【近藤鍼灸院の健康新聞】⑱「脳脊髄液減少症」

[脳脊髄液減少症]は、もともと低髄圧症候群と呼ばれていた。治療には、脳外科医か一部の整形外科医が行うとされている。治療方法は、脊髄に何等かの原因(多くが鞭打ち症)で穴が開き脊髄液が漏れるから、この穴をブラッド・パッチと言う治療法で塞ぐと言う事だ。ブラッド・パッチとは、自家血を脊髄液に入れ、血液の瘡蓋で穴を塞ぐと言う方法。私がこの病気に出会ったのは、私がガン発症をする2程前だったと思う。

珍しく日曜日の午前中に自宅に居た私は、知人の来訪を受け待合室で話をしていると電話が鳴った。初めての患者さんからで、丁寧に「今日は、お休みですか?」って聞かれて、素直に「はい」って答えると(笑)、「済みません」と断りソロリと電話を切ろうとしたから、「もしもし、具合が悪いから電話してしてきたんじゃないの?」って聞くと、「はい、そうです」と答えたから、「良かったら、今からおいで」と言うと、午後が良いと言うので待つ事にした。ただ失敗したかなと思ったのが、土居町の人だったから来るだけで30分近く掛るのです(笑)。「おいで」と言った以上、知人には失礼をして貰い、治療の準備をして食事を済ませた。
約束の時間に来たが、具合の悪さをそんなに感じない。治療をしながら話を聞いてみると、「パニック障害で、新居浜K病院の精神科に掛っている」と言うが、精神科とかパニック障害の雰囲気がまるでない。4日後に治療に来たから様子を診ていると、頸椎を中心に歪みを感じる。「鞭打ちとか、何かで頭を打ったとか首を傷めたとかの記憶は無い?」と聞いたが「無い」と言ったが、5度目の治療の時、驚きの回答があった。
「七歳の時に、裏の畑に行こうとお姫様抱っこ形式で荷物を持ち線路を横切ろうとして、手前の線路に躓き、手を着く間も無く向かい側の線路で一直線に額を強打した」と言う。その時、頭から落ちたように倒れたから、首が身体に潜り込んだ感じがしたと言う。線路上の転倒で慌てた両親が駆け寄ったが、状況が解らず額を強打しただけでタン瘤が出来位にしか思わず、そのまま放置状態だったと言う。そして30歳で結婚し、その披露宴終了直後にパニック障害の強烈な発作を起こし始め、回り回って新居浜K病院の精神科に掛る事に成ったと言う。

鍼灸治療に関しては、当然だが幼い時から肩凝りで鍼と灸を受けており、灸を据えるに限っては、専門家の私が下を撒く程に上手(笑) 。そして自宅近辺の鍼灸院に掛っていたが、日曜対応して貰えず、電話番号を調べ当院に来たと言う。

幼い時の転倒で頭を打ち、首が身体にめり込んだと言う事で、K病院の整形外科の受診を勧めた。本人もその辺り解ってたから、即受診。頸椎のレントゲンを撮り現像が出来上がり、それを見た医師は、「これだったら、パニック障害を起こして当たり前」と言ったと言う。その一言を聞いた患者さんは、「先生、私がこの病院に掛っているは、正にパニックなんです‼」。誰にも理解されぬ症状に苦しみ、看護の両親や兄弟に心配を掛け、漸く治る糸口が出来た瞬間であった。

その整形外科医は、後に解った事だがブラッド・パッチでの脳脊髄液減少症のスペシャリストで、世界№2の症例数を持つ御仁だった。やがて、ブラッド・パッチの小手術を勧められたが、それ迄に新しい治療を勧められて受けると、それから何日も強烈な発作に悩まされる事で躊躇していた。患者さんから治療法その他の情報を聞き、既存の治療法では治す事・良く成る事は無いと判断し、私もブラッド・パッチを勧めた。

