過ぎ去りし夏は

春先から新型コロナにやられて、天候迄もガタガタで、色々なイベントが飛んでいます。夏の高校野球が飛び代わりに違う格好で辻褄を合わせ、プロスポーツは無観客でやったが、やはりコロナ感染が見付かり、予防接種や治療薬の話も出てる割にスッキリとした話が無い。
「県外へは行かないように」と言った通達が出ていたが、多くの場合、普段の長距離は普通列車の旅をするのだが、コロナの影響で車で出掛け県外も当たり前(笑)。罰が当たったのか、[蜂窩織炎]と言うお相撲さんが掛かる病気に成り、[横紋筋融解症]までやって、ついでに[腎不全]迄。
2~3日ほど可笑しかった体調が、某日の昼過ぎから心身共に可笑しくなり、記憶が無かったり夢と現実の境が解らなくなったまま床に転がってました。丁度、姉が治療に来る日に発見されたのだが、二進も三進も行かないから救急車で運ばれて5日程入院。
医師に言わせると「本当は、1週間~週間の入院」だったのだが、自分の病状から察して5日。長くとも1週間で最悪10日と踏んでいたが、医師との交渉で「検査結果に依って日もオーケー」と言う事で、本当に5日で退院してきました。本当は、あと2~3日は居ても良かったんだが、退屈で退屈でと言う割にズットと暑さと疲れとで睡眠不足してたから結構寝てました(笑)。
その病気の後遺症が残ったまま退院してきたが、3か月経った今でも後遺症が残ったまま。救急車で運ばれた病院では内科医が担当だ退院してから2回程 通院して抗生剤が止まったから、掛かり付けの外科に勝手に転移(笑)。薬を出して貰ってるが、症状を事細かく説明し、自分で予測しながら勝手に計画的にするもんだから、随分と遣り辛い患者だと思う。
ガンで入院し、退院してからも真面目に定期検査には行ってた頃、外科の担当医に「この頃、あなた主導の治療に成ってる」って呆れられたが、「エッ‼それって普通じゃないですか?」と言うと、寂しそうに顔をそらしたっけ。でもね、何か月かした頃、大量下血をしたから検査入院をした時、「先生、私が生きてる間、先生がこの病院に居る間は、先生が担当医である事を忘れて貰っては困ります」って、検査に異常も無かったから検査終了直後に退院許可を貰って逃げるように帰ったのだが、帰る前に検査後は麻酔が掛かってるから気を利かした看護師が車椅子を持って来させたのだが、座る気は無いから持ってきてくれた看護師に「私が押してあげるから、乗って」と悪戯してたもんだから、解ってた担当医は随分と楽しそうに笑ってたっけ。

このガンで入院した時も7月~9月の間の約2か月強。あのまま死んでたら、歌の歌詞にある「あの夏の日が無かったら」って曲があるが、本当に一歩間違ってたら同じ事に成ってた。ただ曲の方は命の話ではなく、男女の別れ話の話(笑)。

 

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