Archive for 5 月, 2019

怖い話。

最近、買い物に行くと必ずと言って良い程、変に悪戯されたり言い掛かりを付けられたりと嫌な目にあっている。それも、若者ばかりか75歳前後の婆にまで(笑)

日曜日に今治のJA今治の「菜菜来てや」に行って、手作りパンを選んでいると、反対側来た婆が一歩引いたかと思うと、私を避けて擦れ違おうとしたのは良いが、自分の持ってる籠を私の籠に絡ませて突き飛ばす。おまけに引っ掛かったもんだから引っ掻き回す。帽子を被ったその婆が笑いもせずに俯いたまま、「年寄りの私を避けさせた‼」って腹を立て、憎しみを込めて嫌がらせ以上にやってたのが解るのね。

そして月曜日の昼、甘いものが欲しく成って近くのコスモスへ行って商品棚の側で商品を探してると、左から来た男が私と商品棚の間が30㎝も開いて無いのに、その隙間に体を捻じ込んで、私を押し退けた。

普通なら私を避けて後ろを通る筈が、私を押し退けて通ったから、「いい加減にしろよ。商品探してる人の前を通らずに後ろを通れよ」と言うと、その若者は言い訳した挙句、大きなガタイを摺り寄せてきてガンを飛ばす。直接、殴るとか蹴飛ばすとなると、一番に自分が暴行罪で訴えられるから、色々と気持ちの悪い脅しをするのです。

何か月か前、ハローズ新居浜店に行った時、練り物の商品の棚の角っこで選んでいると、左から来た若いオバハンが後ろから回ろうとしながら辞め、私の前に回るといきなり右足を商品棚の上を通らせ、私の右手に持ってた籠に当て、振り落とさせた。結局、弁当の上を汚いオバンの股座が通り、籠ごと落下させた。オバンに弁償させて何も買わず帰った。何を考えているのか‼

何せ、陰湿な暴行騒ぎを起こす現代、気を付けてもバカが色々とやって、勝ったつもりでいる頭と性格の悪さ。皆さん、十分

気を付けて‼

 

モテない男の「女性の想い出」

怖い顔してモテた記憶が希薄な私にも、幾つかの女性の想い出がある(笑)。
その中でも、鍼灸学校最後の修学旅行。「専修学校で修学旅行」って聞いて、私も「エッ!?」と思った程だから、皆さんも同じだと思います(笑)。

在学中の最後の旅行は、黒四ダムのアルペン・ルートのコース。詳しくは忘れたが簡単に言えば、四国~アルペン・ルート~飛騨高山~下呂~名古屋~四国の二泊三日のコース。ダムを後にしてロープ―・ウェイで山頂方面に向かってる時、急に温度が下がったと思ったら、隙間の多い雲が流れてきたと思うと雹でした(笑)。だから寒くって寒くって、「早く温かい四国へ帰らせて~」って泣き叫んだと言うのは嘘だが(笑)、それほど寒かったですよ。

アルペン・ルートのコースは、元々が工事用のトンネルや道路などを観光用に手直ししたもので、安全にシッカリと留意した作り。石原裕次郎 主演の映画「黒部の太陽」が制作される位の難工事だったと言うのが理解出来ます。

この黒部第四ダムの突端へ上がり、ダム湖や山々の壮大な風景を見た瞬間、「日本人が、神々の住む領域の近くまで作った壮大な建造物‼」って感じた程。少々、オーバーかも知れないが、その位のインパクトがありました。何年かして、母親が簡保の旅で行った時も同じ感想を言ってたが、叔母がその後に行ったが「ダムと山と空があっただけ」って感想に、少々ズッコケました(笑)。

もう43年程前の話だから細々とした部分は忘れてるが、どうしても忘れられない部分がある。飛騨高山の屋台会館へ寄ったおり、小雨が降っていた。傘は持ってたが出し入れが面倒なので、雨に濡れて行く事に。皆を見ると、小さな折り畳み傘に大の大人が5~6人は入ってる。入っていると言うより、一番外の人など頭の半分も傘に入って無いのだ(笑)。それでも、彼方此方で傘の争奪戦に成ってるのに、「オ~イ、入れよ~」って声が掛かる。有りがたいが、大柄な私が入っても側に立ってるだけの状態に成る。こう成ったら、濡れるに任せて走った方が正解。

声を掛けてくれた同級生達に「ありがとう。少々濡れても走った方が早い」と言い走りかけたが、すぐ側に小さな浅い水溜りがあったので軽く飛び越えた時、ブレザーのポケットに入れていたストロボがボチャリと水溜りに。その様子を見た同級生達は、「ア~ァ、それ見ろ~」「言ったばかりなのに~」と、色々と言われたです(笑)。ストロボは、浅い水溜りに落ちただけだから即拾い軽く一振りすると、電気関係に異常は無い。もう一度軽く振って再びポケットに(笑)。その時、側に居た可愛い子チャン系の目のクリッとした若い女性と目が会った。そして彼女が自分の開いた傘を差しだしたのに気が付かず、会釈をして振り返った途端、今度は私が水溜りに足を突っ込んだ。「ワッ‼またやった‼」と同級生達からヤジが出たが、それを見た女性は、「これは‼」と思ったのか、今度はシッカリと私の目を力強く見詰め、傘を差しだした。

