Archive for 5 月 11th, 2019

【笑 劇(しょう げき)】①

子供達が小さい頃、随分と楽しい出来事があった。だが反面、随分と悲しい辛い事もあったが、この項では順不同で楽しかった事を列挙してみました。

①平成元年産まれの息子が中学生の頃だったか、何処かへ行って、帰りは珍しく高速で帰ってきた(笑)。そして新居浜ICで降りようとしたら、「請求金額欄には400円」と出ているのに、職員の女性が「450円です」と言った事から、此方は家族連れだし後続車も無かったから、悪戯が始まった。職員の女性が、「済みません、400円です」と訂正したが、「お姉さん、この運転手(私の事)、生意気そうだし顔も怖いから、余分に取ってやれって思ったろ?」。職員さんも暇だから、ニコニコしながら相手をしてくれた。「いいえ、それは無いです。単なる言い間違いです」「私、思わずコリャ、やられたかなって思ったよ」って言うと、助手席に居た息子など手を叩いて足を鳴らして大笑いしてるわ、後部座席の女親子は手を握り合って大笑いしている。それにつられて、私も職員さんもつられて大笑い。やがて後続車が来たから挨拶をして別れました。

⓶私の悪戯好きが災いして、家族も結構 悪戯が好き(笑)。で、レオマ・ワールドが潰れる前、息子の年齢と身長の関係で乗れなかったアトラクションが幾つかあったので、再開した時にリベンジで行く事に。ただ久々の再開だから早朝6時には出掛けないと、駐車場には入れないのは解ってる。しかし女房など「7時出発で間にあう」と言い、結局は7時半発。間にあう事は無いのは解ってたが出発したが、案の定、駐車場まで2㎞と言う所で完全に車の動きは止まった。最後に「トイレに行きたい」と言い出したが、「私の言葉を無視してこう成ったんだから、知らない」と言う話に成り、すったもんだの挙句、早期に私が言いだした「方向を代える」事に成り、急遽、近くの[国立まんのう公園]へ。

まんのう公園では、昼飯前の事もあり閑散としている。駐車場に車を停めると、まずはトイレに。そしてランチ・レストランへ。家族は何か食べると言うが、何故か私は欲しく無い。文句を言われながら「ソフトク・リームでも食べるわ」って事で一悶着。何故なら気に入らぬ事が合ったら、私は家族と歩調を合わせず何も食べない。面倒臭く成り、勝手にソフト・クリームを買い食べながら駐車場へ出ると、綺麗なべべ着た年寄り達がゾロゾロと出てきた。様子、特に顔向きから、完全にトイレ。おまけに我々と同じく、レオマ目当てで来たが入れなかった人々(笑)。何故なら、綺麗なオベベでまんのう公園へ来る筈は無い。そして、最初からまんのう公園目当てなら、弁当やお菓子や簡単な遊具や敷物を持って来てる筈だから、それらを持って無い人はレオマ目的の人(笑)。

食事をしている家族の所へ行くと、その報告(笑)。衝動にしても、まんのう池の職員達も、レオマ行きが回ってくるのは計算違いだったらしく、既に売り切れのメニューも。そして食堂も込みだす頃には我々は他へ移動。

まんのう公園では、花の散策や散歩が主だったが、喉が渇くし何かを食べたい。東屋的な建物の売店があったので各々好きな物を買い、近くのベンチに座ると食べだした。だが大柄な私は荷物で座る場所が無い。仕方なく立ったままハッカ菓子を開けようとすると、1歳チョイ位の男の子が、ヨタヨタと器用に歩きながら私の方へ歩いて来るではないか。「保護者~保護者~」と言いながら辺りを見渡すと、売店にお腹の大きいお母さんらしい人が此方を向き、支払い前のお菓子と飲み物を置き此方へ来ようとしたが、私と目が会った途端、会釈をしながら会計へ。それだけで結局、預けられたんですね(笑)

