Archive for 11 月, 2011

戦艦大和からの生還者講演会

平成23年11月27日(日)13:00から、撃沈された戦艦大和の生き残り、生還者の八杉康夫さんの講演会が予定通りあった。

この日も通常通り、2000円切符で出かけた。ただ、講演会開始は13:30だからユックリしたら良かったのだが、例の貧乏性(笑)。新居浜発の下り鈍行電車としては始発になる07:01の電車に乗り込んだ。この日の講演会は、午後からだから午前中が空白状態。空いた時間が勿体無いから、予てからの所用を午前中に済ませるべく出掛けたのです。

本日、松山市内の移動はイヨテツの電車を何回も乗り継ぐ事になるから、割引の効く「IC・い~カード」を買ってアチコチに移動。一人でファミレス辺りに寄るのも嫌いだから、11:30に高島屋で弁当を買い、12:20には愛大キャンパスへ。

講演会会場は、キャンパス正門脇にある南加記念ホール。以前、ガン関連の松山市民講座があったホールだ。受付時間が12:30からだから、既に受付準備が始まっている。受付を済ませ、世話係の方を探して貰ったが連絡が付かない。仕方なく、少々早目だが会場内へ。で無いと一種の反則行為だが、指定席で無いから良い席が確保できないのです(笑)。この辺り、早い者勝ち!!ってヤツでご勘弁を。でもね、さすがに野暮を言う輩が一人も居ないのには感心!!

席を確保し、弁当の巻き寿司を持ち出し、度付きサングラスを掛けたまま玄関前の受付脇でバタバタしてる世話係の方々を尻目に、ブランデーの水割りを巻き寿司を食べながら飲んでました(笑)。きっと、傍目には異様に映ってたと思います。自信を持って!!(爆)。

弁当ゴミを始末し会場内に入ると、演者の八杉さんも世話係の方々と一緒に動いている。ステージ奥には題目の書かれた幕が吊り下げられ、ステージに向って左側には5m程ある戦艦大和の写真、右側には1m強の初期の大和のプラモデル。たったそれだけのモノだが、嫌でも雰囲気作りがされている。

黙って様子を見ていると、八杉さんがプラモデルの方に歩み寄り聴講者と何か話始めた。当然、こう言う機会を逃す手は無いし、抜け目の無い私(爆)故に早速、話の輪に黙って紛れ込んだ(笑)。色々と話を聞き、集まった人々が質問する。八杉さんも、「何か質問が無いですか?」って聞かれる。フッと後を見ると、私を含めて十数人ほど集まっている。熱心な方々と言うか、講演が始まる前から凄い状態でした。途中からだが、思い出してICレコーダーを回した。そして、二次被爆者でもあり高齢と言う事で、13:00には控え室に戻られた。

やがて13:00には講演会が始まったのだが、司会者の言葉には驚いた。今日の講演会、実はドクター・ストップが掛かってると言う。先にも書いた84歳と言う高齢と二次被害者である分、最近に成って体調を崩していると言う。そして、今回の講演会が最後では無いかと言う話。自分の貴重な体験を後世に残すべく、ドクターを説き伏せての講演会だと言う。

やがて八杉さん本人がニコヤカに出て出てきて話を始めたのだが、高齢の被爆者でドクター・ストップが出てるようには見えない。本人曰く、「海軍で鍛えられ教えられた事に、人間は常にジェントルマンであれ!!」と言う事らしく、「人前に出た時は、常に紳士であれ!!」と言うのが基本に成ってると言う。差し詰め、女性ならレディーだろう。それも、人間形成に必要な15歳~18歳位の時期に叩き込まれた事は終世忘れないと言う。自分自身の過去を思い遣ると、確かに言える!!

