親子の情&人間同士の情って何だろう。

二人の子供達が成人し、娘は結婚をして二人目の子が産まれ、息子は大学を出てから私との音信が途絶え、生きてるのやら死んでるのやら。連絡をしても返信が無いから、タマ~に戸籍謄本を取ってみても、死んだと言う情報も無く結婚したと言う情報も無い。
ある人に話したら、「息子さんを探しに行かないんですか!?私なら、解ってる範疇の事を元に探しに行きますよ‼」と言うが、それは平均的に大きなトラブルの無い家庭での話と考えている。

私の父親は娘二人の挙句、「近藤家の跡取り」としての大望の私と言う男子が産まれたから狂喜したらしい。だから、小学生時代に何人かグループで友達が遊びに来て、庭木に登って遊んでると、「危ないから降りなさい‼」と怒鳴る。私も友人達の手前 幼子のように扱われて嫌気が指し、「皆も登ってるから大丈夫‼」と言うと、「皆はどうでも良い。近藤家の跡継ぎのお前が怪我をしてはいかんから、降りなさい‼」と怒鳴る。そう成ると遊びに来ていた友人達は良い気がしない。親父から言ったら「他人の子供が怪我しようが死のうが関係無い」ような言い種を目の前でされたのだから、誰だって良い気はしない。
その内、友人達はゾロゾロと帰り二度と来る事は無いし、タマ~に誘われて誰かの家に遊びに行っても、部屋で遊んでいると、「外で遊ぶか」と成って靴を履きだすと、連中は話が出来て居たのか私を置いといてドロドロと何処かへ走って逃げたのである。結局、報られた私は見つける事が出来なかったから帰りました。

私は2年保育の保育園に行ってたが、近所の多くの家庭では1年保育が多かった時代だ。
二年目の春、当家の2~3件隣の合田と言う靴屋の子供が入園してきた。私の顔を見ると「二年目か」と言い、「保育園が終わったら遊びに来いや」と誘われ、昼食が終わって遊びに行った。其処までは良かったのだが、その子の父親が帰って来て、一緒に遊んでる同級の子を呼んだ。暫くして、私の所に来て座っていたが、いきなり「お前、帰れ」と不機嫌な顔で言う。「何で、お前が来いって言ったから来たのに」と言うと、「お前んちは金があるから遊んだらん。帰れ‼」と言う。男親の妬み嫉みで遊んでいる子供達の間を引き裂いたのだ。似た事が度重なる。

小学校に上がり、初登校の朝、独りで学校へ向かった。当家から50m程先に木花鮮魚店と言う小さな店があった。行きは、「行き夜で~」と気軽に声を掛けてくれたが、下校時に成り店の前を通り掛かった私に「オイデオイデ」をする。何だろうと近寄ると、新居浜弁独特のイントネーションで「あんた所はエ~ネ~金が有って。ウチら金が無いけん中学出たら集団就職で夜行の汽車に乗せて都会へ行かないけん」と言う。木花鮮魚店には私と同い年の女が居たが、いい大人が年端も行かぬ子供に吐く言葉か‼だが、新居浜と言う土地柄、住友と言う企業城下町だから妬み嫉みが酷いのである。

だから角野(すみの)校区は山手に属して新居浜の先駆者的な色合いを持ってたから、教師達も子供の親の職業を妬んで酷い扱いをしてた。酷いのに成ると、地元の高校出で地元採用の住友の職員が若くして主任に成ろうものなら、教師たちが最敬礼をしていた程。幼心に「アホかいな‼」と思ってまし。

当家の二人の子供達は、大学出るまでに反抗期はあったが、子供達から縁をきるような言動に出るとは思わなかった。何かあって連絡しても無しの礫‼ 幾ら連絡しても何の返答返信も無い限り、ワザに探しに行く気も無い。そこに親子の絆なんか感じられない。特に息子は、私の父親が死んだ時は高校生位だったから泣きながら葬儀に出たが、女房の御両親が亡くなった時は来てないのである。何を考えてか知らないが、そこに人の情なんて感じないのである。

少々話が変わるが、私の母親の意向で学校の授業優先で爺ちゃん婆ちゃんの葬儀に私を参加させなかった。高校生に成った頃、何を思ったか私の母方の祖母が亡くなった時は葬儀に出ろと言う。葬儀が終わって居週間ほどは母親と話をしていて祖母の話が出ると涙が出ていた。ところが私の二人の姉達は「婆ちゃんが死んだって、なんで泣きよるん。可笑しいわ~」と言ってヘラヘラニタニタ笑ってるのである。この二人、年取って何かの用事で私の知人と話をする事があった。すると、その知人曰く、「お姉さま方、普通の話をしてても心が通じないと言うか通わない・・・」と言う感想を言ってたが、何と言うか・・・。

表向きは上品そうに喋るが、何事においても自分達が最上級の人種で、弟の私にでさえ、とことん見下した口調で嫌らしい話をするのである。だから、他人様なら二度と側へ寄るのも嫌と言う事に成る。多分、私も同じ血を受け継いで、同じ環境で生活していた分、随分と影響を受けていると思う。と、色々と書いていると、子供達が縁を切るように私から離れて行っても仕方が無いのかも知れない。

考えると私の両親が、人間として他人様への心遣い気遣いの姿勢が全く成って無かったから、人間としての教育が成って無かったのだと思う。だからその辺り、70歳近く成ったら誰も教えてくれないから、いまだにシンドイ思いで勉強してますよ。情けないけど。今では素晴らしい人材と巡り合い、ボチボチと生活しています。

 

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