Archive for 6 月, 2019

愛用の携帯電話が死にました。

26日の朝、携帯電話のアラームで目を覚ました。アラームを止めようと蓋をオープンにすると、画面が真っ暗‼ ついでに頭が真っ白に‼
どんなにしても、画面が回復しない。設定していた時間のアラームは鳴るし、掛ってきた電話は受け答えができる。結局は本体から画面を繫いでいる線の断線と思い、昼休み時間帯に携帯ショップに行くように予約。1時間程で新しい電話が手に入ったが、画面が真っ暗だからデーターを移せない、結局、置いてた古い携帯から抜いたが、完全じゃない。
色々としてたが中々進まない。ある程度使えるように成るまで、皆さんには御迷惑を掛けます。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】㉓「がんと命 メッセージ」

2019年(令和元年)6月25日 火曜日の愛媛新聞に、同名タイトルの記事が載せられていた。取材とライターは、以前、編集委員をなされてた女性記者。以前にガン・シリーズの連載記事を書いてた方で、16年前の私の記事も書いた女性。

今回の記事は講演会で話された内容紹介で、ガンを経験した外科医の方の話と、広島在住の作家の方が奥さんをガンで亡くした時の闘病記の紹介。

がん闘病記は、古くて新しい話だと思う。ガンに限らず、難病や多くの医師ですら名も知らぬような病気の闘病記となると、是非とも公にして欲しいと思う部分がある。黙っていたら、大袈裟だが人類の存亡に拘わる事に成るかもと思える部分がある。SF映画じゃあるまいし(笑)。

◆度々で済まないですが、[私の甲状腺機能減退症]の話。この病気のせいで肥満気味だが見た目が元気そうな割に、常に「シンドイ」って言葉が自然に出てくる位に、病的な倦怠感を感じていたのだが、素人ばかりか医師にでも見落とされ、「痩せたら治る」的な発言をされ続け、其ればかりか「甘えとんジャ‼」「余裕があるからジャ‼」と言われ通してきました。悔しい事に‼ でもね、この「シンドイ」って症状、「甲状腺機能減退症の症状」の一つでもあるんですよ。

大学に進んで2年目、春先に起こっていた原因不明の微熱と病的な倦怠感で医師に診て貰う事にした。だが俗に言う何人もの町医者に診て貰っても「太り過ぎ。痩せたら治る」的な事を言われ続けたから、研究機関でもある大学病院へ大きな期待を込めて行ったのだが、残念な事に町医者どころか素人以下の診察・視診しかでき無い医者で、最後はまだ19歳未成年の私と、40歳半ば過ぎの医師と診察室で怒鳴り合いの喧嘩になった位でした。

理由は、「毎年春先に成ると、原因不明の微熱が続き、平均的には通年だが春先の同じ頃に病的な倦怠感が出る」と言ったところ、その医師は話を聞いただけで「そんなの痩せたら治る。それでは‼」と言っただけで退室しようとしたから、「先生、待って下さい。検査も無いんですか?」と聞くと「検査か~」と言って検査依頼書を取ると印を二か所付けた。チェックは糖と蛋白の尿検査のみ。思わず「コイツ、馬鹿か‼」と思いましたよ。それでも尿を取り検査室受付へ出すと、「4日後に来い」と言うから、その日は帰った。

そして4日後、午前中の授業を休み名大附属病院へ行くと、「検査に異常が無い。だから、此処でする事は無い。其れでは‼」と言って再び再室しようとしたから言いました。「他に検査は無いんですか?」と聞くと、「此処でやった検査以外、検査は何も無い‼」と言って椅子から立ち上がった。この時に想ったのが、「最近の医学は発達したと言われるのに国立の大学病院で、検査と言えば尿検査で糖と蛋白を調べるだけの能力しか無いのか!!」と思いましたよ正直。

「チョット待って下さい‼ この底シンドイ倦怠感、何とか成らんですか‼ どうしたら良いんですか‼」と聞くと、「そんな事、自分で考えろ‼」と叫ぶように言うと、自分が座っていた椅子を蹴り飛ばして、診察室の外へ逃げるように走り出たですよ。側に居た看護師は下を向いたまま器具の整理をしていたが、医師が逃げ出してから自分も診察室を出たのだが、出入り口で会釈をして電灯をけして出て行きました。私は、薄暗く成った診察室へ独り捨てれて呆然としてましたよ。

