戦艦大和からの生還者講演会

平成23年11月27日(日)13:00から、撃沈された戦艦大和の生き残り、生還者の八杉康夫さんの講演会が予定通りあった。

この日も通常通り、2000円切符で出かけた。ただ、講演会開始は13:30だからユックリしたら良かったのだが、例の貧乏性(笑)。新居浜発の下り鈍行電車としては始発になる07:01の電車に乗り込んだ。この日の講演会は、午後からだから午前中が空白状態。空いた時間が勿体無いから、予てからの所用を午前中に済ませるべく出掛けたのです。

本日、松山市内の移動はイヨテツの電車を何回も乗り継ぐ事になるから、割引の効く「IC・い~カード」を買ってアチコチに移動。一人でファミレス辺りに寄るのも嫌いだから、11:30に高島屋で弁当を買い、12:20には愛大キャンパスへ。

講演会会場は、キャンパス正門脇にある南加記念ホール。以前、ガン関連の松山市民講座があったホールだ。受付時間が12:30からだから、既に受付準備が始まっている。受付を済ませ、世話係の方を探して貰ったが連絡が付かない。仕方なく、少々早目だが会場内へ。で無いと一種の反則行為だが、指定席で無いから良い席が確保できないのです(笑)。この辺り、早い者勝ち!!ってヤツでご勘弁を。でもね、さすがに野暮を言う輩が一人も居ないのには感心!!

席を確保し、弁当の巻き寿司を持ち出し、度付きサングラスを掛けたまま玄関前の受付脇でバタバタしてる世話係の方々を尻目に、ブランデーの水割りを巻き寿司を食べながら飲んでました(笑)。きっと、傍目には異様に映ってたと思います。自信を持って!!(爆)。

弁当ゴミを始末し会場内に入ると、演者の八杉さんも世話係の方々と一緒に動いている。ステージ奥には題目の書かれた幕が吊り下げられ、ステージに向って左側には5m程ある戦艦大和の写真、右側には1m強の初期の大和のプラモデル。たったそれだけのモノだが、嫌でも雰囲気作りがされている。

黙って様子を見ていると、八杉さんがプラモデルの方に歩み寄り聴講者と何か話始めた。当然、こう言う機会を逃す手は無いし、抜け目の無い私(爆)故に早速、話の輪に黙って紛れ込んだ(笑)。色々と話を聞き、集まった人々が質問する。八杉さんも、「何か質問が無いですか?」って聞かれる。フッと後を見ると、私を含めて十数人ほど集まっている。熱心な方々と言うか、講演が始まる前から凄い状態でした。途中からだが、思い出してICレコーダーを回した。そして、二次被爆者でもあり高齢と言う事で、13:00には控え室に戻られた。

やがて13:00には講演会が始まったのだが、司会者の言葉には驚いた。今日の講演会、実はドクター・ストップが掛かってると言う。先にも書いた84歳と言う高齢と二次被害者である分、最近に成って体調を崩していると言う。そして、今回の講演会が最後では無いかと言う話。自分の貴重な体験を後世に残すべく、ドクターを説き伏せての講演会だと言う。

やがて八杉さん本人がニコヤカに出て出てきて話を始めたのだが、高齢の被爆者でドクター・ストップが出てるようには見えない。本人曰く、「海軍で鍛えられ教えられた事に、人間は常にジェントルマンであれ!!」と言う事らしく、「人前に出た時は、常に紳士であれ!!」と言うのが基本に成ってると言う。差し詰め、女性ならレディーだろう。それも、人間形成に必要な15歳~18歳位の時期に叩き込まれた事は終世忘れないと言う。自分自身の過去を思い遣ると、確かに言える!!

話は海軍に入った頃から始まり、終了予定の15:00近くに成っても話は途中。「まだ良いですか?」と、何度も壇上から御世話係りに声を掛けながら話は続いた。やがて大和が沈む時の壮絶な話から、沈んだ直後の状況など、生還してから周囲の人々に話しても、特に外傷に関しては外科医からは絶対に信用されなかったと言う話。この時、その話をチャンと説明してましたが、納得!!

そして大和最後の出撃に際し、世話をしてくれてた31歳の上官が、当時は士官クラス以上の者にしか許されなかった家族との最後の面会に骨を折ってくれた話。映画「男たちの大和」に同じ状況のシーンがあるのです。先日、亡くなられた「男たちの大和」の原作者・辺見じゅん氏が、自らの取材による事実を元に作られたシーンではなかったろうか。

大和が沈んだ時、270余名と言われる生還者以上に生き残った兵士が居たと言う。生き残った筈の多くの兵士は、体力が持たずに沈んだ兵士も居たが、爆発した大和の破片が生還者を直撃!! それで亡くなったと言う!! 壮絶な話である!! 此処では、悪いが内容的に具体的に書けない話!! 八杉さんが、奇跡の生還者と呼ばれる所以だろう!!

