Archive for 11 月, 2019

【近藤鍼灸院の健康新聞】㉝「病気や怪我は治りません?」

現在、病医院などで患者さんが「治りますか?」って聞くと、「治りますよ」って言いますがアレは大嘘(笑)。正確に言えば、「ものにも因るけど、マアマア日常生活に、支障無いところ迄は良く成りますよ」って言うのが正確で正直な話(笑)。

だって、傷が癒えても「古傷が痛む」って現実がある。本当に治ってたら、そんな事は在り得ない筈なんです。それに、癌なりで臓器を摘出した場合、「摘出した臓器が完全復活するか?」の問いに、答えは「ノー‼」。「治る」と言う意味の基準は、そこまで厳しく考えておかねば成らないと言う話。

だから、「痛みが散れたから治った!!」と断言する素人の方々が随分と居るから、上記の説明をすると、一応は「そうなんだ」と言われるから、「自分の体は自分が一番解ってる筈だから、死ぬまで(笑)観察してご覧」って言う事にしてますが、それでも「絶対治る‼」って言い切る方々が居ます。でもね、それはそれで良いのです。

医師に掛かった場合、「この薬を服用したら、治りますよ」と言うから、「じゃあ、一度の服用でこの症状は出ないんですね」 「イヤ、薬の効き目が無く成ったら元通り」 「それ治ったんじゃ無く、一時的に症状を感じなくなっただけで、治った訳じゃ無い」 と、たわけた話になる。多くの医師や医療従事者は言いますね。

患者側にしたら、「お医者様に治るって言って欲しいし、その一言で治った気分に成るのも確か」であるが、現実的に治らないとダメ。ただね、症状に因っては長々に見ないと拾便な効果が出ない場合も多々あるから、決して気短に答えを出さないように。

 

時代は巡る

昔から言い古された言葉ではあるが、歳を取ってみると本当だと実感できる事がある。その結果が、思い出と言う名の舟に乗り三途の川を下る頃に成ると、世の中が随分と見え始め、家と言う桟橋に舟が着き、乗る人を待っている事実。

でもね、人は産まれた時は自覚が無いが、思い出と言う名の舟に乗っている。何故なら、思い出は歴史の上に成り立っているから、生後間もない子供達の思い出と言えば、産まれる前の事だけになる。それは、殆どが記憶から消えてしまってるが、稀に覚えている人も居る。

私は生まれる瞬間、母親の子宮から産道に出て、母親の体外に出た段階の記憶があるんです。信じられないでしょうが。それだけに、部分部分、人様が決して信じてくれない事を口にするから、変わり者の名を付けられるんですね。でも長年話してると、両親と数少ない友人達は、「お前が言ってるから本当だろう」と言う変人成る。そして最近は、思い出と言う名の舟で三途の川を下る話になる。

この話をすると、「先生、そのまま行かれんよ‼」と言う話に成る。私もまだまだ逝く気は無いが、16年前に胃ガンの手術をしている時に何度か麻酔が切れかけて、目を覚ましかけていた。丁度、硬膜外麻酔を掛ける時、体を捩じらせ背中を出すのだが、この時は笹の葉みたいな葉っぱが密集している所に投げ出され、その向こうから川の水が流れるような音が聞こえていた。何故かノンビリと、「お花畑があると言われてるし、綺麗なお姉チャンが迎えに来てるとも聞いたが誰も居ない」と感じてる内に、再び寝の国に。

次に目が覚めたのはICUの中。枕元でガチャガチャと金属音がするので目が覚めた。人の気配もする。「看護師さん?」って声を掛けると、「目が覚められましたか?」って聞かれたのだが、「目が覚めた自覚は初めてだが、何度か目を覚ましました?家族は?」「会われて無いですか。待って下さいね‼」と言うなり、出入り口の方に走り去った。

私の「目が覚めた自覚は初めて」って言葉、手術前日、麻酔医の先生から話を聞かされていた。「麻酔で深い眠りに入っていて、麻酔から覚めた瞬間、眠りに入る前の風景と違う風景を見てパニックに成る人が居るんです。だから、目が覚めた時は気を落ち着けて状況確認してくださいね」と。丁度、幼子が寝ている時に時間が勿体無いからと、車に着替えを一緒に車に積み込んで走っていると、幼子が目を覚ました瞬間。寝た時と目が覚めた時とでは大きく環境が違うから、パニック症状を起こして大暴れする時がある。実を言うと、我が娘も3歳位の時にやり、患者さんの娘が我が治療室で目を覚まし、余りの驚きで大声で泣いた事がある。それてと同じなんですね。