話は海軍に入った頃から始まり、終了予定の15:00近くに成っても話は途中。「まだ良いですか?」と、何度も壇上から御世話係りに声を掛けながら話は続いた。やがて大和が沈む時の壮絶な話から、沈んだ直後の状況など、生還してから周囲の人々に話しても、特に外傷に関しては外科医からは絶対に信用されなかったと言う話。この時、その話をチャンと説明してましたが、納得!!

そして大和最後の出撃に際し、世話をしてくれてた31歳の上官が、当時は士官クラス以上の者にしか許されなかった家族との最後の面会に骨を折ってくれた話。映画「男たちの大和」に同じ状況のシーンがあるのです。先日、亡くなられた「男たちの大和」の原作者・辺見じゅん氏が、自らの取材による事実を元に作られたシーンではなかったろうか。

大和が沈んだ時、270余名と言われる生還者以上に生き残った兵士が居たと言う。生き残った筈の多くの兵士は、体力が持たずに沈んだ兵士も居たが、爆発した大和の破片が生還者を直撃!! それで亡くなったと言う!! 壮絶な話である!! 此処では、悪いが内容的に具体的に書けない話!! 八杉さんが、奇跡の生還者と呼ばれる所以だろう!!

その時、八杉さんを大切にしてくれた上司は、八杉さんが救援に来た巡洋艦に助けられたのを見届けた後、大和の沈んだ方向へ泳いで行き、やがては波間に見えなくなったと言う。その時の心情を涙ながらに話してました。「その後姿を見て、自分も一緒に死にたかった!!」と。多くの人達は、この話を聞いて「折角、助かったのに、わざに死にに行く事は無いだろう!!」って言うと思います。時代背景も違うし、状況も違う。ただ、命を掛けて闘った人で無いと解らない部分がある。

憶測でしか無いが、多分、八杉さんも「助かった!!」「良かった!!」って言う気持はあったと思うが、戦闘状態の中、それ以上に人と人との繋がりの中で、自分だけが生き残ったと言う罪悪感、と表現するが、生き残った事実が「自分だけが何故!!」って感情が湧くのも事実。自分一人が生き残った訳じゃ無いが、何故か「自分だけが!!」って感じるのです!!

私事で済まぬが、やはり末期ガンで余命宣告を受けて丸8年が過ぎた。今でこそ薄れたが、入院中に知り合った同病者の方々、ガン患者と称されるが、その知り合い仲良く成った方々が、入院中から退院して外来通院してても続々と逝っちゃうんですよ!! 二名ほど行方が解らないだけで、何人とかは言わないけど後の人は皆逝っちゃったですよ!! その時、やはり「自分だけが生き残った!!」って罪悪感みたいなモノが常にありましたよ。実は、今もなんですけどネ。一部かも知れないが、だからガン患者同士は「ガンと闘う戦友!!」って、異論はあるが表現するんでしょう。

この日、八杉さんの著書が売られていた。「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」(ワック書店¥1500-税別) って本。これには、もっと詳しく詳細な話が載せられている。機会があったら、一読されてみては如何だろう。本当の戦争の悲惨さ、命の大切さ、戦場での人間模様など等、単なる生還者の体験談だけでは無い、私の感想では無い何か、言い知れぬ何かを得る事が出来るかも。今日の私の感想より、もっと壮絶な話がより正確に理解できると思います。

本来、15:00で終わる筈の講演会も、終わったのが16:00近く。最後に、「時間が無いが、質問を受けると」成った。一人の御老体が手を挙げた。「質問では無いんだが」と断りを入れた後の話。八杉さんの話の中で、「大和が攻撃を受けた(確か瀬戸内海近辺)時、松山航空隊の面々はどうしていたんだろう?」と言う件のところで、「あの日、松山航空隊も偵察機をアチコチへ飛ばしていたし空襲なんかもあったりでバタバタしてました。だから、別に遊んでいた訳じゃ無いですよ」って話に一堂失笑した程で、なかなか後に成らないと聞けなかった話なんぞも出てきた。講演会終了直後、話した御老体はじめ数人の御老体が集まり、戦争中の「あの時は~」と言う話で、ある部分、同窓会や初対面の戦友会のような盛り上がりをし、電話番号や住所の遣り取りもしてた程だから、「何か凄い状況に成ってる!!」の一言でした。