私は過去、うら若き美形の女性から自慢じゃないが、こんな素晴らしい扱いを受けた事は一切無い‼(笑)。瞬間、迷ったが会釈をして傘に入れて貰う事にした。そして傘を預かろうとしたが、彼女も傘の柄を持ったまま。そのまま二人で相合傘で歩きだした。面白い事に、その一部始終を後ろから見てた同級生達は、押し黙ったまま私達の後を大人しく付いてくる。そして屋台会館に入った時、雰囲気的に「この女性も団体と思うが、バスに戻る時間まで一緒に居させて貰おうか~」と思ったほど。何故か、哀愁を含んだ彼女の雰囲気に「失恋旅行かな?」と思った程。それが自分でもビックリする程に雰囲気が良かったのですよ(笑)。で、御礼を言って別れてしまったのです。残念‼(笑)

屋台会館では一通り見学をして時間が来たからバスに戻ると、外で待ってた連中が「アレッ!?」て顔で私を見ながら笑ってる。「何か‼」って言いながらバスに乗り込んだのだが、何故かガイドや運転手まで様子が可笑しい。変な笑い方をしている。

私の席は後ろに近かく、荷物や人を避けながら歩いて行くと、三人の30歳代の女性軍が、揃って大きな声で「アレッ!!」と言う。「何さ‼ 皆さん、ワシが帰ってきただけで、何で騒ぐの?」って聞くと、「貴方こそ何故、帰ってきたの?」と、思わぬ不思議な発言をする。「帰って来ないと、置いてかれる」と言うと、「多分、私達とは一緒には帰らないってとばかり思ってた」「何で?」「傘を差し掛けてくれた彼女と、以後、同行しますって、言うと思ってたのよ」「そんな事を考えるのは、貴女達だけだろ」「イイエ、私達ばかりか男性陣も何人か言ってたし、この旅行に参加している女性の多くが、二人の雰囲気が余りにも良いから 私達は忘れ去られるヨ、って声もあったのよ」「オォ~‼」とビックリした表現で声を出し、「まさか‼」の一言で、その話は終わったが後々、随分と噂が残ってましたよ(笑)。

このように、卒業間近にも拘わらず良い噂が出るって不思議。だから修学旅行に参加して居なかった高知出身の随分年上の友人にも噂が飛んでおり、「今度の修学旅行、随分と雰囲気の良い女性と良い仲に成ったとか(笑)。本当か?」と話が出た位、ビックリしたと同時に、半ば喜んだし残念がったと言うオチの付いた話でした。」

 

親父は偉大だった?

親父が元気な時は、何時も言い争いをしてたように思う。タマ~に機嫌の良い時は、優しい善い親父だった。この親父の優しさは私の婆チャン、そう親父の母親。知ってる人は少なく成ったが、伝説(笑)のような優しさの話が今でもでてくる。

私が産まれる3年程前に、今で言う急性心不全・心臓麻痺で逝ったらしい。産まれたばかりの姉を抱っこして座敷で子守をしていたが、赤ちゃんが泣きだしたか何かで唯ならぬ気配に気が付いた母親が様子を見に行くと、子供を庇うように抱っこして倒れてたと言う。親父は親父で、休みだから近所の誰かさん所に遊びに行ってる筈が見つからず、見つかる迄に随分と時間が掛かったと言う。親の死に目に会えなかった事から、随分と後悔していたらしい。

そして月日は流れ、私が中2年の14歳の時に親父が現在の家を建てた訳だが、意外に世間知らずの親父は後先考えずに、大きなビルを建てる感覚で、二階家の鉄筋コンクリートの仕事用の民家を建てた。将来的に、私が金儲けを始めたら3階建てに増築できる設計に成っていた。しかし、親の跡継ぎで歯医者に成って無いし、仮に成ってても今の過当競争が激しい中では既に、「歯医者は儲かる」って言葉は死語に成ってる。

鉄筋の建屋を本格的に撤去する気に成ったのは、親父が逝って15年。何もかもが中途半端な為に、修理するにしても使うにしても何もかもが無駄に成る為、結局、木造部分を残してリニューアルし、鉄筋部分を撤去する事に。知らない人に言わせれば突然行動に移したように解釈するが、色々な意味で体力のある内に行動しないとね。そして、空いた土地は月極の駐車場にする予定。当然、専門の管理者を入れ、無断駐車はビッシビッシ捕まえるのです(笑)

壊す段に成ると、建築会社や色々な人が、「まだ綺麗なのに、修理して使えば良いのに」って話がくるが、大きな建物が一番有利な場所にドデ~ンと腰を据え、50年以上使って手入れ不足だし、彼方此方がボロボロなので、「直して使うと提案」した人々に説明しながら現場を見せ、「こんなの、どうするの?」って聞きながら「パッと見た目だけでモノを言わず、何十年も使った挙句に、無駄な出費を抑える為にも壊す事を決めた訳」って言うと、黙ってしまいますね。