やがて看護師に案内されて、ドロドロと家族が入ってきた。見ると、来ていた筈の叔父が居ないし、居なかった筈の息子が居る。「叔父さんは?」 「仕事があるとかで、アンタの無事を聞いて帰った」 「ところで息子よ、部活で格好へ行ってた筈だろ」って聞くと、「午前中で終わったから帰ってきた」 「そうか」。あと、手術室へ入る前に居た人は全員居る。それでICUの中で無駄話をして家族は出された。

手術後24間はICUの中へ幽閉される(笑)。術後に起こり易い急変から守る為だが、パニック症状をおこしていた関係で、背中が痛くて眠れない。此れも麻酔科の先生に鎮静剤の注射を頼んでいたのだが何故か聞かない。家族が出る直前に、入院室のバッグの中に肩叩きを入れてたのをICUに持って来て貰ってたんだが、これが背中の痛みに一番効いた(笑)

輪廻転生とか幽体離脱と言う話を聞く事があると思うが、この辺りの話、実を言うと初めてでは無い。何処かで見聞きしてるが思い出さない。ICUの中での生活は、何処かの項で書いた筈なのだが見当たらない。

病気とか死の話に成ると、異常とも言える程に避けようとする方々が居るが、特に死に関しては平等に迎える事に練っている。その現実から逃げようとしないで、ジックリと向かい合って考える必要があると思う。今で言う終活。

私の父親は、死と言う現実を極度に恐れ、墓参りに行ってもお墓に尻を向けて拝んでいる家族の顔をニコニコと見ながら、「信心深く成ったナ~」とか言いながら、其れこそ遊んでいました。死と言う現実を、全く受け入れられない人でした。みっとも無いと思います。

産まれて彼の世に行く迄、思い出と言う名の舟に乗って、三途の川をノンビリと旅をするっての風流だと思います。

 

終止符

谷村新司の曲に「終止符」と言うのがある。その歌詞の一節に「あの夏の日が無かったら 楽しい日々が続いたのに」とある。歌詞の流れから言えば、本来は男女の別れ話の曲なのだが、ガンで入院したのが7月中旬過ぎ。退院したのが9月初め。おまけに余命9ヶ月と言われての退院。それこそ、家族にしたら「あの夏の日が無かったら」と思っただろうと思う。

私、俗に言う変わり者らしく、入院中は看護師ばかりか患者さん達にも意外に大事にされた。結構 遊んでくれたのね(笑)。医師・看護師からは病状から「早期に必ず死ぬ」とお見込まれていたから、余計に優しかったのかも知れない(笑)。

入院中って、胃ガンを持ってると言うだけで自由に動けるから、点滴ばかりか輸血中にもウロウロして、担当医からレッド・カードを突き付けられた事も。看護師の場合、私の医学知識があるから何か言ったら逆に何か言われそうとばかり、何も言わない。僅か、担当看護師だけが小声でモグモグと(笑)。

規則にも無頓着だから、手術後しばらくは風呂に入れないから頭が痒い。近くに居た一番若い看護師に「頭を洗いたいんじゃが、ドレーンが入ってて俯けない」と言うと、「洗ったげますよ」と洗ってくれたのだが、丁度、担当のお局さんみたいな看護師に見つかり、「気の毒だから代わります」って言ったけど、若い看護師が「もう終わるから良いですよ」と、最後まで洗ってくれた。で、洗い終わって「気持ち良~い」って頭を拭いてると、「若い看護師で良かったね」と皮肉ったから、「確かに」って返すと「モウ~」って拗ねた真似したから、「モウ~は牛じゃ」と言うと、何処かへ行ってしまった(笑)

このように、周囲の心配をよそに入院生活を送ってたんですね。でも、末期ガン患者としての自覚はある。そればかり考えてると、身体に良く無い。元々、脳天気みたいな部分があるから皆さんを怒らせないように入院生活を楽しんでました。それが、「嫌われオヤジ、世に憚る」と言ってたら、本当に世に憚ってました。

 

