Archive for 1 月, 2019

時代の流れか

最近、外出して色々と見ていると、「へェ~」って感心するケースが目立つようになった。

◎先日あった事なんだが、例の如く鈍行電車で県師会の新年会に行った時の話。JR今治駅でトイレ休憩に降り、プラット・ホームから二階に降りようと階段へ行くと、私の左側を歩いていた女子高生が後ろの女子高生達に何か言い、私に声を掛けた。「コレッ‼」って声が聞こえたような気がしたのでヘッドホンを外すと、防犯ブザーが鳴っている。「アッ‼」っと言って止めたのだが、女子高生達はそのまま改札口へ。今日は今治の此処かで何かがあるのか、高校生が沢山。でも、我々オッサンに声を掛けるのはホンの一握り。

この日、普段とは違った時間割で動いていたから帰りの電車も雰囲気が違う。時間帯にも因るが、三両編成とか二両編成とか、一両でも空電車を引っ張ってる事が多いのだが、この日に乗ったのは完全一両。そして珍しく、w私のトイレ騒ぎが無い。途中、長止まりする駅が有ったので、運転士に確認してトイレへ。電車の発車後、暫くしてまたトイレに行きたく成ったが、新居浜駅が近い事もあって我慢我慢(笑)。ところが、最後の中萩駅で長止まり。やはり3分あるからホームに居た車掌に確認をしながらトイレに向かうと、若い女性の声で「済みませ~ん。鞄を忘れてますよ~」って、私のリュックを持っている。車掌が、「トイレ、トイレ」って言うと慌てて引っ込んだ。やがて用を済ませ電車に戻ると、どの女性が声を掛けたのか解らない。傍に座ってた私位の年代のオイチャンに「さっき、鞄で声掛けしてくれたの、どの人だろう?」って聞くと、二人の男性がやはり連れの女性を指差した。御礼を言い、女性に近付き、「さっきは、鞄の心配ありがとう」って御礼を言うと、二人共、満面の笑みで笑ってたっけ。こう言う時の笑顔って、凄く清々しいですね(笑)。そして新居浜駅が近くなったからリュックを背負い、天井に近い安全バーと掴もうとした途端、電車がガタン‼と揺れた。態勢の悪かった私は、先程の二人に倒れ掛る所だった。思わず、「危な~、二人を潰すところだった」の一言で大笑いでした。

 

驚きのJR今治駅‼ トイレが最新式に‼

先ず、「何が驚きなのか?」と言えば、[JR今治駅]二階にある男子トイレの大便器1台と障碍者用トイレの大便器が、最新式のトイレに大変身していたのです(笑)。健常者用には、二つの和式があった内の一つが大変身。障碍者用トイレにしたって、大便器用のガランは古く薄黒く汚れており、便座も保温の無い物で勿論ウォシュレットも無かったのが大変身。私のように、外見は健常者のようでも内臓の手術を受けてる人間は、用を足すのに時間が掛かるし、排便後はウォシュレットで綺麗にしたいもの。

【※昔、お医者さんが書いたエッセイに、この辺りの事が書いてあった。日本ではトイレ後のシャワーの風習が無いから外国から来た方々は、「日本の空港や街並みなりを歩いていても、何処となくウンチ臭い」と言ってたと言うし、医師の診察中でも「Dress Upした御婦人の下半身近くに顔が行くと、高級化粧品の香りの中にプンと大便の匂いがする」と言う。それだけにウォシュレットの完備、「少なくても自宅には備えた方が御洒落です」って話。この話を見てから、私は洋式でもウォシュレットの無い時期は、外出前とか排便後はシャワーで洗ってました。それを見てた父親が、当時は個人用では珍しいウォシュレットを導入した次第。そして外出時は尻拭き用のポケット・ウェット・ティッシュを何組か持って出掛けてました※】

昔、JR今治駅でトイレの改修を聞いてみたら完全無視状態。少なくても特急の停まる駅では随分と前から、順次 和式の半分は洋式に変更し、障碍者用トイレは温便座にウォシュレット付きに改修していたし、健常者用も一台だけはウォシュレットの付いた物に変更してたのにね。

思い余ってJR四国本社にメールで問い合わせ文書(メール)で回答を求めたら、随分と待たされた挙句、訳の解らぬ説明をした挙句、念を押した一言「トイレの改修は一切しない」旨の回答が来たんですよ。説明文自体からしてこんな書き方に成ってたから、呆れかえったですよ。その内、松山行きの普通電車で通り掛かった時、19分の停車時間中にトイレに行き、キオスクに行った後で改札を入る時、「此処のトイレは最低最悪のトイレじゃナ~」って言うと、二人居た老齢の男性駅員が「何か文句あるんか‼」と言う聞き方で「何処がです?」と聞いたから、「障碍者トイレ、汚いし便座も冷たいしウォシュレットも無い」って言うと、二人で「うわっはっはっはっはっはっはっは~‼」と高笑い馬鹿笑いし、一笑いした後は、私を無視して仕事してるフリをして無視してましたよ。此れだけ、JR今治駅の歳取った駅員は乗客と言うより人を舐めて掛ってましたね。それでも普通電車に乗車の時ばかりか、「おんまく花火&踊り」のイベント時にも使う関係で、駅を使った時はトイレがどうなってるか覗きに行ってましたよ(笑) そして若い駅員に「此処のトイレって汚いね」と言うと、下を向き黙って頷いてましたよ。