結局、余りの出来事に何をどうするかも解らぬままアパートに帰ったが、心配したした格好の大家が「どうでした?」と聞いたから事情を話すと、「貴方、何か要らぬ事を言ったんじゃ」と言うから、そんなオナゴを放っておいて部屋へ帰りました。そして、翌年の春、医師も解らぬ体調不良で大学を辞め、鍼灸学校へ入学して今の私が居る訳だ(笑)。で、結果的に自分の病気治療には正解。

「何故、この甲状腺機能減退症の話を長々書いたのか?」。この名古屋大学附属病院の医師の対応と、それ以前・それ以後に掛った医師の対応がほぼ同じ。ただ違うのは、怒鳴り合いをしなかっただけ。そして素人の人々の無責任な言動。「良い体格して元気そうなのにシンドイって、医者にも解らん検査でも解らんって、甘えとる証拠じゃ!! 余裕がある証拠じゃ‼」と、全員とは言わないが、私に妬みを持った人のほぼ100%の人が言いますし、車椅子の障碍者にまで色々と言われる始末。マァ当たり前か。医学知識も無く臨床経験も無い弩素人に、自分病気すら真面に知らない輩に理解しろと言う方が無理‼ 高度な医学知識も多くの臨床経験のある何十人の医師に診て貰って、結局、理解されなかった位だから。

私の甲状腺機能減退症が解ったのは、名大附属病院の馬鹿医者と怒鳴り合いの喧嘩をした1年後、鍼灸学校に年上の薬剤師が居て、普段から私の「シンドイ」を聞いていた関係で心配し、色々と調べた結果、「粘液水腫」が解って治療などヒントをくれたが、どの医療機関で診て貰って「粘液水腫」の話をしても無視され続けた。

資格取得後に勤務していた縁戚関係の病院でも無視され続けた為、病院を辞める直線に評判の良い医師に診て貰ったが駄目だった。で、友人の薬剤師が調べてくれた「粘液水腫」の話をすると、初めてその血液検査をしてくれた。結果は、「こんなに酷い数値が出るとは思わなかった‼」と言う次第。

だから、この結果を聞く迄の20数年間、医者に理解されず見放され、心無い素人の罵声・罵倒にやられ、「結局、誰にも理解されない症状に苦しみ、手遅れ状態に成るまで誰にも理解されず、最悪、死んでも理解されないだろう」と、我が命を諦めていた部分もあるのです。冗談では無く‼ 腹が立つのは、自分で「首周辺の、何でも無い軽い原因が元‼」とまで解っていながら、医者が無理解のままでした。

結局、この事実がトラウマに成り、一言で言えばガンの症状が色々出ていたのに、医者に診て貰っても、「そんなの痩せたら治る‼」って追い返されるばかりと思い込み、病巣から出血して貧血を起こしパニック症状も出ていたし、会の総会で飲酒した時に気分が悪く成りトイレで吐くと、血液を吐きましたよ。それでも病院に行こうとは思わなんだです。

この「甲状腺機能減退症」一つで、此処まで心身をボロボロにされたら大事な我が命も諦めますよ。悪性の医師不信に成ってるのに、家族は「医者に掛かれ」と言うが、「痩せたら治る」と言い続けられた私の気持ちを、家族でさえ理解してなかったですね。「行くだけ無駄‼ 死にかけないと無理!!」とまで思ってたんだから。◆

6月25日付けの記事では、「色々と幸せな患者さんだったね」と思える。私の場合、闘病中に付けてたメモ日記を元に、「私はガン患者」って本の原稿を書いた。某大手出版社に連絡をし、原稿のコピーを送ったら、通る事すら難しいと言われる編集会議に受かりましたよ。でもね、16年前、200万円と言う個人負担の金が準備できず諦めたが、10年程前に「安価な方法で」と連絡が来たが、それでも150万円ほど。それで断念。よく言うジョークに、「億単位の宝くじでも当たれば、好きなようにしてあげる」(笑)って。

