Archive for 12 月, 2018

「私は変わり者?」「変わり者は頭が悪い?」

① 私は昔から、「変人扱い」「変わり者扱い」されてきた。そして、「彼奴、変わりモノだろ」って言葉の裏には、必ず「此奴、頭が悪いだろう‼」って意味合いの雰囲気が必ず付いてきて見え隠れする(笑)。一言で表現すれば、「変人で変わり者の、頭の悪いバカ」と言う評価なのだ。

高校時代の同級生に川村某と言う男が居た。常に私を見下した言動をしていたが、私が50歳を過ぎた頃だろうか。市鍼灸師会の役員をしていた頃、会長宅で役員会を開いていた時の話。会長の奥が突然、「先生、三軒家の川村って人を知ってる?」って聞いたから、「高校時代の同級生が居る、と言うより居た」と言うと、「その人の母親がウチへ治療に来て、アンタの事を色々言ってね~」と意味深に笑う。「何て言ってた?」と聞くと、「ウチの息子も変わっとるけど、あの男(私の事)はモット変わっとる‼って、喉を掘って絞るように言ってた」と言う。「フ~ン」って言ったまま、私は黙っておいた。

それから1年もしない内に、地元・泉川中学校で校区のバザーがあった。例年なら行かないのだが、何故か行く気に成り赴いた。一通り見て回り、「校区のバザーって、精々この辺り迄か」と思いながら帰ろうとすると、会場の体育館の受付に入った時からズットと私の事を見ていた変な男が声を掛けてきた。「ヒョットして近藤君じゃない?」。何処かで見覚えのある顔だと思ってたら、「川村じゃ」と言う。そこで、上記の母親の無礼極まりない発言を思い出した。
「どうした、こんな所で」「仕事のし過ぎで統合失調症に成って、生活保護で生活しとる」と言う。しかし、[此奴が統合失調症に成るタマか‼ 仕事をするタマか‼]と思いながら話を聞いてやってると、携帯の番号を教えろとか遊びに来てくれとか言うが、若い時から、散々 私の事を舐めた言動を表に成り裏に成り繰り返しておきながらと思いつつ、「お前、美容学校へ行ったよな~」「アァ」「で、国家資格は取れたのか?」って聞くと、「国家試験直前に、この仕事は自分には向いて無い、合わないと思い受けなかった」「馬鹿か‼ 学校出て国家試験前に試験を受けずに逃げ出して、偉そうに散々言いながら何を考えとる‼ せめて試験を受け合否を確認してから辞めるべきだろう‼」と言ったが下を向いて知らん顔。くだらん男だよ全く。「仕事のし過ぎで統合失調症になった」と言うが、美容師の国家試験を受ける直前に、それこそ敵前逃亡するような奴に、仕事の処理能力も何も無いんだよ‼。仮病を口実に逃げただけじゃないか。

そしてバカ男の動向も解ったから帰ろうとすると、「近藤君、必ずウチへ来てや」とまだ白々しく念を押したから、「そうそう、お前のオカン、〇〇院へ随分と鍼に行ってたよな~」って言うと、恐怖の笑い顔で固まったまま2m程飛びのき、「知っとったんか」と声を震わせ聞いたよ。だから言ってやった。「ワシの情報力を舐めるなよ。アチコチで、家族ぐるみで言いたい放題好き勝手言うから、何処かでこう言う風にボロが出るんだよ‼」

このように自分の無能力ぶりを誤魔化す為に、統合失調症と言う仮病を使ったり、人を変わり者・変人・頭が悪いと決めつけた言い方をして、自分を大物に見せるしか方法が無いのね。それも家族ぐるみでやった分だけ末期症状だろ‼(笑)。

⓶  随分前から来院している患者さん、治療中に「この間、知り合いと話してて、ワシ近藤鍼灸院へ行きよるんじゃ。と言うなり、[彼奴 変わり者だろ]って言ったから、変わり者だろうが何だろうが腕は確かだって言っといた」と笑ってる。「それに、腕が悪いと私は来る事は無いしな」「確かに。でもさ、変わり者の話だけど、[彼奴、変わりモンだろって言い方した時]って、必ず[彼奴、頭も悪いだろって雰囲気でモノを言ってる]だろ」て言うと、「確かに‼」って話。