そして久々の平成31年1月20日、松山で公益社団法人 師会の新年会があったので普通電車で出掛け、例の如く19分停車のJR今治駅でトイレに行くと、何となく雰囲気が違う。小便用ガランの方へ行こうとした途端、空いてた大便所のドアの隙間から、それこそ光り輝いてる新型の洋式トイレのガランが見えた‼ので、小用をするのも忘れ(笑)、便器を見てました。ついでと言っちゃ何だけど、障碍者用トイレを覗きに行くと、同型の新品トイレが鎮座している(笑)。「トイレの改修は、絶対しない」風の発言をしてたJR四国本社。そして小用便器に行き用を足し始めると、JR今治駅の年老いた駅員が小用に来たので、「此処の大便器、洋式の最新式の綺麗な物に成ったじゃない。私がJR四国本社に問い合わせた何年か前、改修の予定は一切無いとかやらないって、頭ごなしに随分と強い口調で言ったのにね」って言うと、「彼方此方からの要望が多くなったんで」と言い訳していたが、要望では無く私同様、随分と強い発言があったとおもう。随分と舐めた言動を繰り返されたもんだ。老駅員とそんな話をしている時、私の隣に私の乗ってた普通電車の車掌が小用をしに来たが、「私は車掌だから、その話は関係無いからね~」と言う雰囲気で黙って用を済ませると、サッサと電車に戻ったっけ(笑)。だから、改修工事中に私が通り掛ったら、現場で「改修はしないって言ってたのに、そこで何してるの?」って言うところでしたよ。

最後に、「本稿で女子トイレの事に触れて無い」のは、私が男故、女子トイレを使う訳にも覗く訳にもいかないので、説明出来ません。だって変態オヤジにされてしまうじゃないですか(笑)。

もう一つ。田舎でのウォシュレット付きトイレと言えば、コンビニの取り組みが早かったように思う。タマ~に、無い所もありますが(笑)。昔から、「トイレの綺麗な所は~」って、何かの判断基準にされてた部分もあり、大型スーパーや中型スーパーは勿論、小型でも新しいスーパー系はウォシュレット付きトイレに成りつつあるみたい。其れも挙ってやってるみたいに感じます。

 

良き理解者が増える

過去66年間、私に近付いてくる多くの人々は、[まさに親父の地位と名誉と財産を目当てに言い寄ってきた言動をする者達]が多かった。こう言う書き方をすると、必ず異論を唱える者がいる。それも、その真実の姿を全く経験が無いから解って無い・経験があっても軽微な経験なのに説教がましく言うから、唯でさえ言い寄られて嫌な目をしてるのに、そう言う輩を擁護する言動は聞きたく無いと言うのが人間として当然だと思う。

面白い事に、異論を唱える人達に具体的に説明をすると、「そんな事、あるか‼」「そりゃ、お前の勘違いじジャ‼」ならまだしも、「お前の言い掛かりジャ‼」とか「思い違いジャ‼」と、私の言葉を頭っから信用せず叩き潰すような言葉が出る。だから説明に追加して「こう言う事実もあった」「何処そこの人間・誰助も同じ言動を取った」と、多くの事実を伝えると、擁護的発言をした人は信じられないと言った表情で黙ってしまう。

理由は、平均的と言うか常識的に言って自分の理解できる範疇の言動では無く、私に叩き付けられた言葉は、人間の一番下品で下等な妬み嫉み、一言で言えば嫉妬の言葉を感情に任せて叩き付けた言葉をモロに聞く事になるから、平均的な善良なる頭脳&感情では耐えられない筈なのだ。平均的と感じる&平穏と感じる生活を過ごしていれば、多分、私は変わり者&バカ扱いをされる人間には育って無かったと思いますよ。

◎30数年間、当院にきている独身の男性患者が居る。此れだけ長いと、プライベートな付き合いも増える。そして色々な相談事も出る。そして、受けた相談は出来る限り経験から割り出して答える事にしている。時には、私の迷いに応えてくれようとする時もあるが、私の経験からすると彼の話は経験が浅すぎる部分がある。でもね、彼も色々と経験しているから、詳しく言わなくても解る時もある。

一度、彼の結婚と言うより結婚観の話に成った事がある。彼も若かりし頃、結婚を考えた女性が居たと言う。ある時、彼女の母親が入院したと言うので一時帰省をする事になったから、交通費や母親の病院代の足しにと幾何かの金を渡したと言う。しかし約束の期限が来ても彼の元に帰ってくる事は無く、連絡が取れなくなってしまったと言う。それで彼女の事を諦めたが、結婚する気にも成らず独身を通し、一人で母親の面倒をみている。