講演会終了後、十数人の方々と共に八杉さんと話をさせて戴き、サインも戴き、写真にも一緒に撮っていただきました。6年前、西条市丹原町で講演をした時の記事はコピーして持って行ってたから、不躾に「要りますか?」って聞いたら、「要ります」って即答(笑)。当時の記事に掲載された写真を見て「若い!!」(笑)。

聴講者の中には、この日の講演会の為にだけ態々京都から来た若者も居たり、宇和島からとかも居たり。それだけ、世代を超えて奇跡の生還者の話を生で聞いてみたかったのでしょう。中には数人、小学生らしき子供たちも居たから驚き。

そんなこんなで、帰りの電車は通常より80分遅れの鈍行電車。土曜日の仕事が通常より忙しく、前々からの疲れに被さって尋常な疲れ方じゃ無い上に、日曜日も07:01発の電車に乗るのは解っているのに、就寝が日曜日の02:00過ぎ。おまけに、貧乏性が災いして午前中に松山市内をウロウロ。挙げ句が、幼子が遊園地で興奮して遊び過ぎて帰りの電車内で寝込んだのと同じ状況。疲れと睡眠不足の冷えた身体に電車の暖房が心地良く、一杯ヤッてるから電車が走り出すとウトウトと、瞬間爆睡状態(爆)。途中で、若い女性車掌さんに起こされた。「携帯電話、鳴ってましたヨ。で、気の毒ですけど、マナーモードにしておいて下さいネ」って、お叱りまで受けちゃった(笑)。

まだ続きがある。この若い女性車掌さん、実を言うと数ヶ月前、やはり松山からの帰りに乗った電車に乗車してた車掌さんで、おまけに例の私のトイレ騒ぎで長停まりしない伊予小松駅で、3分ほど停めさせた時の車掌さん。きっと覚えている筈で、「このオヤジ~、今度はトイレじゃ無く携帯電話をマナー・モードにしないで居眠りかい!! 煩いワガママ・ヤジジャ‼」と思われたに違いない(笑)。

今回の話は戦争や命の大切さの重い話だった筈が、以前にも書いたけど、「出掛けたら最後、ドラマの如く必ず何等かの話題が一つや二つ出てきます~!!」って話。今回も、少々オマケ的なドラマがありました(爆)。で、上記の若い女性車掌さん、平成30年春には特急の車掌さんに成ってましたよ。(喜‼)

 

トホホの懐メロ。

娘が結婚して半年近く経つ。6月吉日に入籍してから、厚労省キャリア組の婿と一緒に勉学中の広島から東京の某国家資格受験塾に入塾して行ってしまった。

披露宴は、来年春に東京で若夫婦の共通の友達と「この人だけは!!」と言う友人と、世話に成った教授を呼んで総勢50名位で質素にするらしい。当然だが、両親と兄弟は出席らしいのだが、娘とチョッとしたイザコザがあって私は出席を頭から拒否。婿は嫌な顔をしてたけど。

「如何しても出席しろと言うなら土曜日の夜に夜行高速バスに乗り、披露宴が終わったらその夜の高速バスで帰る0泊3日なら仕事に穴が空かないから出席しても良いが、親父の席は名札だけテーブルに置いて料理は準備するな。特に花嫁の男親なんて宴が始まる前後の立礼と最後の挨拶に黙って立ってたら良いだけだから、宴の最中の時間は食事はせずに往診に行くから料理は無駄に成る」とだけ言って、後は終り。

