Archive for 2 月, 2021

色々と思い出してみたら、総べては恨み節(笑)。

亡き人を思い出すと言うが1月11日に旅立った母親の事は思い出す事は殆ど無いし、涙も出ない。一昨年の11月1日に母親を亡くした患者さんは「思い出す事も無し涙も出ない」と言ってたが、母親存命中には「おふくろが」「おふくろが」と煩い位に言ってたから、母親が旅立ったら大騒ぎ&大泣きをすると思ったが、意外と思える位ににアッサリした別れであった。

私の場合、母親と二人の姉達が、女房に対しかなり酷い人権侵害をやってたから実家に帰ったまま。そんな女房を庇い切れなんだ私も情けないが。そんな関係での独り住まいだから、認知症にった母親の面倒を見切れな成って施設に入れたんです。アメリカに行ってる姉や近くに住んでる姉は、[何もしないで口だけ挟むだけ]だから、母親を姥捨て山に入れる感じで預かって貰った。だが、施設に入れた途端、母親が「此処から出して家に連れて帰ってくれ」と懇願したが、連れて帰ってもどうしようもないから預けておくしかない。

丁度、アメリカへ行ってる姉も帰っており、「お母さんが出してくれって言ってるんから、此処から出して!! 私の頼みも聞いて貰えんの?」と言ったが、認知症の入った母親を見ても無いオナゴの頼みなんか聞けるか!! 「出してくれたら、アパートを借りて二人で生活して絶対に面倒を見るから」と言った。だが私は「何を言うか素人が。出来るもんならやってみな。お前のやり口は、<絶対できる・絶対する>と言いながら、<出来無い事が解った>ら、<あんた、後はお願いね!!>ってアメリカへサッサと逃げて帰るのは解ってる。」とまで言うと、それから新居浜駅を朝8時ごろ発の普通列車に乗り、伊予氷見の施設まで行って、基本、施設の人々の手伝いがありながら、4日目頃には疲れで風邪を引き熱までだした。おまけに薬まで買いに走らされたんですよ。結局、それっきり毎日施設へ行く事も無くなったが、このバカ姉の口車に乗って施設から出してたりしたら、大変な出費と無駄が出たのですよ。

そして「連れて帰れ」と言う母親を、私は言い含めた。「家に連れて帰っても良いが、貴方があの家に帰ったら私はあの家を出るからね。そしたら貴方は食事やら何やら、訪問看護や訪問介護を頼んでも一人では生きていけない。当然、餓死か何かで逝ってしまう。すると、私が保護責任者放棄で犯罪者となる。それでも良いと言うなら、連れて帰ってあげる」と何度も何度も言いました。だって、近くに住んでる姉なんて、習い事や大した事をしてないのに「忙しい!! 忙しい!!」って、当家に殆ど寄り付かなんだ。娘にでさえ、「忙しいって、大した事をして無い」とまで言われたのだ。おまけに「母親が死んで49日も済んでない」のに、当家へ治療に来てはお仏壇の母親の骨に手を合わせる事無く、金の話をして「三分の一持って来い」「通帳出せ」って怒鳴り散らすのね。チョッと可笑しいとおもいませんか?

しかしネ~、冒頭の患者さんもだが、私も相当面倒は見たつもり。だから死んだ時は、正直「ホッとした」というのが本音。冷たいようだが、長く父親なり母親なりを<看取り続ける>って事は、<私自身の体力や時間を使ってる>、言わば<自分の命を削りながら看取ってきた>のね。それを<年取った両親を部分 看取った女房には遺産が行かず>、ほぼ何にも看取らなかった<姉達は[三分の一を寄こせ!!]って発言>する。法律では子供の数で親の遺産を山分けと成ってるが、<義務を果たさず堂々と権利のみを請求>するって厚顔無恥の典型である!!。やらずブッタクリの典型である!!

仕事上の都合で、休日は日曜日と元旦だけ。母親を施設に預けて約9年。松山へ会議に行く時は鈍行電車に乗り、帰りは伊予氷見で降りて施設へ。そのまま帰れば新居浜へは19時前後には到着するのに、施設へ寄ると20時位に。帰りの電車で疲れたからビールを飲み、飲み足らぬと駅でもう一本買い、空き缶を捨てに行こうとして階段で足を滑らせ、下まで滑り落ちた事も。約9年間、電車で行った時は夏の暑い日も冬の寒いも、駅から施設に歩きました。

タマ~に時間のある時には車で行く事も。時には、健康の為に讃岐方面に駅からウオーク大会に出掛け、帰りは新居浜駅を通り越し伊予氷見迄行って、面会済ませて新居浜へ。母親と同時期に入った入所者にしろ、途中で変わった施設長にしろ、私の行動力にはビックリしてました。と言うのも、認知症を患って無かったら施設に入れる事も無かったし、母親が帰りたがったのに、色々な意味を含めて姨捨山に放り出したと同じ罪悪寒もあったから。母親を施設に入れて数か月後、ある週刊誌に「高齢者と不動産を相続してはならない!!」と記事が出てたけど、両方とも相続した後(笑)。「もっと早く書いてくれよ~!!」って泣きましたヨ(笑)。

母親の旅立ち後、相続の手続きをしてるが、初めての事で解らぬ事もあり、銀行の人にも手伝って貰いながらやってるが、近くに住んでる姉は葬式一切の事も何も人任せだったから、何も出来ない。バタバタをしてるのに色々と聞いてくるが、理解力が無いし、私も2つも3つも用事を抱えてやってりがら、理解力の無い人間に説明する時間が勿体無いし、バタバタして置いた物が解らなく成ったりしてグチャグチャに!! 皆さん「一人で抱え込まない方が良い」と言ってはくれるのだが、姉に手伝わせたら余計にグチャグチャに成るし、「手伝わせた!!」と言って怒鳴り散らすんですよ。前に書いた通り、施設から持って帰った衣料品を下ろしに行ったら、「飯時に来て、私はご飯食べてベよるに!!」と怒りだしたから、「ワシや飯も喰っとらんわ!!」と怒鳴り返すと。それわそれはご近所さんに恥ずかしい位のどなり合いとなるんです。

このは話は極一部だが、信頼のおける方々に触りの話をして意見を聞いてみたら、「此処の話は複雑怪奇で何かが可笑しい」と呆れるのですよ。それも何人も。まあ何処にでも大なり小なりの似た話はあると思うが、「チョッとネ~」と言う話。

当家の女親子母親は欠けたが、頗る評判が悪いのです。当家の土地を売る話に成った時、何処からとも無く悪い評判が聞こえてきたから調べてみると、三人共、彼方此方で要らぬ事を言って相手を怒らせてるのね。私は他人の顔して事情を聴いてみたら、概ね親父の評判は良い。私の話は余り出なかったが悪い感情を持ってるふうは無かった。結局、女親子三人の悪口をボロボロに言ってたし、別の女性が「お宅のお姉さん、口賢く言ってるけど、心の通わぬ人だね」とか「気違い女じゃ」と言う話は必ず聞きます。その余波で、私も随分と悪く解釈されてたらしく、ある酒の席で「話してみると、聞いてた噂より随分と良い男じゃ!!」と言われた事がある。身内に変な奴が居ると困る典型でしょうな~。私も、女房や子供や孫の障害に成らないように気を付けないと(笑)。