CMを観る度に反省?

JR東海のTVCMで、[シンデレラ・エキスプレス][Xmasエキスプレス]がありました。山下達郎の綺麗で優しい歌声で[クリスマス・イブ]の曲が流れ、遠距離恋愛の一組の男女がイブに会えた喜びを表現したものだが、歳を取ってこのCMを観ても決して古さを感じさせない名曲である。今頃、古い話を持ち出して何なんだと思われるだろうが、これには深~い理由があるんですネ(笑)。一言で言えば、朴念仁の私は理屈で解っていても。女房が幸せを感じる言葉を伝えなかった事。若い頃、多くの同世代の女性は私を見た目だけで何の感情も無ゴミ以下の人間としか思わなかったし、実際に数人で私に面と向かって口汚い言動を吐き掛けていたから、「人間、特に若いオナゴは表面で綺麗な言葉で何かを言っても、陰・腹の中ではこんな薄汚い心で人を観てるんだ」って充分思い知らされていたから、女房が心から何かを言っても、可愛そうに猜疑心の塊と成っていた私の心に十分届かなかった訳だ。それでも頭の良い努力の人であった女房は、私の猜疑心を十分じゃないが氷解させたのも確か。

色々と諸説ありますが、男性を芯底愛した女性の心情に今も昔も余り変わった部分は無いような気がする。確かに女性には男以上の強いバイタリティーに溢れる部分がある。先日。亡くなった弘田三枝子氏が歌った[人形の家]の歌詞を聞いてると、一人の男を愛した直向な女心が端的に書かれているように思う。反面、ジュディ・オング氏が歌って大ヒットした[魅せられて]、女性のバイタリティ―溢れる本性を表現していると思う。

過去、私は女性に縁が無かったどころか、思春期の頃には其処に居ると言うだけで、口にするのも憚れるほど汚らしい言動で排除され続けてたんですね。だから、[人形の家]の歌詞なんぞ「絵空事の作り話で、一切そんな事あるもんか‼]と言い切っていたし、私に近寄って来る男女の多くが金品目的。よくよく調べてみると、[親父の地位と名誉と財産]が目的のケースが多かったが、結婚話に成ると少し事情が変わっていた。これらを説明していくと紙幅の関係で流石に多くは語れない。そして、こんな私にでも好意を寄せてくれた女性も少なからず居たようなのです。

先ず最初に思い出すのが小学校4年生の時、私のクラスに女子転校生が来た。住友の企業城下町 新居浜と言う土地柄、時期外れに転校生があったのだ。今回はGWを過ぎてからだった。そして私の隣の空いていた席に座る事に。やがて夏休み近くの某日、授業中に彼女が私に話し掛けた。「近藤君、私、近藤君の事が好きよ」と言ったのだ。50数年経った今でも正確に覚えている位だから、私にとっては驚天動地の出来事‼(笑)。突然の事に絶句してたが、理由を聞いてみた。「何で?」って聞くと、「近藤君って、凄く優しいから好き」と言う。だがこの話、結局そのままで夏休み入り、何故か夏休み明けには彼女は転校していたのです。そして、この時の「好きよ」は「好ましいと思ってる」意味なのね。(笑)

高校に入学し、連休明けにブラスバンドに入部した。すると、何人かの新入生女子が入部。「賑やかに成ったナ~」と思う間もなく、夏の甲子園大会の応援で練習に忙殺。と言う内に夏休み成った。そしていきなり夏季合宿と言う名目で笹ヶ峰登山と成った。参加は、全部員の約8割。後から入部した女子部員も5名程参加している。

登山初日は、集団で乗り換えの必要な路線バスを使うから、新居浜駅前を午前8時集合で出発して山小屋到着は午後3時過ぎ。到着後は、一休みした後は6食の人数分だから、当然の如くカレ~(笑)。二日目は特別する事も無い。部屋でトランプしたりゲームばかり。飽きた私は散歩がてら近場の山歩きに出掛けようと玄関先に行くと、一人の女子部員が後を追ってきて開口一番、「近藤君、誰か付き合っている人が居るん?」「イイや。この体型じゃ嫌われて、誰も真面に相手をしてくれん」「・・・誰か好きな人が居るん?」「それも無し。どうしてそんな事を聞く?」「・・・ウウン、チョットね・・・」と、そのまま何処かへ行ってしまった。だが山って所は、山小屋を出ても行く所もする事も無いから随分と暇である。部屋に戻ると寝てしまった。三日目は、早目の昼飯に最後のカレ~を食べてしまい、借りていた大鍋を綺麗に洗い、午後1時には山小屋を後にした。