最近は「ガンも治る病気に成った」と言われる。確かに、16年前と比べても、治療の選択肢が増えた部分と。ガン・サバイバーの発言やらとで、積極的な検査を受け、積極的な治療を選ぶ患者さんが増えた事が大きいと思う。

16年前と言えば、「ガンは死に病」と言われてた時代。某日水曜日、紹介状を持って県病院へ行き、内科の医師に掛かった。その段階で、ガンと言われた。胃カメラを撮ると言われ予約と成った時点で、場合に因っては胃カメラと成るかも知れないと予測。前日から絶食している事を伝えると、胃カメラ室へ連絡すると撮影可能と成り、そのまま撮影に。結果は、立派な末期ガン(笑)で、「手術をしないと死ぬぞ」とまで言われ脅された。

診察室へ戻り医師の説明を受けて、何故か「このまま医師の言う通りの治療を受け、そのまま医者任せにしたら、医師の言う通りの期日で死んでしまう」と感じ、急ぎだから手術を受ける事は承諾し、後は成り行きでモノを言うつもりだったが、鍼灸師と言う仕事は、医者から言わせれば按摩の片手間の仕事としか考えて無いから、時間をかけて説得する事に。

やがて一通りの診察が終わったから会計へ行き。待つ間に女房に電話を入れた。受話器は女房が取った。「私です」「アッ、お父さん検査結果は、単なる潰瘍だったでしょ」。幼稚園の事務所だけに、女房の周囲の騒めきが聞こえる。「残念ながら、末期ガン。最も、ワシには解ってたけどね」。その言葉を境に、蠢いていた受話器の音が消え、周囲の騒めきも消えた。受話器の向こうから何人かの人の気配と、空気の流れる音だけが聞こえる。多分、女房は真っ青な顔を引きつらせていたと思う。「このまま放っておくのも何だから、来週の月曜日に入院しますって言ってきた」で電話を切った。そして5病棟に入院している親父の所に、母親が来ている。入院室に入ると、母親が聞いた。「どうだったん?」と聞かれたから、「末期ガンと言う事で、来週の月曜日に入院します」とだけ言い、会計へ向かい、支払いを済ませて帰宅した。

こうなると、休んでる間の事や入院準備で忙しい。仕事も暇だったから早く閉め、ゴソゴソとしてる時に女房が帰ってきた。開口一番、「これから大変ね」「仕方が無いと言えば仕方が無い」。

入院当日は、女房h仕事で幼稚園へ。母親が入院中の父親の所へ行くから、私の車に同乗する。で思い出したのだが、この日からサマー・ジャンボの売り出し。一つ気に成ったのだが、病院へは午前10時までに受付をと成っていたが、宝くじも午前10時から。病院近くの売り場に、二人で買いに行きました。そして、10分程遅れて病院受付に。担当看護師に少し嫌な顔をされたが、余り後を引かなかった。それにしても、私好みの和風美人だ(笑)。

一通りの入院手続きも終わり、早割り去れてたから荷物も置き、そうこうしてる内に女房が顔を出した。「仕事は?」「園長先生が様子を見て来いって」「そうか」。すると携帯が鳴った。取ると入院中の女性患者さん。「先生、入院生活の第一歩はどうですか?」「どうですかと言われても、ベッドの所までは来たけど、何やかやとしていると女房が来て、いま担当の看護師さんと話してる」「先生、入院って初めて?」「二歳の時の盲腸からむち打ちが二回で、今回が4回目」「でも、慣れてないネ」で、電話は終わり、入院準備も終わったから女房も帰り、本格的に入院患者と成った。

一通りの検査も終わり外出可能と成ったから、当院の入院中の患者さんの見舞いに行く事に。当院へ来ていた患者が入院して1カ月目、本体は駄目なのだが、主治医に許可を貰て往診していたから、これも弱る。そしてもう一人、事故が元で外科に入院中の男性患者。むち打ちだが、病院が近かったから寄ってみる事に。共に私の顔を見て驚天動地の驚きよう。私の顔見て、まるで妖怪か化け物か怪獣を見る目で見ないでね(笑)。

其れから16年。色々と呼んありました。その辺り、このブログを読んでると、何処かでつながる話に成るから、チョットしたパズルみたいに成ってるかも(笑)。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】㉒「えひめ鍼灸まつり in新居浜」