その時、八杉さんを大切にしてくれた上司は、八杉さんが救援に来た巡洋艦に助けられたのを見届けた後、大和の沈んだ方向へ泳いで行き、やがては波間に見えなくなったと言う。その時の心情を涙ながらに話してました。「その後姿を見て、自分も一緒に死にたかった!!」と。多くの人達は、この話を聞いて「折角、助かったのに、わざに死にに行く事は無いだろう!!」って言うと思います。時代背景も違うし、状況も違う。ただ、命を掛けて闘った人で無いと解らない部分がある。

憶測でしか無いが、多分、八杉さんも「助かった!!」「良かった!!」って言う気持はあったと思うが、戦闘状態の中、それ以上に人と人との繋がりの中で、自分だけが生き残ったと言う罪悪感、と表現するが、生き残った事実が「自分だけが何故!!」って感情が湧くのも事実。自分一人が生き残った訳じゃ無いが、何故か「自分だけが!!」って感じるのです!!

私事で済まぬが、やはり末期ガンで余命宣告を受けて丸8年が過ぎた。今でこそ薄れたが、入院中に知り合った同病者の方々、ガン患者と称されるが、その知り合い仲良く成った方々が、入院中から退院して外来通院してても続々と逝っちゃうんですよ!! 二名ほど行方が解らないだけで、何人とかは言わないけど後の人は皆逝っちゃったですよ!! その時、やはり「自分だけが生き残った!!」って罪悪感みたいなモノが常にありましたよ。実は、今もなんですけどネ。一部かも知れないが、だからガン患者同士は「ガンと闘う戦友!!」って、異論はあるが表現するんでしょう。

この日、八杉さんの著書が売られていた。「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」(ワック書店¥1500-税別) って本。これには、もっと詳しく詳細な話が載せられている。機会があったら、一読されてみては如何だろう。本当の戦争の悲惨さ、命の大切さ、戦場での人間模様など等、単なる生還者の体験談だけでは無い、私の感想では無い何か、言い知れぬ何かを得る事が出来るかも。今日の私の感想より、もっと壮絶な話がより正確に理解できると思います。

本来、15:00で終わる筈の講演会も、終わったのが16:00近く。最後に、「時間が無いが、質問を受けると」成った。一人の御老体が手を挙げた。「質問では無いんだが」と断りを入れた後の話。八杉さんの話の中で、「大和が攻撃を受けた(確か瀬戸内海近辺)時、松山航空隊の面々はどうしていたんだろう?」と言う件のところで、「あの日、松山航空隊も偵察機をアチコチへ飛ばしていたし空襲なんかもあったりでバタバタしてました。だから、別に遊んでいた訳じゃ無いですよ」って話に一堂失笑した程で、なかなか後に成らないと聞けなかった話なんぞも出てきた。講演会終了直後、話した御老体はじめ数人の御老体が集まり、戦争中の「あの時は~」と言う話で、ある部分、同窓会や初対面の戦友会のような盛り上がりをし、電話番号や住所の遣り取りもしてた程だから、「何か凄い状況に成ってる!!」の一言でした。

講演会終了後、十数人の方々と共に八杉さんと話をさせて戴き、サインも戴き、写真にも一緒に撮っていただきました。6年前、西条市丹原町で講演をした時の記事はコピーして持って行ってたから、不躾に「要りますか?」って聞いたら、「要ります」って即答(笑)。当時の記事に掲載された写真を見て「若い!!」(笑)。

聴講者の中には、この日の講演会の為にだけ態々京都から来た若者も居たり、宇和島からとかも居たり。それだけ、世代を超えて奇跡の生還者の話を生で聞いてみたかったのでしょう。中には数人、小学生らしき子供たちも居たから驚き。

そんなこんなで、帰りの電車は通常より80分遅れの鈍行電車。土曜日の仕事が通常より忙しく、前々からの疲れに被さって尋常な疲れ方じゃ無い上に、日曜日も07:01発の電車に乗るのは解っているのに、就寝が日曜日の02:00過ぎ。おまけに、貧乏性が災いして午前中に松山市内をウロウロ。挙げ句が、幼子が遊園地で興奮して遊び過ぎて帰りの電車内で寝込んだのと同じ状況。疲れと睡眠不足の冷えた身体に電車の暖房が心地良く、一杯ヤッてるから電車が走り出すとウトウトと、瞬間爆睡状態(爆)。途中で、若い女性車掌さんに起こされた。「携帯電話、鳴ってましたヨ。で、気の毒ですけど、マナーモードにしておいて下さいネ」って、お叱りまで受けちゃった(笑)。

まだ続きがある。この若い女性車掌さん、実を言うと数ヶ月前、やはり松山からの帰りに乗った電車に乗車してた車掌さんで、おまけに例の私のトイレ騒ぎで長停まりしない伊予小松駅で、3分ほど停めさせた時の車掌さん。きっと覚えている筈で、「このオヤジ~、今度はトイレじゃ無く携帯電話をマナー・モードにしないで居眠りかい!! 煩いワガママ・ヤジジャ‼」と思われたに違いない(笑)。

今回の話は戦争や命の大切さの重い話だった筈が、以前にも書いたけど、「出掛けたら最後、ドラマの如く必ず何等かの話題が一つや二つ出てきます~!!」って話。今回も、少々オマケ的なドラマがありました(爆)。で、上記の若い女性車掌さん、平成30年春には特急の車掌さんに成ってましたよ。(喜‼)

 

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