下山後、私に「彼女は居るか」[好きな人が居るか」と聞いてきた部員が、私に特定の女性が居ないのが解ると、色々と積極的にお誘いがあった。映画に誘われたり、遊びに行ったり、用事が無いのに家まで訪ねてきたり、卒業してからはアパートの住所は知らせて無いのに手紙がきた。家に連絡して聞いてみると、母親が教えたと言う。大学から鍼灸学校に代わっても、正確に手紙がきていた。やはり実家の方へ問い合わせたみたいだ。その内、長期休暇で帰省すると家まで訪ねてくる。某日、「私、あんたの事を好きだったんよ。大三島の演奏会から帰ってきて学校でウロウロしてた時、手に持ってた封筒、あんたに渡すべき持ってたんだけど」と、告白された。

考えてみると思春期真っ只中の頃は、多くの女性に色白で太目の体型で忌み嫌われ、少し歳取ったら一方的に言い寄られてた部分がある。登山の時の女性に告白された頃、何人か足繁く当家に出入りしていた女性が居た。だが過去の経験から、相手の気持ちを確かめる事も無く時はすぎたのです。

鍼灸学校時代、何時も食事に行ってた食堂の娘さんにコンサートに誘われたりと、小さなお誘いが随分とありましたが、どれも成就せず。やがて資格を取って病院勤めを初めても、患者さんから結婚の世話話はくるが多くが不発。ただひとつだけ。同い年の女性があってみたいと言うので会うと、お互いが気に入ってたのだが、相手方の親族から財産目当ての話が出たのがでて、病院の事務長に「ウチの娘と結婚しろと言ってくれ‼」と言う話が耳に入り、女性本人から世話をしてくれた方に「断ってくるように、言って下さい」と言われたらしいが、本人同士が気に入ってるから自分達で断れないまま、世話をしてくれた人が断ってくれた。

でもね私が何時も言ってた「私はモテた試が無い‼」ってフレーズ、実を言うと病院勤務の時は年頃であった関係で色々な方から話が舞い込んでいたが、多くが「太いから嫌‼」「実家がデカ過ぎるから駄目‼」と言った理由で、その総数が80以上で、実際に見合いになったのが10回位。中には、私を騙して女に会わせたのが慣れて大騒ぎに成った事もあるし、黙って放っておくと、やはり「太い‼」理由が殆ど「鍼灸師である事」がネックに成ってました。

やがて、「私は結婚が出来ない‼ 縁が無い‼」と心の中で決めてしまい、話があっても気乗りしないまま適当に過ごしていた。ある夏の土曜日、当時、市内でたった一つあった百貨店前のバス停前で赤信号で待ってると、ドアが叩かれた。雨の中を誰だろうとみると、6歳若い従妹。乗せて帰れと言うから急いで乗せて発車したのだが、彼女も何故か縁遠い。

「帰り急ぎしてるか?」と聞くと、「急いで無い」と言う。「ついでじゃ、コーヒーでも飲みに行くか?」と聞くとOKの即答。だが、土曜夜市がある日だが、大雨だけに百貨店・スーパー・ファミレス・喫茶店の類は客で一杯。漸く国道のファミレスが空いていたから入ったのです。話をしていると、年頃なのに彼氏が居ないと言う。私も逆に聞かれたが。自慢じゃないが、縁遠くて付き合いのある女性は居ない。ああだこうだと言ってる間に、明日の日曜日にデートの運びと成った。それも従兄同士で(笑)。

何度目かのドライブで思ったのが、お互い相手に無縁の者同士。従兄同士なら結婚できるし、この娘なら気性も解ってるしと変な所で妥協案を出したが、その後、女房との話が出て、それに娘を私の嫁にと売り込みに来た一家が出現し、私の人生最大のモテ期だったように思う(笑)。

