Archive for 11 月 12th, 2011

戦艦大和の話。

旧・日本海軍が世界に誇る戦艦大和(以後・大和)。その建造技術は、現代の工業技術、特に造船技術に反映されている。例えば、船体の特殊鋼板技術は車などのボディに使われているし、世界一を誇る砲台の旋回は今の油圧技術の元で、当時は油の代わりに海水を使ってたり、海の中に沈んでる船首は球体になってるが、これはバルバスバウと言い、特に大型艦船の場合は燃費が3%ほど良く成ると言うが、当時はまだ実証されてなかった理論を大和の建造で世界に証明したと言う話。紙幅の関係で多くは書けないが、探せば幾らでも日本の科学技術の素晴らしい話が出てくると思う。

そして2100年には宇宙戦艦ヤマト(以後、ヤマト)に大変身した船であり、その辺りの話は大変エコな船である(笑)。何故なら、九州の坊の岬沖で延べ1千機を越える米軍戦闘機の攻撃を受けて沈んだ船を、リサイクルして空(宇宙)飛ぶお船にしちゃったから(笑)。

このヤマトの話、テレビドラマ時代は興味を引かなかったが、劇場版に成ってから5作品とも観てるし、最近では復活編も実写版も観に行くし、挙げ句には実写版のDVDも買った程(本当は初回限定版が2600円が2250円で売ってたから・笑)。

ヤマトの話は、私より3歳年上の高専卒業の某氏が大ファンで、友人が話し掛けても食い入るように観てたと言う。それを私の知人が「科学が幾ら進んでも、あんなモノが空や宇宙を、あんな格好で飛べる筈が無い!!馬鹿が!!」って発言したから言ってやりました。「誰もアレが、僅か数百年で現実化するとは思って無い!!1000年経っても2000年経っても無理だと思うが、あの映画はアニメであり、ドラマの本質は愛と勇気と平和と行動力を表現しているんだろう。その辺りを全て解って観てる人を馬鹿呼ばわりするって、お前の方が余程の馬鹿だぜ!!」って言うと、「へへへ~」って笑った程だから、随分と人を喰ったヤツだった。

で、何故この話が出たかと言うと、11月27日(日)に愛媛大学で撃沈した大和から生還した福山市在住の八杉康夫さんって方が講演をするのです。この八杉さん、平成18年6月にも旧・丹原町で「戦艦大和・語り部」として講演しているのです。此処まで解っていながら当時、仕事の都合で行けなかったのです(泣)。八杉さんは何度かメディアにも登場しており、大和の話をする度に泣きながら語っていたのを覚えている。

大和と共に出撃した巡洋艦や駆逐艦の事はあまり知られて無いが、平成17年8月、大和と共に出撃し、やはり沈没した軽巡洋艦・矢矧(やはぎ)の生還者・Mさんの記事が愛媛新聞に掲載されていた。一応、切抜きをしていたのだが、これが凄い話と成ってしまったのです。

呉市に「大和ミュージアム」が完成し、各旅行会社が挙ってミュージアムにツアーを繰り出していた頃の話で、確か二度目に行った時の話。この時は、「二つの大和」と言うタイトルでツアーが組まれていた。一つは、大和ミュージアム。もう一つは、「男達の大和」のロケ地と成った尾道の造船所に造られた実寸大の大和。ただし危険防止の為、第二艦橋から下だけ。と言う事は、映画で観てた第一艦橋は、実はCGと言うオマケ話でした(笑)。

この時のツアーでアチコチで参加者を拾いながら目的地に向ってると、途中から乗り込んだ一人の年老いた不審者(笑)。何故かある筈の割り当ての席に座らず、参加者が乗り込んで来る度に座席を点々としている。結局、普通座席が満杯と成ってから、最前列の補助椅子を出して座った。添乗員とも話が付いているらしい。目的地に着くまで何度かマイクが空いた時に色々と話をしてくれたのだが、見覚えのある顔だと思いながらも、不思議な感情だけが沸き起こっていた。