そして最後に言った事は、「彼女に何が有ったか知らないが、帰って来ないなら来ないで一言弁明して欲しかった。で、先生の奥さんの事や俺の二人の兄貴の嫁さんと家族のトラブルの事を身近で見聞きした限り、ずっと一人で生活して良かったと思う」と言う話であった。独身を通した割に、家族間のトラブルの原因など、身内や知人の家族の出来事を見て、「結婚の経験も無い男が、そこまで理解できるな」と言う部分まで理解している。

◎ある時、ポツリと一言。「先生の話を聞いてたら、60数年間、随分と酷い言葉を投げつけられ叩き付けられ酷い扱いをされたのに、よくぞ精神的におかしく成らなかったと思う」と言った事がある。考えてみれば、酷い連中が目に着き過ぎていただけで、陰に成り日向になり庇ってくれた人々も居たからだと思う。

最後に、「新居浜には、[タカリ・金の為なら親でも殺す・タダならゴミでも貰って帰る]ってタイプの人が多過ぎる」って言うと、ある人が「それは間違い。たまたま先生の周囲に出入りする人間に、そのタイプが多かっただけ」と言われ、何故か心が晴れ晴れとした感じがした。と言うのも、他市町村の住民の方と知り合って話てみると、結構[タカリ・ただゴミ・金の為に親殺し]タイプが随分といる事に気が付きました(笑)

 

近藤鍼灸院 この春にはリニューアル完成か‼

一昨年10月に、予てから計画していたリニューアル。突然のように降って湧いたような出来事でしたが、色々と手違いがあって1年3カ月経って工事が始まる予定。完成は4月頃か。

で、本日1月21に入った情報。23日㈬に工事が始まりますが、安心して来院して下さい(笑)

 

馬鹿は死ななきゃ治らない(笑)

私は二か所の中学校へ通っていた。一つ目は角野中学校(角中)、二つ目は泉川中学校(泉中)。

①「此奴は、本物のバカ‼」と思えるのが、泉中時代の高原某。私が角中から泉中へ転校してから色々と付き纏っていたが、何を思ったか何かに付け私にグズグズと私に対してコンプレックスに塗れた文句を言いだした。それも、クソの役にも立たないどうでも良い事で。

例えば、私には笑窪があるのだが、それを指して「お前のなんか笑窪じゃあるか‼」と言い、「こんなのを笑窪って言うんじゃ‼」と言って、頬に大きな窪みを作ってるのだ(笑)。思わず笑いながら「それこそ、笑窪と違うやで~」って言うと、「お前、喧嘩売りよるんか‼」と逆ギレする。この当時、悪いがこのタイプのクソガキが多く、自分が喧嘩を売っといて、言い返されたら「お前が喧嘩売った」と言い掛かり的に言う連中だ。
アホらしくて相手するのも面倒臭く成り放っておくと、今度は「彼奴が県立の普通科高校へ行けるのに、ワシが何で市立の商業高校なんぞ‼」と喚きだした。そんな姿を見てる内に、高原某が哀れに成りだしたが、どう言っても収まる筈も無い。そのまま月日が流れそれぞれが高校へ進学したのだが、当家と泉中と市立商業高校は近いため、高校生になって何度か学生服姿ですれ違った事があるが、その内に見受けなくった。その後、高校を辞めたと言う噂が飛び交ってるのだ。その後、本当に高校を辞めヤクザの使い走りをしてる話を聞いた。「あの根性で、ヤクザに成る積りなの?」って腹で笑ってたが、噂が噂を呼び動向が見えない内に噂が消えた。

てっきり、余りのバカさにヤクザに消されたと思ってたら、高校時代に付き合いのあった連中が、私を初めとする学生の長期休暇に飲みに誘いに来るので、ボチボチと付き合ってると、市内の小さなシュ〇〇ってスナックでママさんに聞かれて驚いた。「高原って男、知っとる?」と。「知ってるが、彼奴がどうした?」と聞くと、「彼奴が県立に入ったのに、ワシは市立に入れられた‼ 彼奴が県立に入れるなら、ワシも入れたのに‼」って、飲みにくる度に喚いてるらしかった。「放っとけよ。県立に入れなかったからと言って、私の性にして足を引っ張ってどうなる。悔しかったら、市立商業を辞めたんなら、そのまま県立でも市内で一番レベルの高い西高へ行けば良かったのに。それも出来んで、泣き言しか言えん下らん馬鹿な男よ」とって40年程経った去年、新聞の御悔み覧に高原某の名前が出てる。「オッ、生きとったか、死んだか」と思ったら、死んだのは父親で奴は喪主。「なんだ」と思ったが、「悪運が強いと言うか、情けない根性無しだから、ヤクザからもタマ(命)を狙われる事も無いか」と思った程。でもね、市立商業高校も何十年か経ったら県立に移行したんですよ。あのまま卒業してらら、県立高校卒業者に成ってたのにネ(笑)