令和元年8月25日㈰ 10:00~15:00の間、「公益社団法人 愛媛県鍼灸師会」の、毎年の恒例事業である「えひめ鍼灸まつり」を開催いたします。新居浜での開催は16年振りです。場所は、新居浜市総合福祉センター(ふれあいプラザ)の研修室1&研修室2&教養娯楽室で行われる。

16年前と言えば、私は体調を崩しており、極悪のパニック症状まで出ていた時期でもあった。この「えひめ鍼灸まつり」が終わってから、病院で診察を受けると「他臓器まで浸潤した、進行性で悪性の末期の胃ガン」と診断された。

この「えひめ鍼灸まつり」は、愛媛県鍼灸師会の市町村の会員が持ち回りで開催している。私の場合、殆どの「鍼灸まつり」は手伝いに行ってるが、色々とトラブルがあったから行っただけで即帰ったり、その翌年も副会長が音頭を取って組織ぐるみで私一人を追い出し行動に出た嫌がらせがあったから帰ろうとしたら、当時の会長に足止めされた事実があった。なんせ、会の中枢の多くが60歳前後のジジイばかりなのに、やる事といったら小学生低学年の集団で個人を虐め倒すと言う事を平気でするのネ。「鍼灸まつり」にしたって、トータル的にちゃんとしたマニュアル化が成されて無いから、当院から行って貰った患者さん達からクレームを頂いた事もある。

と言う様に、大した事は無いが、その努力だけは認めてやろうかとも思うが、実際の準備なり当日に手伝いに来るのは、役員を辞めたばかりの私を含め、役員連中が殆ど。「今年は、何故か見知らぬ会員が沢山来ているノ~」と思ったら、開催市町村の若い会員の一部が患者集めと、自分ちに来てる患者の動向をチェックする為だけに来ているので、鍼灸まつりの失敗の元凶が、この辺りの会員の不誠実な言動。

今年も、私は集団虐めに負けず参加する予定です。皆さま、一度は楽しみに来て頂きたいと思ます。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】㉑「医学と宗教」

「医学を突き詰めると、哲学を通して宗教に行きつく。宗教を突き詰めると、哲学を通して医学に行きつく」と言う言葉がある。そのためか、優秀な西洋医学者には敬虔なキリスト教の信者が居るとも聞き及ぶ。

仏教は葬式のイメージが強い関係か葬式仏教と呼ばれる事が多いが、葬式・葬儀はキリスト教にもあるし、神道にもあるから、葬式は仏教の専売特許では無い(笑)。歴史的な背景で、国家宗教が仏教から神道に変わった時、僧侶達は自分の食い扶持を稼がねばならなくなった。で聞こえは悪いが、手っ取り早く稼ぐ方法として葬式があったと言う話。おまけに、教育用の説教が脅しの道具として使われたり。

ただ残念なのは、布教の為の活動が減った事。まだ国家の後押しがあった時から、寺は役所であり学校であり人々の集会場や公民館などの役割があった筈。ところが考え方も色々で、金儲けにばかり走る宗派や僧侶と色々と。人々の宗教観も様変わりして、観光名所としての神社仏閣としての値打しか見て貰えないのも事実。マア、人それぞれだから仕方が無いですか。

新居浜に、単立の曹洞宗・瑞応寺と言う名刹がある。今のご住職は弟さんだが、お兄さんが割り切ったシッカリした人で、新居浜市でも寺近くの土地を悪く言えば買い漁った時期があった。当然、周囲から守銭奴のような言い方をされたが、前住職は言ったと言う。

「多くの弟子を抱え、建物の維持管理から何から金が要る。大きな組織の後押しが無い以上、金は自分で確保しなけらばならない。何時までも檀家さんだけに頼る訳にはいかない。だから、何があっても自分の食い扶持は自分で確保する準備が絶対的に必要」とした。だから掻き集めた土地は一般に貸し家賃を貰う。そして幼稚園経営もする。多分、私の知らない所でも、何か事業をしている筈(笑)。僧侶と言えども、決して霞を食べて生きている訳では無い。

そして禅宗だけに、修行の一環で真冬の托鉢もある。そして、「我々僧侶は、檀家を始め皆様のお陰で修行生活ができる」と言い、何かの番組で「乞食生活」とも言ったが、やはり檀家を初めとする多くの人々に必要とされている筈だ。

