Archive for 10 月, 2018

平和&憲法9条&戦争放棄

まず最初に、自衛隊反対の方々に問いたいのは、「戦争反対&戦争放棄は良いのだが、他国がら正当なる理由無しに武力を使って侵略されても、反撃しては成らないのか?」と言う疑問である。こう問うと,「話し合いで解決すれば」と言うが、話し合いの段階を超えての相手国の蛮行である。話し合いなんぞ決裂した挙句の蛮行である。日本に向かってミサイルを発射されても、ミサイルを迎撃して撃ち落とす手立ても無く日本国を潰せと言うのか!?
私にとっては、「武力をもって侵略され、我が愛する身内が次々と殺されても、凌辱されても、平然と観ておれるのか?」と言う話。日本も過去の戦争・侵略戦争においては同様の加害者であるが、現在の先進国で戦争に加担した国は大なり小なり戦闘現場でやってる殺戮。戦後70年も経つと、人間賢くなって戦争へ走ろうと言う人間が減ったのも事実。
憲法9条は本来「侵略戦争を禁じているのであって、防衛行為は禁じていない筈」である。日本国憲法には、正当防衛と言う立派な殺人行為を認めている法律もあるのだ。勿論、この解釈には多くの異論が出るだろうが、「意思を持って人を殺す殺人行為も、自分を守ろうとして他人の命を奪ってしまったのも、同じ殺人行為」なのである。」
私は時々、意地悪く質問をするケースがある。
「基本的に日本国民を色々と守る為に、自衛隊、警察、海上保安、消防があるのだが、日本国と言う法人を守る為には主に政府と自衛隊と言う組織があるのだが、日本国と言う法人に正当防衛を認めないと言うなら、反対する方々はトラブルがあっても警察等の組織から守って貰う権利なんぞ無いと思う‼ 政治家の場合だと、SPなんぞ付ける必要なんぞ無い。経費の無駄遣いである。」 と言うのが私の持論である。

何年か前、日本の領海に入って違法操業していた中国漁船が日本の海上保安庁の警備艇に体当たりした映像を観た方々が居られると思う。またネットで海上保安庁の警備艇も朝鮮の漁船と機関銃の打ち合いをしている。それも、警備艇側から打ったのでは無く、朝鮮側からの発砲があり、何度も警告された挙句の朝鮮側の発砲で、朝鮮の漁船が沈んだと言う事件もあった。

現場で此れだけの事件がありながら、認識していながら、「そんな事は無い」「話し合えば解る」と言われる方々が随分と居る。だが犯罪者*犯罪行為実行者と言われる人は、話し合いなんぞチャンチャラ可笑しいのである。多くが何等かの欲呆けの挙句の犯罪行為のケースが多い。だから紳士的に話し合いなんてチャンチャラ可笑しい。だから、その類の人間を抑えるには一言で言えば腕力のみ。色々な形で行われる犯罪行為。それを取り締まる行為を観て、まだ犯罪者擁護の発言をする方々の何と多い事か‼ 話し合いでケリが付く位なら、最初から犯罪行為は行われない筈。
現在の憲法9条は、過去の侵略戦争を反省した上での平和憲法である。ただし、理由無く他国から攻撃されない事が条件で明文化された憲法である。それも敗戦から何年も経たない時期に作られた文章であるだけに、防衛能力は持つべきと書けなかった筈である。何故なら、短絡的に「侵略戦争準備‼」と騒ぐ人々が居るから。
近年、国際世論も強い事から先進国の侵略戦争は、ほぼ無くなってる筈。

そして自衛力・防衛力の観点から、永世中立国であった筈のスイスでさえ数十年前に国連に加入した事実。その理由が、「周辺国の軍備が整い、有事があっても自国だけでは防衛不可と成った為、国連に加入した」と言うのが主な理由とされているが、他に何等かの理由があったにせよ妥当な理由で加入した。