妬み一族

先日、とは言っても随分と時間が経つが、某鍼灸師会の総会があった時、若い先生達から私のガンの闘病生活等を聞かれた。すると別グループで話していた親分が私を呼ぶ。何かと思ったら、「ガンなんか、特に胃ガンなんか治る病気じゃ‼」と舐め切った言葉が出た。この男、何時もだが私に対しては、こう言った口の利き方しか出来ないから黙って居たのだが、もう少しで、「アンタ、ワシらの知らん間にガンを患ったん?何時の間にガンになったん?」と聞いてやろうかと思ったが、妬みの強いバカ男を相手に黙っておいた。何故かと言えば此処で反論しても、また何処かで何かの妬み発言をするから辟易していたから(笑)。
それに、私のように末期の末期の場合、入院中、病院関係者は「この患者、近々、必ず死ぬ患者‼」的な対応をしてたから気が気じゃ無かった。そう言う裏事情を知らないで舐めた口を利いてたから、この男がガン発症のおりは赤飯を炊いてお祝いしてやろうと目論んでいる(笑)。なんせ自分の子分に成らない相手には、トコトン嫌がらせするタイプの人間だから質が悪いんですよ。

そして長男坊を医者にしたくて、長男坊を愛光じゃない私立の進学校へ行かせたが、二浪までして頓挫した。二浪って事は、医学部を三回受験してるんだが、三回とも「彼奴は、××が弱いから」と言い訳ばかりしていた。結局、3回の医学部受援で幕を閉じ、鍼灸の道に入ったらしいが、その後の事は何も言わない。

某年の総会の時、妬み夫人と話をしてると鍼灸学校時代からの後輩がやってきて、いきなり「先生宅に、財産が幾ら在るか僕は知ってるんです」と、やらかした。この総会は5月。親父が逝ったのが1月2日早朝。半年も経って無い時に、赤の他人が親父の財産がどの位あるか知ってるって話自体が、常軌を逸している。余りの不躾さに追いやろとしたが、まだ親父の財産の事をヘラヘラと自慢話のように口にし、その場から離れない。

「親父が逝って半年も経って無い時に、赤の他人のお前が何故 親父の財産の内容を知ってる?」と聞いてもダンマリ。それでも「僕は知ってるんです」を繰り返す。とうとう、「失礼なお前とは口を利く積りは無い‼ アッチへ行け‼」と大声で言ってもその場を離れない。「お前がそこに居て嫌がらせするならナ~、ワシが何処かへ行く‼」とまで言うと、「僕が此処にいて邪魔ですか?」と言うから、「失礼な要らん事を言う輩とは、口も効きたく無い‼アッチへ行け言うとんのが解らんか‼」と言ってもグダグダ言うから、「何時までも、くだらん事を言よると、クラッシャゲルゾ(殴るぞ)‼」と言うと、「僕が此処に居ては邪魔ですか?」 「アァ、邪魔じゃ‼」で、漸く不貞腐れて何処かへ行った。

それを見ていた妬み夫人が、「アンタ~、何を言よるん。アソコの子、頭が偉いんよ。賢いんよ!!」っと、訳の解らぬ事を言うから、「彼奴が喋ってたウチの親父の財産の無礼な話と、アソコの子供の成績が良いらしい事と、どう関係があるんじゃ‼」と言うと黙ってしまった。「彼奴の子供、何年生じゃ」 「三年生」 「馬鹿か‼小学四年生位の成績なら、親の影響でどうにでもなるワ‼」と言いつつ、「その子が現段階で、東大の医学部・法学部・工学部あたりの入試を受けて、100点満点を取ったら偉い‼賢い‼って言ってやるが、常識的には点数は全然取れない筈‼」と言うと黙ってしまったから、続けて言った。

「そんな事を言よったら、ウチの娘は西高のtripleAクラスに居て、高1から高2に成る時、学校側から『今の成績を維持できるんだったら、地方の国立大学の医学部は何処でも受かるから行け』と言われたらしいが、解剖学があるから絶対嫌‼と成ったらしく、結局、九州大学の法科へ行っちゃったよ。大学2年の時に『あのまま医学部に行ってた方が楽だった』と言うから理由を聞いたら、『真面目に勉強してたら、80%以上の確率で国家試験に受かる』って言ってたよ。アンタ(妬み妻)の話を聞いてたら、無礼な男の小学3年の子供よりウチの娘の方が頭が悪くて勉強も出来ないって話に聞こえたからね」って所で、「自慢話に成るから言いたく無かったが、この鍼灸師会の子供達で、ウチの娘より成績が良いとか、九大以上の難関大学へ行ってるって居るか?」って聞いたら、「居ない」と言う。

