Archive for 6 月, 2011

雨の中を丸亀へ。

本日、「丸亀の歴史を巡る」と題したウォーキング大会に。

此処で、皆さんは不思議に思われるでしょう。「何故か、ウォーキング大会って言うと讃岐へ行ってる」って。愛媛県にも日本ウォーキング協会の県支部が今治市役所にあるんですが、協会の連絡くらいで、地元・愛媛県内での活動は一切って程してませんから、近隣で一番活動している讃岐に行ってるんです。

今日は朝から雨が降るって事は解ってたので、前々から用意していた雨具も一式リュックに。05:00には目を覚まし新聞を取りに行った時は降ってるのが解らない程の雨脚だったので、「合羽は要らないかな~」って思っていたのが、準備を済ませた頃、雨脚が強くなってる。

自宅を出る準備を始めたところで女房が起きてきて、「駅まで送る」と言う。言葉に甘えて駅まで送って貰い、07:01発の鈍行電車に乗った。雨は相変わらず降っている。丸亀駅に着くと、殆ど降ってる感じは無い。参加者の多くも合羽は着て無いし、簡易雨具のような上っ張りを着ている人が数名。逆に、リュックに合羽を装着している人の方が多い。

受付を済ませ合羽の準備を始めると顔見知りの方が近寄り、「今日は合羽は要らないよ。暑いだけだよ」と言う。そのまま引っ張り出して広げたばかりの合羽をリュックに仕舞い待ってると、出発時間の09:00間際の到着電車で来た方々が続々。結局、出発式が始まったのが09:10からで、即、出発。

本日のコースは、駅から丸亀市内の歴史上・名を遺した方々の墓所や、それらに纏わる神社仏閣を回り、途中、映画「UDON」のロケで有名になった逆さ讃岐富士の見える溜池も回った。この場所で撮った製麺所はロケ・セットで、今はレオマ・ワールドに移築していると言う。こう言った話は、やはり現場へ言って世話役さんなんかに聞かないと、正確な話が中々耳に入らない部分もある。

ロケ地跡を後にし、ゾロゾロと丸亀城へ向った。丸亀城は、23年程前と18年程前に来た事があるだけ。二度目の時は、お堀の内側にミニ遊園地があり、訳あって業に子供達を連れて遊びに行った事がある。悲しいかな今では、その思い出のミニ遊園地は廃止されていた。

この丸亀城は大阪城と同じく石垣が立派で、城本体は残って無いが小さな楼が一つだけ残っている。頂上の広さから言えば、本体の城もそんなに大きくは無かったと思われる。

本日のウォーキング大会は「讃岐・歩こう会」の総会とウォーキング例会が同時に行われる日だったので、最後の城山頂上でウォーキング大会が自然散会の格好で終了と成った。だが、この時点で8㎞しか歩いて無い。が考えてみると、一般参加者はそのまま駅なりへ歩いて戻るから、やはり10㎞は歩く事になる。

丸亀駅に戻り、10数分待ちで上り普通電車に乗り高松駅へ。本日後半の目的は勿論、駅舎外からでも駅構内からでも食べられる「連絡船」って名の店で立ち食い讃岐饂飩を食べる事と、四国駅弁の投票№1に成った「たいらぎ弁当(1100円)」が高松駅でないと手に入らないから、それもついで買いに行きました。だってサ~、一日鈍行乗り放題の切符を持ってる以上、勿体無いから時間と体力に余裕があればチョッとの寄り道位は許されるでしょう(笑)。特に、今日は「父の日」だけに(笑)。

で、珍しく本日の失敗が一つ。丸亀駅から高松駅に向う電車の中でウッカリと寝込んでしまい、電車が高松駅到着後、運転士に起こされたんです。勿論、乗客は一人も居ない。そのままプラットホームに下りると、どの電車から降りたのか解らない乗客がゾロゾロと歩いているの。やはり瀬戸三橋が出来るまで四国の玄関口として君臨していた駅だけに、3路線10ホームもあるし日曜の昼過ぎともなると、随分と人が出てるもんですね。

と言う事で用を足すと、即、下り鈍行電車に乗り一路新居浜へ。愛媛県に入った頃に成ると、再び雨が土砂降り状態。伊予三島辺りで女房から電話があり、「駅まで迎えに行く」との事。やはり、父の日だけにサービスが良かったようです。そして自宅に戻り、荷物をばらしシャワーに入り、出ると即食事。時計を見ると17:30。外はまだ明るい。自宅で日曜日の夕食を食べるのに、こんなに明るい状態で食べるのも珍しいのです。 それではおやすみなさい。