法人の日本、個人にも等しく自衛力を持つべきだと考える。今でもだが、個人の自衛力の方法として武道を習う方々も多い。歴史的にも、色々な物を守るべき方法、戦争の為の闘う手段としての武道である筈で、どんなに綺麗事を言っても殺人技である事に間違いは無い。
考え方の問題だと思う。襲い掛かる暴力からは、何等かの方法で排除するのが大人としての役目だと思う。

 

壮絶な競技

10月22日朝、テレビのワイドショーで異様とも言える画面を見た。ご存知の方も多い、某社の駅伝チームの女子選手が四つん這いで這ってる映像だ。ユニフォームを観れば走る競技である事は解る。解説が流れ、初めて事の経緯が解った。
襷の受け渡し時か混雑で何かが起こり、膝を痛めた選手が残り200m程を這って襷を繋いだと言う。待っていた襷を受け取る選手も、サングラスを外すと涙を拭いている。這ってる選手は後日談で骨折していたという。走る競技の中で駅伝は団体競技。個人競技と違って、チーム全体に対する責任感には凄いものがある。這ってでも襷を繋ぐ、バトンであればバトンを繫ぐ。それによるチームの信頼と絆。団体競技の醍醐味であろう。

そのほかに、何時のオリンピックか、マラソンのニール・アンデルセンと言う女性選手が、最終ランで競技場に入りグランドを一周したらゴールと言う時には、脱水症で既に意識の殆ど無いままに。枠外の役員の問い掛けにも答えず、ただひたすらにゴールに向かっている。走ってるランナーに触れたら即失格。ゴールまで何人かの人が声掛けでゴールに誘導している。ゴール直後に倒れ込んでも良いように、何人かがゴールラインを抜けた場所に待機。
やがて無事ゴールした直後、案の定、倒れ込んだアンデルセン選手は数人の役員に抱き掛けられ救護所へ。脱水症だけで無事であったと言う。

やはり駅伝の話。何時の試合だったか、怪我をおして走り続けようとした男子選手を、「選手生命に問題が残る」と、走っている選手に体当たり的に接触して競技を中断させた試合があった。

多くの競技は人間の肉体を極限まで鍛えるから、一歩間違えると大変な事に成る事と、人間の体には自助作用があるから何とか成る場合もあるんですね。

 

座敷童

当家には座敷童が居ました。何年か前、出掛けたまま帰宅した雰囲気が無いのです。では何故、この段階で座敷童の話なのか。実は先日の深夜放送で、座敷童に関する凄い映像を観たから。
座敷童オタクの芸人が、最近、座敷童がよく出ると言う新しい割烹旅館に取材に行き、沢山のオーブが出たり、戸をノックする音やドアを擦る音を出しただけでは無く、寝入った芸人の腕を持ち上げたり降ろしたり。芸人は完全に寝入って鼾をかいてる位だから、気が付かないまま。翌朝、無人収録していた録画を見せられ驚いていた。もっとも、此処の座敷童は男女二人居て、人間にも堂々と触ると言うから不思議である。

①女房が嫁いで来て暫くすると、「この家には誰か居る」と言う。何年か経った頃、「お父さん、誰か二階に居るでしょ?」と言った途端、私の頭の中・意識下に二階座敷に丸刈りのチャンチャンコを着た半ズボン姿の男の子が正座して座っている。何故か、何を言うでもするでも無く黙って座っている。
女房に、「その子、今こんな格好でテレビの前に座ってるだろう」って言うと、「お父さん、見えるん?」「いいや、直接的に目では見えないが、頭の中にパッとテレビ画面の格好で見えてるんだ」「誰、この子?」「多分、座敷童だと思う」「座敷童の居る家は幸せに成るって言ってたよね」「ああ」と言った会話があり、不思議な感覚のまま過ごしていた。

