この歳になり 気付く事

若かりし頃、大人達から注意されていた事は、理屈で解っていても実行できない事ばかりだったように思う。結局は理解しようとしなかったから、解って無かった事になる。それが歳を取り、子供が産まれ、やがて孫が産まれ、俗に言う平均年齢と言う訳の解らぬ余命宣告みたいなモノが心の中を支配していく。

83歳半で逝った親父は、80歳頃から「死」と言う概念に異常に忌み嫌いだした。墓参りに行って皆が拝んでいても、墓に一番近い所に立たせていてもクルッと墓に尻を向け、「皆、信心深く成って」と、ヘラヘラと笑っている人だった。
ある年、1月2日が命日だったから何回期かで寺へ行って墓前で拝む事に成った。天気が少々悪く、雪花が舞っている。読経が始まる前に、気を利かせた住職が言った。「寒いから、年寄りは本堂へ行って待って下さい」と。だが、誰も動こうとはしない。その内、皆さん顔を見合わせて笑いだした。住職もつられて笑いかけた。何故なら、参列者の多くどころか、若者と言えるのは我が娘と息子だけ。とうとう皆で吹きだした。その時、姉が言った。「誰も、自分が年寄りと思って無いみたい」と。その一言で住職は笑いながらも気を取り戻し、儀式は無事終わりました。

で、話を戻すと、現在の日本人男性の平均寿命は83歳位だったか。今、治療院を直しているが私は今年67歳。平均寿命まで16年程。長生きしても90歳と考えても23年。「直すだけの価値があったか?」と聞かれてると、「無い」と答えるしか無い。理由は、女房は今治の実家を相続して修理して、悠々自適に一人住まいしている。娘は、地方公務員に成り国家公務員の旦那と子供と埼玉で生活しているし、息子は横浜の結構大きな企業に就職したらしいが、その後、私とは音信普通。

だから、今の家を直しても相続する者が居ないから、現状で売るか壊して更地で売るかしかないのである。まだまだ体力の残ってた時期、中古住宅を買ってリニューアルし、現在地は丸々月極の駐車場にしようとも考えたが良い所が見つからず、リニューアルの方向へ。

建物が順次壊れていくのを見て、初めて親父の偉大さが解ったような気がする。その親父がまだ若かった頃、「お父さんの言ってる事は、年取ったら解るし、感謝する気持ちにも出来る」と言う意味の事を言ってたが、ソックリではないがその通りのような気がする。

歳を取り、まだまだ解って無い事も多いが、死ぬまでにどこまで解るか。解脱から悟りへ、まだまだ先のような気がする

 

Leave a comment

Comments are closed.