何度も言いたい、「今年の夏は‼」

例年、暑い夏は「今年の夏は‼」と言い、寒い日の多い冬は「今年の冬は‼」って言ってる気がする(笑)。
ただ70歳近く成ってくると、体力の衰え・気力の衰えを感じだす。この話をすると、私より高齢の方々から「何を戯けた事を‼ 私等、アンタの年齢の時は病気もした事は無い‼」と、よく言うからジックリと話を聞かせて貰うと、なんと病気ばかりをしていたり、「シンドイ」と言ってダラダラ寝てばかりしていた事が発覚(笑)。話した本人も苦笑いしている。でもね、たまに寝込んでも本当に「シンドイ」と言わない人も居る。

今年の夏、救急車のサイレンの音が例年より多い気がしていたが、まさか自分が運ばれる事に成るとは思わなかった。その直接原因は脱水症から[蜂窩織炎]から[横紋筋溶解症]や[腎不全]まで引き起こしていたのだ。昼過ぎから心身共に可笑しく成り、身体に力が入らず床に転がったまま。治療に来た姉に発見され救急車で運ばれて、医者と話し合いで私のペースで治療が進み、本当に5日、正確には4日半で退院したのです。治療に来ている看護師さん等に「蜂窩織炎に成って・・・」って言っただけで、皆さん驚愕するのです。そして「5日で退院した」って言うと、「恐ろしい生命力じゃ‼」と言われたのです。

老人施設に預けてる97歳の母親が9月1日に様子がおかしくなり、病院へ運び込まれたらしく施設から電話が入った。それも今にも死ぬような言い方だったから、姉に連絡して行ったのだが、病院まであと10分程の時に「何処に居る、何をしよる‼」と言う電話が掛かった。朝一の電話もだったが、平素は女性が掛けてくるのに男が掛けてきた。それだけに語気のつ強さにカチンときてる。病院到着後、すぐに母親の所に通されたが、最高血圧が100以下に落ちてるし、医師は「もうすぐ死ぬ」発言をする。

実を言うと、母親の死にかけは二度目(笑)。最初は昨年の1月。だから1年8か月前。この時も、起床させ着替えさせてベッド脇に座らせた途端、様子が急変。慌てて病院に連れて行き、外来看護師が待機する玄関先に止め、ドアを開けた看護師が母親の異変に気が付いたと言う。そう、心臓が止まってたんですね。そのまま車の中で心臓マッサージをして事なきを得たという。

この時も朝8時過ぎに電話が掛かって「即病院へ」と言われたが、新病院は少し遠い所に建てて場所を知らなかったから到着迄1時間以上かかった。到着し処置室に通されたが、心臓が動き出して眼も開けたままだが、看護師達が「もう死ぬ」と思い込んでるから皆で立ってるだけ。一人の看護師が「顔を見てやってください」と言う。瞬きもしないままジッと天井を見ている。再び看護師が「何か声を掛けてあげて下さい」と言う。「・・・婆さんよ、シンドイか?」と声を掛けると、ギロッと私の顔を見たと思ったら目があった。その瞬間、私は「命を吸われた」と思った。

医師曰く、「持って今日一日」と言う事だったが、色々と誤算があった。アメリカの姉に連絡しても帰国2~3日先。それを医師は、「延命治療は断られたが、アメリカの人が帰ってくるまでは生かせときましょう」の案に同意したのだが、誠に凄い事に成りました。

心臓が止まった翌日に食べ物を要求されたからゼリーを食べさせたら幾つか壁たという。その翌日「何か食べたい」と言うので柔らかい物を食べさせ、その翌日「腹が空いた」たと言うので食事をさせたと言う。それ以来、元気に成り復活したのだが、[もう死ぬもの]と思って仕事が終わると毎日、片道40分の道のりを毎日通ったのだが、最初は何か言ってるのだが充分聞き取れなかったが、日を追う毎に「寒いのに暗くなって、気を付けて帰らんかいよ」とハッキリと聞き取れ出し、1週間目には元気な年寄りと何ら変わった風の無い言葉に成ってました。そして何日かして退院。施設に戻ったのだが、何週間かは「奇跡が思った」と言われてました。

そして今回、心臓こそ止まらなかったが血圧かスーッと落ちてしまい、慌てて私の所まで「すぐ死ぬ」感覚の連絡をしてきたのです。でも、私は上記の1年8か月前の事もあり、差し迫った異変をそんなに感じて無かったから、前回に比べて落ち着いてました。それでも十分な事をしてやれなかった事もあり、病院に残っていた姉の事もあり、葬儀の時に持たせてやろうと炊き込みご飯を炊いた。ただその日は連絡は無かったから姉に食べさせる事は出来なかったが、翌日治療に来たから持たせてかえらせた。母親の分は、2個の🍙にして冷凍しました。

タイトルの「今年の夏は」と言うより、今年の夏も色々ありました。(笑)

 

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