Archive for 1 月 11th, 2019

馬鹿は死ななきゃ治らない(笑)

私は二か所の中学校へ通っていた。一つ目は角野中学校(角中)、二つ目は泉川中学校(泉中)。

①「此奴は、本物のバカ‼」と思えるのが、泉中時代の高原某。私が角中から泉中へ転校してから色々と付き纏っていたが、何を思ったか何かに付け私にグズグズと私に対してコンプレックスに塗れた文句を言いだした。それも、クソの役にも立たないどうでも良い事で。

例えば、私には笑窪があるのだが、それを指して「お前のなんか笑窪じゃあるか‼」と言い、「こんなのを笑窪って言うんじゃ‼」と言って、頬に大きな窪みを作ってるのだ(笑)。思わず笑いながら「それこそ、笑窪と違うやで~」って言うと、「お前、喧嘩売りよるんか‼」と逆ギレする。この当時、悪いがこのタイプのクソガキが多く、自分が喧嘩を売っといて、言い返されたら「お前が喧嘩売った」と言い掛かり的に言う連中だ。
アホらしくて相手するのも面倒臭く成り放っておくと、今度は「彼奴が県立の普通科高校へ行けるのに、ワシが何で市立の商業高校なんぞ‼」と喚きだした。そんな姿を見てる内に、高原某が哀れに成りだしたが、どう言っても収まる筈も無い。そのまま月日が流れそれぞれが高校へ進学したのだが、当家と泉中と市立商業高校は近いため、高校生になって何度か学生服姿ですれ違った事があるが、その内に見受けなくった。その後、高校を辞めたと言う噂が飛び交ってるのだ。その後、本当に高校を辞めヤクザの使い走りをしてる話を聞いた。「あの根性で、ヤクザに成る積りなの?」って腹で笑ってたが、噂が噂を呼び動向が見えない内に噂が消えた。

てっきり、余りのバカさにヤクザに消されたと思ってたら、高校時代に付き合いのあった連中が、私を初めとする学生の長期休暇に飲みに誘いに来るので、ボチボチと付き合ってると、市内の小さなシュ〇〇ってスナックでママさんに聞かれて驚いた。「高原って男、知っとる?」と。「知ってるが、彼奴がどうした?」と聞くと、「彼奴が県立に入ったのに、ワシは市立に入れられた‼ 彼奴が県立に入れるなら、ワシも入れたのに‼」って、飲みにくる度に喚いてるらしかった。「放っとけよ。県立に入れなかったからと言って、私の性にして足を引っ張ってどうなる。悔しかったら、市立商業を辞めたんなら、そのまま県立でも市内で一番レベルの高い西高へ行けば良かったのに。それも出来んで、泣き言しか言えん下らん馬鹿な男よ」とって40年程経った去年、新聞の御悔み覧に高原某の名前が出てる。「オッ、生きとったか、死んだか」と思ったら、死んだのは父親で奴は喪主。「なんだ」と思ったが、「悪運が強いと言うか、情けない根性無しだから、ヤクザからもタマ(命)を狙われる事も無いか」と思った程。でもね、市立商業高校も何十年か経ったら県立に移行したんですよ。あのまま卒業してらら、県立高校卒業者に成ってたのにネ(笑)

・そして、田舎の高校レベルの話でゴチャゴチャと煩いが、後二つ。

⓶角中時代に居た滝本某。気が強い男で、中二の時だったかお父さんを事故で無くしたと思う。高校進学も諦める事無く進学したが、県立工業高校。この工業高校が新居浜にできた頃は、その後、創設された高専よりレベルが数段高く、入試も難しい難関校だったらしいが、私位の年代に成ると大学進学熱が強く、レベルの高い普通科への進学が強くなっていた。それにつれ、大学進学はしないのに、「良い学校へ入らないと‼」と工業高校を辞め、翌年の春、県立新居浜西高へ入った。その努力は認めるが、彼の通学路が当家の前だったから登下校時の姿を見る事が多かった。彼が2年生の頃には表情も暗く、やがては姿を見なく成ってしまった。あれから48年程経つが、彼の噂は全く聞く事は無くなった。

社会に出てみると、大学進学が目的で無い限り田舎の高校レベルの上下など、クソの役にも立たない事を思い知らされた筈だ。成る程、レベルの高い学校に行けばレベルの高い授業を受ける機会が多いのは確かだが、何度も言うが、それは大学進学に関しての話である。「田舎でも大企業に成ると、無名私立大学や有名でも短大だと高卒と同じ扱い」と言うのが、今や常識なのだ。高卒レベルで学校間格差に追われるなんて、具の骨頂だと思う。

知人に何人か居るが、愛光高校を出ただけで執筆業をしている人など、久々に会っても的確に相手の話をする御仁が居るが、こんな人が本当の頭の良い仙人のような気がする。

③ やはり角中時代の同級生の高橋某。何時も白鼻を垂らしていた男で、弟の方が多少利発であった。この母親が跳んでもハップンのクソババアで、何故か理由無く私を目の敵にしていた。そして口癖が、「良い学校を出んと、出世せんよ‼」と言う一言であった(笑)。