・そして、田舎の高校レベルの話でゴチャゴチャと煩いが、後二つ。

⓶角中時代に居た滝本某。気が強い男で、中二の時だったかお父さんを事故で無くしたと思う。高校進学も諦める事無く進学したが、県立工業高校。この工業高校が新居浜にできた頃は、その後、創設された高専よりレベルが数段高く、入試も難しい難関校だったらしいが、私位の年代に成ると大学進学熱が強く、レベルの高い普通科への進学が強くなっていた。それにつれ、大学進学はしないのに、「良い学校へ入らないと‼」と工業高校を辞め、翌年の春、県立新居浜西高へ入った。その努力は認めるが、彼の通学路が当家の前だったから登下校時の姿を見る事が多かった。彼が2年生の頃には表情も暗く、やがては姿を見なく成ってしまった。あれから48年程経つが、彼の噂は全く聞く事は無くなった。

社会に出てみると、大学進学が目的で無い限り田舎の高校レベルの上下など、クソの役にも立たない事を思い知らされた筈だ。成る程、レベルの高い学校に行けばレベルの高い授業を受ける機会が多いのは確かだが、何度も言うが、それは大学進学に関しての話である。「田舎でも大企業に成ると、無名私立大学や有名でも短大だと高卒と同じ扱い」と言うのが、今や常識なのだ。高卒レベルで学校間格差に追われるなんて、具の骨頂だと思う。

知人に何人か居るが、愛光高校を出ただけで執筆業をしている人など、久々に会っても的確に相手の話をする御仁が居るが、こんな人が本当の頭の良い仙人のような気がする。

③ やはり角中時代の同級生の高橋某。何時も白鼻を垂らしていた男で、弟の方が多少利発であった。この母親が跳んでもハップンのクソババアで、何故か理由無く私を目の敵にしていた。そして口癖が、「良い学校を出んと、出世せんよ‼」と言う一言であった(笑)。

どうも亭主が中卒で、住友鉱山の溶鉱炉に入っていたのではないかと思う。と言うのも、昭和初期では「溶鉱炉行き」は花形の出世頭だった節がある。だから、自転車で通勤してると、「アッ、ヨコロ(溶鉱炉)行きさんじゃ」と、年頃の若き娘達の目を奪ってたと言う話も聞き及ぶ。その分だけ、この高橋某の母親も、溶鉱炉行の学歴や収入など一切の実態が解らないまま結婚してはみたものの、場所が場所だけに出世の道も限りなく0に近く、結果的に家も木造のボロボロの2DKの貸家。

それが言うに事欠いて、私に暴言を放った。丁度、高校1年生も終わり頃だったと思うが、泉中時代から朝刊夕刊を配っていた同級生と、夕刊配達中に会った。話をしながら歩いてると、高橋某の母親と会った途端、イヤ~な気分に成ったと思った瞬間、「近藤君、お父さん歯医者位しよって大きな家建てて生活が苦しいから、新聞配達して家計を助けよん?」と、人を喰ったようなヘラヘラ~とした顔で言ったのです。言われた私は一瞬、言葉を失ったが、「この新聞配達は友人のであり、ワシが新聞配達しなけりゃいけない理由は?」って聞いても、ソッポ向いて何か言よったが、訳が解らぬまま。そして後日に解った事は、高橋某は県立新居浜東高校へ行ったと言う噂は聞いたが、その後の動向は一切解らぬまま。「母息子揃って、馬鹿じゃ無いんか‼ 」と言った程度じゃ無く、本物の大馬鹿だったようで(笑)。

この四国の片田舎で、高校のレベル格差を云々する程 アホらしい事は無い。第一に少なくても愛媛県内では、私立高校と言うと公立高校の滑り止めと言う意味合いが強く、県下唯一の私立の進学校として名を馳せた愛光高校。男子校だった同校も男女共学と成り、他の私立高校も進学専門学校やクラスを作ったりもしているが、愛光の歴史に勝る高校が出ていない。その愛光高校でさえ全国レベルから言うと中の下。だがそのレベルの算出方法と言えば、東大の法学部や医学部や工学部辺りに、平均的に毎年何人ぐらい行かせられるかで決まると言うから、何かいい加減さを感じる部分もある。

私が小学校6年生の時、同級生のK君が愛光中学の受験をした。残念な事に合格とは成らなかったが、面白い話がある。受験前の月曜日の朝礼の時に、校長やら偉い先生達?の話の後、K君が朝礼台に上がり愛光中学を受ける事を挨拶させられた。おまけに、不合格に成っても朝礼台に上げられ「応援有難う」の挨拶迄させられた。こうなると、人権問題。私は子供心に違和感を感じていた。この角野地区と言うのは別子銅山発祥の礎となった地域である事から、住友関係や学業関係に対し異常な反応を示す地域であった。

例えば、地元の高校を出て住友5社に勤め、僅か7~8年かそこいらで主任にでも成ろうもんなら、その人の子供が角野小学校に通ってると、親は子供の教室へ来て同級生に挨拶をさせられたと言う珍事件が起こる地域であったから、角野小学校から愛光中学を受験となると、とんでもない大手柄なのだ。小学生時代に、こう言った歪な社会を見てきた私には当然、何もかもが歪にみえてくる。

