Archive for 12 月 12th, 2018

二つの大和

一つは、第二次世界大戦(大東亜戦争)中に建造された戦艦大和。
もう一つは、九州沖で沈んだ大和を蘇らせた空飛ぶお船・宇宙戦艦ヤマト。
私は、家族からも見放された完璧なる「ヤマト・オタク」である(笑)。

ヤマトミュージアムが出来たとテレビや新聞で報道され、地元・愛媛新聞に1/10の大和の写真が掲載され、大和が設置された床を清掃係の女性がモップをかけている姿が一緒に写っている。何とも微笑ましい写真である(笑)。まだミュージアムが稼働していない時の写真だが、それだけでワクワク大変でしたよ~、仕事が手に付かなくて(笑)。

ミュージアムへは、初回は一人で行ったんだが、交通費の高い事。それに高速船とフェリーを比べると、時間的にはたいして変わらない。で、運賃の安いフェリーで。この辺り、四国は僻地ってのをつくづく思い知らされる。
しまなみ海道を走る高速バスで行けば良さそうなんだが、大和ミュージアムは呉。おまけに呉桟橋の目の前。だから今治からバスを使う手もあるが広島バスセンターへ回り道で不便だし、乗り換えが必要で遠回りに成るんですね。JRも特急で松山へ行っても、港までのシャトル・バスが高くて連絡悪く時間が掛かる。

ミュージアムの入場料は大人500円だが、ミュージアム友の会に入ってるから無料。友の会会費が年間2000円から考えると会費が勿体ないが、入ってないと手に入らない印刷物や記念品が頂けたり、ショップで買い物すると割引があるから勿体ない気分が薄らぐ(笑)。

二度目が、旅行社のツアーに参加した。募集タイトル「二つの大和」。一つは「大和ミュージアム」。そして「男たちの大和」の原寸大の大和のハリボテを作った尾道の造船所のロケ地。だが、艦橋が無い。安全の為と称し、艦橋はコンピュータ映像。ちょっとチンチクリンのスタイル。船首の菊のご紋は、さすが原寸大で見ると圧巻ですよ。映画では新兵達がカッターから乗り移る階段から大和に乗船。映画のシーンと重ね合わせてしまった。

甲板では、撮影時の激戦跡が残っている。制作費用の関係で船体はベニヤ板(笑)。爆発シーンの撮影では火薬も使う関係で黒く焦げている部分がある。それと、天から干しの年数経過でベニヤ板の合わせ部分が浮いて中が丸見え(笑)。私より先に来ていた若者から聞いていたが、さすがに笑いがこみ上げる。そして、「セットには触ら無いで下さい」と書いてるが、そんなのは無視無視。書いてる方も解ってて書いてる(笑)。

アレコレ見ていると、「アッ、此処ではこんなシーンが・・・」と言う場所が何か所もある。増設された機関砲のセット辺りが、敵の攻撃を受けて人間ごと落ちてくる。血だるまの兵士達が飛ばされてくる・・・見覚えのあるハリボテの大和の甲板で、戦闘シーンを回想しているり自分に驚きを感じる。

一通り甲板を散策?した後、艦後部の階段から地上に降りるのだが、階段に脚を掛けようとした時、一度地上に降りた女性がビデオカメラ片手に上がって来て、階段と甲板の隙間から甲板下を撮り始めた。つられて覗きこんでみると、綺麗に組まれたピケ(イントレとも言う)の上に薄い板の甲板が乗っている。思わず、「この御船の中はこんなんだ」と、二人で笑っちゃいましたよ。

爆発沈没した戦艦大和から生還した八杉康夫さんと言う方が、「大和の最後の語り部」としてテレビ出演から講演や執筆活動されていたが、ここ数年、お名前を聞く事が無くなった。何年前か愛大で講演会を聞きに行った時、体調を崩しており、あわや中止と成りかけていたと言う。この日、大和と共に沈んだ航海長の娘さんも来られてたとうが、結局、個別には御会いできなかったのは残念でした。

八杉さんの講演中、当然だが戦艦大和の戦闘中の話が幾つも出る。映画「男たちの大和」の中で、沈没直前の最後の戦闘時の映像の中で、八杉さんの話を引用した映像が6カット程あったと言う。その一つに、下士官が傾いた大和の甲板で軍刀を抜き自刃したと言うシーン。そして、大和から海面に逃れた多くの兵士達。一人の30歳代半ばの下士官が、溺れかけていた八杉さんに自分の命の綱であった木の柱を渡し、「これからの日本は、お前たち若い人間がいないとダメだ」と言い残し、沈みゆく大和を背に沖合に泳いで行き沈んでいったと言う壮絶な話を、八杉さんは涙ながらに話されていた。

戦争映画も何本か見たが、30何年か前の、「連合艦隊」と言うタイトルの映画が比較的ドラマとして完成度の高い戦争映画であったと思う。そして面白い話、連合艦隊のエンディングシーンのカットと宇宙戦艦ヤマト 実写版のエンディングシーンのカットが似た雰囲気のカットで使われていた事(笑)。

基本的に、昔の戦争映画って「死ぬ事ばかり」を描いていたように思うが、その観点からすれば「男たちの大和」では「死ぬな‼」「生きて帰って来い‼」と言った表現が強く感じた。昔は、「お国の為に死んで来い」「天皇陛下の為に死んで来い」って表現が多かったのにね。常に、死ぬ事ばかりの描写が多かったように思う。

あと残念な話として、戦争映画が非常に少なくなった事。史実に基づいた質の高い映画が出てきても良いと思うが、決して好戦的な話では無いですぞ。

 

顔面凶器

私が「顔面凶器‼」と呼ばれて久しい。丁度、テレビの仕事もしていた頃だったから20年程前からに成るだろうか。テレビ出演の少ない小沢仁志と言う俳優さんが、「初代・顔面凶器‼」と呼ばれてる。何処が凶器なのかと思う程のイケメンである。だが、私の方がイケメンであると思う(笑)。

ネットで小沢氏の何枚かの写真を見てみると、男前だし部分、愛い顔もしている(笑)。そして顔面凶器ってどう言う意味かとネットで調べると、「顔面で殺せる‼」と書かれているが、詳しい説明は無い。

そして私が何故、「顔面凶器‼」と呼ばれだしたのかを考えると、「自称・変態男と書いて[へん たいお]」と自己紹介した変な若者に「何かあった時の顔が怖い‼」が「スナイパーみたいだ‼」「顔面凶器‼」と成った次第。それからか、「顔が怖い」「顔面凶器」と言う風評が流れ出したのです。

ただ考えてみると、大学時代にも似た事を言われた事がある。後輩から、「顔が笑ってるんだけど、目が笑って無くて怖い‼」と言われた事がある。そして昔、小学校&中学校の頃から、私自身は普通にしてるんだけど、町のヤンチャな悪ガキ辺りから「偉そうにしとる‼」とか因縁をつけられたり、大人に成っても、「お前 何、 怒っとんぞ‼」とか言い掛かりを付けられたりもしていた。

その辺りを色々と考えてみると、幼い時から私にとっては理由無く擦れ違い様に叩かれたり、言葉で嫌がらせされたり、それも同級だけでは無く先生や一般の大人達からも、平気で罵倒されてたから、誰かが近寄ってくると、「また、何かされる‼」「何か、要らん事を言われる‼」と思い、身構えてしまうのが「顔面凶器」と言う形で顔に出てくるのでしょう。この辺り、思い過ごしじゃない事を何れお話しましょう。でもね、「まだ顔面破壊じゃ無くて良かった(爆)」