七草の謹賀新年

正月の挨拶も、一週間も経ってから・・・何時もの事ながら、色々あって(笑)。

今年の正月は、本谷温泉で午後から半日は湯治のあと、床暖房の入った畳の間の休息室でシュラフに包まって中途半端な寝正月をやろうと思っていたが、氏神さんの初詣から予定が狂っている。

大体が、12月31日の23時55分位には氏神さんの浦渡神社の神前に行き、一日の深夜零時の除夜の鐘が鳴りだして始まる神事でお祓いを受けるつもりが、余りの寒さと眠たさで中止。元旦の午前7時過ぎにお参りに行き、隣の隆徳寺が菩提寺だからお参りに寄り、そのまま西条の施設へ母親を見舞いに行き、ついでながら子安大師・香園寺へお参りに行き、そして出雲大社土居教会へお参りをし、最後は観音寺の琴引き八幡宮へお参りに行きました。結局、湯治目的で本谷温泉へ行く予定が、神社仏閣の梯子をやってしまったと言う次第。

何時も思う事だが神社仏閣も梯子したりすると、神さん仏さんの喧嘩に成ると言うが、この話は完全なる人間の感覚で作った話だと思う。キリスト教系の宗教戦争なんぞも、人間が神さんの名を借りてやった代理戦争の極みだと思う。

本来、神とか仏と呼ばれる方は一人の筈。余裕を持たせてもそんなに居ないと筈。そして身体の実体は目に見えない筈のもので、人間が自分達に都合の良いように、人間に似せた身体を神や仏に持たせたと解釈しちいる。近年、「この大自然のエネルギーこそ神であり仏である」と言われる方が増えたが、大正解だと思う。何故なら、それを証明する科学理論が確立されて無いから、憶測でしかない。かと言って、それを否定する科学的理論も確立されて無いのだ。

こうなると堂々巡りと成るが、感情的に成らず色々な現象を積み重ねて理論化できれば、今で言う科学と認められる事にもなるのです。

 

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