それでも、一縷の望みを掛けて治療後のパニック発作を出ない方法を探していたらしく、香川県M市のM総合病院の物療の治療が評判良いと話を持って来たが、「評判の良い病院の物療でも、その辺の病院や接骨院と何ら変わった事は無いと思う」と言うと随分と気分を害したが、本人が納得するように一度は受診を勧めた。そして何日かして受診をし、物療の治療方法を聞いたが、他の物療と同じ事から治療は受けずに帰って来たと言う。かと言って、このまま放って置く訳にも行かず、ブラッド・パッチを勧める内に受ける気になった。

やがてブラッド・パッチ治療を受けたのだが、反動で強烈なパニック発作を起こした。当然、勧めた私も彼女の恨み節を聞く事になったですけど(笑)。脳脊髄液の漏れを起こす穴は予想外に大きく、結局2回程のパッチを受けた。平素の生活は楽そうになったが、だからと言って動き過ぎると夜間のパニック発作が酷く成る。やがて入院治療と成ったが、外部の人間が鍼治療をする事は出来ないので、関係者一同、必死に隠れてやりました。

その内、担当医から患者に「何かあったら私が全責任を持つから、往診に来て貰ってくれ」と言われ、随分と楽に成ったが、この年の前から私が体調を崩し、この7月に酷く成り受診すると、別の項で出てくる末期ガンそしてそのまま入院。患者さんや知人達には「何日の月曜から、暫く入院します」と連絡してたから、入院当日、入院手続きも落ち着いたろうからと、午前10時過ぎると何本かの見舞い電話(笑)。その後、検査も漬けの毎日も終わり、外出禁止も解けた事から、外出をして何人かの入院している患者さんの見舞いを(笑)。

そうこう言う内にガン手術も済み、一通りの治療も終わり、やがて退院へ。

やがて患者さんも退院し元通りの治療に成ったのだが、面白い話が幾つか。彼女のパニック発作は夜間に起こる事が多く、御両親が24時間交代で転寝しながらの介抱になるから大変。当然、私も部分 巻き込まれる事に(笑)。

1回目が、夜中の深夜12時を過ぎた頃に携帯に着信。まず使う事が無い着信音を彼女専用にしてたから即、解る。電話を取ると、携帯の向こうではお父さんの怒る声がする。「先生もまだ養生が必要な時に、お前がそんなワガママ言ってどうする‼」と怒っている。「だけど、此処2~3日の連続発作。何とかして欲しい」と言い争ってる。フト電話が繋がってるのに気が付き、「先生~」「全部聞こえたわ。行くわ」で準備して出掛けたが、帰宅したのが午前3時過ぎ。

2回目が、午前6時前。5時半頃だったか、携帯電話で起こされた。前回より少々悪そう。こんな時の為に往診鞄は緊急出動(笑)出来るように用意はしている。家を出ると早朝故、車の往来が少ない。午前6時前には到着し、挨拶の後に一言。「午前9時には予約が入ってるから、発作の収まり方に関係なく8時半には帰ります」と宣言し、治療開始。寒い時期故、暖房に火を入れなきゃダメ。8時に自宅へ電話を入れると母親が出て来た。「私です。9時には患者さんが来られるから、ファンヒーターを起動させておいて下さい」と言うと、「あんた、こんなに朝早くと言うか昨夜からか、何処で何をしてた‼」と凄い剣幕。朝、新聞を取りに行くと私の車が無い。往診鞄も無いで、キレたらしい(笑)。「仔細は帰ってから説明するが、往診の仕事で早朝から出掛けました。この電話は携帯から掛けてるから、ユックリ説明はできない。では」で伝を切った。その間、患者さんは手を合わせて土下座状態で私に謝っている(笑)。で、8時半にはお邪魔し自宅へ。9時前に着いたのだが、患者さんが来ており、ファンヒーターを付けるに失敗し、大騒ぎに成っていた。

その後、彼女が嫌っていたマイナスイオン(ネガティブイオン)を追加し、此処では書けない特殊な治療法(任脈・督脈の閉鎖)を追加し、それ迄の治療が何だったのかと思える程な順調な回復をし、僅か1年で、トータル4年半で日常生活に支障が無いところまで良く成り、首都圏の嫁ぎ先へ戻ったと言うハッピーエンドでした(笑)

 

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