御見合いに成る前から80幾つもの潰れた話を持ってるだけに、「私はモテ無い男」と言ってると女房曰く、「お父さん、その話はせんといて。私が、そんなに魅力の無い男を選んだと思われるから止めて」と言われたのには、流石に反省。でもね、結婚式の時、我々新郎新婦が話をしていた時、側を通り掛かった元勤めていた岩崎病院の副院長(多分 今は会長職か)の星加晃医師が、女房に「何でこんなヤツを選んで一緒に成ったん」と、慇懃無礼な顔でヘラヘラと笑いながら言い、私達二人の顔を馬鹿にした顔で見てたっけ。それと、病院勤務の頃に時々話をしていた検査技師の近藤と言う奴も、いきなり「誰がオマエみたいな奴の所に来るんぞ‼」と言うし、物療をしてた誰だっけ、此奴も人を舐めた事を言ってたから、ある日突然死してやんの。

JR東海のCMソングの話が、随分と違った方向へ進んだが、今考えると、こう言った不遇と思われる色々な出来事があったから、女性が私との結婚を望んで言って来ても、素直には受け入れられなかったのも事実なんですよ。だから、結婚前から女房は私に愛情を注いでくれたが、それに応え切れなかった分、可愛そうな事をしたと猛反省している。

結婚前 まだ交際時期だったが、車で広島へ行く事になり、便を借りて呉の友人を誘った。所謂Wデート状態。四人で野呂山へ行ったのだが、友人曰く、「二人を見てたら彼女、お前と結婚したがっているのが丸解り。してくれって言ってるんなら、彼女なら迷う事は無いぞ。今は適齢期の男の方が多いから。いま逃すと結婚は諦めないといけないかも」とまで言われた。

そう言えば、星加医師と同じように、「誰がお前と結婚したがる‼」「お前みたいなヤツが、結婚できるか‼」と言う意味合いの事を毎日毎日、平気で私に口汚く罵りに来た連中が多かった。その殆どが岩崎病院関係者と出入りの業者。後々、病気をして休職中だった看護師の女性が岩崎病院の悪い噂を聞いており、確認で聞かれたから、色々と被害にあった私や患者や見舞客の事実の話をすると、「薄々は聞いてたけど、まさか其処まで酷いとは‼」って吃驚していたですよ。

そんな事もあり、岩崎病院の看護師や女性職員連中の言動、結婚話だけで味噌糞に言って断ってきた女性の言動で、女性に対する意識が悪く成っている上に、所謂 二人の姉や母親を見ていると醜い女の本性を見せ付けられたような気がする。そして、それらを取り巻く頭の悪い男達の言動に辟易しているのだ。

酷い時には、高校時代にチョット入部していたコーラス部から新年会をするとお呼びがかかった。「珍しいな」と思って行くと、やはりハメられた。新年会と言うものの、来ていたのは三人だけ。私を入れて四人。悪い予感が当った上に連中の対応が、「お前に用事は無い。お前の別嬪のお姉さんを連れてくるのを楽しみにしていたのに、何故、連れてこなんだ」と、私を責める話。「結婚してアメリカへ行ってるし、今年は帰って来ないと言う話だったし、第一、高校時代のコーラス部などから新年会など高校時代の集まりには出たく無いから断っといてくれ」と言われてたから、その旨を伝えると、まるで私の勝手な独断で呼ばなかった言い方をする。その様子は、三人で私を罵り始めたのだ。結局、挨拶も漫録に済まないままに、参加したく無いと言う姉を連れて行かなかった私を吊るしあげたのである。結局その会は散会状態。その日の夜、直接私に声を掛けた阿部と言う男から電話があり、「来年もやるから出てくれ」と言ったが、「アホか‼お前ら束に成ってあの言い種はなんじゃ。アレはワシに用事があったんじゃ無く姉に用事があったのが丸解りじゃろが。舐めるなよ‼。特にゴーヤン、1級上の合田が姉に岡惚れしくさって、ワシを出汁に呼ぼうとしたんだるが‼。どう言っても、あんな扱いされて行く気は無いから金輪際、電話もかけてくるな」と言って電話を切った。

一組なりの男女が、好きあって乳繰り合おうが何をしようが勝手だが、降らん事で私を巻き込み私をボロクソに扱った分だけ、ますます女性が絡んだ事に拘わりたく無いと感じるのです。最後に一言。私に関係の無い男女の営みや出来事には私を呼ばないでください。(笑)

 

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