その間、息子は「オヤジ~、小さい子が来てるから踏み潰すなよ~」と言ってるし、女連中も「お父さんの顔見て、泣くとか引き付けるとか」って笑ってる内に。子供は私の足元に来ると「抱っこ」と言う感じで手を伸ばし、私に抱かれようとする。家族は戦々恐々と観ながら、「サア、子供が手を出した~」と実況中継風。そのままだと危ないので、黙って抱っこして「保護者~保護者~」って呼んでも誰も来ない。子供も抱かれ具合が違うから無理矢理おりようとする。その内、我が子が居ない事に気付いた父親が慌てて走り寄ると、誘拐犯から子供を奪い取るようにして逃げて行きましたよ(怒)。挨拶も無しに(怒)。そしてお腹の大きなお母さんが会計を済ませ、一部始終を見てたから、笑いながら何度も会釈しながら家族の元へ。

そのお母さんから言わせたら、大きくなった子供達と4人家族がまんのう公園へ遊びに来て、お菓子と飲み物を買ってワイワイとやってる姿をみてると、我が子が父親と間違って知らない私に抱かれた姿も見て、逆に安心感が湧き幼子を私に託したのではないだろうか。大人の様子を見ていると、子育ての経験が無い男性と、子育てに参加していた男性は、見る人が見れば解るのです。

その幼子を抱いてる間も息子がチョッカイ出すんで、笑いながら文句を言ってたから、上手くいってる家族の姿を見たんではないだろうか(笑)。今では、家族に捨てられての独居ジジイなんですけどね(笑)

③[入学式の思い出*何処の組のモンぞ]の項も呼んで下さい。

④高速道路の高知道に、「笹ヶ峰トンネル」と言うのがある。そのトンネルの上には、恐らく地元の人しか知らないだろう「笹ヶ峰隧道」と言うのがある。息子が小学生高学年頃だったろうか、夏休みに何処へも行けなかった事から土曜日の夕方から高知方面へ遊びに行った。喜んだのは子供達。親同伴公認の夜遊びが出来るから。

ついでに、夜中故、道路が空いてるから普段は通らない道路を使った。その途中に笹ヶ峰隧道があったんですね。それも風が吹き、13日の金曜日のジェイソンが出てきそうな雰囲気。トンネルの入口まで行って、ヘッドライトをハイビームにしてみたが、トンネル途中までしか明かりが届かず、向こうの方に出口が見える。灯と言えば、付いてるのが解る位の薄暗いのが2つか3つ。Uターンして帰るにも不気味である。迷った挙句、突破を決意(笑)。

ヘッドライトをハイビームにし、四輪駆動に切り替え、安全の為に持って来ていた防水の大型懐中電灯6個を一人2個ずつ持たせ、点灯させたら窓の外を照らすよう言い付け、ルームランプを2個とも付け、ユックリ走り出した。対向車が来たら困る道路幅だが、トンネル途中に行き違い用の場所がある。そこまで行くと、全員が「オォ~」と声が出たが、まだ続きがある。出口近くに成り、外の空気を吸いたくなり窓を開けトンネルから出た瞬間、ミミズクが飛び、子狸が山側から道端の土の水路に落ち、車の前を後ろを何度も振り向きながら走っている。女房は「お父さん、狸の子を踏まないでよ」「踏んでも、肉が無いから食べられない」と言ってると、娘曰く、「自然の営みを沢山見て、涙が出る」ってさ。完成の強い子じゃ。で、終り。

此処で情報を一つ。YouTubeに、この笹ヶ峰隧道を走ってる動画が入ってます。丁度、私達が走った逆コースだが、当時の思い出を再現してくれる。それも、微妙なスロー再生してるから、見応えがありますよ。

 

この歳になり 気付く事

若かりし頃、大人達から注意されていた事は、理屈で解っていても実行できない事ばかりだったように思う。結局は理解しようとしなかったから、解って無かった事になる。それが歳を取り、子供が産まれ、やがて孫が産まれ、俗に言う平均年齢と言う訳の解らぬ余命宣告みたいなモノが心の中を支配していく。