十数年も前に「僧医」と言う言葉が流布したが、愛媛県出身の対本 宗釧(つしもと そうくん)と言う臨済宗の管長まで務めた方が、父上を亡くされた事で、「宗教だけでは人は救われぬ」と気が付き。医学の道に進み医師と成り、自ら「僧医」と成った。

最近知った本で「死にゆく人の 心に寄りそう」と言う本を知った。初版が本年1月20日と言うから新しく、サブタイトルが「医療と宗教の間のケア」である。著者は玉置 妙優さんと言う女性で、現役看護師であり僧侶として活動しており、その他、公的資格を幾つか取っている。良い大学の法学部も出てる位だから、理数系の良い頭脳だった上の超努力家だった事は予想が付く。

大学の法学部出と言えば、バリバリの文系の頭脳と思いがちだが、法律関係の仕事をしようとすると、少なくともバリバリの理系の頭で無いと無理な部分が多過ぎます。仮に、貴方がトラブルに巻き込まれた場合、多くの場合は法的な知識なりが必要となります。法律を知ってる知らないと言うレベルでは無く、法律が絡むから、相手を説得しようとすると法的な理屈・考え方が必要となります。この辺り、紙幅の関係で何れ。

香川県の五色台に喝破(カッパ)道場と言うのがある。鍼灸学校の3年先輩で、私が学校に入った頃に僧衣姿で学校へ来たのを覚えている。それから10数年後、事情もあって地元CATVの仕事もしていた頃、香川県五色台のカッパ道場から住職が来て講演会で喋ると言う。行ってみたいと思ってると、私の仕事と成った。講演会当日は何も言わず収録し、やがて編集から放送へ。

収録した素材や放送用に編集されたモノは、各種法律で勝手に利用はできない。だから放送された番組を二本ほど録画しておいた。

そして取材用資料から住所を確認し、手紙を送った。「事情ありて、CATVの仕事もしているが、鍼灸学校の後輩で、高野山真言宗で在家出家し・・・云々」と手紙を送っていたが、返事は来ないと思っていたら来ましたよ。「単なる先輩後輩だけなら返事を書かなかったが、自分と似た考えで生きてる人だから」って。それから暫く交遊があったが、御互い忙しく超変わり者ゆえ現在は止まってます。

 

お化け屋敷に行きた~い(笑)

毎年夏には、南予の県立歴史文化博物館へお化け屋敷見物に行ってたが、何年か前この博物館の指定管理者・いよてつ総合企画(元イヨテツ・ケーター・サービス)のデカい職員に舐められた力づくの嫌がらせをされてから行かなくなった。時間とガソリンを使い遠い歴博へ行き、バカな職員の玩具にされてはたまらん!!。元々新居浜の総合科学博物館へ居た輩で、いよてつ総合企画(当時はイヨテツ・ケーター・サービス)の本部長代理のS部長辺りと仲が良く、仕事も満足に出来ないヤツ等。

元々、科学モノが好きで博物館の家族会員に成って随分と楽しませて貰ったが、県の運営から指定管理者・いよてつ総合企画の運営に成って1~2年程は、連中も赤字に成った分は責任を取らされるから必死だったが、慣れてしまえば手抜き。優秀な職員とボロ職員は辞めて行くし、優秀な職員で残ってるのはいよてつ総合企画とは関係の無い僅か数名。
実を言うと、いよてつ総合企画が入る前から私はボランティア・ナビゲーターをやってたが、結局、邪魔扱いされて辞めました。と言う前に、いよてつ総合企画の新入職員に嫌がらせをされ偉そうに言われたから、愛媛県知事宛にメールを送り付けた事がある。当然、知事から管轄部署の県教育委員会へ連絡が入り、教育委員会から館長と本部長に連絡が行き調査が入ると、何と偉そうに言った新入り職員がやらないといけない仕事をせず、好きな業務に特科し、気に入ったボランティアには手厚く、気に入らぬボランティアには独裁的な嫌がらせをしてたんですね。だから、僅か30歳のガキに50歳前の私が玩具にされてたんですね。悔しい事に。

