時代は巡る

昔から言い古された言葉ではあるが、歳を取ってみると本当だと実感できる事がある。その結果が、思い出と言う名の舟に乗り三途の川を下る頃に成ると、世の中が随分と見え始め、家と言う桟橋に舟が着き、乗る人を待っている事実。

でもね、人は産まれた時は自覚が無いが、思い出と言う名の舟に乗っている。何故なら、思い出は歴史の上に成り立っているから、生後間もない子供達の思い出と言えば、産まれる前の事だけになる。それは、殆どが記憶から消えてしまってるが、稀に覚えている人も居る。

私は生まれる瞬間、母親の子宮から産道に出て、母親の体外に出た段階の記憶があるんです。信じられないでしょうが。それだけに、部分部分、人様が決して信じてくれない事を口にするから、変わり者の名を付けられるんですね。でも長年話してると、両親と数少ない友人達は、「お前が言ってるから本当だろう」と言う変人成る。そして最近は、思い出と言う名の舟で三途の川を下る話になる。

この話をすると、「先生、そのまま行かれんよ‼」と言う話に成る。私もまだまだ逝く気は無いが、16年前に胃ガンの手術をしている時に何度か麻酔が切れかけて、目を覚ましかけていた。丁度、硬膜外麻酔を掛ける時、体を捩じらせ背中を出すのだが、この時は笹の葉みたいな葉っぱが密集している所に投げ出され、その向こうから川の水が流れるような音が聞こえていた。何故かノンビリと、「お花畑があると言われてるし、綺麗なお姉チャンが迎えに来てるとも聞いたが誰も居ない」と感じてる内に、再び寝の国に。

次に目が覚めたのはICUの中。枕元でガチャガチャと金属音がするので目が覚めた。人の気配もする。「看護師さん?」って声を掛けると、「目が覚められましたか?」って聞かれたのだが、「目が覚めた自覚は初めてだが、何度か目を覚ましました?家族は?」「会われて無いですか。待って下さいね‼」と言うなり、出入り口の方に走り去った。

私の「目が覚めた自覚は初めて」って言葉、手術前日、麻酔医の先生から話を聞かされていた。「麻酔で深い眠りに入っていて、麻酔から覚めた瞬間、眠りに入る前の風景と違う風景を見てパニックに成る人が居るんです。だから、目が覚めた時は気を落ち着けて状況確認してくださいね」と。丁度、幼子が寝ている時に時間が勿体無いからと、車に着替えを一緒に車に積み込んで走っていると、幼子が目を覚ました瞬間。寝た時と目が覚めた時とでは大きく環境が違うから、パニック症状を起こして大暴れする時がある。実を言うと、我が娘も3歳位の時にやり、患者さんの娘が我が治療室で目を覚まし、余りの驚きで大声で泣いた事がある。それてと同じなんですね。

やがて看護師に案内されて、ドロドロと家族が入ってきた。見ると、来ていた筈の叔父が居ないし、居なかった筈の息子が居る。「叔父さんは?」 「仕事があるとかで、アンタの無事を聞いて帰った」 「ところで息子よ、部活で格好へ行ってた筈だろ」って聞くと、「午前中で終わったから帰ってきた」 「そうか」。あと、手術室へ入る前に居た人は全員居る。それでICUの中で無駄話をして家族は出された。

手術後24間はICUの中へ幽閉される(笑)。術後に起こり易い急変から守る為だが、パニック症状をおこしていた関係で、背中が痛くて眠れない。此れも麻酔科の先生に鎮静剤の注射を頼んでいたのだが何故か聞かない。家族が出る直前に、入院室のバッグの中に肩叩きを入れてたのをICUに持って来て貰ってたんだが、これが背中の痛みに一番効いた(笑)

輪廻転生とか幽体離脱と言う話を聞く事があると思うが、この辺りの話、実を言うと初めてでは無い。何処かで見聞きしてるが思い出さない。ICUの中での生活は、何処かの項で書いた筈なのだが見当たらない。

病気とか死の話に成ると、異常とも言える程に避けようとする方々が居るが、特に死に関しては平等に迎える事に練っている。その現実から逃げようとしないで、ジックリと向かい合って考える必要があると思う。今で言う終活。

私の父親は、死と言う現実を極度に恐れ、墓参りに行ってもお墓に尻を向けて拝んでいる家族の顔をニコニコと見ながら、「信心深く成ったナ~」とか言いながら、其れこそ遊んでいました。死と言う現実を、全く受け入れられない人でした。みっとも無いと思います。

産まれて彼の世に行く迄、思い出と言う名の舟に乗って、三途の川をノンビリと旅をするっての風流だと思います。

 

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