ただ、披露宴でのBGMだけは私がジブリ・アニメの様々な演奏スタイルのCDをレンタルして用意してたから使うかも知れないと言う話。録音媒体は、当然、2Gのウォークマン。MPー3より随分と音が良いし、あらゆるアンプに繋ぐプラグ類に合うアダプターを用意して持たせてある。

性懲りも無く、レンタルCDを借りてきては500GのHDDを内蔵したCDステレオに追加録音している。その中に、加山雄三の「若大将50年」と言うCDアルバムがあり、一曲目に「座・ロンリーハーツ親父バンド」って曲がある。演奏は加山雄三とザ・ヤンチャーズ。何かの音楽番組で出てた「さだまさし」「南こうせつ」「森山良子」「谷村新司」など等の其々ソロ歌手としても力のある豪華なメンバー・バンド!! 私くらいの年齢前後の方々なら懐かしく思うかも知れない。尚、CD番号は「MUCDー1225」です。興味のある方は買うなりレンタルでどうぞ(笑)。

で今回のブログ・タイトルが「何故、トホホ」なのかと言えば、私が青春も謳歌していた頃、彼等が我々にとってトップ・アーチストだった筈なのだ。何年か前、高校生くらいだった子供達と音楽の話をしていた時、愛妻が口を挟んだ。「お父さん、私達が好んで聞いてる曲って、この子達にとっては懐メロなんですからね」。その一言を聞いて少々ショックを隠せなかった(笑)がシッカリと納得(爆)。その子供達も、中学高校時代に聞いていた曲は、既に懐メロに入りつつある筈なのだが、本人達は自覚しているだろうか(笑)。

 

戦艦大和の話。

旧・日本海軍が世界に誇る戦艦大和(以後・大和)。その建造技術は、現代の工業技術、特に造船技術に反映されている。例えば、船体の特殊鋼板技術は車などのボディに使われているし、世界一を誇る砲台の旋回は今の油圧技術の元で、当時は油の代わりに海水を使ってたり、海の中に沈んでる船首は球体になってるが、これはバルバスバウと言い、特に大型艦船の場合は燃費が3%ほど良く成ると言うが、当時はまだ実証されてなかった理論を大和の建造で世界に証明したと言う話。紙幅の関係で多くは書けないが、探せば幾らでも日本の科学技術の素晴らしい話が出てくると思う。

そして2100年には宇宙戦艦ヤマト(以後、ヤマト)に大変身した船であり、その辺りの話は大変エコな船である(笑)。何故なら、九州の坊の岬沖で延べ1千機を越える米軍戦闘機の攻撃を受けて沈んだ船を、リサイクルして空(宇宙)飛ぶお船にしちゃったから(笑)。

このヤマトの話、テレビドラマ時代は興味を引かなかったが、劇場版に成ってから5作品とも観てるし、最近では復活編も実写版も観に行くし、挙げ句には実写版のDVDも買った程(本当は初回限定版が2600円が2250円で売ってたから・笑)。

ヤマトの話は、私より3歳年上の高専卒業の某氏が大ファンで、友人が話し掛けても食い入るように観てたと言う。それを私の知人が「科学が幾ら進んでも、あんなモノが空や宇宙を、あんな格好で飛べる筈が無い!!馬鹿が!!」って発言したから言ってやりました。「誰もアレが、僅か数百年で現実化するとは思って無い!!1000年経っても2000年経っても無理だと思うが、あの映画はアニメであり、ドラマの本質は愛と勇気と平和と行動力を表現しているんだろう。その辺りを全て解って観てる人を馬鹿呼ばわりするって、お前の方が余程の馬鹿だぜ!!」って言うと、「へへへ~」って笑った程だから、随分と人を喰ったヤツだった。

で、何故この話が出たかと言うと、11月27日(日)に愛媛大学で撃沈した大和から生還した福山市在住の八杉康夫さんって方が講演をするのです。この八杉さん、平成18年6月にも旧・丹原町で「戦艦大和・語り部」として講演しているのです。此処まで解っていながら当時、仕事の都合で行けなかったのです(泣)。八杉さんは何度かメディアにも登場しており、大和の話をする度に泣きながら語っていたのを覚えている。

