Archive for 2 月 25th, 2020

【近藤鍼灸院の健康新聞】㉟「ガンについて」

私のガンが発覚したのは16年程前。その時期は、「男性は三人に一人、女性は二人に一人の発症」と言われてたが、最近とは言っても随分に成るが、「男女共に、二人に一人」と成っているいるようだ。
私は、ガン発覚以来「私はガン患者」と言って、堂々と世間様に公表してガンに立ち向かった。随分前、アナウンサーの逸見政孝氏が記者会見し、自分がガン患者である事を公表して、ガンと戦う事を宣言した。如何にも、決死の覚悟で話してる彼の姿を見て、別に、格好が良いとも立派とも感じる事は無かったが、アナウンサーとしての社会的使命から、その行動を取ったのは立派だと思った。

だが、私はそんな彼の真似をしたのでは無い。ガンと診断され、このまま黙って医師の言う通りの標準治療を受ける事に疑問を感じていた。入院後、医師と結婚しているオバが見舞いにきてくれ言った。「アンタは、私等の想像もつかぬ凄い勉強を沢山している。だから、これで自分が良いと思ったモノを買って治療してみて」と、厚い見舞いを差し出した。思わず持って帰って貰おうと思ったが、一旦 差し出したものをその場で引っ込める筈がない。少し落ち込んでいたところへ、ウチの患者さん一家が見舞いにきてくれた。それを見たオバサン、「随分とモテるね」と苦笑いして帰っていった。何故彼女は、甥っ子の私に、此処迄してくれるのか。彼女の息子は28歳で研修医明けの前年に過労死、長女の歯医者の旦那がガンで死んだ。この時、娘が[サルの腰掛]を手に入れ、医師である父親に「お父さん、これ(サルの腰掛)ガンに聞くん?」と聞いたが、平均的な医師は大学の医学教育の中でエビデンスのある鍼灸や湯液などを習ってないから知らないし、ましてや民間療法的なアガリクスやサルの腰掛の事なんぞ知る由もない。「わしゃ、そんなの知らん」と言ってお終い。ズッ~と後に成ってオバから聞いたから、「サルの腰掛って、効くには効くんだが。でなければ何十年何百年も重宝されないわ」と言ってたのを覚えていたのだろう。

そして、堂々と自分の病気を公表するにあたって、過去50年間(当時)の色々な事を考えると、鳩胸で小太りで異常に元気そうに見える私は、色々な形で体調不良を訴えても、「太り過ぎ、運動不足、甘え、余裕だよねー。元気そうに見える‼」と医学の素人ばかりか医師にでさえ決めつけられ、真面な治療や検査すら受ける事は無かったんですよ。

私の主な宿敵(笑)のような病気は、何度も出てくる「甲状腺機能減退症」である。10年程前まで、日野市から来ていた脳脊髄液減少症の患者さん曰く、「最近、原因不明の病的な疲労感の場合、甲状腺の検査をしてくれますよ」と言ってたから、私の場合、見落とされていたのか人間と見られて無かったのか(笑)。結局、その辺りの事があって、身体の異常があっても医師に掛かる事も無く、入院の2か月前には市鍼灸師会の総会で、酒を飲んだ途端 気分が悪くなりトイレで吐いたら見事な吐血。それでも医師に掛かる事は無かった。

入院を決めた時、月中だが国保の請求書を出し、入院の前日には会長宅に挨拶の電話を入れたのだが、息子が電話を取ったから、「末期の胃ガンで県病院に暫く入院するからレセプトの提出をした」と伝えると、「エッ‼」と驚き「チョッと待って下さい」と奴の親父に連絡したのだろう。随分またされた挙句、息子が電話を取って、軽く「お大事に~」と言っ電話を切った位だから、どうせ妬み親分の親父が「そんなの嘘に決まっとろうが!!」と一括した筈。これについては、2年後に愛媛新聞のガン・シリーズに写真で出たから息子にコピーを渡したら、「アッ‼」と言って笑顔が消えた。「あの時、お前の親父に言いに行ったら『アイツの言よる事なんか嘘じゃ‼』って一括されたんだろう」っていうと、頷いていた位だから何の事やら。2か月の入院中、同業者が来てくれたのは僅か一人と嫁さん。それも会から預かった見舞金を持ってきただけなのだが、私の病気は軽い胃潰瘍と決めつける。それも私から聞いたと言う。同業者には何も言っては無かったのにである。

そして令和1年の市鍼灸師会の総会の時、前市会長の妬み親分がえらい遠い席から呼び、「この頃、胃ガンなんて治る病気じゃ‼」と言うから、奴は何時の間にかがん発症をしたのかと思ったら、ガンの経験も無いのに私に舐めた口を利いた訳だ。こう言う輩って、子分②のように自分がガンに成ると恐怖から大騒ぎするんですよ(笑)。

そして数年後、妬み親分の子分①にガンが見つかり、初期だったから開腹手術をせずに胃カメラ手術をしたと言うが、手術後の経過は言うほどよくなかったのでは。この男の母親が、私が病院勤務してた頃に婦長をやっていたし、7~8年前まで付き合いのあった裏切り者の障碍者がベッタリと出入りしていたから、随分と私の聞かれたく無い裏の情報が流れてたみたいです。

そして、私が入院中に唯一会からの見舞金を持ってきた子分②が、最近の動向が可笑しいと思ったら大腸がんだって。私がⅣaの末期ガンと言ってた時、随分と舐めた事を言ってた輩だが、種類は違うが同じガン患者と成って私以上に泣き言を言ってる。

そして、県鍼灸師会の松山の先生だが、今年72歳で胃ガンだから個販が食べられないからと胃瘻用の食糧持参で矍鑠として会にも出席。鍼灸師としてガン患者として私の後輩として頑張っており、今年の1月の上旬、亡くななったとの情報が無かったから、メールを送った。「無事 年を越されましたか?明けましておめでとうございます。私も末期ガン手術から16年。頑張りましょう‼」って送ったら、「ありがとうございます。本年は私の干支で[ねずみ 72歳]に成りました。頑張って生きて行きます」と返信があった。

私がガン入院してた頃、知り合いの妹さんが事故にあい、全身を打ったからと念の為にCTスキャンを検査を受けたところ、初期の初期の肺がんが見つかったという。専門医に見せたところガン剤治療で早期に良くなると言われたが、当時の[ガン]の扱いは死に病。明るかった女性だったが、笑う事無く亡くなったと言う。

ガンも免疫力などにも左右されるが、やはり基本的には生きる為の努力を本人がしなけりゃダメなんですよ。