 

本日、6月8日は。

今日は、年に数回しか無いと言われている絶好日!!まず「大安」であり、「一粒万倍日」であり、「天赦日」であり、「うま」の日。これだけ書いてしまえば~、詳しくは皆さんでお調べ下され(笑)。

今日、何故この話題を持ち出したかと言うと運気が逃げそう(笑)だが、昼休み時間帯に宝籤を買いに行ったんです。何故か、携帯電話のアラームが鳴ったから(笑)。ところが、目的の宝籤が無い。話を聞いてみると、来週だと言う。どうしようかと迷ってるうちに「今、売出し中の宝籤ある?」って聞いてみると、「一枚100円で、一等が777万円の宝籤がありますよ」と言う。随分と中途半端な金額だと思いながら、折角来たんだからと10枚だけ購入。「ついで!!」と言っちゃ何だけど、ロト6も二枚だけ買った。

幾ら昼休み時間帯とは言え、留守番が居るとは言え、長く治療院を空けておく訳にはいかない。イソイソと車に戻ると、目の前の車を見てビックリ!! 来た時には無かった筈の真黄色の軽四があり、ナンバーを見てズッコケタ!! 何と、ナンバーが777!!上記の大吉日の上に、風水では金運を呼ぶと言われている黄色の車のナンバーが買ったばかりの宝籤の一等当選金と同じ数字。偶然とは言え、不思議な事もあるもんですネ~(笑)。これで一等とは言わなくても、纏まった高額当選金が入れば宝籤を買う軍資金の足しに成る(笑)。

平均的な人達は「宝籤を買っても当らない!!」って買わない人が多いけど、買わないと100%当らない!! 当然ですが(笑)。でもね少々乱暴だが「当る」か「当らない」かだけの観点から見たら、確立は五分五分。だが其処には数字のトリックがあって、「何十万分の一」とか「何百万分の一」の確立となるんですネ~残念ながら(笑)。

よく公営ギャンブルやパチンコ等のギャンブルをする方々から言わせたら、「宝籤はギャンブルでは無い!!」と言うが、やはり立派なギャンブルです。だって、懸賞金と言う金を当てる為に籤券を買う訳だから、やはり立派なギャンブルですよ。

一時、パチンコなんぞにハマり、俗に言うギャンブル依存症に成って家庭崩壊をした方々も多いが、宝籤だと小遣い範疇で10枚か20枚買って終りだから、滅多に家庭崩壊をする程のギャンブル依存症には成らない。それでもタマ~に居るんですよ。依存症に成る人が。

と言うのが、中途半端な100万円とか1000万円とか当たると、射的心が強い人だと「これでもか!!」って、当る前は多くても1000円とか10000円程度しか出資しなかったのに、一番困るのが100万円辺りが当選した場合、10万円とか20万円と言う投資金額で購入し始めるから、折角当った当選金も僅か数回で使い果たした上に、小遣いでは足りなくなり家計費や貯金にまで手を染め金が無くなり、借金の挙げ句にとうとう仕事もクビに成ったり、自営業者なら潰れたりと言う話に成るんです。

以上の事から、私は今回の宝籤が大当たりしても、皆さんに内緒で貯金しておきます(爆)。

 

農繁期。

最近の農業は機械化が進み、また農作業の相互手伝いなどに因って随分と効率よく進みだし、身体的には随分と楽に成ったと言われる。

ところが、毎年のように紫陽花の花が咲く頃に成ると、何故かガックリと暇に成るのだ。この頃に来た患者さんに聞いてみると、「農作業が早く終わる為に、協働作業する仲良し同士で仕事が終わってから、日帰りツアーとか2~3泊のツアーに出掛けている」と言った話を聞いた事がある。

それで、何となく納得。何故なら、機械化が進んで人手も足りる事から、昔ほど心身共に付かれ切るって事が少ないから、打ち上げの意味合いもあってか、一杯やりながらツアーに出掛けているのでしょう。

貧乏暇無し状態の私は、こう言った時にユックリと休むのも一手なんでしょう。と思うが、何時も休んでるような感じがするのだが、思い過ごしだろうか(爆)。

 

生きる為に!!