こう言う話の中で感じる事は、私に限らず人の事を「変わり者」とか、「変人」とか、「頭が悪いって言う輩」は、私達以上に変わり者で、変人で、頭が悪いんですよ。何故なら、昔から類は友を呼ぶとも言いますが、そう言う輩は本能的に同じ匂いを嗅ぎ分けるんですね~。そして例外的に、相手の隠れた素晴らしい能力も嗅ぎ分けるから、何れ自分達がその能力に脅かされる事にも成り兼ねないから、能力が開花する前に潰しておこうとする能力もありますよ。危ないから注意。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】④「タダより高いモノは無い」】

よく居るんですけど、私が鍼灸師だと解ると「サービスで灸点を付けて貰えんだろうか?」と言われる事がある。今でこそ少なくなったものの、売り出し中には我も我もと言う方々の何と多かった事。
そう言う方々の口上は、「患者さんを紹介するから」の類の言葉。俗に言うタカリ。色々と裏話をすると、何百頁もの紙幅が必要になる位ですよ(笑)。
本当に自分の病気や症状に真面目に向き合うと、「タダでやって‼」「サービスで‼」とかは言えない筈。タダで遣らされるなら、効かないツボに灸を据えたり鍼を刺したりしますよ。それに、そう言うタダ取りする方々は、アチコチでやってるから心ある方々は相手にしない。

今治の人々は、「今治の人は金に渋いが、値打が解ると金を出す」と言われているのだが、新居浜辺りは値打が解っても金を出さず、タダ取りをしようとする。言い換えたら、「タダなら、ゴミでも貰って帰る」タイプ。酷い時には、本当は金を出してでも欲しいのだが、相手が捨てるのを待って取りに行くタイプ。あまりエゲツ無いから、捨てる時には二度と使い物に成らないようにして捨てる事にしている。

ただし、リサイクル運動なんかで着なくなった衣服辺りやウエスにする使い古しのタオルなんかは洗濯して、市の指定した集積場へもって行く事にしている。

極端な話のように聞こえるだろうが、相手の持ち物を金を出しても欲しいのに、何となく捨てるのが解った場合なんぞ、金を出さなくて良いように捨てるのを待って拾うってのが嫌い。中には欲しい人には捨ててから上げる人もいるから・・・。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞 ③「それで良いのか」】

「差し当たり、今の症状が取れたら良い」と言って、1回とか2回とか来て、そのまんまと言う患者さんの何と多い事か。
私は基本的に、「予防医学と老化防止の為に継続的に鍼治療を続けた方が良い」と言う話をしても、「ソリャア、お医者ハンの金儲けの為に言よんじゃ‼」とか言われる事があったり、「健康保険が使えないから」と言う話。按摩やマッサージには定期的に行っても、不思議と鍼灸治療には。行かないのね。
そこまで言わなくても、余り良い反応を示さない人も何れは来なくなる。殆どの人は街中で会っても、下を向いて知らん顔。たまに、「腰が痛いんじゃ」とか声を掛けてくる人が居るので、「何で治療に来ない?」と聞いても何も言わない。「何かのお題目みたいに、『痛い痛い』と言って痛いのが治るんなら、ウチらの仕事は要らんのじゃ‼」と言うと、再び治療にくるケースもあるが、殆どの人は何処で何をしてる事やら。
それと、足の遠のいた患者さんと街中で会い、「この頃、元気?」と聞くと、「いま絶好調、最高潮」と言うから別れた後、何日もしない内に治療にくるケースもある。「アレッ、調子良かったんじゃないの?」と聞くと、「昨日位からまたガタッと悪く成ったんです」と言う。私と会った時がタイミング良く最高潮の時で、私と言葉を交わした途端、気が緩んでガックリと(笑)。此れじゃ私が疫病神みたいじゃないですか(笑)。こう言った笑い話みたいな事が結構ありますよ。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞 ⓶ 「鍼灸か 整体か」】

