親父は偉大だった?

親父が元気な時は、何時も言い争いをしてたように思う。タマ~に機嫌の良い時は、優しい善い親父だった。この親父の優しさは私の婆チャン、そう親父の母親。知ってる人は少なく成ったが、伝説(笑)のような優しさの話が今でもでてくる。

私が産まれる3年程前に、今で言う急性心不全・心臓麻痺で逝ったらしい。産まれたばかりの姉を抱っこして座敷で子守をしていたが、赤ちゃんが泣きだしたか何かで唯ならぬ気配に気が付いた母親が様子を見に行くと、子供を庇うように抱っこして倒れてたと言う。親父は親父で、休みだから近所の誰かさん所に遊びに行ってる筈が見つからず、見つかる迄に随分と時間が掛かったと言う。親の死に目に会えなかった事から、随分と後悔していたらしい。

そして月日は流れ、私が中2年の14歳の時に親父が現在の家を建てた訳だが、意外に世間知らずの親父は後先考えずに、大きなビルを建てる感覚で、二階家の鉄筋コンクリートの仕事用の民家を建てた。将来的に、私が金儲けを始めたら3階建てに増築できる設計に成っていた。しかし、親の跡継ぎで歯医者に成って無いし、仮に成ってても今の過当競争が激しい中では既に、「歯医者は儲かる」って言葉は死語に成ってる。

鉄筋の建屋を本格的に撤去する気に成ったのは、親父が逝って15年。何もかもが中途半端な為に、修理するにしても使うにしても何もかもが無駄に成る為、結局、木造部分を残してリニューアルし、鉄筋部分を撤去する事に。知らない人に言わせれば突然行動に移したように解釈するが、色々な意味で体力のある内に行動しないとね。そして、空いた土地は月極の駐車場にする予定。当然、専門の管理者を入れ、無断駐車はビッシビッシ捕まえるのです(笑)

壊す段に成ると、建築会社や色々な人が、「まだ綺麗なのに、修理して使えば良いのに」って話がくるが、大きな建物が一番有利な場所にドデ~ンと腰を据え、50年以上使って手入れ不足だし、彼方此方がボロボロなので、「直して使うと提案」した人々に説明しながら現場を見せ、「こんなの、どうするの?」って聞きながら「パッと見た目だけでモノを言わず、何十年も使った挙句に、無駄な出費を抑える為にも壊す事を決めた訳」って言うと、黙ってしまいますね。

面白い事に、週に2回タクシーで来てる患者さんが、「あのタクシー会社の運転手は、頭が悪い」って笑っている。理由を聞くと、タクシー運転手は「此処、いま何しよん」と聞くらしい。「治療室は裏に出来てるから、鉄筋の建屋を撤去して、玄関と待合室を作ってお終い」とまで説明しても、それでも「建て直しするん?」と聞くと言う。何人もの運転手が代わり替わり同じ質問をするらしく、同じ運転手が何度も同じ事を聞くと言う。聞かれる患者さんが腹を立て、「此処の先生に、その辺りの質問をするなよ。あんた等、ワシに同じ事を何度も聞いてるのに、違う事を言いだすし、ワシに何度も何度も聞く。そんな事したら先生に怒られるぞ‼」って言ったらしい。このタクシー会社、親父の代から60年以上も使ってるんですよ。なのに、撤去工事が始まる何カ月も前から、「近藤鍼灸院、撤去工事が始まってるますよ」って言い触らしたと、他の患者さんの証言もある。

この鉄筋の建物の内部整理から撤去まで、写真と動画で記録しているが、最後の土台辺りに成って、「親父の心意気と、その偉大さ」を感じ取れた部分がある。

親父は幼い時に貧乏してる中、今の中学を出て仕事をしていたが、高知の嶺北山の中で一生を終える事に疑問を感じ、東京の知り合いを頼って歯科技工士に成る為に上京したが、その知り合いは既に辞めて居なかったと言う。予定が狂い、仕事の無い状態が何日が続いたが、話を聞いた木賃宿の亭主が知り合いの歯医者さんに頼み込み。住み込みの技工士として雇って貰ったと言う。

本来はそれで終りだが、息子さんが長期休暇で歯科大学から角帽を被って帰ってくる姿を観て、歯科医師を目指す事に成ったと言う。しかし高校を出て無いから、周囲の人々が一大プロジェクト(笑)で裏技を使い、今では考えられないが夜間の商業高校3年生に編入させたと言う。卒業して6年生制の歯科専門学校へ入学し、周囲の人々の協力も得て7年で歯科医師免許を取得したと言う。

「チョット寄道の話」で、現代でもボロ高校の進路指導の教師が、歯医者に成るには歯科技工士に成って検定試験を受けたら成れると思いこんでた先生が居るのです。それも、その高校の教諭の95%以上が確実に思い込んでたと言う怖い話がある。だから、「歯科技工士の学校へ行き、お父さんに生物や解剖や歯科関係の勉強を習てて、その他の一般科目は塾へ行き、検定試験を受けて受かったら歯医者の免許は取れるだろう」ってヌケた事を言うから、「先生、一般的に歯医者・歯科医師に成るには、医者と同じく6年制の歯科大か歯学部に行って、卒業したら国家試験の受験資格を与えられ、その試験に受かったら合格証書を与えられ、それを持って保健所へ行って厚生省(今の厚労省)大臣宛に免許証の交付申請をして、免許が来て保健所で受け取ってから初めて歯医者の先生って扱いを受けるのです」って説明いしても、「此奴、何を訳の解らぬ事を言ってる」って不思議そうな顔をして私の顔をマジマジと見てましたよ。

面白い事に、学校の多くの先生って、「教育現場の教師・教諭の多くは、教師はこの世のあらゆる資格や地位の最高位にあって、仮に医師・歯科医師であっても、言うなれば天皇陛下や総理大臣であっても、我々に傅かなければ成らない」と思ってる節があると感じます。

寄道し過ぎたが、そして鉄筋部分の荷物を片付け、撤去に向けての準備をしていて、この時点で50年間 生活してきた思い出が思い出されてきた。時に、子供達の思い出の品物を片付けながら泣いた事もある。

そして令和元年5月10日、鉄筋部分の柱を残して無くなりました。親父が苦労して建てた二軒目の家、その表に成ってた鉄筋が無くなった時、初めて親父の偉大さが解ったと言う次第。暫くは色々な思い出に浸り、辛いだろうなと思います。

 

Leave a comment

Comments are closed.