大和と共に出撃した巡洋艦や駆逐艦の事はあまり知られて無いが、平成17年8月、大和と共に出撃し、やはり沈没した軽巡洋艦・矢矧(やはぎ)の生還者・Mさんの記事が愛媛新聞に掲載されていた。一応、切抜きをしていたのだが、これが凄い話と成ってしまったのです。

呉市に「大和ミュージアム」が完成し、各旅行会社が挙ってミュージアムにツアーを繰り出していた頃の話で、確か二度目に行った時の話。この時は、「二つの大和」と言うタイトルでツアーが組まれていた。一つは、大和ミュージアム。もう一つは、「男達の大和」のロケ地と成った尾道の造船所に造られた実寸大の大和。ただし危険防止の為、第二艦橋から下だけ。と言う事は、映画で観てた第一艦橋は、実はCGと言うオマケ話でした(笑)。

この時のツアーでアチコチで参加者を拾いながら目的地に向ってると、途中から乗り込んだ一人の年老いた不審者(笑)。何故かある筈の割り当ての席に座らず、参加者が乗り込んで来る度に座席を点々としている。結局、普通座席が満杯と成ってから、最前列の補助椅子を出して座った。添乗員とも話が付いているらしい。目的地に着くまで何度かマイクが空いた時に色々と話をしてくれたのだが、見覚えのある顔だと思いながらも、不思議な感情だけが沸き起こっていた。

「大和ミュージアム~ロケ地~千光寺」と言う予定が、3日前の同コースで回ったらロケ地が薄暗くて見学には不向きとなり、私の参加したツアーは「ロケ地~大和ミュージアム~千光寺」となり大正解のツアーと成ったのです。

そして帰路に付き四国本土に入り数人単位で参加者が減っていくと、件の老齢の不審者氏、たまたま私の座ってる座席の通路を挟んだ席に座った。声を掛けてみると、参加日の都合で急遽、料金変更無しでこの日のツアー参加に代えて貰ったと言う話の軽巡洋艦「矢矧」の生き残りの人。そう言えば愛媛新聞に載ってたのを思いだし、色々と話を聞かせて貰ったのです。その方が前出のMさんで、御存命なら90歳に成ってる筈。

27日の八杉さんの「戦艦大和・最後の語り部」講演会の世話係の方に問い合わせ&予約をした時、思わぬ話、壮絶な話を聞いて思わず涙が出た。予約第一号者が、大和の航海長の娘さんだと言う。も70歳半ば位だろうと言う。

大和の航海長と言えば、大和が沈む時に羅針盤にロープで身体を括り付け、船長その他の偉いサン達と共に大和と運命を共にしたと言う。年老いたとは言え、その娘さんが八杉さんの話を聞きに来ると言うのだ。きっと、只ならぬ雰囲気の講演会になるだろうと思う。数枚のハンカチとバンダナ、大量のティッシュと、ゴミ入れの大型袋を持って行かねば!!(笑&泣)

西条市には「神風特攻隊五軍神」の小さな神社があり、その境内には大和の実物の砲弾が置いてある。こう言うモノを置いておくと、石頭は「軍国主義!!」だとか「好戦的だ!!」とか「破壊的!!」だとか、決して良い評価はしないのだが考えて欲しい。

戦争に成った事実には色々と原因があるだろうが、その辺りでは無く、決して豊かでは無いが戦争の無い平和な暮らしが出来てる現在、現実的・歴史的な部分で格好良く言えば、「愛する家族を始め、愛する人々を守る為、自分の命を掛けて闘った」人達の純粋さを、もう一度ジックリと考え直してみるべきではないだろうか。

