Archive for 8 月, 2018

異常気象の夏も

本来は、今年の春先から異常気象が起こっていたように思うが・・・。
特に今夏の猛暑続きには、元気な人でも心身ともに疲弊していると思います。この調子では、この秋から冬にかけて異常な寒さや降雪が続くのではないだろうか。
私の記憶に間違いが無ければ、昭和58年冬~昭和59年初頭にかけ、この新居浜においても30㎝近い降雪があり、吹き溜まりになると1m位の積雪があった。余りの積雪に市内の交通網は乱れ、多少、生活に支障が起こっていた。
そういう私は、ボロボロのジムニーって軽四の四輪駆動車も持ってた関係で、二日程の夜間は四輪にチェーンを巻き表面が凍った新雪の上を走り回っていた。結構スリリングで楽しかったですよ。年取った現在では、もうそんな元気は無いですが(笑)

昔 若かりし頃と言うより、登山らしき経験が一切無い高校一年の時、ブラスバンドから夏季合宿と言う名目で西条市の笹ヶ峰に登った。本格的な登山家から言わせるとピクニックだと言われるが、初めての人間には大変であった。一度登ると二度目は登りたくない(笑)ものだが、冬の早い降雪時期に単独で何度か登ったが、夏と違って面白かったですよ。低い山でも1000mを超える山故、登山には素人が一人で登るのは危険。けど、ヤッパリ楽しかったですよ。

今は昔、若かりし頃の少しヤンチャな冒険の真似事も懐かしい話ですね。

 

お化け屋敷Ⅰ

今年の夏もお化け屋敷に行けなかった。南予の歴史文化博物館では今年もお化け屋敷のCMを入れてたが、あそこの職員(元イヨテツケーターサービスの職員)が、金を払って入場している客を、堂々と嫌がらせイジメをするから行く気にも成らなく成ったから。その問題職員の上司も、結構解ったような口を効くが、陰で随分とエグイ事をやりますよ。佐伯とか言ってたけど。だからここ数年、博物館は行ってません。職員が怖いから。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】「代替医療と西洋医学」

【代替医療】とは、鍼*灸を始め、保険投薬が認められている漢方薬や、薬効が認められているにも関わらず医薬品の類と認められて無い物や、その為に健康食品のまま販売使用されているものまで多岐に渡る。

此処で、[整体]や[整体の類][カイロプラクティックの類]を[入れなかった]のは、[彼らの多くは文科省や厚労省の認可学校を出ず]、[民間企業の簡単な講習だけ]で[国家資格の免許のようなオモチャ]を貰って行っている者が多い。だから、[健康保険や車の自賠責などは一切使えない]。

鍼灸の場合、歴史的背景の関係で特定の公的保険の一部しか使用できないが、いまは少しだが改善はされつつあるが先は長い。だから鍼灸も代替医療として扱われる場合と、病院などの医療施設で医師以外の者が鍼灸治療や按マ指の治療を行った場合は混合治療となり、健康保険で治療を受けた治療が無効と成り、健康保険から支出された医療費の返還を求められる事に成る。このように複雑な医療行政が横行している関係で、誰が一番割に会わない目に会ってるか。患者さんである。

また、生活保護・母子家庭・労災などなど多くの制度が、建前では鍼灸治療を国の費用で受けられる事に成ってるが大きな問題がある。[大学の医学教育の中で代替医療の授業が無いから知らない]のに、[「あんなモノ効かないから止めろ‼」って言う言葉]を[感情的に患者さんに言う医師の何と多い事か‼]  だから[同意書を必要としている保護政策下での患者さんは基本的に国費で鍼灸治療を受けられない]格好になっている。たまに理解ある医師や何等かの格好で同意書を書いている医師が居るが、僅か数回の鍼灸治療を受けるのに社会保険系を使うとすると割高に成る。医師に掛って数千円、同意書を書いて貰って数千円。それに鍼灸治療を受けると、三カ月に一回はそれらが必要と成るから、安く治療を受けようとして割高に成るケ―スが多い。