そして私が動いた途端、問題職員は本社へ呼び戻され再教育されて職場復帰したが完全に治っておらず、仕方ないから館長と本部長も含め少々イジメました(笑)。やがて、それも含めて館内全体の監視役もやり、各持ち場の人々からは随分と喜ばれました。特に本部長からは、「私が休みの時に、貴方が活動に来ている時は、館内の職員から報告の無い事も報告されてたから、随分と助かりました」と喜ばれてました。ところが、前に出た本部長代理S部長や歴博のデカ物からは疎まれ、それ以上の嫌がらせをされました。

本部長代理のS部長など、「我々博物館で働く者は、誰に目を向けなければならないか?」と言って、「まず、金を払って入場していお客さん。そして、ボランティアの方々。そしてアルバイトの方々」って言う割に、私がボランティアしてた時には辞めさせようとしたり、金を払って入場した客である私を追いだしに掛けたり、言う事とやる事が嘘八百のヤクザな連中でしたし、人の好い本部長が連中の餌食に成ってる節もあるんですよ。

 

女は怖いか?

独居生活も6年を過ぎると寂しさも幾分薄れ、愛妻が愚妻呼ばわりと成る。事の発端は、我が毒母と二人の毒姉が根本であった筈が色々と見ていると、結局は好きでも無い私を「好き‼」と言って口説き落とした分だけ、間違いが起こっている。
昔、ジュディ・オングが歌った曲で「魅せられて」と言うヤツが大ヒットしたが、その歌詞の中に「好きな男に抱かれても、他の男の夢を見る」と言う一節がある。だが男も似たり寄ったりの思考をしてるからドッコイドッコイか(笑)。

過去、知人の離婚話で3例ほど凄い話がある。その3例とも、嫁さんの方から別れ話がでたのだが、押しなべて「子供は要らないから解れて‼」であった。

その話を始めて聞いた1例目、思わず私が「それって、男が居る‼」って言った程。まだ私が結婚直前の頃で、そんな事を知らなかったから招待状を出してた。で、その知人の強い願いで結婚式出席は欠席して貰い、結婚後、改めて話を聞いてビックリした。結局、嫁さんの浮気現場を押さえる事を頼まれ、本当に私が押さえてしまったのです。詳細は省くとして、当日夜は連絡が着かなかったから、翌日の朝礼時期に連絡をしておいた。その夜、知人が嫁さんに「昨夜遅く、男の家に行ったろう」と言うとシラを切ったらしいが、「ワシの知り合いが、夜の11時過ぎにお前が男の家に入るのを見てたから連絡をくれた」と言うと黙ったままだったが、夜9時を過ぎて「買い物に行ってくる」と出掛けたまま出奔。5年後に、5人目の間男に殺されたと12月30日の昼のニュースに出ました。

2例目が、行きつけの商店の社長が、「先生、嫁さんが子供要らんから別れてくれって言いよるんじゃが」と言う。即、「それ男‼」って言いましたが、人の好過ぎる社長だったから、逃げた嫁さん、籍が切れて無いのに間男の子を宿したと言う最悪の状態でしたよ。

3例目が、財産持ちの小さな商店主。やはり男と逃げ、当時、中二の娘ですら母親を指し、「あんなオナゴ‼」って私の目の前で、凄い表情で憎々しげに言ってた程。しかし年齢から言えば、まだまだ「お母さん‼」って言いたい年頃。それを周囲の大人達が言わせたのかどうか、愛憎塗れた言葉だと思うが、一番可愛そうなのはこの娘、そして旦那、周囲の人間。丁度、酒屋さんもしてた関係で、旦那は酒に溺れ、やがては体を壊して死んでしまった。

「人を好きに成っては駄目‼」「いけない‼」と言う話では無い。「人を好きになり、今迄 曲りなりに築いた幸せや人間関係を、それこそ根底から壊すほどの魅力があるのだろうか?」と思う次第。白雪姫症候群じゃあるまいし‼ この辺り、比較的 女性の方が一気に走ってしまうように感じる。

「子供は要らないから、別れて‼」って言う女性の心理は、年を取り最後の女盛りの頃に他所の男に惚れてしまうと、顔も性格も嫌いに成った亭主似の子供は見るのも身の毛が立つのだろうと思う。勿論、他所の男を好きに成っても自分が生んだ子供は連れて行くと言う女性も居る、