戦艦とか軍備とか言うと、「あんなモノ!!」と名前を聞いただけで拒絶反応をしてして話にも成らない方々が多いが、一言で言うと「軍備は争いの抑止力。使われ無いままで退役し廃棄されるのが、全ての軍備が一番幸せ」と言う話。「使わないまま廃棄するなんて、そんなの無駄中の無駄!!」って言われそうだが、話し合いにも成らず即実力行使って方々が多い中、理想論だけでは寿命を真っ当できないのです。私が素手の武器である空手:武道である実践空手・フルコン空手を習っているのも、実は同じ理由から。

中学生時代迄はイジメられっ子&泣かされっ子だった私は、理不尽にも数の力や暴力で私を潰しに掛かった輩を排除する為に習いだしたのです。だから、空手を習っていても空手の技や腕力で理由無く人を攻撃した事は無い。友人や知人達からは、「お前のは、腕力に因る攻撃じゃなく、頭が良い理屈の口撃ジャ!!」って言われてますが(笑)。でもネ~、口撃は解るけど、私は頭が良いんじゃなく、むしろ悪いんですよ(笑)。理由は、幼少の頃から長年、色々と子供ばかりか大人達にまで口撃でイジメられてると、自分で自分を守る為にジックリと考えてたから、お互いの口撃に成る。男同士の口撃・争いだと、間違い無く腕力・暴力に繋がるんですね。ところが、相手は私が空手を習ってるから手出しはしない。当然、空手をしてる私から手を出すと後々面倒になる。その辺りが、前出の武器が抑止力になると言う話。

例え話にも色々ありましたが(笑)、「真の平和」とか「いま現代の平和とされる生活」が、歴史上の不幸な事実の上に成立ってる事を改めて認識し、感謝したいと思います。

 

激流!!

何度も出てくる「大殺界」。今年で終わりの筈だが、月の大殺界が1月~3月もあるから、来年の3月迄は大人しくしなくっちゃと言いながら、傍目には大暴れしているようです(汗)。本人としては、「自分らしく無い程に大人しくしている!!」と思っているのにネ~(爆)。

産まれつき随分と個性的だった関係か、中学生時代迄は「イジメられっ子&泣かされっ子」だった私は、高校生に成ってブラスバンドに入部したが、中学時代に私をイジメてた輩が同じ高校に入った関係で、隠れて空手を習い始めた。一学期も終り夏休みが終わって二学期が始まると、幾らボンクラの私でも3ヶ月近く空手で鍛われると雰囲気が変わる。

夏休み明け頃から悪ガキ連中が悪さを始めるのだが、何故か狙われる筈の私が倦厭されている。空手を始めて半年も経つと、悪ガキ連中が益々私を避ける。そこで思ったのが、「理由を問わず、男の世界は腕力がモノを言う!!」と言う部分。

世の中を見渡すと、正論だけで口論をしても「公の場所でも、腕っ節の強い男が言い勝ってる!!」って部分がある。もっと言うなれば、腕力に自信の無い男が正論を言い、腕力に自信のある男が極論では無いにしても嘘八百とか間違いを並べ立てた場合、どちらが口論に勝つか!?  腕っ節に自信がある男が勝つケースが多いのですよ!! 現実的に!!

さすが数え年の還暦に成るとヤケクソ言っても恥をかくだけだが、昔からだが私が何か発言すると絶対と言って良い程、「そんな事、あるか!!」って頭ごなしに否定され続ける事が多かったし、現実的に今でもあるのです。

まだ私が鍼灸学校に通ってる頃、叔父と鍼灸の事で話していると、叔父が「支那(中国)の鍼は凄いナ~」と言う。訳を聞くと「鍼で麻酔をかけて抜歯をした‼」と言うから、「あの報道の1年前に、日本人医師が鍼麻酔で人工妊娠中絶してる」と言うと、「そんな事あるか~!! 日本の鍼治療でそこまで出来るか~!!」って怒鳴り散らされたんです。カチン!!ときた私は、その裏付となる月刊鍼灸専門誌を持ちだし差し出すと、黙って読んだ叔父はそれ以後、黙ってしまった。