⓶当家の座敷童は一人だが、話題にると何度か上記の如く意識下に出てきたり、当時 小6の息子の友人が遊びに来た時も、二人の間に寝そべってゲームを観ていたのを目撃した事もある。
息子からは「友達が一人来る」と言う話を聞いてたが、息子を入れて三人。玄関先には友達の靴だけ。ジュースは二本しか用意してない。コップで分けようとしてると友達は帰った。息子に「友達は二人来てたろ?」「一人だった」と言い争いに近い状態に成ってると、女房曰く「私も三人でゲームをしてたのを見た」と言う話で大騒動が起こった程である(笑)

③子供達も独立・半独立をし、女房も実家に一人で生活をしてる母親の面倒を診に帰り、やがて我が母親も認知症で施設に入れ、我が家には私独り。所謂、独居老人と成った訳だ(笑)。
ある日、鉄筋二階で誰かが騒いでいる。声は聞こえないが、子供が一人で「何とかゴッコ」で遊んでいる様子。すると誰も反応する者が居ないから、階段の中程まで降りたり上がったりしている。それでも誰も反応しないから、玄関ホールで降りて走り回っている。段々と私の治療室入口の傍まで来て、治療室内の様子を伺っている。二階で騒ぎだして十日目~二週間目頃だったろうか。
脅してやれと治療室ドアの側に行きバッとドアを開けた途端、瞬間的に雰囲気が消える。ドアを閉めると、再び様子を伺いながら騒いでいる。こんな調子で二日程経つと、今度はドアの表面を指先でコリコリと小さく引っ掻きだした。面倒臭いから無視してると、こんどはガリガリと強く引っ掻きだした。再びドアを開けると静かになる。
この様子を女房に届け物があり勤務先の幼稚園行って話すと、「お父さん、折角 遊びに来てるんだからお菓子とかジュースを出してあげたの?」「出してないわ」「何時までも悪戯してるって、何かして欲しいからなの。座敷童って言う位だから子供なのよ」「そうか。気が付かなかった」
そして夜、食事を買いに行ったおり、子供の好みそうなお菓子とジュースを買いレジに行くと、比較的 仲の良い女性従業員で普段は買った事の無い子供向けのばかりだから不思議そうな顔でみていた。
家に帰ると、早速 お盆に入れ階段の上り口に、ネズミやゴキブリに食い荒されないように養生して置いた。それからは、滅多に治療室入口迄は来なく成ったが、面白い事に置いてあるお菓子や飲み物に飽きた頃に、遠慮気味に交換を言いに来るのは面白かったですね。やはりドアを小さくコリコリと引っ掻く。その時は、ソックリ入れ替えるのだが、捨てるには勿体無いから私が食べて始末する(笑)。

それから何年経ったか、雰囲気が感じられなくなったので調べてみると、どうも家を出たらしく、一度 家出しちゃうと帰って来ないと言う。家族には、「当家の座敷童が家出したらしく、何処にも居ない。見かけたら、帰ってくるように言っといて」と伝言しておいた。
それでも帰った様子は無いが、訪ねてきた様子がある事と、大柄・・・大人の雰囲気で通り縋る事がある。こうなると、ジュースやお菓子では無くアルコール飲料とおつまみの話に成る(笑)。まあ、チャンと居ついて無いから居たり居なかったりですがネ(笑)。

 