今でこそ鍼灸も市民権を得た感もあるが、知人に言わせると「名前的には整体の方が市民権を得て、鍼灸となると何か怪しい」と言った人物も居る。もっと酷いのは、私が退院後に空手を始めた頃、審査会場や試合会場に来る黒帯がビッコを引いたり引かなかったり。思い余って声を掛けたが、「捻挫してるんだ。鍼は怖い」と言いながら「又 寄せて貰います」と言い、そのまま逃げに入った。キレた私は何日かして、とうとう道場へ乗り込んだ。こうなると父兄や練習生の手前、逃げる訳にはいかない。痛み方からしたら、原因は完全に腰。本人に言っても「腰は全く痛く無い」と言って信用しないのね。そこで、一番痛む所に皮内鍼を入れ、痛みの経路沿いに何本か鍼を入れていくと、最後に腰椎の右側のみの痛みになり、そこに皮内鍼を入れた途端、今迄の「右足首の捻挫の痛み」と言ってた痛みが全く無くなった。それ以後、私の腕と知識は信用したらしいが、人様に私を紹介する時は「整体の先生で」と間違った紹介をするから「鍼灸だよ」と訂正したが、随分と「整体の先生」と紹介されており困ったもんでした。それに、「悪い所は一発で治してくれます」ってヤったうもんだから、これも「平均的に長く患っている方が多いから、何でも[一発‼]と言う表現は困ります」と言っても、なかなか直らなかったです(笑)。ヒョットすると、頭が悪いのかも知れない(爆)

 

ボロボロのウォーキング大会

12月18日(日)、久々にウォーキング大会へ。「忘年会ウォーク」と題した今回の忘年会は、大会が終わってから役員さんの為の忘年会(笑)。
「JR善通寺駅」から四国88か寺の5カ寺を回って「みの駅」迄の14Km。距離自体は大した事ないのだが、朝から具合が悪い。善通寺駅をスタートしてもスピードが上がらない。寺ごとにトイレ休憩を取るのだが、中盤から遅れだした。私のペースからしたら在り得ない事。
此処暫く、呼吸器系の異常があり、足も変に歪みがある。遅れを取り戻そうとすると、呼吸困難を起こし眩暈を起こす。丁度、ガンを患った時に赤血球が1/3まで減っていた時に起こしていた症状とソックリ‼。それでも、最後尾のグループに喰い付いて歩いていたが、本格的な山道に成った最後の100m強の登山道でバンザイし、アンカーを守っていた2人の男性役員が荷物を持ってくれ、2人の女性役員も後押しをして貰いながら何とか完歩。先にゴールした人達は既に解散し、私に付き合ってくれた役員さんは遅ればせながら忘年会会場へ。
ところが、アンカー役員さんが案内してくれたコミュニティーバスが日曜でお休み。ゴールはしたもののほぼ死に掛け(笑)の私を放っておく訳にも行かず、アンカー役員さんの世話で先に会場入りしていた女性役員さんが軽トラでみの駅まで送ってくれる事に。他の役員さんからは「タクシーで帰らせたら」と言う声もあったらしく、最後まで面倒見てくれた役員さんと、仲の良い役員さん達が庇ってくれてたようです。
みの駅まで送って貰ったのだが何と遠い事。5分ほどだと聞いてたが、10分は掛かった筈。駅近くに成ると、ウォーキング姿の人が何名か歩いている。「アレ?」っと言うと、軽トラを運転してた女性が、「ほら、今日一緒に歩いていた人達よ。ゴールして直ぐ解散してバスが無いから皆さん歩いて今到着。間に合ったね」と言われてしまった。あのまま歩いていたら、多分1時間以上掛ってたかも知れない。
送って頂いた女性に御礼を言い駅舎に入ると、漸く見覚えのあるメンバーの顔を見つけた(笑)。新居浜から別行動で来てた女性と久々に会った感じで、知らない者同士が持参の弁当を食べました。
各々のお気に入りグループで弁当を食べながら話してた人達も、電車が来る度に一組二組と減り、私達二人と一人の女性が残っただけ。三人は、下りの松山行きの電車に乗り、帰りました。

ただ、新居浜から来てた女性は新居浜駅で降りたのだが、私は母親を預けている施設へ行く為、そのまま西条方面へ。施設で見舞いを済ませた後、カッパを来て電車の乗り自宅へ。