面白い事に、週に2回タクシーで来てる患者さんが、「あのタクシー会社の運転手は、頭が悪い」って笑っている。理由を聞くと、タクシー運転手は「此処、いま何しよん」と聞くらしい。「治療室は裏に出来てるから、鉄筋の建屋を撤去して、玄関と待合室を作ってお終い」とまで説明しても、それでも「建て直しするん?」と聞くと言う。何人もの運転手が代わり替わり同じ質問をするらしく、同じ運転手が何度も同じ事を聞くと言う。聞かれる患者さんが腹を立て、「此処の先生に、その辺りの質問をするなよ。あんた等、ワシに同じ事を何度も聞いてるのに、違う事を言いだすし、ワシに何度も何度も聞く。そんな事したら先生に怒られるぞ‼」って言ったらしい。このタクシー会社、親父の代から60年以上も使ってるんですよ。なのに、撤去工事が始まる何カ月も前から、「近藤鍼灸院、撤去工事が始まってるますよ」って言い触らしたと、他の患者さんの証言もある。

この鉄筋の建物の内部整理から撤去まで、写真と動画で記録しているが、最後の土台辺りに成って、「親父の心意気と、その偉大さ」を感じ取れた部分がある。

親父は幼い時に貧乏してる中、今の中学を出て仕事をしていたが、高知の嶺北山の中で一生を終える事に疑問を感じ、東京の知り合いを頼って歯科技工士に成る為に上京したが、その知り合いは既に辞めて居なかったと言う。予定が狂い、仕事の無い状態が何日が続いたが、話を聞いた木賃宿の亭主が知り合いの歯医者さんに頼み込み。住み込みの技工士として雇って貰ったと言う。

本来はそれで終りだが、息子さんが長期休暇で歯科大学から角帽を被って帰ってくる姿を観て、歯科医師を目指す事に成ったと言う。しかし高校を出て無いから、周囲の人々が一大プロジェクト(笑)で裏技を使い、今では考えられないが夜間の商業高校3年生に編入させたと言う。卒業して6年生制の歯科専門学校へ入学し、周囲の人々の協力も得て7年で歯科医師免許を取得したと言う。

「チョット寄道の話」で、現代でもボロ高校の進路指導の教師が、歯医者に成るには歯科技工士に成って検定試験を受けたら成れると思いこんでた先生が居るのです。それも、その高校の教諭の95%以上が確実に思い込んでたと言う怖い話がある。だから、「歯科技工士の学校へ行き、お父さんに生物や解剖や歯科関係の勉強を習てて、その他の一般科目は塾へ行き、検定試験を受けて受かったら歯医者の免許は取れるだろう」ってヌケた事を言うから、「先生、一般的に歯医者・歯科医師に成るには、医者と同じく6年制の歯科大か歯学部に行って、卒業したら国家試験の受験資格を与えられ、その試験に受かったら合格証書を与えられ、それを持って保健所へ行って厚生省(今の厚労省)大臣宛に免許証の交付申請をして、免許が来て保健所で受け取ってから初めて歯医者の先生って扱いを受けるのです」って説明いしても、「此奴、何を訳の解らぬ事を言ってる」って不思議そうな顔をして私の顔をマジマジと見てましたよ。

面白い事に、学校の多くの先生って、「教育現場の教師・教諭の多くは、教師はこの世のあらゆる資格や地位の最高位にあって、仮に医師・歯科医師であっても、言うなれば天皇陛下や総理大臣であっても、我々に傅かなければ成らない」と思ってる節があると感じます。

寄道し過ぎたが、そして鉄筋部分の荷物を片付け、撤去に向けての準備をしていて、この時点で50年間 生活してきた思い出が思い出されてきた。時に、子供達の思い出の品物を片付けながら泣いた事もある。

そして令和元年5月10日、鉄筋部分の柱を残して無くなりました。親父が苦労して建てた二軒目の家、その表に成ってた鉄筋が無くなった時、初めて親父の偉大さが解ったと言う次第。暫くは色々な思い出に浸り、辛いだろうなと思います。

 

【笑 劇(しょうげき)】⓶

①他の項でも書いてるが、「お化けを凹ますのが得意な私」が、唯一 お化けに驚かされた話。
息子がまだ3歳位の時に、「高畠華宵」の作品などを展示している東温市の「足立の庄」という美術館形式の建屋で、テント張りのお化け屋敷をやっている。家族に「入るか?」と聞いてみたら、女親子は憎々し気な顔で「嫌‼」だと言う。ところが息子は、お化け屋敷が何であるか解らないから「入りたい‼」と言う。そこで、二人で入る事にした。