83歳半で逝った親父は、80歳頃から「死」と言う概念に異常に忌み嫌いだした。墓参りに行って皆が拝んでいても、墓に一番近い所に立たせていてもクルッと墓に尻を向け、「皆、信心深く成って」と、ヘラヘラと笑っている人だった。
ある年、1月2日が命日だったから何回期かで寺へ行って墓前で拝む事に成った。天気が少々悪く、雪花が舞っている。読経が始まる前に、気を利かせた住職が言った。「寒いから、年寄りは本堂へ行って待って下さい」と。だが、誰も動こうとはしない。その内、皆さん顔を見合わせて笑いだした。住職もつられて笑いかけた。何故なら、参列者の多くどころか、若者と言えるのは我が娘と息子だけ。とうとう皆で吹きだした。その時、姉が言った。「誰も、自分が年寄りと思って無いみたい」と。その一言で住職は笑いながらも気を取り戻し、儀式は無事終わりました。

で、話を戻すと、現在の日本人男性の平均寿命は83歳位だったか。今、治療院を直しているが私は今年67歳。平均寿命まで16年程。長生きしても90歳と考えても23年。「直すだけの価値があったか?」と聞かれてると、「無い」と答えるしか無い。理由は、女房は今治の実家を相続して修理して、悠々自適に一人住まいしている。娘は、地方公務員に成り国家公務員の旦那と子供と埼玉で生活しているし、息子は横浜の結構大きな企業に就職したらしいが、その後、私とは音信普通。

だから、今の家を直しても相続する者が居ないから、現状で売るか壊して更地で売るかしかないのである。まだまだ体力の残ってた時期、中古住宅を買ってリニューアルし、現在地は丸々月極の駐車場にしようとも考えたが良い所が見つからず、リニューアルの方向へ。

建物が順次壊れていくのを見て、初めて親父の偉大さが解ったような気がする。その親父がまだ若かった頃、「お父さんの言ってる事は、年取ったら解るし、感謝する気持ちにも出来る」と言う意味の事を言ってたが、ソックリではないがその通りのような気がする。

歳を取り、まだまだ解って無い事も多いが、死ぬまでにどこまで解るか。解脱から悟りへ、まだまだ先のような気がする

 

予知能力

こんなタイトルを書くと、「また変な超能力的な話を持ち出して」って言われそうだが以前、書いた「正夢」も一種の予知能力。元々、特別な能力では無く、科学の発達してない頃に大自然や色々な驚異から身を守る為にも、ある程度、それらを予測する力が必要であった筈。
人間が石とか木が武器として使える事を知り、やがて火を使う知恵を持った頃から知能が飛躍的に伸びたと言う。そして、予知能力が減ったとも言われる。
現代でも、何か新しい知識なり技術なりで行き詰ってもある時、閃き以外のモノで解決できると言う。人間楽すると、予知能力を含めて色々な能力が隠れて楽をしてしまう。そして、何かの時にそれらの能力が顔を出す。

若かりし頃、家族の間で何か揉め事があって揉めに揉めていた時、側で話を聞いてた私は口を挟んだ。「それって、×××」と言っても、「何も知らん子供が何を偉そうに‼」って聞く耳を持たなかったから、黙って放っておくと、時間が経って何故かみんなが私を避ける。理由を聞くと、大人達が誰一人知らず、知らない筈の私が言った事が解決の道筋を確実に言い当てたのだ。そう言った事が度重なると、「貴方が言ってるんだから、多分、そうだろう」と言う事になる。時には外れる事もあるが、問題無い所で少々歪んでる事もある。

こう言った能力、私なんか随分と低い方だし、体調なんかで気紛れ的に出たり引っ込んだりする。もう少し、安定した出現をしてくれたら良いのだが。