Archive for 10 月 26th, 2011

RFL、その後

RFLに参加すべく乗車した鈍行電車で出会った正体不明の妖怪オバチャンのタタリ(祟り)なのか、その後の生活に支障が出てるのかも(笑)。そのせいで、2週間以上も「院長の独り言」の更新が無かったように思う(爆)。

16日の日曜日、毎度の事だが05:00起きで道場責任者の車に同乗させて貰って松山の県武道館で行われる試合会場へ向ったのは良いが、東予地区の地方祭の事故の話に成ったり、スタッフとして付け出しされてる筈がスタッフ名簿に名前が出て無かったりと、何故か色々な事が起こる。スタッフ名簿に名前が出て無かった事から、所属する道場の責任者と相談して動画記録係として活動したが、大会スタッフとして活動をして無かった関係で、スタッフ用の弁当を食べる気にも成らず、結局はモーニング・コーヒー飲んだだけで18:00までスポーツ・ドリンクを一本飲んだだけ。同情した選手の父兄がオニギリ一個を分けてくれる話に成ったが、中途半端に食べると余計に腹が空くので丁重にお断りしたのです。

大会の午後からも、「スタッフで食事をして無い人は、早急に食事をして下さい!!」って何度も放送があったが、スタッフ表に名前が無くても登録されてる以上は弁当がある筈だが、如何しても食べに行く気がしなくて行かなかったのです。本部では、付け出された人数と予備で注文した筈の弁当の数を計算して放送した訳だから、少なくても私の分が1個余る筈で、少々、気を揉んだ筈だろうが、如何しても受け取りに行く気には成れなかった。

で結局は12時間半の間、持参していたスポーツ・ドリンク一本だった訳で、試合が終わってから新居浜に送って貰い、18:00から珍しく14日夜に九州の大学から祭見物に帰っていた息子と寄せ太鼓の見物に出掛ける事に。

さすが疲れと腹が減ってる関係でドリンク・ゼリーを口にしたが、完全なる空きっ腹には効き過ぎて気分が悪い。それでも、こんなオヤジと何年振りかで祭り見物と成ると息子も不思議と機嫌が良いので、女房に会場と成るイオンに送らせた。会場には開催一時間前に到着した関係で、ジャスコに回って1個68円のオムスビを3個と110円の第三のビールを二本買い、息子には希望の炭酸飲料を買い、二人でゲーム・センターに行き飲み食いしながら時間を潰す。

19:00 から太鼓台の寄せ太鼓が始まったから、二人で上よ下よと走り周りながら撮影。息子なんぞ昨日、私の仕事が終わって二人で出掛けた御隣のJR中萩駅の夜太鼓見物から合計で百数十枚の写真を撮ってたと言うから、随分と頑張ったようだ。それも、雨の中を傘を差して会場と成ったスーパーの駐車場まで男親子が傘をさして出掛けた程だから、息子も私同様、変なオヤジに成るでしょう(爆)。イオンでの寄せ太鼓も一通りのメイン行事も終わった事から、帰宅に困らないように早目に会場を歩いて後にし、数㌔離れた系列スーパーまで戻り、愛妻に迎えを頼んだ。

そして23日の日曜日、本業の研修会がある事から松山へ。例の如く2000円切符で出掛けたのだが、JR伊予小松駅で20歳台前半の後輩が乗ってきた。話を聞くと、「準備の為に早目に来てくれ」と本部から連絡があったらしく、今治駅からは特急に乗り換えた。

私と言えば、JR松山駅に着いてから路面電車に乗って会場近くの本町6丁目で降り、近くの大型スーパーで昼飯用の巻き寿司一本と、胃が無い関係で数回に分けて食べるオムスビ個を買い会場へ。勉強会は、10:00~15:00。何時もの事ながら、終了時間は必ず延びる。この日も30分ほど延びて、帰りの電車まで時間が少ない。仕方なく路面電車で移動し所用を済ませ、JR松山駅へは予定電車の出発5分前に着き、慌てて駆け込むと後輩がウロウロしている。話を聞くと・・・と言うより観たら解るのだが、何時もに無く混雑している。仕方なく、ボックス席では無くベンチ席の方々に詰めて貰い、大型の老若のオッサン二人が座ったのです。此れには、さすが誰も嫌な顔はしなかったです。私の顔が怖かったのか(爆)。

電車が発車して、腹が減った私が非常時に残してた2個のオムスビを引っ張りだすと後輩が呟いた。「ボクも腹が減りました」って(爆)。仕方なく、1個譲ったのだがやはり腹のムシが悲しんでました(爆)。

RFL参加の為に家を出る時、愛妻が大き目のオムスビを4個準備してくれたのに、会場に行って差し入れの弁当を結果的に2個戴た挙げ句にビール付きの昼飯まで戴いた罰が当ったのか、後々、食い物に悲しんだと言う悲惨な報告でした(爆)。

正体不明の妖怪オバチャンと出会ってから2週間以上、体調が優れないんですヨ、何故か!!(笑)。昔から、腹を空かせたまま仕事なりをしてても、ある時期を過ぎると笑顔が消えた能面みたいな表情が固まってしまうと噂されてから、周囲の人達は食事をする時間を私の顔で決めてたと言う恐ろしい時期もありました(爆)。