薄暗くされた部屋へ入り、暫く進むと透明のアクリル板が敷いてあり、その下の床には死人や化け物の人形がおいてある。さすが雰囲気が違うから、息子はシッカリと私の手を握っている。
そのまま進むと通路が右に回っている。落とし物でもしたのか、ポロシャツを着た田舎のオイチャンが通路を半分占領し何かを探している。暫く待ってたが待ちかねて、「済みません、小さいのを連れてるんで先に通して貰えますか?」って声を掛けた瞬間、腰を曲げて探し物をしていた人が黙って立ち上がり、私の方へパッ振り向いた。何と、顔に目&鼻&口などの付属品の付いて無い真っ白な顔‼ そうノッペラボウである‼ 不意を突かれた私は、思わず「ワッ!!、ビックリした~‼」と声が出てしまった(笑)。

今迄、お化け役や妖怪役の人達を全戦全勝で凹ませてきた私が、表現は可笑しいが初めて驚かされた現実である。面白い事に、息子は泣く事も嫌がる事も笑う事も無く、ただ黙って私の手を握っている。
その後の展開はどうなったか忘れたが、女親子の所へ行って一緒にジュースを飲みお菓子を食べながら話していると、息子がいきなり泣き出し、文句を言いかけた。「お母さんも姉ちゃんも、入って無いから入って来い‼」と何度も泣き叫ぶ。

余程 怖いのを我慢してたのだろう。緊張の糸が解けたところで皆が笑っているのに腹が立ったのだろう。女房曰く、「私等女親子は、最初っから入らないって言ったのに、あんたが入りたいって無理に入ったんでしょう。何故、私達が入らないといけないの?」って言い、話は終わった。

⓶「ゾンビの世界」。オープニングで、女性が座ってる後ろの壁から、沢山の手がバッとでてくる映画をレンタルしてきて見ていたところへ、2歳半位に成った娘が値に二階へ行こうとして通り掛かった。ついでとばかり呼ぶと私の膝に座った。

オープニングは暫く静かだが、いきない大量の腕が壁から出た。すると娘は、下を向いたまま二階へ駆け上がった。それから、内容のハッキリしないビデオが回ってる時は、私の傍に来る事は無くなった(笑)。

③親父も生きてた頃で、息子が3歳頃の話か。女房が日曜日の昼過ぎに映画を観に行こうと言いだした。タイトルは、「ジェラシック・パーク」。そう、恐竜が出てきて大暴れする話。

私達が6人連れで入り後ろの方の真ん中で座ろうとすると、側に居た一家のお母さんの、私を呼ぶ声がする。誰だろうと振り返ると、失礼だが似たデザインの眼鏡を掛けると「Dr.スランプ・アラレちゃん」にソックリの美人。笑いを堪え挨拶すると、「ご家族?」「そう。どう言う訳か、今日の観覧券は女房のオゴリ」「そうなんだ」「で、貴女もご家族で?」と聞くと、此処では書けない紹介がありました。

そして映画が始まったのだが、映画であるだけに筋書上いきなり恐竜が出てきて大暴れする訳じゃ無いから、小さい子供にとって映画の前ふりは退屈で面白く無い。息子など「帰ろう」「何処かへ行こう」と煩いのなんのって(笑)。「お前ひとりで、何処かへ行っといで」と言いながら我々夫婦は笑っている。私の両親も洋画を見てもセリフの文字は見えないし、喋っているのは英語だから解らない。それでも、映画の画面を見ながら私達四人の行動を見てると、連携の取れた3つの動画を見てるのと同じ筈(笑)。何故なら、スクリーンでは外人さんが何か解らない言葉で喋りながら何かをしている。私達夫婦は、拗ねる息子にチョッカイだしながら映画を観てるし、聞き分けの良い娘は大人しく、我々の動きを見ながら映画を観てる。観客も、色々とそれぞれのスタイルで映画をみている。だから、部屋の中に閉じこもりがちな年寄りからすれば、立体的な多画面のテレビを観ているようなモノ。跡で、熱を出さねば良いが(笑)。

我々が静かにワイワイやってると、息子が急に黙り静かに成りスクリーンに見入った。何となく音のイメージが変わった。スクリーンに映ってるコップの中の飲み物に、音に合わせて輪が走りだした。すると、何処となくド~ンド~ンとコップの輪っかの動きに合わせて大きな足音が聞こえだした。どうも、子供の耳には随分くから聞こえており、年老いた我々の耳には聞こえて無かったようだ。

足音が大きく成り、コップの波打ちが大きく成る。画面が代わると、人々が恐れ慄いている。私達夫婦は、必死で見ている息子に、「お前帰ろうとか、何処かへ行こうと言ってたのに、此処から映画をみる事は無いだろう。お前一人で帰るか何処かへ行ってこい」とチョッカイを出す。聞こえた娘は、スクリーンと弟をしっかり観て笑っている。その姿を観ていた老夫婦も笑っている。結局、誰も帰る事なく最後まで観たのです(笑)。

④「レオマワールドでの笑劇」。丁度、テレビ&ビデオの仕事もしていた頃、ある結婚式の撮影があった。待ってる間、アルバイトの巫女さんとの会話。「日曜日に此処のアルバイトで、彼氏は?」[居ないです」と言ってた女子高生と、レオマワールドで腕を組んだ彼氏と一緒の時にあったのですよ(笑)。

