行く夏の終わりに思う

夏休み前だと言うのに、夏物衣料の放出がボツボツと始まっており、夏祭りや花火大会などの恒例の夏祭りの類が近く成った。独り住まいに成って、「何が一番変わったか?」と言えば、寂しいのも最初だけで、慣れてくると広いだけで薄暗い家に家に居るより、逆に人の温もりを探しに人混みの中へ出掛ける事をするが、逆に帰宅した時に人気の無い真っ暗な家に帰ると言うのも、随分と寂しさを増大させる。

何十年か前、同居していた私の両親が簡保の旅行に行き、別コースの一人分の旅行券があったから愛妻に行かせ、たまたま愛妻の御両親が転勤で新居浜に来ており、おまけに官舎が歩いて10分も掛からない所だったので愛娘を預け、私は独りで仕事をしながら留守番。原則、預けた娘には会いに行かない事に。

午後7時近くに成って最後の患者さんの治療が終わったのだが、釣銭の両替をと思い廊下に出ると、自宅方面の居間から台所の電気を付けてなかったから真っ暗。それを見た瞬間、「俗に言う鍵っ子って呼ばれる子供達が、人の温もりを求めて友達の家を転々としたり、繁華街へ行き、やがては優しい言葉で誘われて悪の道へ転落・・・当たり前か」と感じた瞬間だった。

これから夏の本番、暑さの盛りを迎え、それを惜しむように夏祭りが行われる。第一に人気があるのは花火大会。そして盆踊りの類。盆踊りもノンビリしたメドレーと踊りから、最近ではリズミカルな曲と踊りに変貌しているようだ。
それでも全国的に有名な「阿波踊り」や「よさこい踊り」などは、伝統の踊りも続けられているようだ。一度は観に行こうと言いながら、貧乏してしまって行けず終い。

それに独り住まいに成って感じる事は、何処かへ出掛けるにしても独りだと何となく面白く無いし面倒臭い。留守番してる家族が居れば、美味しい物でも一つ、珍しい物があればお土産にと思うが、待ってる家族が居ない家に帰るって、何の楽しみも面白みも無いんですね。だから、ついつい出掛ける事も少なくなる。

人の集まる場所に行けば、多くが家族連れやアベック。単独行動だと、悲しい位に凄~く目立ちます。

何十年か前、丁度、桜満開 晴天の花見時期の日曜日に、カメラを抱えて松山城の城山へ出掛けました。ところが、大変な事が起こってました。あの天守閣広場には、数えきれない位の敷物がビッシリと敷き詰められ、数えきれない位の花見客が酒に弁当にと大騒ぎをしているではないか。それも、天守閣に向かう通路はキチンと開けられている。その風景を見て、一瞬たじろいだが、開けられた通路を通って天守閣まで行ったが、登りもせずに帰ってきた。さぞや目立っていたとだろう(笑)。

息子が小学校3年生の頃、西条市のチロルの森へバスで行き、帰りは歩きだったのだが、夏は泳ぎに集まる場所には桜の木が沢山植わっている。丁度、桜も満開で焼き肉などしながら花見をしている。そこを、リュックを背負った変な親子と思しき二人連れが疲れた様子で歩いている。そうです。私達親子だが何故かこの日は疲れた一日で、西条駅から電車で新居浜に帰り、車に乗り換えて飯を食べに行った。余り人が集まる多い所へは、単独とか少人数では行っては駄目と言う教訓。

現在は初夏~真夏の時期の筈であるが、極端な天候不順の為に、秋が近いように感じる。まだ蝉の声も聴いて無いのに(笑)。何年か前か、もっと昔か、雨こそ少なかったが蝉の声が8月の中旬以降の遅くまで聞こえなかった年もある。一説には、余りの暑さに蝉も泣く元気が無かったとか(笑)。

令和元年7月20日㈯の今日、愛媛県内では開催が一番早い「土曜夜市」。今年最後の夜市の日で「稲荷市」。何時もなら夕方18時位からの開催だが、本日は15時から開催しているという。私の幼い時は、開催されてる喜光地商店街へ子供の足て歩いても10分も掛からなかった。それが理由無く行かせて貰えなかった。家の前の道路は狭くとも表通り。近隣住民どころか、随分と遠い所から浴衣を着せられた子供達が、何人も親子連れで歩いて行ってる。羨ましい限りであった。

その反動か、我が子が産まれたら親子三人で夜市に出掛け、二人目が出来たら四人で出掛け、子供達が幼稚園生に成ると、外へ出掛ける事の少なかった母親が参加し、その内、仕事を辞めた親父までが参加し、帰りには外食と言うパターン。幼い時の住居とは違ってるが、歩いても10 分程度の距離だから、年寄りや子供を連れての物見遊山に丁度良い距離。

そうそう、この原稿を書いてると梅雨明けし、同時に蝉の声も(笑)。余り暑いから、日にちを特定するのも面倒臭い(笑)。

 

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