また言ってやった。「オレの親が歯医者しよんのに、跡継ぎ出来なかったバカ男の子供なんか、三流四流の名も知れぬ短大辺りに金を使って行かせたと思ってただろう。それを言うなら、さっきのウチの親父の財産の事を馬鹿みたいに言ってた奴、オレより2学年下だが当時のまだレベルの高かったと言われる西条高校へ行ったが、歯学部に行きたかったらしいが、やはりアンタ所の息子と同じく、2浪までして合格できなくって、鍼灸の道に入った訳だ」と言い、「其処で言いたいんだが、同じ歯医者に成って無いとか、医者に成って無いとか言えば、入学して無い事はレベルが同じと思うだろうが、ウチの娘みたいに医者を嫌って医学部へ行かなかったのか、お宅の息子やサッキのバカ男みたいに、医学部や歯学部に行きたくってズリズリしたのに行けなかったのと、同列で判断しては成らん話やで。二浪した時間と経費、まだ医科大や歯科大に行ったんならまだしも・・・」

「それにな、俺が娘や息子の自慢話をしなかったから、成績が悪くって自慢するのが恥ずかしいからだと思っとったろ」 「ウン・・・」 「何故、自慢しなかったのか解るか」 「・・・解らん」 「あのな、子供の出来の良いのは親が喜ぶべき事であって、自慢する事じゃ無いんだよ。だから、アンタの旦那が、二浪までして医学部受験を失敗した息子を庇う様に自慢してたが、ワシが娘の自慢話をしないからズ~ットボロな娘と考えてたからだろ」

この頃、私に比較的好意的な副会長をしてた先生が傍で話を聞いていて、私が言った「九大法学部」を「京大法学部」と聞き間違え、「エッ、京大!? 」って聞き直した位だから、やはり私の子供達は男親の血を受け継いだバカ子供と思われていたようだ。

此処まで来たら「勝負あり!!」の話だが、この妬み嫁、現在の新会長に「あの人に何かあったら、何をどう言われるか解らんから要らん事を言われんよ‼」と言ったらしいが、新会長本人から直接聞きました。だってさ、何も言われないのに、要らん事を言う必要が何処にある?。今回の話、何故、事実を元に色々と話す事が出来るのか。結局は何かの切っ掛けで今迄鬱積していた事が、事実として出ただけ。

だから周りの人間が子供の自慢話をしても、私はしなかった。何故なら、その場の話の内容からしたら私の自慢話になるから、今迄以上に妬まれる。たまたまこの日は、妬み嫁が私の娘まで馬鹿にしたような発言をしたから言い返した迄であって、逆に自分が恥をかいたから、また何等かの格好で仕返しがきますよ。と言うしに何度も遣られてますがネ(笑)。

も一度、言いましょう。妬み嫁は、解ったような口振りで色々と好き勝手を言ってるが、何も解って無いから的外れの事を言い、私から反論されて恥をかく、そして又、やり返しをして同じように恥をかくの堂々巡りのお粗末でした。おまけに、色々な形で目に余る嫌がらせもする。㊟もう何度か遣られましたがネ(笑)

もう一人、この妬み嫁と似たオナゴが居た。昔の御茶ノ水大学を出た才媛らしいが、才媛と言うには頭も性格も悪かった。常識的な事を何も知らないのに、たまたま受験戦争を勝ち抜いて御茶ノ水大学を出ただけで、プロの前で聞けよ悟れよと色々と説教を垂れるのである。そんな事、今時の小学生でも知ってるし言わないぜって事を、滔々と自慢話をするのである。そして訂正された途端、バカにされたと思うのか、何でも無い事を口汚く罵り始めるのだ。

この女を紹介したのが、患者であり知り合いのB男だったが、二人とも意気投合してお互いの配偶者を無視して、四六時中、二人は連れ沿って行動を共にしていた。

最初、B男は、「彼女が何か言ったら嫌われるって悩んでる」と言って庇ってたが、素人なのにプロの職人に「御茶ノ水出の私が教えてやる!!」「御茶ノ水出の私が言ってるんだから間違い無い‼」って、小学生以下の話をするから、煩がられて嫌われてるのが解らないバカ女とバカ男のカップル・バカップルでした。

御茶ノ水大学出の才媛と思い込み、気に入らぬ人間を馬鹿扱いして言いたい放題するから、とことん嫌われるのね。バカ男も、そんなバカ女に感化され、ウチへ治療に来なく成り、1年後に大腸がんが見つかり、あっと言う間に死にました。

このように、事を起こそうと思ったら学問学歴は必要ではあるが、その学問学歴は人格を超えないものなのだが・・・如何なものか。