当時のレオマワールドは、午後4時を過ぎると入場料が半額に成る。それを利用して行く人も多く、我々もそうでした(笑)。午後4時前に成ると、切符売り場の周囲はそんな人々で一杯になる。まだ時間があるから一人でウロウロとしていると、一組のアベックがやってきた。女性の方に見覚えがある。「誰だろ。会ったのは最近じゃナ~」と思った瞬間、思い出した。彼氏が居ないと言ってた、アルバイトの巫女さん。居ないと言いながら、彼女の方が彼の腕を組み手を握っている。そして私が思い出した瞬間、彼女も思い出したのか振り返ると「ア~ッ‼」と言って立ち竦んだが時は既に遅し。全部、私は見ちゃったのです(笑)。我々の態度を見て、彼氏が心配し「誰?」って聞くと、「リーガの、ビデオのカメラマンの人」「そう」って、二人共、何処かへ行っちゃったです。私も彼女の話はしていたから問題無しだが、「広いっても、これだけのスペースじゃ。また何処かで会うぞ」と言ってた途端、本当に行く先々で会うのです(笑)。その内、帰りの移動用に乗った船に乗り込む時、「最後の此処で目の前で会ったりしてな~、アッハッハ~」と言って、船に足を掛けた途端、前に座ってた男性が会釈した。顔を見ると、彼氏さん。思わず、「ア~ヤッパリ、会った~」って皆で大笑いしたが、結局それ以後は彼女達と会う事は無かった(笑)。

 

鉄筋本体を落してる。

現在、令和元年5月14日㈫ 午前9時5分、鉄筋本体の本格的な撤去作業が進んでいる。
大型重機で作業すると、鉄筋の壁も脆く潰れる。
ソリャね、52年も使った建物だ。硬いコンクリートは風化し、粘りのある鉄筋も錆びている。部分部分に建築用レンガなどもある。
壊し始めてからの映像記録も残している。多分、見る事は無いと思うが。
以上です。

 

【笑 劇(しょう げき)】①

子供達が小さい頃、随分と楽しい出来事があった。だが反面、随分と悲しい辛い事もあったが、この項では順不同で楽しかった事を列挙してみました。

①平成元年産まれの息子が中学生の頃だったか、何処かへ行って、帰りは珍しく高速で帰ってきた(笑)。そして新居浜ICで降りようとしたら、「請求金額欄には400円」と出ているのに、職員の女性が「450円です」と言った事から、此方は家族連れだし後続車も無かったから、悪戯が始まった。職員の女性が、「済みません、400円です」と訂正したが、「お姉さん、この運転手(私の事)、生意気そうだし顔も怖いから、余分に取ってやれって思ったろ?」。職員さんも暇だから、ニコニコしながら相手をしてくれた。「いいえ、それは無いです。単なる言い間違いです」「私、思わずコリャ、やられたかなって思ったよ」って言うと、助手席に居た息子など手を叩いて足を鳴らして大笑いしてるわ、後部座席の女親子は手を握り合って大笑いしている。それにつられて、私も職員さんもつられて大笑い。やがて後続車が来たから挨拶をして別れました。

⓶私の悪戯好きが災いして、家族も結構 悪戯が好き(笑)。で、レオマ・ワールドが潰れる前、息子の年齢と身長の関係で乗れなかったアトラクションが幾つかあったので、再開した時にリベンジで行く事に。ただ久々の再開だから早朝6時には出掛けないと、駐車場には入れないのは解ってる。しかし女房など「7時出発で間にあう」と言い、結局は7時半発。間にあう事は無いのは解ってたが出発したが、案の定、駐車場まで2㎞と言う所で完全に車の動きは止まった。最後に「トイレに行きたい」と言い出したが、「私の言葉を無視してこう成ったんだから、知らない」と言う話に成り、すったもんだの挙句、早期に私が言いだした「方向を代える」事に成り、急遽、近くの[国立まんのう公園]へ。

まんのう公園では、昼飯前の事もあり閑散としている。駐車場に車を停めると、まずはトイレに。そしてランチ・レストランへ。家族は何か食べると言うが、何故か私は欲しく無い。文句を言われながら「ソフトク・リームでも食べるわ」って事で一悶着。何故なら気に入らぬ事が合ったら、私は家族と歩調を合わせず何も食べない。面倒臭く成り、勝手にソフト・クリームを買い食べながら駐車場へ出ると、綺麗なべべ着た年寄り達がゾロゾロと出てきた。様子、特に顔向きから、完全にトイレ。おまけに我々と同じく、レオマ目当てで来たが入れなかった人々(笑)。何故なら、綺麗なオベベでまんのう公園へ来る筈は無い。そして、最初からまんのう公園目当てなら、弁当やお菓子や簡単な遊具や敷物を持って来てる筈だから、それらを持って無い人はレオマ目的の人(笑)。