「大和ミュージアム~ロケ地~千光寺」と言う予定が、3日前の同コースで回ったらロケ地が薄暗くて見学には不向きとなり、私の参加したツアーは「ロケ地~大和ミュージアム~千光寺」となり大正解のツアーと成ったのです。

そして帰路に付き四国本土に入り数人単位で参加者が減っていくと、件の老齢の不審者氏、たまたま私の座ってる座席の通路を挟んだ席に座った。声を掛けてみると、参加日の都合で急遽、料金変更無しでこの日のツアー参加に代えて貰ったと言う話の軽巡洋艦「矢矧」の生き残りの人。そう言えば愛媛新聞に載ってたのを思いだし、色々と話を聞かせて貰ったのです。その方が前出のMさんで、御存命なら90歳に成ってる筈。

27日の八杉さんの「戦艦大和・最後の語り部」講演会の世話係の方に問い合わせ&予約をした時、思わぬ話、壮絶な話を聞いて思わず涙が出た。予約第一号者が、大和の航海長の娘さんだと言う。も70歳半ば位だろうと言う。

大和の航海長と言えば、大和が沈む時に羅針盤にロープで身体を括り付け、船長その他の偉いサン達と共に大和と運命を共にしたと言う。年老いたとは言え、その娘さんが八杉さんの話を聞きに来ると言うのだ。きっと、只ならぬ雰囲気の講演会になるだろうと思う。数枚のハンカチとバンダナ、大量のティッシュと、ゴミ入れの大型袋を持って行かねば!!(笑&泣)

西条市には「神風特攻隊五軍神」の小さな神社があり、その境内には大和の実物の砲弾が置いてある。こう言うモノを置いておくと、石頭は「軍国主義!!」だとか「好戦的だ!!」とか「破壊的!!」だとか、決して良い評価はしないのだが考えて欲しい。

戦争に成った事実には色々と原因があるだろうが、その辺りでは無く、決して豊かでは無いが戦争の無い平和な暮らしが出来てる現在、現実的・歴史的な部分で格好良く言えば、「愛する家族を始め、愛する人々を守る為、自分の命を掛けて闘った」人達の純粋さを、もう一度ジックリと考え直してみるべきではないだろうか。

戦艦とか軍備とか言うと、「あんなモノ!!」と名前を聞いただけで拒絶反応をしてして話にも成らない方々が多いが、一言で言うと「軍備は争いの抑止力。使われ無いままで退役し廃棄されるのが、全ての軍備が一番幸せ」と言う話。「使わないまま廃棄するなんて、そんなの無駄中の無駄!!」って言われそうだが、話し合いにも成らず即実力行使って方々が多い中、理想論だけでは寿命を真っ当できないのです。私が素手の武器である空手:武道である実践空手・フルコン空手を習っているのも、実は同じ理由から。

中学生時代迄はイジメられっ子&泣かされっ子だった私は、理不尽にも数の力や暴力で私を潰しに掛かった輩を排除する為に習いだしたのです。だから、空手を習っていても空手の技や腕力で理由無く人を攻撃した事は無い。友人や知人達からは、「お前のは、腕力に因る攻撃じゃなく、頭が良い理屈の口撃ジャ!!」って言われてますが(笑)。でもネ~、口撃は解るけど、私は頭が良いんじゃなく、むしろ悪いんですよ(笑)。理由は、幼少の頃から長年、色々と子供ばかりか大人達にまで口撃でイジメられてると、自分で自分を守る為にジックリと考えてたから、お互いの口撃に成る。男同士の口撃・争いだと、間違い無く腕力・暴力に繋がるんですね。ところが、相手は私が空手を習ってるから手出しはしない。当然、空手をしてる私から手を出すと後々面倒になる。その辺りが、前出の武器が抑止力になると言う話。

例え話にも色々ありましたが(笑)、「真の平和」とか「いま現代の平和とされる生活」が、歴史上の不幸な事実の上に成立ってる事を改めて認識し、感謝したいと思います。