今回のウォーキング大会、役員さんや他の参加者に迷惑を掛けた事を深く反省。歩いてる間に雨に祟られず、帰りの電車に乗り県境を越えて愛媛県に入った途端に振り出したと言う話。此処しばらく体調を崩していた事がいけなかった訳だから、ボチボチと鍛え直さねば‼(笑)

 

【近藤鍼灸院の健康新聞 ① 「再 開」 】

昔、何十年も前に上記のタイトルで手作りの院内新聞を作っていた。主に、当院へ来院されてる患者さん達への勉強目的で読んで頂いていた。
「何故、手間暇かけて?話したら良いのに」と思われるだろうし、実際に言われる方々も多かった。ある女性患者さんが言った一言。「先生って話の内容は素晴らしいんだけど、話すと白雉までとは言わないけど馬鹿っぽい。なのに、文章を書かせると天才と迄は言わないけど秀才的。特に短い文章を書かせると凄いモノを持ってる‼」と、言った事。そこで考えたのが健康新聞と言う形での連絡票。
出来上がった原稿のコピーをしに行ってた近所の商店の奥さんも愛読者に成り、意見を聞いたら「知らない事や色々な事が書かれてるから、勉強に成ります」と言う話で、一番遠い愛読者が盛岡市在住の京大出のドクター。このドクター、辛辣な話をされるが一生懸命してると色々と手助けがくる。そして、「最近の若い鍼灸師は、医師会や医師に対して諂うばかりの者が多いが、先生(私の事)のような人は中央に出てきて頑張るべき‼」と言われたが駄目でした。何故なら、田舎者の四国では私のタイプは事興しで屑と解釈されてたから。田舎者独特の考え方で、間違っていてもトップへの忠誠心&右へならへの世界では、私のようなタイプの人間は、総力を挙げて潰される人間ですよ。だから、未だにダメ・トップの太鼓持ちの残党は、私を潰しに掛ってますよ。それでも、盛岡のドクター「幕末の志士・坂本龍馬と同じタイプの人間、近藤竜馬と呼ぶべきか」と書かれていた。恥ずかしい次第である(赤面&笑)。

この健康新聞も最初は手書きだったが、親父が使えずに半ば捨てたワープロを拾って来て練習をして、切り貼りしてA3の広告形式の新聞になりました。記事の隅っこにには盗んだ4コマ漫画を使い(笑)、珍問のクイズも入れたりで、見栄えは悪いが随分と楽しいモノを作りましたよ。それも月一のペースで出してましたが、記事不足や何やかやが重なり50号で廃刊と成りました。

あれから30年以上経ち、ホームページ(HP)を作り「院長の独り言」と言うブログの形で色々な情報を発信している。本当は、医療関係の記事を中心に書く筈が、性格が災いしてか少々違った格好で続いている(笑)。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】「理解されてるようで、されてない鍼灸治療」

まだ最初の病院勤務をしていた頃、朝出勤すると掃除中の鍼灸治療室で誰かが寝ている。顔を見ると、私を毛嫌いしているオヤジ。掃除をしている助手に聞くと、「歯が疼くと、朝早くから玄関先で待ってた」と言う。この治療室には外科医の会長の他に、私とオッサンと小娘の三人の鍼灸師が居た。そしてオヤジ患者は小娘の大ファンで、「若い綺麗な姉ちゃんに触って貰っただけで、病気は治った気がする」と言うスケベオヤジ(笑)。
本日は、オッサン&小娘は学会出張で居ない。外科医は何時来るとも解らんから、本日アテに出来るのは私一人である。だが、オヤジ患者があからさまに私を毛嫌いして口も利かないんだから、受付して「お願いします」と言わない限り治療はしない。掃除の邪魔になるから、助手達も帰って欲しいが言う事を聞かない。三人の助手はオヤジ患者の症状は私しか治療できないのを知ってるから、とうとう一人の助手が「お願いしますって言ってるから、何とかして下さい」と言い出したから、「どれや‼此れか‼」と患者の側に行き、「どの歯が痛い」「右上」「右手出して‼」と言う成り右合谷へ切皮。その途端、「アレッ、あれだけ痛かった歯痛が止まった‼」「まだ、根っ子の方が脹れたような重怠さがあるだろう‼」と言うと、始めて「先生、何で手に鍼しただけで解る?」「平均的な知識だよ」と言いつつ、足にもう一本鍼を刺し、鍼麻酔方式で治療を済ませたが、その間に、「鍼治療って、こんなに効くんじゃ~‼」と言ったから、「今迄、どんな治療を受けよった‼」と聞き返したが、返事は無かった。

