Archive for 3 月, 2014

3月15日(土)の受付は、午後2時迄。

昨年の4月から公益社団法人 愛媛県鍼灸師会幹事を仰せ付かり、日曜日の研修会後に理事会などに顔出ししてましたが、今度の3月15日(土)は年度末もあり、午後6時から午後8時まで理事会が開催と成り、午後4時10分の特急電車で松山に行く事に。

翌16日の日曜日、午前中に研修会があり午後から市民公開講座がある。今回は非常招集なので、県師会から往復交通費と宿泊費が出る。で今回は泊り掛け。そうで無かったら、電車でGOじゃ無く二日とも往復(特急と鈍行)だったら、辛い所があったから助かりました~(笑)。

 

明日は、遠足タイプのウォーキング

3月2日のウォーキングに続き、明日もウォーキング。何でもそうだが、無い時は無いが、有る時は続け様。

明日のウォーキングは、昨年12月24日と同じく松山市内の観光ウォーキング。

距離は6㎞と短いが、松山で住んだ事の無い人間にとっては、知らない&解らない裏通りや細かい所を案内してくれるか良いのです。

昔からだが、タマに松山へ行っても表通りしか行かない通らない人間にとっては都合が良い。

ただ、昨年11月24は、新居浜まで帰って歩いて自宅に向かってる途中で車に跳ねられたから、今回はそんな事の内容に注意をしたい。

さてさて、どう言う土産話があるか、お楽しみ?(笑)。

 

愛媛マラソンの話。

平成26年3月9日の日曜日に、第52回 愛媛マラソンが行われた。今年も県師会から、ボランティア・ケアに参加。連続の三度目。

皆さん御存知だと思いますが、愛媛マラソンが始まって初の死者が出た事。これについて色々と情報が入った為、急遽、ご報告がてら(笑)。

当日、本来は早朝6時に現地集合の筈が、会から補助が出ないので、例の四国再発見・2000円切符で新居浜駅下り電車としては一番早い7時1分初の鈍行電車で出掛けました。当然、松山駅着は9時15分(でも昔のディーゼル急行と時間的には、そう変わらないんですよネ~)。駅から大会会場と成る堀之内公園へ行くと、ケア・テントに着くのが9時30分。当然、スタート直前だから、第一部のケアは終わってる。前もって会長には「現地到着は9時半」って伝えてたのに、会長が私と自分がペアと成るよう人選しており、イザに成り「近藤先生が居ない!!  何!? まだ来て無いって?」って狼狽えてた居たと言う話。「チャンと私の話を聞いて無いから、自分が悪いんだろう」って話でしょう(笑)。

そして二部(選手のゴール後だから12時前後から始まる)の準備中、午後から私とペアと成る先生と話をしてて、「今日、待ち合わせ時間の長い今治駅でノンビリしてると携帯電話が鳴り、取ると今日出走するウチの患者さんからで、『先生、いま何処ですか~』って言うから、『今治駅で引っ掛かってるよ』『解りました』『レース後、完走したら来て下さい』って言うと『解りました』って話でな~」って笑ってると、ペア相手の先生が、「先生、その患者さん、今朝一番で僕がテーピングしましたよ」「エッ!!」「僕がテーピングしてると、『近藤先生、今治で引っ掛かってるみたいですよ』って笑ってましたから」って話。本当に偶々と言えば偶々。

10:00のスタート時間が迫り、思い出して県庁前のスタート地点へ向かったが、後方の選手がズラ~と堀之内の半ばまで並んでいる。だろうね、何せ8000人を超える選手の上に、コース幅を設定したロープを張ってるから長く成って当たり前。仕方なく応援のユルキャラ五体の傍で見ていると、知り合いの某県議が「オ~イ」と手を振っている。手を降り返して暫くすると、再び「オ~イ」と声がする。おまけに「オ~イ、近藤先生~オ~イ」と叫んでる。フト見ると、件の患者さん。手を降り返したが、大勢の群集の中で名前を出さないでね~(笑)。その後は、ゴールした選手達が大挙押しかけてくる12時半頃に向け手順など最終打ち合わせをやり、11時過ぎから我々スタッフの早目の昼食。

12時を過ぎ、4位でゴールした選手が家族と訪れ1番ベッドに。やがて次々と訪れる選手で10台のベッドが満杯。待合用の10台のベッドも満杯に成ったが毎年の事だけに、この辺りの手際は良い。そして私の出番。

腰と左鼠蹊部に違和感を訴える男性選手。一人に費やせる時間は10分。だが、ケアをして立って貰うと右脚が引き攣る。それをカバーすると、次は左脚。止め処も無く続きだしたから、「鍼の経験は?」「あります」「じゃあ、鍼に切り替えるね」って事で、鍼をして終わったのだが、30分近くも時間を費やした。