歪と言えば、モノの分別の付いた中年の女性教師って酷いね。上記の若造の住友の主任には最敬礼するのに、自分より年上の医師や歯科医師に対しては、「〇〇さん、云々」と、自分より若い生徒にモノを言うような口をきく人がいるのにも驚いた。今でも、このタイプの教師が居るのも事実。教師は、医師や歯科医師よりも全てが偉いって言うふうに思っている節がある。私が言いたいのは、年齢や社会的環境を背景とした礼節を重んじたいと言う事である。

確かに、進学校でこれは無い高校には、学力も世の常識も無い教師が多く居るし、進学校には、それなりに優勝な教師が居るのも確かである。そして、優秀な高校の特別進学クラスの生徒も其れなりに優秀であるのも事実。で最近、身近な同業者や息子の同級生が愛光高校に入学していると言う話を聞いて、多少ビックリする事がある。「昔に比べ、愛光のレベルも下がったかな」って。

ただ、昔の愛光高校と言えば、国立一期校の医学部狙いが当然のように考えられ、後は法学部・工学部が続き、そして国公立の大学が並んでいたが、最近は有名私立の大学狙いの子供達も多い。地方の国立大学の医学部ならどこでも受かるとされていた女子高生、調べたら医学部では解剖があるから嫌だと文系に行く事に。結局、色々調べて九州大学法学部を受ける事に成ったのだが、俗に言う滑り止めに同志社を受けたのだが、滑り止めの私立同志社大学は見事、引っ掛かりもせず落ちていたと言う。その後、九州大学法学部は、色々あったらしいが合格したのだが、落ちていたら岡山大学の受験に行く予定だったと言う。では、何故、九大が受かった人が同志社を落ちたのか。その女性より優秀な学生達が同じく滑り止めとして受けていたからなのですね。合格者は、試験の点数の上位から拾っていくから、1点差2点差で順位が何十番も落ちるから、こう言った話が出るんですね。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言う話は、結果的に学校間格差に負けない努力って言う事に繋がると思うが、学校名を聞いただけで「頭が良い」「頭が悪い」と言う言動をする御仁も居るが、「頭が良い」と褒めてるつもりでも、その子の性格で逆方向に走り「頭が良いなら勉強をしなくても良い」と勝手な解釈をして勉強をしなくなるケースもあるから注意。

 

年末年始の食事情

独り住いに成ってからも、何ら変わっていません(笑)。
紆余曲折しながら、辿り付いた食事情。独り生活なら、最近のスーパーでは午後7時位から弁当や惣菜類が半額に成るから、食材を買って来て作るよりズッと安く成る。そう、ガス代・水道代・等の光熱費やら何やらかんや考えると、半額品を買った方が安いのです(笑)。
そして「今年こそ‼」と思ってたお節料理。昨年辺りから目に付く[お一人様用の御節料理]。大体どのスーパーでも1000円位で売られている。某スーパーでは昨年、一個残ってた奴が透明の蓋が指紋で真っ白。迷った挙句、やはり気持ち悪いから止めて今年に賭けたが、やはり買損りました(笑)。今度は来年の事は言わず、目に付いたら即 買いましょう‼・・・言ってしまった(笑)。
そして年末、特にXmas辺りから年末年始用食材が大量に仕入れられるから、我々 独身族は困るのです。ただ、年越し3日目前後から食材が大量に余りだすから半額処分に成るので、纒め買いに走ります(笑)。それを冷凍保存するので、時々、冷凍庫ばかりか冷蔵庫にも食材が入らなく成る時がある。
これが毎年の年末年始に繰り返される食事情です。

 

七草の謹賀新年

正月の挨拶も、一週間も経ってから・・・何時もの事ながら、色々あって(笑)。

今年の正月は、本谷温泉で午後から半日は湯治のあと、床暖房の入った畳の間の休息室でシュラフに包まって中途半端な寝正月をやろうと思っていたが、氏神さんの初詣から予定が狂っている。

大体が、12月31日の23時55分位には氏神さんの浦渡神社の神前に行き、一日の深夜零時の除夜の鐘が鳴りだして始まる神事でお祓いを受けるつもりが、余りの寒さと眠たさで中止。元旦の午前7時過ぎにお参りに行き、隣の隆徳寺が菩提寺だからお参りに寄り、そのまま西条の施設へ母親を見舞いに行き、ついでながら子安大師・香園寺へお参りに行き、そして出雲大社土居教会へお参りをし、最後は観音寺の琴引き八幡宮へお参りに行きました。結局、湯治目的で本谷温泉へ行く予定が、神社仏閣の梯子をやってしまったと言う次第。

何時も思う事だが神社仏閣も梯子したりすると、神さん仏さんの喧嘩に成ると言うが、この話は完全なる人間の感覚で作った話だと思う。キリスト教系の宗教戦争なんぞも、人間が神さんの名を借りてやった代理戦争の極みだと思う。