治療後、「さっきより痛みは楽に成ってる筈じゃが、それは歯科医院で治療して貰わんと駄目‼ 時間が経ったら痛みも少々後戻りするから、今日中に歯医者へ行っといた方が良い」「この痛みは何?」「一般的には虫歯。専門的には齲歯で、今回は歯根膜炎か歯髄炎もやってる筈だから、絶対に歯医者へ行っとくように」と言って帰したんだが、2~3日して又来ると、「また痛みが出た」と言うから、「歯医者は?」と言うと「行って無い」と言う。

「今日は歯医者へ行っておくように」言って帰すと、夕方近くに成って歯科医院の薬服を持って鍼灸治療室へ来るて、「あの歯医者、先生と同じ事を言よった」とビックリしてるが、話の順番が逆(笑)。たまたま私には部分、他の医師や鍼灸師より歯科の臨床面における知識が少しだけ余分にあったので、たまたま患者の病状が私の知識と合致しただけの話。だから、歯医者の先生がもっと難しい事を喋れば、私は太刀打ちは出来ない。当然だが(笑)。

それと、現在地で独立してどの位経ったか、冬の18時過ぎ辺りは真っ暗。当院は遅くまで受付していたから、まだ明けている。もう誰も来ないから閉めようと思ったところ、誰かが入ってきた雰囲気がある。覗くと、うら若き女性が座っている。「歯科ですか、鍼灸ですか」と聞くと、歯科だと言う。「歯科は診療が終わったから・・・先生が居るかどうか様子を見てくるね」と言って裏へ回り事情を話すと「見るから入って貰いなさい」と言う。待合室に行き治療可能を伝えると喜んでいたが元気が無い。「歯が痛い?」痛いと言うから「鍼だけど、痛み止めてあげようか」と言うと、お願いします。合谷に刺し暫くすると痛みが取れたと言う。その後、歯科治療も済み帰った。

歯科の方は其れからどうしたかは知らないが、その女性の弟が来て、「姉が、あそこの鍼は効くと言って感心してました」と言う。そして、歯科治療と相まって歯が疼く事は無くなったと言う。

 

映画「スゥィング・ガールズ +1」

このタイトルを聞き、「オッ‼」と思う方は、マニアックな映画好き&音楽好きと思います。ズブの素人の女子高生を集め、スゥイング・ジャスの名曲中の名曲、「スゥイング・スゥイング・スゥイング」を撮影開始から僅か3カ月で完成させたと言ういわく付きの映画である。

封切を待ちかねて上映館に入ると、私より歳を召されたアベックも何組か入っている。顔見知りと思しき方々と話をしてるのを聞いてると、「素人の高校生が、スィングの名曲を3カ月で完成させたと言うから、楽しみに観にきた」と、喜々として話している。高校時代から5年程、ブラスバンドでE♭バスやチューバ等を吹いていた私ですら、楽しみに観に来たと言うより聞きにきた映画である。

年齢設定が17歳~18歳位、丁度、高校2年生か3年生位の本物の女子高生が主役である。精神的にも一番弾けた年齢である。とんでもない大騒動や失敗を繰り返しながら、最後の最後で名曲の演奏を完成‼ エンディング時の彼女らの表情を見ていると、3カ月の撮影中と言うより、準備や何やかや計算すると1年以上は苦労の連続だったのではないか。笑顔の中の僅かに涙ぐむ表情がそれを雄弁に物語っていたように思う。ただ、最初何回かは素晴らしい演奏と感じていたが、やはり演奏の粗が見えちゃったのは仕方が無いか。