何人かのケアの後、相方に交代し他のベッドを見てると、やはり10分の時間では足りず長く手間取る選手も居る。話をしてるのを傍へ行って聞いてると、やはり練習をしてて何日も前から&何カ月も前から痛めたままエントリーしている選手ばかり。私が何時も言ってる「悪けりゃ早目においで。少しでも悪かったり違和感があったら早目に治療なりケアにおいで」って言葉に該当する選手が多かったように感じます。

ケアも大会時間に合わせ、16時で店仕舞(笑)。15時30分には受付を終り、私の出番は最後から2人目の22歳の女性。話を聞いてみると、「初めて参加して完走した~。嬉しいけど疲れた~」との事。ほぼ最後だから少々時間を掛けてると、手の空いたメンバーが後片付けを始めた。最後の女性選手の脹脛をケアしてる時、その反応で声を掛けた。「痛いのはわかるけど、この位なら大丈夫?」って顔を上げた途端、チョッとスケベ親父の発言っぽいが、ランナーに限らず最近のスポーツ選手って、薄手の身体にピチャっと張り付くタイプのウェアーを着てるから、腰回りに上着を巻き付けてても足元からはオマタの大事な所が丸見えに成る。生地も薄いからウッスラ形が解る。目のやり場に困りました(笑)。仕事の大事な話に下ネタのようだが、競技から一歩離れたら日本女性の慎ましさ、言わば恥じらい部分に気を付けてくださいね。

そうそう、スタートから中盤前後の時か、救急車がメディカル・コーナーへ来た。その時、「選手の一人が亡くなったらしい」と言う情報が入った。その時、東京マラソンの時に、出走したお笑い芸人の松村邦洋氏が心肺停止状態で倒れたが生還した話を思い出したが、この選手は駄目だった。ご冥福を祈ります。

この死亡事故に関し、話があった。件の当院患者さん、レーズ後10日程して治療に来られたのだが、「完走後においでって言ってたのに来なかったね」と言う言葉に、「実は・・・」って話に成った。

スタート後10数キロの給水所で、紙コップの水を左手で取ろうとして、後ろから来た選手がその左から手を出されたため突き飛ばされた格好に成り、足元に捨てられた紙コップに足を取られ転倒。全身打撲と左足を軽く捻挫。痛いまま走ったと言う。暫く走ってる内に、今度は右前を走ってた男性が胸を押さえて倒れたと言う。レーズ中にも関わらず、その様子を見てただならぬ雰囲気を感じ、「大丈夫ですか?」と声を掛けたが反応は無く、思わず自分の携帯電話を探したが走るに不必要な携帯電話は無い。周囲の観客に向かって、「誰か!! 誰か~救急に電話を!!」と叫んでいた所に、救護班のゼッケンを付けた男性が「何かありましたか?」と声を掛けながら走り寄ったと言う。その救護班の人が倒れた選手の様子を見て、仰向けにすると心臓マッサージを始めたと言うから、心肺停止状態だったのだろう。

後は救護班&メディカル・グループに任せレースに復帰したのだが、足を痛めてたのと倒れた人の事で、結局は38㎞辺りでタイムアップと成り、トドノツマリは失格。選手集団最後尾を走ってた失格選手回収作業用バスに乗せられ、「三回目のマラソンで、失格か~。もう来年からは不参加だな~」と思ったらしい。

だが、不思議な光景を見て思いが代わったと言う。失格選手の回収作業が始まったって事実は、既にマラソンそのものは終わってる事を意味する。少なくとも回収バスの後には走ってる選手が居ない筈。なのに、沿道の観客は旗を振りながら何かを叫んでいる。「来年も走りに来いよ~。待ってるからナ~」と言った意味の声援を送りながら、誰も走って来ない筈のコースの沿道脇で、バスが見えなく成るまで旗を振り見送ってる観客の姿を見て思いが代わったと言う。「来年も走るか~!!」と成ったらしい。

『3月3日・ひな祭りの日、仕事を終えて知人たちと話してると、東京で何かの会合があった時、マラソン愛好家やファン達に「全国のマラソン大会で、何処のマラソン大会が良かったか?」と言うアンケート質問で、投票で「愛媛マラソンが一位だった」と言う。』

当院患者さんが部分、失意のどん底に居て、やがては気力を持ち直していた頃、私はケア・テントの受付前で来ない事を心配し「何かあったのかナ~」とウロウロしてたんだが、後でこの話を聞き、何かあった所か本人は大丈夫だったが周囲で大騒ぎと成ってた話を聞き、遅まきながらの報告でした。

この患者さん、当院へ着て治療前から治療中にかけて話を聞いてて、最後に「私が『完走したら御出で』って言ったもんだから、ケア・テントに来なかったの?」って意地悪く聞くと、黙って笑ってました。