外出時に荷物が多いと、いつも母親から嘲笑されている。

「何故、荷物が多いのか」と言えば、リュックには鍼灸治療用の道具から、簡単な怪我手当て用品、常備薬、使い捨て簡易トイレ、筆記用具、パラシュート生地の予備袋、名刺、大小のナイロン袋(飲食物使用可)、広告用の新聞記事コピー、ICレコーダー、小型デジカメ、ICウォークマン、小型ヘッドホン、小型ペンチ&ナイフ&ドライバー・セット、小型懐中電灯、マイ箸、マイ塩、マイスプーン、伸縮式の孫の手、特殊警棒、等などがコンパクトに纏めて入ってる分、どうしても荷物が多くなる。

地元CATVの仕事をしていた時、若い衆から「サバイバル・オヤジ&コンバット・オタクの、ドラえもん四次元ポケット」と嘲笑されていたが、その「ドラ・ポケ」のお陰で非常時に随分と助けられた分だけ、若い衆たちは誰も嘲笑しなくなった。その習慣が抜けず未だに持ち歩いているが、災害時持出用袋にも同じ物が3~5人分と、缶詰の御飯に惣菜やデザート類、2㍑入りの水が12本、静止加重200㎏のパラシュート用ロープが30m、等など、キャンプ用品どころかサバイバルとも戦闘用品とも言える位の装備(笑)が、タイプの違う二つの大型リュックに整理して応接室の片隅に置いている。

そして今回、東日本大震災の大津波被害を見て、緊急用の風船式の救命胴衣が必要と感じた部分がある。

あの大津波被害のあった東北地方で、子供達のランドセルや通学鞄、大人の仕事用鞄の中に小さく折り畳まれた救急用救命胴衣が入ってさえいれば、行方不明者・死者の1/4や1/3位の人々が助かったんじゃないかと考えている。

私の車の中には過去、使い捨ての小型消火器と中身を詰め替える小型消火器の二本を積んでおり、盗難にあった250㏄のオートバイのサイド・ボックスにも使い捨て小型消火器が入ってたんですよ。

車の中に入れてた消火器は、10年程前に高速道路上で車両火災があった時、高速隊のお巡りさんに貸しました。数日後、知り合いの高速隊のお巡りさんが我が家に制服姿で高速隊パトに載って、中身を詰め替えた消火器を返しにきてくれました。当時、幼かった息子は、我が家の駐車場に停められたパトに少々興奮気味。昔は、私服刑事さんや、パト乗車勤務の制服警察官が休憩や治療がてらに随分と出入りしてた頃があり、その分、我が家の子供達は警察関係者には好意をもってるようです。どの世界にもだが、タマ~に悪さする輩も居るんですけどネ~(笑)。

このように準備万端の私故、平和ボケした周囲の人々からは嘲笑され続けてます。さすが阪神淡路大震災直後は、母親でさえ「ヤッパリ、アンタの用意周到は間違い無かった!!」って言いながら、日本人独特の「喉元過ぎれば何とやら」、で今でも私の事を嘲笑し、阪神淡路大震災直後から売れに売れた非常持出袋も殆ど売れず、賞味期限のある食品ですら補充or交換すらされて無いんじゃないかと言われている。

賞味期限の話。缶詰類は昔から言われ続けているように、10年経っても20年経っても膨らんでなければ腐ってないから大丈夫らしいです。某テレビ番組でしてました。ただ、多少の味の狂いはあったようですが(笑)。

それと缶詰類を空ける前に、絶対注意しておきたい事がある。大災害があった場合、必ずと言って良い程に水道・ガス(プロパンガスの場合は大丈夫)・電気などのライフ・ラインが駄目に成ってますから、まず第一に冷蔵庫の中身をボチボチ片付ける事。停電してるから、当然温度が上がりだす。その時は、冷凍庫の中身をボチボチと冷蔵庫に入れ、冷蔵庫内の温度上昇を防ぐと共に自然解凍に成るから、プロパンガス等の使用量も少なくて済む。

私が言ってるこれらの事は、サバイバル・オタクと言うか、キャンプ・マニアと言うか、コンバット・オタクと呼ばれている方々の間では常識以前の生き延びる為の常識的な話。これ等を知らずして準備や心構えが出来て無いと、イザ大災害に直面した場合、自分の最低しておかなければ成らない準備もせずに、「政府は何をしている~!!」「自衛隊は~!!」「警察は~!!」「消防&救急は~!!」って、人の責任にしてしまう言動をするものなんです。

最後に、幾ら準備万端で用意してても、やはりそれらを使えるように生き延びてなければ成らないんですよね~。大災害などの非常事態に会わない方が良いんですけど、阪神&東日本大震災のような事に成れば幾ら注意しても仕切れない時がありますから、準備と心構えだけは平素からしておきましょう。