食事をしている家族の所へ行くと、その報告(笑)。衝動にしても、まんのう池の職員達も、レオマ行きが回ってくるのは計算違いだったらしく、既に売り切れのメニューも。そして食堂も込みだす頃には我々は他へ移動。

まんのう公園では、花の散策や散歩が主だったが、喉が渇くし何かを食べたい。東屋的な建物の売店があったので各々好きな物を買い、近くのベンチに座ると食べだした。だが大柄な私は荷物で座る場所が無い。仕方なく立ったままハッカ菓子を開けようとすると、1歳チョイ位の男の子が、ヨタヨタと器用に歩きながら私の方へ歩いて来るではないか。「保護者~保護者~」と言いながら辺りを見渡すと、売店にお腹の大きいお母さんらしい人が此方を向き、支払い前のお菓子と飲み物を置き此方へ来ようとしたが、私と目が会った途端、会釈をしながら会計へ。それだけで結局、預けられたんですね(笑)

その間、息子は「オヤジ~、小さい子が来てるから踏み潰すなよ~」と言ってるし、女連中も「お父さんの顔見て、泣くとか引き付けるとか」って笑ってる内に。子供は私の足元に来ると「抱っこ」と言う感じで手を伸ばし、私に抱かれようとする。家族は戦々恐々と観ながら、「サア、子供が手を出した~」と実況中継風。そのままだと危ないので、黙って抱っこして「保護者~保護者~」って呼んでも誰も来ない。子供も抱かれ具合が違うから無理矢理おりようとする。その内、我が子が居ない事に気付いた父親が慌てて走り寄ると、誘拐犯から子供を奪い取るようにして逃げて行きましたよ(怒)。挨拶も無しに(怒)。そしてお腹の大きなお母さんが会計を済ませ、一部始終を見てたから、笑いながら何度も会釈しながら家族の元へ。

そのお母さんから言わせたら、大きくなった子供達と4人家族がまんのう公園へ遊びに来て、お菓子と飲み物を買ってワイワイとやってる姿をみてると、我が子が父親と間違って知らない私に抱かれた姿も見て、逆に安心感が湧き幼子を私に託したのではないだろうか。大人の様子を見ていると、子育ての経験が無い男性と、子育てに参加していた男性は、見る人が見れば解るのです。

その幼子を抱いてる間も息子がチョッカイ出すんで、笑いながら文句を言ってたから、上手くいってる家族の姿を見たんではないだろうか(笑)。今では、家族に捨てられての独居ジジイなんですけどね(笑)

③[入学式の思い出*何処の組のモンぞ]の項も呼んで下さい。

④高速道路の高知道に、「笹ヶ峰トンネル」と言うのがある。そのトンネルの上には、恐らく地元の人しか知らないだろう「笹ヶ峰隧道」と言うのがある。息子が小学生高学年頃だったろうか、夏休みに何処へも行けなかった事から土曜日の夕方から高知方面へ遊びに行った。喜んだのは子供達。親同伴公認の夜遊びが出来るから。

ついでに、夜中故、道路が空いてるから普段は通らない道路を使った。その途中に笹ヶ峰隧道があったんですね。それも風が吹き、13日の金曜日のジェイソンが出てきそうな雰囲気。トンネルの入口まで行って、ヘッドライトをハイビームにしてみたが、トンネル途中までしか明かりが届かず、向こうの方に出口が見える。灯と言えば、付いてるのが解る位の薄暗いのが2つか3つ。Uターンして帰るにも不気味である。迷った挙句、突破を決意(笑)。

ヘッドライトをハイビームにし、四輪駆動に切り替え、安全の為に持って来ていた防水の大型懐中電灯6個を一人2個ずつ持たせ、点灯させたら窓の外を照らすよう言い付け、ルームランプを2個とも付け、ユックリ走り出した。対向車が来たら困る道路幅だが、トンネル途中に行き違い用の場所がある。そこまで行くと、全員が「オォ~」と声が出たが、まだ続きがある。出口近くに成り、外の空気を吸いたくなり窓を開けトンネルから出た瞬間、ミミズクが飛び、子狸が山側から道端の土の水路に落ち、車の前を後ろを何度も振り向きながら走っている。女房は「お父さん、狸の子を踏まないでよ」「踏んでも、肉が無いから食べられない」と言ってると、娘曰く、「自然の営みを沢山見て、涙が出る」ってさ。完成の強い子じゃ。で、終り。

此処で情報を一つ。YouTubeに、この笹ヶ峰隧道を走ってる動画が入ってます。丁度、私達が走った逆コースだが、当時の思い出を再現してくれる。それも、微妙なスロー再生してるから、見応えがありますよ。

 

この歳になり 気付く事

若かりし頃、大人達から注意されていた事は、理屈で解っていても実行できない事ばかりだったように思う。結局は理解しようとしなかったから、解って無かった事になる。それが歳を取り、子供が産まれ、やがて孫が産まれ、俗に言う平均年齢と言う訳の解らぬ余命宣告みたいなモノが心の中を支配していく。