どうも亭主が中卒で、住友鉱山の溶鉱炉に入っていたのではないかと思う。と言うのも、昭和初期では「溶鉱炉行き」は花形の出世頭だった節がある。だから、自転車で通勤してると、「アッ、ヨコロ(溶鉱炉)行きさんじゃ」と、年頃の若き娘達の目を奪ってたと言う話も聞き及ぶ。その分だけ、この高橋某の母親も、溶鉱炉行の学歴や収入など一切の実態が解らないまま結婚してはみたものの、場所が場所だけに出世の道も限りなく0に近く、結果的に家も木造のボロボロの2DKの貸家。

それが言うに事欠いて、私に暴言を放った。丁度、高校1年生も終わり頃だったと思うが、泉中時代から朝刊夕刊を配っていた同級生と、夕刊配達中に会った。話をしながら歩いてると、高橋某の母親と会った途端、イヤ~な気分に成ったと思った瞬間、「近藤君、お父さん歯医者位しよって大きな家建てて生活が苦しいから、新聞配達して家計を助けよん?」と、人を喰ったようなヘラヘラ~とした顔で言ったのです。言われた私は一瞬、言葉を失ったが、「この新聞配達は友人のであり、ワシが新聞配達しなけりゃいけない理由は?」って聞いても、ソッポ向いて何か言よったが、訳が解らぬまま。そして後日に解った事は、高橋某は県立新居浜東高校へ行ったと言う噂は聞いたが、その後の動向は一切解らぬまま。「母息子揃って、馬鹿じゃ無いんか‼ 」と言った程度じゃ無く、本物の大馬鹿だったようで(笑)。

この四国の片田舎で、高校のレベル格差を云々する程 アホらしい事は無い。第一に少なくても愛媛県内では、私立高校と言うと公立高校の滑り止めと言う意味合いが強く、県下唯一の私立の進学校として名を馳せた愛光高校。男子校だった同校も男女共学と成り、他の私立高校も進学専門学校やクラスを作ったりもしているが、愛光の歴史に勝る高校が出ていない。その愛光高校でさえ全国レベルから言うと中の下。だがそのレベルの算出方法と言えば、東大の法学部や医学部や工学部辺りに、平均的に毎年何人ぐらい行かせられるかで決まると言うから、何かいい加減さを感じる部分もある。

私が小学校6年生の時、同級生のK君が愛光中学の受験をした。残念な事に合格とは成らなかったが、面白い話がある。受験前の月曜日の朝礼の時に、校長やら偉い先生達?の話の後、K君が朝礼台に上がり愛光中学を受ける事を挨拶させられた。おまけに、不合格に成っても朝礼台に上げられ「応援有難う」の挨拶迄させられた。こうなると、人権問題。私は子供心に違和感を感じていた。この角野地区と言うのは別子銅山発祥の礎となった地域である事から、住友関係や学業関係に対し異常な反応を示す地域であった。

例えば、地元の高校を出て住友5社に勤め、僅か7~8年かそこいらで主任にでも成ろうもんなら、その人の子供が角野小学校に通ってると、親は子供の教室へ来て同級生に挨拶をさせられたと言う珍事件が起こる地域であったから、角野小学校から愛光中学を受験となると、とんでもない大手柄なのだ。小学生時代に、こう言った歪な社会を見てきた私には当然、何もかもが歪にみえてくる。

歪と言えば、モノの分別の付いた中年の女性教師って酷いね。上記の若造の住友の主任には最敬礼するのに、自分より年上の医師や歯科医師に対しては、「〇〇さん、云々」と、自分より若い生徒にモノを言うような口をきく人がいるのにも驚いた。今でも、このタイプの教師が居るのも事実。教師は、医師や歯科医師よりも全てが偉いって言うふうに思っている節がある。私が言いたいのは、年齢や社会的環境を背景とした礼節を重んじたいと言う事である。

確かに、進学校でこれは無い高校には、学力も世の常識も無い教師が多く居るし、進学校には、それなりに優勝な教師が居るのも確かである。そして、優秀な高校の特別進学クラスの生徒も其れなりに優秀であるのも事実。で最近、身近な同業者や息子の同級生が愛光高校に入学していると言う話を聞いて、多少ビックリする事がある。「昔に比べ、愛光のレベルも下がったかな」って。

ただ、昔の愛光高校と言えば、国立一期校の医学部狙いが当然のように考えられ、後は法学部・工学部が続き、そして国公立の大学が並んでいたが、最近は有名私立の大学狙いの子供達も多い。地方の国立大学の医学部ならどこでも受かるとされていた女子高生、調べたら医学部では解剖があるから嫌だと文系に行く事に。結局、色々調べて九州大学法学部を受ける事に成ったのだが、俗に言う滑り止めに同志社を受けたのだが、滑り止めの私立同志社大学は見事、引っ掛かりもせず落ちていたと言う。その後、九州大学法学部は、色々あったらしいが合格したのだが、落ちていたら岡山大学の受験に行く予定だったと言う。では、何故、九大が受かった人が同志社を落ちたのか。その女性より優秀な学生達が同じく滑り止めとして受けていたからなのですね。合格者は、試験の点数の上位から拾っていくから、1点差2点差で順位が何十番も落ちるから、こう言った話が出るんですね。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言う話は、結果的に学校間格差に負けない努力って言う事に繋がると思うが、学校名を聞いただけで「頭が良い」「頭が悪い」と言う言動をする御仁も居るが、「頭が良い」と褒めてるつもりでも、その子の性格で逆方向に走り「頭が良いなら勉強をしなくても良い」と勝手な解釈をして勉強をしなくなるケースもあるから注意。