何故、此処まで言えるのか‼ 実は私も、高校に入ってからブラス・バンドに入部したのだが、彼女らも経験した壁‼ なかなか上達しない時があるのだ。家に帰り、思い余って「迷惑掛けるから辞めようと思う」と言う私の言葉に、「発表会は?」「発表会じゃ無いが、高校野球の応援」「アンタもメンバーに入ってる?」「入ってる。特に低音楽器だから、代わりは居ない」「それだけでも、アンタは充てにされてるんだから、いま辞めるのは・・・。辞めるなら、高校野球の応援が終わってからにした方が?」と言われ辛い時を過ごし、野球の応援も終わった。

ところがブラス・バンドって部分、行事の花形。入学式・卒業式・運動会は勿論、学内音楽祭ともなると「何で、こんな曲を‼」てのが出てくる。とにかく、音楽の必要なシーンでは「は~い、出番で~す‼」って引っ張り出される。その内、辞める気持ちが何処かに消え失せている。おまけに、音楽のT先生なんぞ、「今のブラバン、私が育てたバンドの中で最高の出来‼ それも、あのバスの近藤が、今のバンドを支え引っ張っとる。中高音の連中、指揮者の私を見ず、譜面を見ながらバスの音を指揮棒代わりに聞いて演奏しとる‼」と言う話まで飛び出したから、ビックリしたのは私です(笑)

そして最後が、高2の秋、大三島で東予地区の高校の音楽祭があり、当然、我がブランとコーラス部も参加。私の使ってた楽器が大きいと言う事で大三島高校のチューバを借りる事になったのだが、いま使ってるのは3本ピストン・バルブ。ところが借りる楽器が4本のロータリー・バルブ。本数は使い分ければ何とかなるが、ピストンとバルブでは、息の入れ方とピストンを動かすタイミングが全く違う。随分と迷った挙句、「何とか誤魔化しましょう」(笑)と本番へ。何とかクリアーで学校へ帰ると、T先生の様子がおかしい。不思議に思いながら帰宅。

翌朝、学校へ行くと何となくざわついている。その原因が解ったのは昼過ぎ。大三島の音楽祭に、大學のスカウトが何人か来てたと言う話。その内の一校が九州の総合大學の音楽科だったらしく、「附属高校があるから、当校に来ないか」と言う、単独指名スカウトだった訳だが、映像関係の大学ならイザ知らず、音楽関係だったから丁重にお断り。T先生には一週間程粘られたがお断り。随分と恨まれました(笑)

その後、三年生の時にキャップテンをしてたが、チョットしたトラブルで最後の演奏となる体育祭の直前に、男としての意地を掛けキャプテンもブラスバンドも辞めちゃいました。本当はね、3年生の女子部員が「まさか‼」と思いながら放った一言が、その場で辞める切っ掛けでした。辞めるにしても、体育祭が終わってからで良いかと思ってたのが、良い切っ掛けでしたよ。全部員、私の事は「必要無い‼」と答を出したんだから、仕方ないよね~。

となると、する事が無い。高校入学以来、始めて同級生達と運動会の準備に取り組みましたよ。ところが、ブラスバンドの事で居ない筈の私が大工仕事を手伝っているから、「近藤、こんな所で何をしてる。ブラバンの事で忙しいんだろう」「イヤ、辞めてきたから心配ない」「辞めたって」、傍にいた男子生徒が声を掛けた男子生徒の腕を押さえ首を振った事で、それ以上の追及は無かった。

その話が発端と言うか、2年生の副部長に伝言し、私が部室から私物をソックリ持って教室に戻った事で、1年生の下級生辺りが飛んでも無い事が起こったと、職員室に駆け込んだみたいである。職員室や事務室からありとあらゆる所に噂が流れ、校長・教頭・生徒指導教師から音楽教師から、偉い先生達が次から次へと訪れ、「お前がブラバンを何故辞める‼」「この時期に何故辞める‼」「お前が辞めたら皆が迷惑するだろうが‼」と、私が辞める理由を何も聞かずに様々な事を言う。「今回の事は1カ月程前の話が拗れ、私一人と他の部員のイザコザに発展し、話が纏まらなければ私が責任を取って辞める、と言う事を条件に話し合ったが埒があかず、本日をもって私が責任を取って辞めた次第です。終わり‼」と言って運動会準備に戻ったんだが、体育の先生・声楽の先生など誰にも相談せずに一人で責任を取った形でも私の言葉に、誰も言葉は無かったですね。だって、部員達個々の問題だから第三者に相談したって時間が勿体無い。粋がっても、やはりズッとして来た事を、自分の本音とは違う所で答をだしたから元気も出ない。作業をしてた女子生徒が気を利かせてアイスクリンを差し出してくれたが、さすがに食べる気がせず断りました。