83歳半で逝った親父は、80歳頃から「死」と言う概念に異常に忌み嫌いだした。墓参りに行って皆が拝んでいても、墓に一番近い所に立たせていてもクルッと墓に尻を向け、「皆、信心深く成って」と、ヘラヘラと笑っている人だった。
ある年、1月2日が命日だったから何回期かで寺へ行って墓前で拝む事に成った。天気が少々悪く、雪花が舞っている。読経が始まる前に、気を利かせた住職が言った。「寒いから、年寄りは本堂へ行って待って下さい」と。だが、誰も動こうとはしない。その内、皆さん顔を見合わせて笑いだした。住職もつられて笑いかけた。何故なら、参列者の多くどころか、若者と言えるのは我が娘と息子だけ。とうとう皆で吹きだした。その時、姉が言った。「誰も、自分が年寄りと思って無いみたい」と。その一言で住職は笑いながらも気を取り戻し、儀式は無事終わりました。

で、話を戻すと、現在の日本人男性の平均寿命は83歳位だったか。今、治療院を直しているが私は今年67歳。平均寿命まで16年程。長生きしても90歳と考えても23年。「直すだけの価値があったか?」と聞かれてると、「無い」と答えるしか無い。理由は、女房は今治の実家を相続して修理して、悠々自適に一人住まいしている。娘は、地方公務員に成り国家公務員の旦那と子供と埼玉で生活しているし、息子は横浜の結構大きな企業に就職したらしいが、その後、私とは音信普通。

だから、今の家を直しても相続する者が居ないから、現状で売るか壊して更地で売るかしかないのである。まだまだ体力の残ってた時期、中古住宅を買ってリニューアルし、現在地は丸々月極の駐車場にしようとも考えたが良い所が見つからず、リニューアルの方向へ。

建物が順次壊れていくのを見て、初めて親父の偉大さが解ったような気がする。その親父がまだ若かった頃、「お父さんの言ってる事は、年取ったら解るし、感謝する気持ちにも出来る」と言う意味の事を言ってたが、ソックリではないがその通りのような気がする。

歳を取り、まだまだ解って無い事も多いが、死ぬまでにどこまで解るか。解脱から悟りへ、まだまだ先のような気がする

 

予知能力

こんなタイトルを書くと、「また変な超能力的な話を持ち出して」って言われそうだが以前、書いた「正夢」も一種の予知能力。元々、特別な能力では無く、科学の発達してない頃に大自然や色々な驚異から身を守る為にも、ある程度、それらを予測する力が必要であった筈。
人間が石とか木が武器として使える事を知り、やがて火を使う知恵を持った頃から知能が飛躍的に伸びたと言う。そして、予知能力が減ったとも言われる。
現代でも、何か新しい知識なり技術なりで行き詰ってもある時、閃き以外のモノで解決できると言う。人間楽すると、予知能力を含めて色々な能力が隠れて楽をしてしまう。そして、何かの時にそれらの能力が顔を出す。

若かりし頃、家族の間で何か揉め事があって揉めに揉めていた時、側で話を聞いてた私は口を挟んだ。「それって、×××」と言っても、「何も知らん子供が何を偉そうに‼」って聞く耳を持たなかったから、黙って放っておくと、時間が経って何故かみんなが私を避ける。理由を聞くと、大人達が誰一人知らず、知らない筈の私が言った事が解決の道筋を確実に言い当てたのだ。そう言った事が度重なると、「貴方が言ってるんだから、多分、そうだろう」と言う事になる。時には外れる事もあるが、問題無い所で少々歪んでる事もある。

こう言った能力、私なんか随分と低い方だし、体調なんかで気紛れ的に出たり引っ込んだりする。もう少し、安定した出現をしてくれたら良いのだが。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑳「エビデンス」

西洋医学では随分と前から、一言で言えば「エビデンスが無いから信用できない‼」って言います。[エビデンス]って言葉、此処では医学的根拠・証拠と成ります。
だから鍼灸医学・漢方医学、元々 東洋医学と呼ばれていた医学は民間療法と呼ばれていた。ただ医師の中に漢方薬の薬効に目を付け、成分や動物実験で科学的に薬効を認めさせ、保険適用の薬を作り上げた。
漢方薬も其れで効果の出る物もあるが、本来の使い方からすれば間違ってる物や、それに近い物もあるから期待程の結果は出て無いのではないか。
また、「漢方薬は生薬だから、身体に優しい薬」としてるが大嘘‼。心ある薬剤師や十分な勉強をしている薬剤師は、決してそんな事は言わない。口を揃えて「漢方薬の方が毒性は強い‼」って言います。
解り易い説明では、毒草として有名な「トリカブト」。時代劇で毒殺シーンに使われるから、御存知の方も多いと思う。このトリカブトはかなり強い毒薬だが、現代では心臓の薬やインポテンツの薬として使われている。
鍼灸学校在学中、課外活動の一環として薬草の栽培会社へ見学に行った。そこでトリカブトを見せて貰い説明をきいてると、説明してる人曰く、「この葉っぱの先の小さい所、味噌汁の中に入れて飲んだら、役立たずがビンビンに成る」って説明してました(笑)。実習現場での、嘘偽りの無い説明であった(笑)。
西洋薬も漢方薬も元々、平均的に毒物である。それを「匙加減で、薬にも毒にもしている」と考えておかねばなるまい。決して「漢方薬は、生薬だから身体に優しい」事は無いのだ。ただ、生薬だけに身体に馴染み易いと言う事が考えられる。

