Archive for 12 月 15th, 2018

【近藤鍼灸院の健康新聞】「理解されてるようで、されてない鍼灸治療」

まだ最初の病院勤務をしていた頃、朝出勤すると掃除中の鍼灸治療室で誰かが寝ている。顔を見ると、私を毛嫌いしているオヤジ。掃除をしている助手に聞くと、「歯が疼くと、朝早くから玄関先で待ってた」と言う。この治療室には外科医の会長の他に、私とオッサンと小娘の三人の鍼灸師が居た。そしてオヤジ患者は小娘の大ファンで、「若い綺麗な姉ちゃんに触って貰っただけで、病気は治った気がする」と言うスケベオヤジ(笑)。
本日は、オッサン&小娘は学会出張で居ない。外科医は何時来るとも解らんから、本日アテに出来るのは私一人である。だが、オヤジ患者があからさまに私を毛嫌いして口も利かないんだから、受付して「お願いします」と言わない限り治療はしない。掃除の邪魔になるから、助手達も帰って欲しいが言う事を聞かない。三人の助手はオヤジ患者の症状は私しか治療できないのを知ってるから、とうとう一人の助手が「お願いしますって言ってるから、何とかして下さい」と言い出したから、「どれや‼此れか‼」と患者の側に行き、「どの歯が痛い」「右上」「右手出して‼」と言う成り右合谷へ切皮。その途端、「アレッ、あれだけ痛かった歯痛が止まった‼」「まだ、根っ子の方が脹れたような重怠さがあるだろう‼」と言うと、始めて「先生、何で手に鍼しただけで解る?」「平均的な知識だよ」と言いつつ、足にもう一本鍼を刺し、鍼麻酔方式で治療を済ませたが、その間に、「鍼治療って、こんなに効くんじゃ~‼」と言ったから、「今迄、どんな治療を受けよった‼」と聞き返したが、返事は無かった。

治療後、「さっきより痛みは楽に成ってる筈じゃが、それは歯科医院で治療して貰わんと駄目‼ 時間が経ったら痛みも少々後戻りするから、今日中に歯医者へ行っといた方が良い」「この痛みは何?」「一般的には虫歯。専門的には齲歯で、今回は歯根膜炎か歯髄炎もやってる筈だから、絶対に歯医者へ行っとくように」と言って帰したんだが、2~3日して又来ると、「また痛みが出た」と言うから、「歯医者は?」と言うと「行って無い」と言う。

「今日は歯医者へ行っておくように」言って帰すと、夕方近くに成って歯科医院の薬服を持って鍼灸治療室へ来るて、「あの歯医者、先生と同じ事を言よった」とビックリしてるが、話の順番が逆(笑)。たまたま私には部分、他の医師や鍼灸師より歯科の臨床面における知識が少しだけ余分にあったので、たまたま患者の病状が私の知識と合致しただけの話。だから、歯医者の先生がもっと難しい事を喋れば、私は太刀打ちは出来ない。当然だが(笑)。

それと、現在地で独立してどの位経ったか、冬の18時過ぎ辺りは真っ暗。当院は遅くまで受付していたから、まだ明けている。もう誰も来ないから閉めようと思ったところ、誰かが入ってきた雰囲気がある。覗くと、うら若き女性が座っている。「歯科ですか、鍼灸ですか」と聞くと、歯科だと言う。「歯科は診療が終わったから・・・先生が居るかどうか様子を見てくるね」と言って裏へ回り事情を話すと「見るから入って貰いなさい」と言う。待合室に行き治療可能を伝えると喜んでいたが元気が無い。「歯が痛い?」痛いと言うから「鍼だけど、痛み止めてあげようか」と言うと、お願いします。合谷に刺し暫くすると痛みが取れたと言う。その後、歯科治療も済み帰った。

歯科の方は其れからどうしたかは知らないが、その女性の弟が来て、「姉が、あそこの鍼は効くと言って感心してました」と言う。そして、歯科治療と相まって歯が疼く事は無くなったと言う。

 

映画「スゥィング・ガールズ +1」

このタイトルを聞き、「オッ‼」と思う方は、マニアックな映画好き&音楽好きと思います。ズブの素人の女子高生を集め、スゥイング・ジャスの名曲中の名曲、「スゥイング・スゥイング・スゥイング」を撮影開始から僅か3カ月で完成させたと言ういわく付きの映画である。

封切を待ちかねて上映館に入ると、私より歳を召されたアベックも何組か入っている。顔見知りと思しき方々と話をしてるのを聞いてると、「素人の高校生が、スィングの名曲を3カ月で完成させたと言うから、楽しみに観にきた」と、喜々として話している。高校時代から5年程、ブラスバンドでE♭バスやチューバ等を吹いていた私ですら、楽しみに観に来たと言うより聞きにきた映画である。

年齢設定が17歳~18歳位、丁度、高校2年生か3年生位の本物の女子高生が主役である。精神的にも一番弾けた年齢である。とんでもない大騒動や失敗を繰り返しながら、最後の最後で名曲の演奏を完成‼ エンディング時の彼女らの表情を見ていると、3カ月の撮影中と言うより、準備や何やかや計算すると1年以上は苦労の連続だったのではないか。笑顔の中の僅かに涙ぐむ表情がそれを雄弁に物語っていたように思う。ただ、最初何回かは素晴らしい演奏と感じていたが、やはり演奏の粗が見えちゃったのは仕方が無いか。