辞めたと言ってブラバンの活動をバッサリと止めてからでも、少ない部員の貴重な低音奏者が辞めたのである。近隣の高校ブラバンでは凄い実力者として名を馳せてただけに、残った部員達に事情聴取しても埒があかぬ事は明白。体育祭本番でのバスパートは大太鼓でカバーしてました。それにしても、ブラバン卒業生も私が辞めたと聞いても話を聞きに来るでも無し、応援に来るでも無しの状態だった。結局、来ない事が煩く無かったから良かったですよ。

 

二つの大和

一つは、第二次世界大戦(大東亜戦争)中に建造された戦艦大和。
もう一つは、九州沖で沈んだ大和を蘇らせた空飛ぶお船・宇宙戦艦ヤマト。
私は、家族からも見放された完璧なる「ヤマト・オタク」である(笑)。

ヤマトミュージアムが出来たとテレビや新聞で報道され、地元・愛媛新聞に1/10の大和の写真が掲載され、大和が設置された床を清掃係の女性がモップをかけている姿が一緒に写っている。何とも微笑ましい写真である(笑)。まだミュージアムが稼働していない時の写真だが、それだけでワクワク大変でしたよ~、仕事が手に付かなくて(笑)。

ミュージアムへは、初回は一人で行ったんだが、交通費の高い事。それに高速船とフェリーを比べると、時間的にはたいして変わらない。で、運賃の安いフェリーで。この辺り、四国は僻地ってのをつくづく思い知らされる。
しまなみ海道を走る高速バスで行けば良さそうなんだが、大和ミュージアムは呉。おまけに呉桟橋の目の前。だから今治からバスを使う手もあるが広島バスセンターへ回り道で不便だし、乗り換えが必要で遠回りに成るんですね。JRも特急で松山へ行っても、港までのシャトル・バスが高くて連絡悪く時間が掛かる。

ミュージアムの入場料は大人500円だが、ミュージアム友の会に入ってるから無料。友の会会費が年間2000円から考えると会費が勿体ないが、入ってないと手に入らない印刷物や記念品が頂けたり、ショップで買い物すると割引があるから勿体ない気分が薄らぐ(笑)。

二度目が、旅行社のツアーに参加した。募集タイトル「二つの大和」。一つは「大和ミュージアム」。そして「男たちの大和」の原寸大の大和のハリボテを作った尾道の造船所のロケ地。だが、艦橋が無い。安全の為と称し、艦橋はコンピュータ映像。ちょっとチンチクリンのスタイル。船首の菊のご紋は、さすが原寸大で見ると圧巻ですよ。映画では新兵達がカッターから乗り移る階段から大和に乗船。映画のシーンと重ね合わせてしまった。

甲板では、撮影時の激戦跡が残っている。制作費用の関係で船体はベニヤ板(笑)。爆発シーンの撮影では火薬も使う関係で黒く焦げている部分がある。それと、天から干しの年数経過でベニヤ板の合わせ部分が浮いて中が丸見え(笑)。私より先に来ていた若者から聞いていたが、さすがに笑いがこみ上げる。そして、「セットには触ら無いで下さい」と書いてるが、そんなのは無視無視。書いてる方も解ってて書いてる(笑)。

アレコレ見ていると、「アッ、此処ではこんなシーンが・・・」と言う場所が何か所もある。増設された機関砲のセット辺りが、敵の攻撃を受けて人間ごと落ちてくる。血だるまの兵士達が飛ばされてくる・・・見覚えのあるハリボテの大和の甲板で、戦闘シーンを回想しているり自分に驚きを感じる。

一通り甲板を散策?した後、艦後部の階段から地上に降りるのだが、階段に脚を掛けようとした時、一度地上に降りた女性がビデオカメラ片手に上がって来て、階段と甲板の隙間から甲板下を撮り始めた。つられて覗きこんでみると、綺麗に組まれたピケ(イントレとも言う)の上に薄い板の甲板が乗っている。思わず、「この御船の中はこんなんだ」と、二人で笑っちゃいましたよ。