そして漢方薬の正しい使い方は、まず症状を診て脈診をし、漢方薬の原材料名と重さを処方し、土鍋や行平に規定の水に入れ、規定の量まで煮詰める。本来はそれを使うのだが、現代のように忙しく手間が掛けられない為に、西洋薬と同じように成分薬を使う事になるが、効果は計算通りには出ないと思う。
ただし、本来の土鍋や行平で煮詰めて作る事と比べた場合、成分に均一性があって良さそうに思うが、土鍋・行平で作った方が「現代科学では解明されて無い+αの効果」があるのです。
例えて言えば「温泉」。全く違う場所の温泉で、同じタイプの温泉水であっても効能が全く違う。何故なら、その温泉水が含まれていた地層や環境が全く違うから、効能が違ってくるのです。面白いのは、山奥の温泉。正しくは冷泉なのだが、その辺り一帯は太古の昔は海底だった筈で、地殻変動か何かで海底が山の頂上辺りに居座った(笑)。だから何億年・何千年も経って、海水が温泉水と成り、塩っ辛い温泉として効果がある。だから、最近流行の海岸縁の海水温泉とは違った効能がある筈なのです。

温泉も科学的解明が成され、温泉に行くと公的機関に成分などを調べて貰い、「何に効く」と書かれています。これが「冷泉だが温泉として認められる水」。それと、昔の銭湯は「何とか温泉」って名前が付いてたが、この成分表が取れな水道水の銭湯は「温泉」の名称が付けられなく成ってます。

料理番組をみていると、一流の料理人が大事と思うレシピを平気で後悔します。司会者が、「レシピを教えて大丈夫ですか?」と聞くと、「大丈夫。レピシだけで、私と同じ味は作れません」と言う。何故なら、「火の強さや加熱の方法やら掻き混ぜ方で、味が随分と違うのです」と言う。仮に、今流行のAIで調理させても同じ味には成らない。外食で美味しい料理を食べ、腕自慢の女性が作り、二度目の時にソックリの味に成ったが、何か一つ足りない。美味しいのだが、何か足りないのだ。結局は長年の技術と言う話。

こう考えると、薬も温泉も食べ物も、表向きの事だけで結果が同じと成らない事は明白だと思います。酷い話、薬の中にはエビデンスも無いまま、患者に飲ませると効いたからと、使われてる物もあると言うから、怖い話である。

 

私は、大事に育てられた?

昨年12月、駅からウォークで「年忘れウォーク」と名打った讃岐のコースに参加。チョット足を痛めて、役員さんに随分と迷惑をかけた。
弁当持参と成ってた割に、ゴール到着が12時過ぎ。案の定、役員さん達だけが忘年会をすると言う。帰りの電車で、新居浜から別便で来ていた女性と同じ普通電車で帰る事に。弁当は、電車の待ち合わせの間に待合室で、帰る方向の違う方々と一緒に済ませた(笑)。
やがて上り電車が来て発車したら、私達だけが残っている。暫くしたら下り電車も到着。電車に乗り込み色々と話をしていて話が途切れると、女性は電車で読む本を出したが、結局、何だかんだと新居浜まで話し込んでしまった。私は氷見の母親を預けている施設に行くから電車に残り、彼女は新居浜で降車。
降車前の最後に、「本を読む時間を取り上げてしまって済みません」って言うと、「良いんですよ。主人と一緒に出掛けても話をする事も無いから、何時も暇つぶしに本を持って来てるんです」との事。そして、「貴方、お母さんに随分と大事に育てられてるし、奥さんにも随分と大事にされてる」と言われた。何処でそんな事が解るのかと思ったて調べていると、ナルシストの解釈辺りで解ったらしい。

成る程、母親からは小学校低学年の頃は凄く大事に扱われていたと感じる反面、異常なプライドの高さから鬼のような感情で扱われ、何度も7殺されかかったし、自殺を目論んだ事もある。そして私の行動が少々問題化されても、「歯医者の家庭でまさか」って言われ方をし、私が何を言っても正しく評価され聞いて貰える事は無かった。それが当たり前に成り、今でもエビデンスに基づいた発言をしても「嘘吐き扱い」をされるのです(笑)。

だから、高校受験前と大学受験前にもプチ家出のような事をした事もある。この辺り、[観音寺が舞台の青春デンデケデケデケ]って映画化された小説の作者も、大学受験を前に日帰りのプチ家出(笑)をして、友人達を心配させた部分がある。何処かひ弱そうだが何処か図太い部分も持ち合わせ、周囲の人々を翻弄していたようだ。