本来、神とか仏と呼ばれる方は一人の筈。余裕を持たせてもそんなに居ないと筈。そして身体の実体は目に見えない筈のもので、人間が自分達に都合の良いように、人間に似せた身体を神や仏に持たせたと解釈しちいる。近年、「この大自然のエネルギーこそ神であり仏である」と言われる方が増えたが、大正解だと思う。何故なら、それを証明する科学理論が確立されて無いから、憶測でしかない。かと言って、それを否定する科学的理論も確立されて無いのだ。

こうなると堂々巡りと成るが、感情的に成らず色々な現象を積み重ねて理論化できれば、今で言う科学と認められる事にもなるのです。

 

「嘘吐き」「逆ギレ」

此処ん処、どうでも良い内容で生臭い話が続きますが御勘弁を。
生院長の私を知ってお付き合いして下さってる人の多くは、私の性根を知って良い方向で付き合って下さってる場合が多いが、現在は非常に少なく成ってるが、陰で人権無視の嘘で固めた悪い評判を故意に流してる輩も何名か居る。実は、名前も解っている。例えば、「私は変わり者?」「変わり者は頭が悪い?」の項の川村母子のように‼ 多くの場合、事実に尾鰭を付けて面白可笑しく言うケースが多いのだが、全くの嘘や事実を歪曲して自分が唯一正義の味方面して、「本当に殺してやろうか!!」と思う位に言ってる奴が沢山居る。そして、私の名誉の為に、嘘を言って無い事実として、相手の実名を出します。

①JR新居浜駅前で[愛心治療院]をやってた高橋某。原因は知らないが、既に亡くなっている。歳は私よりズッと上だったが、鍼灸師免許を取ったのは、私より1年後。学校も同じ高松にあった専修学校。

●私が1年生の終り頃、高橋某が鍼灸学校へ来て受付で話している。「早目の入学志願者か」と思いつつ、教室に戻ろうとしたら校長に呼び止められた。「この男、当校へ入りたいと新居浜から来たらしいが入学試験はまだ先。授業を聞きたいというが入学してからにしてくれと言ったが聞き分けない。なら、高松市内のアパートに住むと言いだしたんで、お前が面倒みてやってくれ」と言う。此処で厄介者を引き受けてしまった。そして翌春、厄介者が入学。結局、私が卒業する迄の残り2年間、祟られ通しで何度も殴り合い寸前のところまで行きましたよ。時には、「オドレ、喧嘩売りよるんか‼」と殴り掛った事も何度か‼ この時、高橋某の同級生ジジイ曰く、奴は高校時代にボクシングをしていたらしく、どうりで強気の態度を取る筈。で、私と言えば高校時代に空手をやってたと言う話。

●それから何十年か経った頃、治療中の患者から「先生、鍼灸学校に入る時に、愛心治療院の先生に随分と世話になったんだってね~?」「誰が言よった?」「愛心の先生が、学校入学からアパートの世話まで、歯科の息子の世話をしたって、自慢げに言ってましたよ」「それって何時?」「つい、この間」「それって逆‼ 私が世話した方」「それはウソだと思う」「そこ迄 言うなら、私の名誉の為に言わせて貰う。奴の免許取得年月日を見せて貰って!! 免許取得年月日をを見たら、私の方が1年早い。私が校長の言いつけで奴のアパートの世話をしたのは事実だけどね」と言うと、患者は黙ってしまってそのまま来なくなった。多分、愛心・高橋に言われて様子を見に来た筈なんですよ。その後、全く違うルートで当院の内情と私の腕を調べにきた市内の治療院の経営者も何名か居る位だから(此れも何故か高橋姓)(笑)。

●そして患者さんが言った「私が愛心の院長に世話に成った・・云々」と言う話が、新居浜市鍼灸師会の会長夫妻からも聞く事になった。たまたま役員会で会長宅に行ってた時、たまたまその話が出たのだが、それも患者から聞いた内容と全く同じフレーズで話が出たから、「先日、ウチへ治療に来た患者も同じ話を同じように言ったから、否定して説明したんだよ。今回も同じフレーズで会長から話が出たと言う事は、高橋は[私は歯医者の息子を鍼灸学校へ入るのを世話した大物]とでも言いたかったんだろうが、アレは彼奴が学校へ入学する前の年に、校長からアパートの世話をしてやってくれと頼まれてしただけ」。ところが会長嫁が頭っから私の話を信じず、「あの人はそんな事を言って無かった。アンタの世話をしたと言ってた」と愛心・高橋の嘘吐きを庇ったから、「ならよ~、鍼灸免許の登録年月日を確認してみな。俺の方が1年早い。と言う事は、彼奴がワシの後輩で、世話に成ったのは彼奴なんだよ‼」と言うと、会長嫁は苦々しい顔をしてたっけ(笑)

●間もなくして市鍼灸師会の総会が開催された。珍しく船木のK一人が来て無いだけで全員出席。会長挨拶から、一年間の収支決算や何やからが一通り発表され、何の質問も発言も無かった事から、会長から「では、本日の審議は終わり懇親会と成りますが、役員の先生方、特に審査の先生方から何か御座いませんか」と出たので、これ幸いと手を上げた。そして指名があったから、

