Archive for 12 月 23rd, 2020

親孝行と死ぬ事と犠牲になる事。

このタイトルじゃ、一体何を言いたいのかは解らない。そこで説明しましょう(笑)。
私が2~3歳頃から、親父に座敷へ呼ばれ正座させられ、説教なのか何なのか解らぬ話を聞かされた。親父にとって、私は大事な近藤家の跡取りだけに精神的に早く大人に成って欲しかった雰囲気があったのは幼心にも解る。でもね、2~3歳って年頃は、40歳も歳の差がある親に甘えたい年頃であり、近所の同学年の子供達と遊びた盛り。
だから親父が如何に素晴らしい事を言ってても、子供心には用事の無い話。逆に「年取ったら自然に身に着くワイ」と反感を持つだけ。その内、言うに事欠いて戦争中の話に成った。
「お父さんは、生き神様であり父親である天皇陛下を守る為、戦争に出かけて後一週間終戦が遅かったら特攻機に乗って出撃し、死んでいた」と、後々の常套句である。
「だからお前達子供は、特に男の子は親を守る為に犠牲に成って親を守らなければ成らない」と成る。「死んで親を守る事が親孝行であり、義務付けられている」。この話、時代錯誤以上に変な話ではあるが、2~3歳の、まだまだ白紙に近い脳みそに植え付けられたのだ。「子供は犠牲になり、死んで親を守るのが親孝行」と言う固定観念が出来ても仕方が無いだろう。[明らかな洗脳]である。だから、「死んで親を守る。親孝行をする」と言う部分が、二十歳位までは色濃く残っていたのも事実で、親父は最後まで「私にあらゆる面で犠牲を強いていた」のです。それこそ人権無視も良い所でしたよ。だが、この話をしても誰も信用してくれません。「お前の思い過ごしじゃ!!」と言って。

私は平均すると、多くの方々が体験した事の無い事を多く経験し見聞きしています。大昔、M清と言う国会議員がいた。テレビの政見放送があったから観ていると、「今度の選挙が終わったら、誰それ君が総理大臣になるのは明白で、彼と私は盟友だから、その節は私も大臣の椅子が貰えるから、当選させて下さい」とやっちゃったもんだから、確か落ちた筈。で政権放送の時の話を知り合いの本屋のオヤジにしたら、「そんな事あるか!!」と散々怒鳴り散らした。

このように、私が観た事・聞いた事・それもテレビの政見放送であった事を伝えても、聞き間違いで、私の事を嘘つき呼ばわり。だから、そんな輩には良い事も悪い事も何も言わなくなりました。すると、「お前は何にも言わないから、知らんのだろう」と無能無知呼ばわりしますよ。バカは困ります(笑)。

親父の話に戻ると、それこそ人権無視・人権侵害を家族に押し付けていたから、逝った瞬間、ホッとする部分もあった。ただ一つ、「女房と子供達が困らないように」と少し多めの金を残してくれたのは助かったが、姉が二人がこれを狙って暴れ、命まで狙われている。困ったもんです。(笑)

こう言う話を聞かせても、多くの人は「穏便に」と言うから、「録音物があるから聞いてください」って言うと、苦笑いしながら嫌がりますよ。

結局、親父は「子供は親の犠牲に成って当たり前!!。命を掛けて犠牲に成って当たり前!!」としたが、子供を持った多くの方親達は、そんな事を言いません。多くの場合「親は子供の為に犠牲に成って子供を守る!!」って言いますよね。中にはネグレクトなど児童虐待と言える行動で幼子の命を奪う親達の行動も、考え方や行動が子供達の命を犠牲にしているように思います。

昔の戦争映画を観ていると、特攻隊や死に行く兵隊さんは「天皇陛下万歳!!」って叫びながら死んでいくシーンが多かったように思うが、[連合艦隊]とか[男たちの大和]に成ると、「死ぬな、生きて帰ってこい!!」って言葉が当たり前に使われており、若い士官がズッと若い兵隊に、「これからは、お前達 若者が日本を救わねば」と、命綱を若者に譲り死んでいったシーンもある。

「終戦直後の日本人男性の平均年齢は幾つだったか?」と言う問いに、「ン~40幾つ」とか「50幾つ」と言う答えが返ったらしいが、私の記憶に間違い無ければ24歳位だったと思う。何故かと言えば「多くの働き盛りの男達は、戦争に取られて死んじゃったから、生き残りの多くが幼子赤子か高齢者・病人・怪我人ばかりだから」。これを考えると、私の父親の考え方は、戦争当時は間違いで無かったと言えるか(笑)。