Archive for 3 月, 2020

【近藤鍼灸院の健康新聞】㊱「新型コロナウイルス」

新型の感染症が出てから世界中が大騒ぎに成ってるが、とうとうWHOが「パンデミック(世界的大流行)」と表明した。
現代のよう地球規模で人も物も動くと、そりゃあ「アッ‼」と言う間に広がるわね。さすがにまだ南極や北極、アフリカの奥地とか高山辺りは汚染されてなさそうだが、どうなる事やら。
そして、手の付けられない馬鹿者が、検査の結果、自分が陽性に成ったからと言って「皆にバラ撒いてくると‼」と、人の集まってる所へ行き、散々大暴れして濃密接触もしてきたというから、呆れてモノが言えない。こう言う輩は即死刑、早い話が人の少ない所で射殺しても良いと思う。少々乱暴だが、解っててやるのは犯罪以外何ものでもない。

犯罪予備軍と言えば、日本のオリンピック委員会の元・森首相。まだまだ拡散されていると言うのに、強気で「オリンピック開催‼」としているが、今の段階では、オリンピック開催を強行しては選手や役員その他の人々の安全が約束されない筈。だから「1年延ばし」等の案が出ているにも関わらず、それに対するコメントが出ないと言うの可笑しい。

この辺り、話は代わるが{四国新幹線}の話と似ていると思う。
瀬戸大橋で四国に新幹線を通し、佐田岬辺りからトンネルで九州へ抜くと言う壮大な話は、時間なり経費を考えると無駄ではなかろうか。新幹線用の線路用地の買収や山間部を通すトンネルや橋の事を考えると、絶対と言って良いほどペイしないのだ。それより、既存主要路線を複線化すれば地元住民が助かります。
と言うのは、予讃線の鈍行と呼ばれる普通列車が特急の待ち合わせで60㎞程の距離を走るのに2時間半。特急で1時間10分程。山陽本線を走る普通列車は、早い筈の予讃線特急より早いのです。これも利権争いの結果、無駄な金を使ってるだけ。仮に新幹線を通すべく工事が始まっても、私の年齢では四国新幹線に乗る事は不可能かと。それに、四国~九州はトンネルをと言っても、青函トンネルの事を考えてモノを言っとるのかと言いたい。

コロナウイルスの話が四国新幹線の話に摩り替ったようだが、一言で言えば頭の悪い政治家が利権争いをするから何もかも後手後手に成り、無駄な出費がかさむのです。

▼下書きのままで置いてたから状況が変わりましてたね。オリンピックは延期と成った次第。それも、カナダから「強行するなら、カナダは選手団を送らない」と半ば脅迫に近い文言で言われてから。でもね、カナダの考え方が普通なんで、迷いながらも強行策を続けようとした日本の態度が悪かった。だから、カナダの発言に他国が追従すると、日本はバカ面晒す事に成ったでしょうね。(笑)

コロナウィルスが、とうとう新居浜に上陸。感染した若者が居たと言うのだが、無職の身で海外旅行をしたと言うし国内で感染したらしいが、時期が時期だけに自重するべきじゃ無かったかね。

 

北海道旅行の思い出

初めて北海道旅行をしたのが、24歳に成る直前の10月。北海道の10月って、四国の1月・2月頃の寒さ。
鍼灸の国家資格を取得して大阪の研究科へ進学し、半年コースが終了して9月末には荷物を整理。半年の学業生活で荷物が増えており、オートバイに乗り切らない荷物は宅急便で送り、身近な必要な物だけを残していたから9月30日の最後の授業が終わり、荷物を載せて四国へ出発。先に帰った筈の何人かの年上の女生徒が見送りをしてくれた。

10月1日早朝、一般道を走って帰ったから、自宅へは朝の7時過ぎに帰着。オートバイを馴染みの整備工場に預け整備。その間に北海道行の荷物の準備。出発後は、下着以外は着の身着のままだからリュック一個で済ます。なお、このオートバイって、スズキ・ハスラーって2サイクル単気筒250㏄エンジンのモトクロス車。いまのハスラーは、軽四乗用車用として再デビューした名前。

そして出発日、両親と鍼灸学校の同級生で私を大事にしてくれたKさんの三人が港まで見送りにきてくれた。そこで一度はしてみたかったテープ投げ。何本か用意して、ヤッケのポケットに投げ易くして放り込んでいたから、ワッと言う感じで投げました(笑)。
それを見た事務所の人が寺務所内で右往左往走ってる。すると、いきなり蛍の光が流れだした。慌ててたから、曲が途中からスタートの失敗の巻。でもね、この心遣いが嬉しくってね。見送り人も三人とは言え、目頭が熱く成った出発の一時でした。

当時、新居浜港として使われていたのは住友(鉱山?)の港を市が借り受け使っていたのだが、30年程前か市の東部に{新居浜東港}を開設。蛇足だが、女房の父上が海上保安庁に居たから、所長で2年程来られていた。
父親も15年程前に亡くなり、Kさんも8年程前に事故が元で透析していたが亡くなった。母親は97歳で老人ホームのお世話に成っている。

今頃、何故こんな話を持ち出したか。
トム・ジョーンズが歌のGreenGrass。芝生と言う意味だが、ある死刑囚が死刑執行の朝に観た夢、故郷の小さな鉄道駅に降り立つと、両親が迎えに来てくれていた。通りの向こうを観ると恋日のメアリーが駆け寄ってきている。家に帰ると古い家が残っており、樫の木が残っている。
昔の思い出に浸っていると目が覚めた。周囲は壁に囲まれ、死刑場に運ばれていく。やがて皆が集まり、土葬だから青々としたぐGreenGrassの上に横たえられ埋められると言う悲しい歌です。

このGreenGrassを久し振りに聞いた途端、大学進学後~鍼灸学校~研究科~北海道~現在迄の悲しい出来事が走馬灯の如く走り抜けた。実を言うと、10代前半から甲状腺機能減退症を発症しており、もっと言う成れば先天性(クレチン病)だったと思われる事が多々あったのです。
見た目が鳩胸で健康そうに見えるから、単なる脂肪太りの肥満体としてしか理解されて無かったから、色々な症状があっても「気のせい」「甘え」「運動不足」「過食」「痩せたら治る」の一言で片づけられてたから、「誰からも理解されない、この症状。最悪、死んでも理解されない‼」言い切っていたのだが、鍼灸学校に代わってみると、余り付き合いの無かったM氏さんと言う薬剤師が私症の症状から「粘液水腫」と甲状腺機能減退症を示準する話をしてくれたが、その後も2桁の医者に言っても聞き入れられる事は無く、結局、勤めていた病院を辞める時に診て貰った近所の医師に無理やり言って検査をして貰った。結果を診た医師が、「こんな酷い結果が出るとは思わなかった‼」と言う次第。

このように、人生の一番良い時期を多くの医師に理解されずボロボロにされながらも、家族や数少ない友人達が支えてくれていた。思い出してみると、陰ながらに支えてくれていた友人知人も結構居たように感じる時もあるんです。

そうそう、この歌のタイトルだが、まだ高松の鍼灸学校に通学していた頃、土日が休みだったから金曜日の午後 授業が終わってオートバイで帰ってきてたんだが、伊予三島と土居の中間辺りにGreenGrassと言う一寸大き目の喫茶店があった。女性好みのあっさりした作りで、一度は寄ってみたいと言いながら、随分と後に成って何度か寄ってみた。コーヒーの味は・・・忘れました(笑)。