「審査上の事では無いんだが、人権問題になりかねん発言があったんで一つ。高橋さん‼、アンタ、誰彼構わず近藤歯科の息子が鍼灸学校に入るのに、私高橋が学校の世話からアパートの世話迄 色々としてやったと吹聴してるんだが、そりゃ逆だろう‼ ワシが1年の終わり頃にアンタが学校へ来てグズグズ言ってた所へワシが通り掛り、オマエに手を焼いていた校長からオマエのアパートの世話をワシが頼まれたのを、よもや忘れたとは言うまい‼ オマエが学校に入ってからも、散々オマエに迷惑を掛けられ何度か殴り合い寸前まで行ったのを忘れた訳ではあるまい‼ 挙句、何時の間にやら歯医者の息子と言う名の付いたワシを後輩扱いして、大物ぶった言動が気に入らぬ‼ この話、治療中の患者の口から直接聞いた後、会長の夫婦からほゞ同じフレーズの話を聞いた位だから、お前の嘘吐きは明白‼ワシを後輩扱いしたいなら、鍼灸の免許証の登録年月日がワシのより早いヤツを見せてみな‼ 無理じゃろう‼ 何とか言ってみろ‼」

と言ったが、その場では何の発言も無く、高橋の嘘を聞いて知っていた連中も居たらしく、重苦しい空気のまま懇親会が進み、やがて二次会へ。

●二次会は、会長宅の隣のスナックが定宿だ。ワイワイとやってる内に私は会長の嫁とデュエットで歌ってると、マスターが「危ない‼」と叫んだから振り返ったが何もない。続けて「危ない‼」と来たので、右方向へ振り返ると、目の前の拳が飛んできた。反射的に首を左方向へ避けたが、眼鏡が跳ね飛ばされ右こめかみがが拳で擦られた。愛心・高橋が現役のボクサーだったら、こめかみを擦られただけで気絶してただろう。

本来、こう言った何等かのトラブル的事態が起こると、必ず「近藤さん、何をしよん‼」とか「何を言よん‼」とか、理不尽に私が罵倒されるんだが、今回は皆の目の前で私には理由無く突然、私が[いわゆる殴られた]のだ。一番理不尽発言の多い会長奥の悲鳴だけが聞こえたと言う次第。だって今の今迄、ディエットで唄てただけに、何も要らぬ事や言った訳でもないからだ。

所謂、殴られた私はどうしたか。ふと右隣を見ると、愛心高橋は私に背を向けノウノウと座っている。私は座っていたカウンター椅子を避け、愛心高橋の後ろに回ると全体重を後頭部に向けて叩き付けた。多少 抵抗するかなと思ったが、両手を前に伸ばし顎をカウンターに乗せて大人しい。そのまま頭に何発もパンチを喰らわせ、毛を摘まんで殴りました。「このままだったら、此奴を殺し兼ねんな」と思い始めた頃、隣に座っていた会長が、「お前等、何しよんぞ」と惚けた声をだした。「このクソガキが、理由無く私に手を出し腐って‼」と言うと、「ワシらも見とったが、いい加減にしとかんと、殺してしまうぞ」と言う一言で、我に返った。

愛心・高橋は割れたコップで何か所か切って居たのを、何人かが傷バンを張っていたので、「このまま居たら、まだやりそうだから帰るわ」と言って先に家路についたんだが、此れで愛心高橋に迷惑を掛けられ、学生時代から殴り合いに成る寸前のトラブルの決着が着いたように思った。

愛心・高橋は、総会時に会員の前で自分の嘘を暴露され、恥をかかされて嘘で固めたプライドをグシャグシャにされた腹いせで、ボクシングをやってたと言う事もあり、私が空手をしてた事を知らずに手を出し、反対にボロボロにされたと言うオマヌケ状態だったのです。でもね、さすがボクシングをやってただけに、斜めからのジャブがコメカミ当たっただけで翌日は一日しんどかったですよ。

翌年、再び二次会が行わたが、会長からも何か言われてたのか変に大人しい。私は騒ぎを避けて、ボックス席で若い衆と飲んでると。酔った愛心・高橋がグズグズと何かを言いに来たが、目触りと言う事と周囲の若者達が怖がり酒が不味くなる。何度目か来た挙句、結局、昨年の暴力事件の再来と成らない内にと、嫁さん読んで帰らせたと言う事で終いだが、その愛心・高橋が死んだと言う話を何年も経って聞いた程。仮に聞いても、葬儀には行かなかった。それ程、迷惑していたのです。

 

タイム・スリップ?