爆発沈没した戦艦大和から生還した八杉康夫さんと言う方が、「大和の最後の語り部」としてテレビ出演から講演や執筆活動されていたが、ここ数年、お名前を聞く事が無くなった。何年前か愛大で講演会を聞きに行った時、体調を崩しており、あわや中止と成りかけていたと言う。この日、大和と共に沈んだ航海長の娘さんも来られてたとうが、結局、個別には御会いできなかったのは残念でした。

八杉さんの講演中、当然だが戦艦大和の戦闘中の話が幾つも出る。映画「男たちの大和」の中で、沈没直前の最後の戦闘時の映像の中で、八杉さんの話を引用した映像が6カット程あったと言う。その一つに、下士官が傾いた大和の甲板で軍刀を抜き自刃したと言うシーン。そして、大和から海面に逃れた多くの兵士達。一人の30歳代半ばの下士官が、溺れかけていた八杉さんに自分の命の綱であった木の柱を渡し、「これからの日本は、お前たち若い人間がいないとダメだ」と言い残し、沈みゆく大和を背に沖合に泳いで行き沈んでいったと言う壮絶な話を、八杉さんは涙ながらに話されていた。

戦争映画も何本か見たが、30何年か前の、「連合艦隊」と言うタイトルの映画が比較的ドラマとして完成度の高い戦争映画であったと思う。そして面白い話、連合艦隊のエンディングシーンのカットと宇宙戦艦ヤマト 実写版のエンディングシーンのカットが似た雰囲気のカットで使われていた事(笑)。

基本的に、昔の戦争映画って「死ぬ事ばかり」を描いていたように思うが、その観点からすれば「男たちの大和」では「死ぬな‼」「生きて帰って来い‼」と言った表現が強く感じた。昔は、「お国の為に死んで来い」「天皇陛下の為に死んで来い」って表現が多かったのにね。常に、死ぬ事ばかりの描写が多かったように思う。

あと残念な話として、戦争映画が非常に少なくなった事。史実に基づいた質の高い映画が出てきても良いと思うが、決して好戦的な話では無いですぞ。

 

顔面凶器

私が「顔面凶器‼」と呼ばれて久しい。丁度、テレビの仕事もしていた頃だったから20年程前からに成るだろうか。テレビ出演の少ない小沢仁志と言う俳優さんが、「初代・顔面凶器‼」と呼ばれてる。何処が凶器なのかと思う程のイケメンである。だが、私の方がイケメンであると思う(笑)。

ネットで小沢氏の何枚かの写真を見てみると、男前だし部分、愛い顔もしている(笑)。そして顔面凶器ってどう言う意味かとネットで調べると、「顔面で殺せる‼」と書かれているが、詳しい説明は無い。

そして私が何故、「顔面凶器‼」と呼ばれだしたのかを考えると、「自称・変態男と書いて[へん たいお]」と自己紹介した変な若者に「何かあった時の顔が怖い‼」が「スナイパーみたいだ‼」「顔面凶器‼」と成った次第。それからか、「顔が怖い」「顔面凶器」と言う風評が流れ出したのです。

ただ考えてみると、大学時代にも似た事を言われた事がある。後輩から、「顔が笑ってるんだけど、目が笑って無くて怖い‼」と言われた事がある。そして昔、小学校&中学校の頃から、私自身は普通にしてるんだけど、町のヤンチャな悪ガキ辺りから「偉そうにしとる‼」とか因縁をつけられたり、大人に成っても、「お前 何、 怒っとんぞ‼」とか言い掛かりを付けられたりもしていた。

その辺りを色々と考えてみると、幼い時から私にとっては理由無く擦れ違い様に叩かれたり、言葉で嫌がらせされたり、それも同級だけでは無く先生や一般の大人達からも、平気で罵倒されてたから、誰かが近寄ってくると、「また、何かされる‼」「何か、要らん事を言われる‼」と思い、身構えてしまうのが「顔面凶器」と言う形で顔に出てくるのでしょう。この辺り、思い過ごしじゃない事を何れお話しましょう。でもね、「まだ顔面破壊じゃ無くて良かった(爆)」