そして現在も私の発言は色々な方々から否定され続けてる事から、色々な記事を分野別にコピーし整理して、特に感情的に否定する方々にお見せしてます(笑)。それでも尚も感情的に否定する方々が居るんですよネ~。それも私よりズ~ット若い人にも(笑)。こう言う石頭と言うか、感情的に人を否定するしか能の無い方々は、若くして認知症、若年性認知症に成り易いようです。

現在、世界中が経済恐慌に陥ってる部分があるが、やはりこの辺りの話、ジックリと人の話なり情報なりを精査しないで、感情的に短絡的に判断する習慣の付いた方々が多く成ったからでは無いかと思います。

人間個人の能力で、全てを把握し納得して行動する事は難しいのです。パッと聞いて信じられない事でも、相手の言う事が嘘や間違い(勘違い)であっても、一度は聞き入れ精査してみると結構、面白い世界が見えてくると思いますよ。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】「はや11月の「横田学説」」

アルコール飲料のせいか、時間の経つのがはやいですと言うより、歳を取ると早いと言いますね(笑)。以前にも書いたけど、11月3日は雨が降った事の無いと言われている文化の日で私の誕生日。数え年の還暦、そう59歳!! 正解(爆)!!

ここ数ヶ月、EM菌と言うバイオの飲料を飲み始めた。患者さんに因っては、納豆菌の方も居る。このEM菌はEMWがお掃除用で、EM・X GOLDと成ると飲料。胃ガンで消化器系に大きな狂いが出来た関係で、大便の臭いと養生に困っていたが、EM・X-Gのお陰で臭いは減るし養生に気を使わなく成った。

最近、「大腸に気を使って元気に成ろう!!」って類の本が出てるが、多くが表面的なノウハウものの本が多いが、この「大腸系」の話で忘れて成らないのが「横田良介」と言う医師で医学博士の論文。

「横田学説」は、50数年前に発表されたのだが、今と成ってはノーベル賞に値する内容で、簡単に言えば「諸病の根源は、酸性腐敗便!!」と言う内容。紙幅の関係で多くは書けないが、ガン・脳卒中・急性心不全などは現代医学でも十分な解明と治療法が確立されて無い。これら病気の多くは,「便秘気味の大腸内で、便が腐り悪さをするのが原因」と言う話。その判断基準が、「魚のアラが腐ったような臭いで、尚且つ酸っぱいような臭いがする」事だと言う。皆さん、覚えが無いですか?(笑)

この臭いと言うヤツ、感覚的な部分が主なものだから、物知り顔をしたがる方々は「エビデンスが無いから科学的で無い!!」と感情的に言うが、臭気を数値化する機械もある。だが、まだまだ今の科学技術レベルでは細かい所までの完全解明は無理な分野でもある。

外科医ばかりか多くのガン医療に従事している医療関係者や、チョッと敏感な素人の方々だって「ガン病棟」って呼ばれている病棟に行くと「ガン患者独特の臭気がある」と言うし、その辺りを利用し、麻薬犬同様、嗅覚に優れた犬を訓練して「ガン発見に寄与」させているのですよ。まだまだ実験段階ではあるが、かなりの確立で答を出していると言う。

ただ人間の感覚、言わば各種神経は繰り返し刺激を受けると慣れてしまい、特に痛みなんぞは感じにくく無く成り、挙げ句にシビレを訴えるから「痛みの延長だ」と言っても理解できない部分があるから、ある程度、数値化しないといけないのかも知れない。それでも、痛み方・シビレ方の種類が分類できない。

済みませんね~いつも何時も。はや11月と言う話が変な方へ走りました(笑)。此れじゃ~、カテゴリーを作った意味が無いじゃないか~!!(爆)。