけだと、安いとは言えソコソコのを買えば良い。本当に良い三脚って、人間の首並にカメラマンが思った方向へ正確に向けられるだけの柔軟性と独特の安定性が無ければ無理なんです。これだけは、使ってみないと理解できないんですよネ~(笑)。と言う事で、写真家を夢見て紆余曲折しながら、スチール写真はセミプロで、テレビ関係は元プロとして活動し、未だに諦められない部分があるが、無理的に納得はできました。

カメラマンって、チョッと下っ端扱い受けるケースがあるが、マトモな編集するにしても、音声サンをするにしても、ライトマンするにしても、カメラがマトモに振れない間は、マトモな編集も音声もライトマンも出来ないと言う事実があります。だから、本当の下っ端の間は、AD(アシスタント・デェレクター)と言うパシリをやらされる。過去、何人もの映像社会へ入ってきた若者を見たが、たった一人だけ、棒にも橋にも掛からない奴が一人居た。東京のキー局の仕事がしたいと行ったは良いが、口先だけでダメ!! キー局の孫受けプロダクションで撮影してる本人は一流的な口を利くので、新居浜地方祭の時に帰って来たのでアルバイトとして撮らせたが、編集の事を考えずに被写体にレンズを向けてテープ(当時)を回してただけだから、99%の映像がボツ!! 僅かに使った1%の映像も、使わなかったら本人が可愛そうだと言うだけで、しぶしぶ使っただけ。アルバイト料の無駄遣いでした。

私も人様の事を、とやかく言えるほど上手い撮影はできないが、拘りを持った撮影&編集&音声&ライトマンをやってはきただけに、「マシかな~」って思います。

 

GW中に、ウォーキング大会追加の知らせ。

只今、GW真っ最中。皆様は何処へ行かれたか。私は、野良の節句働き中。

3年前の5月下旬、地方新聞でウォーキング大会のニュースが出ていた。内容は、お隣は西条市スポーツ健康課が主催の、石鎚山系元気ウォーキング大会。瓶ガ森駐車場~土小屋第二駐車場までの、約10kmのコース。そして一昨年&昨年、参加しようと思いながら西条市HPを確認し忘れボツ。

今年も申込締め切り間際に気が付き、PCから申込用紙をダウンロードしファックスで送っていたのが、ようやく今日に成って参加証的な物が送られてきたのです。集合場所が、西条市役所前の陣屋跡地に建てられた県立西条高校前。1000名の募集だったのが、申込があったのが700名と言うが、それでも大掛かりなウォーキング大会である。

このウォーキング大会、参加費は無料で記念品と完歩証が戴けると言う。会場では、くじ引きがあったり大会会場近隣の人達がキジ鍋を御馳走してくれるらしいから、随分と楽しい催し物。市主催のウォーキング大会とは、到底思えない(笑)。ただし、バスの送迎費用が2000円だけ必要。それにしても、会場設営やなにやかやの費用を考えたら、一人当たり2000円のバス代で足りるのかと人事ながら心配してます(笑)。このように、西条市では合併前から近隣市町村がやってた健康フェスティバルみたいなモノも継続してバックアップしてやってるから、随分と太っ腹ですよ!! 当・新居浜市でも、この位はやっても良いと思うのだが、昔からの風習で、仕事をしないで箱物だけ作って、使用にしても煩く言って利用者のヤル気を潰すような事しかしないから、人間が育たないんですよね。

西条市のやり方って、部分、高知県とよく似てます。数年前、小豆島にツアーで行った折、帰りのフェリーで高知市のツアーの老夫婦とご一緒させて戴き、色々と話をしてると、御主人が東京の高知県事務所勤務の方で、高知弁独特のイントネーションが感じられない位に標準語を喋っている。その御主人曰く、「高知県って地域柄、官民一体で事を起こさないと日本政府から忘れ去られる」って意味の事を言ってました。その官民歩み寄りの精神が、県民総生産が下から一二を争う貧乏県でありながら、観光立県として頑張れているのだと思う。その「官民の歩み寄り」的な部分が、西条市でもあるように思います。

愛媛県は保守的だと言われるが、その保守的な部分って、見方を代えたら「知事と県都・松山市を中心として、保守的な官僚的な共産主義的な鎖国的な事しかせず、前向きな教育活動が出来て無い」ように感じます。当然、この新居浜市も県に右へ倣えだから、西条市のような官民一体の市民活動は出来んでしょうな~。