何と表現して良いのか

息子が大学進学した年だから平成18年の話である。

息子が国立大学に入り、娘の時と同じく住環境や諸々を観察する為に父兄参観を(笑)。
今回は婆さんも連れて行く事に成り三人で特急電車で松山へ。珍しく電車は込んでいたが、我々はボックス席に座れた。途中、西条駅で婆チャン・娘・孫の三人連れが乗り込んできたがボックス席が無い。三人連れ婆チャンは通路を挟んで私の隣に、三人連れ娘は幼い孫を抱いて私の少し前の席に背中を向けて座った。当然、孫は私と向かい合わせと成る。
私と言えばウオークマンで綾小路きみまろの漫談を聞きながらビールを飲み、愛妻と我が婆の機嫌を取っていると女房が言った。「お父さん、今日はどうしたの。何時にもなく良い笑顔で」と聞く。「きみまろの新しいレンタルCDを入れたんで聞いてる」と言うと笑いながら黙っていた。その間も、向かい合わせの孫にチョッカイを掛けていたが反応が悪い。孫は能面の如く無表情でお菓子を食べている。やがて今治に到着すると、多くの乗客が立ち上がり三人組も立ち上がった。若いお婆チャンは私に会釈をした途端、孫が大泣きを始めた。驚く母親に、お婆チャンが事情を話し、母親が我々の座ってる窓の外を通り掛かった時、やはり笑いながら会釈。女房曰く、「お父さん、知らない子を泣かせてはいけないでしょう(笑)」「泣かせて無いぜ。事情を知ってるお婆チャンなんか、隣でずっと笑ってたし驚く娘に訳を話してた位だから」って、この話は終わり。

もっと凄い話がある。松山駅で降りたは良いが、シャトル・バスの連絡が悪い。「お父さん、タクシーで行こうか?」って話を振って来たが、「チョット待ち」と言いつつ、バスの料金を調べタクシー料金と比べると、タクシー料金は大人3人分のバス料金の倍以上。「フェリーは予約してるし急ぎ旅じゃないからバスで間に合う」で話は決まった。
一時間近く時間があるがバス停先頭で順番取りをして、三人が周囲をジックリ見ていた。だってこんな風景、こんな時じゃ無いとジックリ見れないし、身内が三人一緒だから時間つぶしが出来る。すると、100m程先に松山駅前電停があるのだが、そこで見事と言うか不思議な光景が始まった。
電停の木製ベンチの下には年老いたホームレス(路上生活者)が二人程 寝ていた。私達の立ってる場所の弩真ん前である。まだまだ普通の生活時間帯だから周囲も街灯で明るい。電停には道後温泉方面行の電車が止まり時間待ちをしている。そこへ、ベンチ下で寝ていたホームレスの婆サンが停まってる電車の後ろを通り電車の中程辺りまで行くと、もう片側の線路を跨ぎモンペとパンツを下すと座り込み、オシッコをし、ティッシュペーパーで前を拭くと、ペーパーをその辺りに捨て、ベンチに戻ると下に潜り込み、毛布を被り寝てしまった。少しビックリしたのは、水銀灯で明るいとは言え夜である。位置的に婆サンを横から見てるんだが、放尿されてるオシッコガ見えたんですね(笑)。
そんな風景を見ている内にフト気になり後ろを振り返ると、スーツ姿にビジネスバッグの身なりの良い方々が、御互いが邪魔に成らないように並び、複雑な面持ちで事の成り行きを静観していたのだ。
考えてみると、婆サンがベンチ下から出て電車の後ろを横切ったと言う事は、電停ベンチから放尿現場が見えないように電車を盾に使ったのだろうが、我々が立っている駅前バス停から放尿現場までザッと100m。まだまだ明るい時間帯だから全ては丸見え。私達三人ばかりか、平均的には同じ方向を向いてバス待ちをしていた方々は時間を持て余し気味だっただけに、年寄りとは言え「女性の生の放尿シーン」と言う見ては成らないモノを目撃した罪悪感と、滅多に見られない光景に、言い知れぬ感覚が沸き起こっていたのか、バツの悪そうな顔でお互いの顔を見て苦笑いしてました。

我が子供達が幼い時、テレビアニメ「名探偵 コナン」を観ていて思わず言った言葉、「主役グループ、毎回よくぞ都合よく事件が起こるもんだ」と言った事があるが、「我々は出掛ける度に事件じゃなく、色々な出来事を目撃するもんだ」と感心した次第(笑)。