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【近藤鍼灸院の健康新聞】㉑「医学と宗教」

「医学を突き詰めると、哲学を通して宗教に行きつく。宗教を突き詰めると、哲学を通して医学に行きつく」と言う言葉がある。そのためか、優秀な西洋医学者には敬虔なキリスト教の信者が居るとも聞き及ぶ。

仏教は葬式のイメージが強い関係か葬式仏教と呼ばれる事が多いが、葬式・葬儀はキリスト教にもあるし、神道にもあるから、葬式は仏教の専売特許では無い(笑)。歴史的な背景で、国家宗教が仏教から神道に変わった時、僧侶達は自分の食い扶持を稼がねばならなくなった。で聞こえは悪いが、手っ取り早く稼ぐ方法として葬式があったと言う話。おまけに、教育用の説教が脅しの道具として使われたり。

ただ残念なのは、布教の為の活動が減った事。まだ国家の後押しがあった時から、寺は役所であり学校であり人々の集会場や公民館などの役割があった筈。ところが考え方も色々で、金儲けにばかり走る宗派や僧侶と色々と。人々の宗教観も様変わりして、観光名所としての神社仏閣としての値打しか見て貰えないのも事実。マア、人それぞれだから仕方が無いですか。

新居浜に、単立の曹洞宗・瑞応寺と言う名刹がある。今のご住職は弟さんだが、お兄さんが割り切ったシッカリした人で、新居浜市でも寺近くの土地を悪く言えば買い漁った時期があった。当然、周囲から守銭奴のような言い方をされたが、前住職は言ったと言う。

「多くの弟子を抱え、建物の維持管理から何から金が要る。大きな組織の後押しが無い以上、金は自分で確保しなけらばならない。何時までも檀家さんだけに頼る訳にはいかない。だから、何があっても自分の食い扶持は自分で確保する準備が絶対的に必要」とした。だから掻き集めた土地は一般に貸し家賃を貰う。そして幼稚園経営もする。多分、私の知らない所でも、何か事業をしている筈(笑)。僧侶と言えども、決して霞を食べて生きている訳では無い。

そして禅宗だけに、修行の一環で真冬の托鉢もある。そして、「我々僧侶は、檀家を始め皆様のお陰で修行生活ができる」と言い、何かの番組で「乞食生活」とも言ったが、やはり檀家を初めとする多くの人々に必要とされている筈だ。

十数年も前に「僧医」と言う言葉が流布したが、愛媛県出身の対本 宗釧(つしもと そうくん)と言う臨済宗の管長まで務めた方が、父上を亡くされた事で、「宗教だけでは人は救われぬ」と気が付き。医学の道に進み医師と成り、自ら「僧医」と成った。

最近知った本で「死にゆく人の 心に寄りそう」と言う本を知った。初版が本年1月20日と言うから新しく、サブタイトルが「医療と宗教の間のケア」である。著者は玉置 妙優さんと言う女性で、現役看護師であり僧侶として活動しており、その他、公的資格を幾つか取っている。良い大学の法学部も出てる位だから、理数系の良い頭脳だった上の超努力家だった事は予想が付く。

大学の法学部出と言えば、バリバリの文系の頭脳と思いがちだが、法律関係の仕事をしようとすると、少なくともバリバリの理系の頭で無いと無理な部分が多過ぎます。仮に、貴方がトラブルに巻き込まれた場合、多くの場合は法的な知識なりが必要となります。法律を知ってる知らないと言うレベルでは無く、法律が絡むから、相手を説得しようとすると法的な理屈・考え方が必要となります。この辺り、紙幅の関係で何れ。

香川県の五色台に喝破(カッパ)道場と言うのがある。鍼灸学校の3年先輩で、私が学校に入った頃に僧衣姿で学校へ来たのを覚えている。それから10数年後、事情もあって地元CATVの仕事もしていた頃、香川県五色台のカッパ道場から住職が来て講演会で喋ると言う。行ってみたいと思ってると、私の仕事と成った。講演会当日は何も言わず収録し、やがて編集から放送へ。

収録した素材や放送用に編集されたモノは、各種法律で勝手に利用はできない。だから放送された番組を二本ほど録画しておいた。

そして取材用資料から住所を確認し、手紙を送った。「事情ありて、CATVの仕事もしているが、鍼灸学校の後輩で、高野山真言宗で在家出家し・・・云々」と手紙を送っていたが、返事は来ないと思っていたら来ましたよ。「単なる先輩後輩だけなら返事を書かなかったが、自分と似た考えで生きてる人だから」って。それから暫く交遊があったが、御互い忙しく超変わり者ゆえ現在は止まってます。