何故、此処まで言えるのか‼ 実は私も、高校に入ってからブラス・バンドに入部したのだが、彼女らも経験した壁‼ なかなか上達しない時があるのだ。家に帰り、思い余って「迷惑掛けるから辞めようと思う」と言う私の言葉に、「発表会は?」「発表会じゃ無いが、高校野球の応援」「アンタもメンバーに入ってる?」「入ってる。特に低音楽器だから、代わりは居ない」「それだけでも、アンタは充てにされてるんだから、いま辞めるのは・・・。辞めるなら、高校野球の応援が終わってからにした方が?」と言われ辛い時を過ごし、野球の応援も終わった。

ところがブラス・バンドって部分、行事の花形。入学式・卒業式・運動会は勿論、学内音楽祭ともなると「何で、こんな曲を‼」てのが出てくる。とにかく、音楽の必要なシーンでは「は~い、出番で~す‼」って引っ張り出される。その内、辞める気持ちが何処かに消え失せている。おまけに、音楽のT先生なんぞ、「今のブラバン、私が育てたバンドの中で最高の出来‼ それも、あのバスの近藤が、今のバンドを支え引っ張っとる。中高音の連中、指揮者の私を見ず、譜面を見ながらバスの音を指揮棒代わりに聞いて演奏しとる‼」と言う話まで飛び出したから、ビックリしたのは私です(笑)

そして最後が、高2の秋、大三島で東予地区の高校の音楽祭があり、当然、我がブランとコーラス部も参加。私の使ってた楽器が大きいと言う事で大三島高校のチューバを借りる事になったのだが、いま使ってるのは3本ピストン・バルブ。ところが借りる楽器が4本のロータリー・バルブ。本数は使い分ければ何とかなるが、ピストンとバルブでは、息の入れ方とピストンを動かすタイミングが全く違う。随分と迷った挙句、「何とか誤魔化しましょう」(笑)と本番へ。何とかクリアーで学校へ帰ると、T先生の様子がおかしい。不思議に思いながら帰宅。

翌朝、学校へ行くと何となくざわついている。その原因が解ったのは昼過ぎ。大三島の音楽祭に、大學のスカウトが何人か来てたと言う話。その内の一校が九州の総合大學の音楽科だったらしく、「附属高校があるから、当校に来ないか」と言う、単独指名スカウトだった訳だが、映像関係の大学ならイザ知らず、音楽関係だったから丁重にお断り。T先生には一週間程粘られたがお断り。随分と恨まれました(笑)

その後、三年生の時にキャップテンをしてたが、チョットしたトラブルで最後の演奏となる体育祭の直前に、男としての意地を掛けキャプテンもブラスバンドも辞めちゃいました。本当はね、3年生の女子部員が「まさか‼」と思いながら放った一言が、その場で辞める切っ掛けでした。辞めるにしても、体育祭が終わってからで良いかと思ってたのが、良い切っ掛けでしたよ。全部員、私の事は「必要無い‼」と答を出したんだから、仕方ないよね~。

となると、する事が無い。高校入学以来、始めて同級生達と運動会の準備に取り組みましたよ。ところが、ブラスバンドの事で居ない筈の私が大工仕事を手伝っているから、「近藤、こんな所で何をしてる。ブラバンの事で忙しいんだろう」「イヤ、辞めてきたから心配ない」「辞めたって」、傍にいた男子生徒が声を掛けた男子生徒の腕を押さえ首を振った事で、それ以上の追及は無かった。

その話が発端と言うか、2年生の副部長に伝言し、私が部室から私物をソックリ持って教室に戻った事で、1年生の下級生辺りが飛んでも無い事が起こったと、職員室に駆け込んだみたいである。職員室や事務室からありとあらゆる所に噂が流れ、校長・教頭・生徒指導教師から音楽教師から、偉い先生達が次から次へと訪れ、「お前がブラバンを何故辞める‼」「この時期に何故辞める‼」「お前が辞めたら皆が迷惑するだろうが‼」と、私が辞める理由を何も聞かずに様々な事を言う。「今回の事は1カ月程前の話が拗れ、私一人と他の部員のイザコザに発展し、話が纏まらなければ私が責任を取って辞める、と言う事を条件に話し合ったが埒があかず、本日をもって私が責任を取って辞めた次第です。終わり‼」と言って運動会準備に戻ったんだが、体育の先生・声楽の先生など誰にも相談せずに一人で責任を取った形でも私の言葉に、誰も言葉は無かったですね。だって、部員達個々の問題だから第三者に相談したって時間が勿体無い。粋がっても、やはりズッとして来た事を、自分の本音とは違う所で答をだしたから元気も出ない。作業をしてた女子生徒が気を利かせてアイスクリンを差し出してくれたが、さすがに食べる気がせず断りました。

辞めたと言ってブラバンの活動をバッサリと止めてからでも、少ない部員の貴重な低音奏者が辞めたのである。近隣の高校ブラバンでは凄い実力者として名を馳せてただけに、残った部員達に事情聴取しても埒があかぬ事は明白。体育祭本番でのバスパートは大太鼓でカバーしてました。それにしても、ブラバン卒業生も私が辞めたと聞いても話を聞きに来るでも無し、応援に来るでも無しの状態だった。結局、来ない事が煩く無かったから良かったですよ。