此処何年か、ご近所さんの生活音が非常に少なく成っている。まるで、当院だけがタイム・スリップでもして、人も住んで無いような荒野にでも流されたのではないかと思う程(笑)。

例えば数年前迄の祭り前には、御近所で子供達が吹く笛の音が聞こえ、練習している太鼓の音が聞こえ、人々の騒めきも随分と聞こえていたが、気が付いたら治療室に付けてるラジオ代わりのテレビの音と、治療器の音と、患者さんの数少ない言葉とイビキ(笑)だけとか。
その日常の生活音自体が減り、御近所の車のドアの開閉音と走り去るエンジン音のみ。人の気配がまるで感じられない。
昼休み時間帯、近所の大型スーパーへ散歩がてらフラッと出掛ける事があり、又、仕事が終わって晩飯と翌朝の御飯に昼飯を買いに出掛けるのだが、午後7時を過ぎると客足が減っているし、昔なら考えられなかった背広姿のビジネスマンが名札を付けたまま買い物籠をさげて晩飯&朝飯を買ってる姿。何を買ってるか見てると、肉じゃがや豆腐や御漬物や生野菜など、色々な食材を満遍なく買っている。昔のビジネスマンの場合、丼物や巻き寿司やらが多かったように思うのだが。
それに、最近は午後7時辺りを過ぎると弁当や惣菜類が半額に成る。店屋物ばかりと言われそうだが、これが随分と助かるのです。食材費+燃料代+電気代+諸々の費用を考えると、一人分では無駄が多過ぎる。半額処分品を買った方が得。ある程度安く成るのは2~3人分以上を作る場合に限られる。この辺り、一人住まいの患者さんが計算し,物にも因るが先程の2~3人分以上と出たらしい。

店屋物の場合、添加物が多過ぎると言われるが、天然素材と言われる物も随分と天下されているのです。以前にも書いたが、葬儀屋さん曰、「最近の御遺体は腐敗しにくく、ドライアイスの使用量が少ない」と言う。理由を聞くと「食材に含まれる保存料が原因」と言う話。

 

走る競技は苦手だが

生まれもっての鈍足に加え太目の体型が相まって、自慢じゃないが足は遅い。ところが48年前の高3の時に、色々とあって奇跡的な事が起こった。走る競技とは言っても[俵運び](笑)。一番手で走るのは嫌いで、二年生に任せた。

スタートしたは良いが、我が後輩はドンケツであり半周以上開けられてのチェンジなのよ。だって、俵は肩に担いで走らないと駄目なのに、ダッコチャン・スタイルでやったから遅く成って当前。俵を受け取った時、後輩が「砂が漏れてる」と言ったが「構わんよ」と言って走り出したのだが、いま考えると反則かも(笑)。でもね、前を走ってる選手に追い付く事しか考えなかったから、鈍足で走りました。コースは一周400m。これで、少なくても、半周以上空いた相手に追い付かないとダメ。要らぬ事を考える暇は無い。だって走るには致命的な鈍足なんだから、前を見て走るのが精一杯。だが、前を走る選手の背中が何故か近寄ってくる。見ると、前の選手がダッコチャン・スタイルで走ってるから遅いのだ。私の時と状況が全く逆‼「やった~‼」と思いながらラスト・スパートと言ってもスピードは上がら無い(笑)。
やがて残り1/5頃と成った頃は、私のチーム席前近くだ。丁度チーム席の前近くで追い抜いたんだが、その時、チーム席では、固唾を飲みながらも、追い抜き状態の私を見ながら「ワッセ~、ワッセ~」の声で応援して居たのだ‼ 前の選手と並び追い抜いた瞬間、声援が悲鳴に代わり太鼓が叩かれ、ドラム缶が叩かれ、ドン尻脱却争いが、まるで優勝したかのような大騒ぎに成っていた。こう言う団体競技ってさ、順位が1番違うと得点が何点も変わるから、接戦チーム同士の争いとなると、大騒ぎ以上になるんですね。今回の大騒ぎの元が、考えてみると私(笑)。

ゴール地点で俵の受け渡しをした後、最下位を脱出した事で安心してレースの成り行きを見ていると、私のチームの俵から黒い粉が落ちている。「あれって、詰め物の砂と違うか?」と言う声が上がったが、大会責任者からは中止の声が出ない。出ないどころかレースは続けられ、結果的に私のチームが優勝したのだ。それも、私の走った後の選手が全員一人づつ抜き去り、アンカーが空になった俵の袋を担いで他チームのアンカーを追い抜いて優勝したのだ。当然だが、特に2位3位辺りのチームが納得する筈が無い。

再試合を申し出る者も居るし、記録を抹消する提案を出す者も居る。兎に角、重い俵を担いで走った者から言えば、少なくても俵運びで、[アンカーが空の俵を担いで優勝]と言う前代未聞の事実が許されぬ。当然だろう。その裏には、委員会始め色々な事があったようだ。

音楽関係以外で特に運動音痴で有名な私が、最下位から優勝へ導いた働きをした分だけ、校長や教諭や生徒会などの運営委員会が「あの近藤が‼」と言う一言で納得させたらしいと言う話もあったようだ。高校卒業後、三月下旬まで学校に出入りしていた事もあり、色々な話が耳に入ったのも事実である。何にせよ、鈍足の私が走る競技で名前が出ると言うのも、学校行事の一環の運動会での話である。何となく、真偽の程は解らぬがコソバユイ話ではある。