私はスケベであるから、チョクチョク通り掛りの美人さんや誰かさんを好きに成ってるが、怖い顔も相まって女性と良い仲に成る事は無い。で、「私はモテ無い。女性に縁が無い」って話をしてると、女房曰く、「お父さん、その話はしないでくれる? 私、そんなに魅力の無い男を選んだと思われる‼」と、お叱りを受けた事がある。言われてみれば、「確かに‼」である(笑)。そして女房曰く、「本当に浮気されたりしたら嫌だけど、何時も気を付けて無いと危ないってスリリングな位のホドモテてなら許せる」と言ってはいたが、難しい話ではある(笑)。

長年夫婦してても御互いが相手に良い興味を持ってれば、曲がりなりにも大きな間違いやトラブルは起きないと思うが、子供の進学の話や生活や仕事の事が気に成ると、気持ち的に余裕がなくなり、家族や亭主以外の何かで紛らわせようと考える。随分と見てみたが、独身時代もお勤めの経験が無く専業主婦だった女性が、突然のようにパートで働きに行こうとする場合、男が出来る機会となる可能性が高い。紙幅の関係で多くは書けないが、100%じゃ無いにしても噂で聞く話は大体本当だと思った方が良い。火の無い所に煙は立たぬ(笑)。

 

(公社)愛媛県鍼灸師会の監事を無事に卒業しました。

令和元年6月2日㈰の総会において、私の辞任が認められた👏。 監事を拝命して、丸6年目の事です。監事は、危険回避の為に原則2人と言う事に成ってたが、就任6年目に相方がプッツンして辞めると言いだした。辞める理由は、私が常々言ってた上層部の「なあなあ主義」のいい加減さにあった訳で、私なんぞ入会以来40年も我慢してた内容。
相方は私より3歳上で、辞めると言いだして私一人に責任を押し付けた言い方をし、他の数人の理事にも私一人に責任を押し付けようとしたのが居る。で、最後に言ってやった。「滞りなく平穏無事に辞めるには、私が死ぬかこの県師会を辞めるか潰すしか無い‼」と断言。すると、「其処まで極端に言わなくても」「じゃあ、現状で他にやり方があるか?」と聞くと、誰も答えを出せない。結局、紆余曲折・ウロウロオロオロしていた下っ端役員じゃなく、名誉会長が出てきて間際まで一度は辞めた理事を説得し、首を挿げ替えたのです。

この名誉会長には、2年程前の総会後の会食が始まる直前に私が喰い付いた事があり、「お飾りの名前だけの役職なら、いま直ぐ名前を削ってしまえ‼」と言い、会長や相談役や年取った何人もの役員が止めるのも振り切って帰ろうとした事がある。そのトラブルの原因が、いま考えると法人管理の理事だったような気がする。
で、その時に散々、初代会長時代からの悪癖を皆の前で公表するし、その後の悪癖も随分と公表しちゃったから、私を怒らせると誰も私には伝えて無い内緒事が暴露され、とんでも無い事になるから名誉会長も少々慌てたのか知れない。

友人知人の中には、私が監事を辞める事に関し、「先生が今迄、幹事として目を光らしてたから抑えになってたんじゃない?」とか、「先生が退任されたことを、鍼灸師会のメンバーは後悔しますね」とか、「会の連中、頭が悪いから先生の本性を解らずして暴挙暴言を言って追い出して、バカそのもじゃ」とか言ってくれてます。「先生の周囲には余程 頭の悪い奴が多いのか、要らん事言って怒らせては、後に成って大変な事に成っとる。黙って任せといたら、とことんやってくれるのに」と言って笑ってた御仁も居る。

県立総合科学博物館でもそう。ボランティア・ナビゲーターで行ってた私が、一般職員では出来ない事をドンドンやっちゃうから、チビ太みたいな本部長代理のS部長が私の能力をヤッカンで、足を引っ張って辞めるように仕向けたから、イヨテツ・ケーターサービスの株主に成って辞めちゃいました(笑)。

私の代わり位は幾らでも居るから、私の一人や二人が居なくなっても世の中は回るんです(笑)。だから、「監事の代わりの人材が居ない‼」と言いながら、間際で見つかったのですよ(笑)。