私がガン手術後に、まだ真面目(笑)にガンの勉強に取り組んでいた頃、愛媛大学の施設内でガン医療の講演会があった。物見高いと言うか好奇心の強い私は早速参加。当日愛大に行き会場の建物に行くと、私の愛媛新聞の記事を書いた記者さんと某患者会の代表も来ており、挨拶もそこそこに。何人かの医師が自分の行っているガン治療などの講演を済ませた所で、元ガンセンターに居たと言う医師が登場。冒頭、「参列されてる方の中で、代替医療をされてる方」と挙手を求めた。勿論だが、私も手を挙げた。そこで,「あんなモノ効きません」と言い、自分の研究を一通り話した後、驚くべき発言をした。

「私たち医師は大学の医学教育の中で、代替医療に関しての勉強を一切していません。だから知りまん。それを『あんなモノ、効くか‼ 直ぐに止めろ‼』と感情的に怒鳴るように言う医師の何と多い事か。そんな感情的に言うような医師を信用してはいけません‼」と言った発言をした。

その発言を聞き、私は打った曲げた。いくらそうは思ってても、公の場所で此処までの発言を始めて聞いたからだ。建前論で嫌々言う医師や陰で色々言う医師は居ても、此処まで本音(少なくともそう取れた)を言う医師が居たとは。後先の事を考えたら、思ってても絶対に言える内容では無い。

 

水樹 奈々

「私は、水樹奈々のファンでは無い‼」冒頭からこんな表現すると、熱烈ファンから袋叩きに会うかも(笑)
「じゃあ何故、水樹奈々の名前を?」って聞かれたら、私と奈々の父親が従兄同士で、奈々は従兄半って仲。従兄って生物学的には他人。だから従兄同士で結婚ができるのです。奈々には妹が居るが、赤ちゃんの頃に何回か逢った記憶はあるが、大きく成ってからは会った記憶は無い。
私の身近な親類縁者の中で唯一、芸能界で大成功した部類の人である。一時に比べ少々トーンダウンした部分があるが結構、私の周囲にも熱烈奈々ファンが居た。まるで隠れキリシタンみたいだが普段、熱烈ファンの彼女&彼が傍に居ても、奈々の話が出ない限りは解らない。

私は水樹奈々が地元 新居浜で頑張っていた頃、テレビ系の仕事もしてたから、奈々がアチコチで有料で歌ってたのを知っている。最も親は貧乏してたから男親が金の管理をしていたが。そして「〇〇ざくら」って曲だったかテープを自主制作して当たり、そのテープは未開封であれば秋葉原辺りで今でも20万円近い金額で取引されているらしい。当家にも未開封があったが今は何処へやらの上に、そのテープ以前に制作された曲のテープも5本程あったから、隠れ何とかみたい(笑)

この新居浜市や西条市辺りでも結構話題を振り撒く歌手や芸能関係者も増えた。西条市の歌手・秋川氏の父は高校の音楽の教師で、私が高3の時に一年ほど教わった事があるが私は器楽だったから縁が無かったし、彼が西条高校で教鞭をとってた時にトワ・エ・モアって男女デユオを育てたって自慢してたっけ。

最後に、奈々の母親が新居浜市内で「なな」ってカラオケ喫茶をしているが、「一度だけ」って寄ってみたが、挨拶しても母親は知らん顔。名前は忘れても、せめて顔は覚えている筈。とうとう話し掛けたが「知らない」の一言。コーヒーをのみ店を後にしたが、も二度と来る所じゃないと思ったが、たまたま知り合いの女の子が私が奈々との関係を知ると、「バリバリの奈々ファン‼」と無理矢理カラオケ喫茶へ付き合わされた事があるが、やはり母親の対応が悪く、その日限りで奈々ファンを止めました。そして私も行って無い。その筋の話では、事務所から親戚縁者を名乗って近付いてくる輩が多いから言い含められてるんだろうが、無名の時に散々利用し有名に成ったら「アンタなんか知らない」では不条理であるし、あまり地元ファンを蔑ろにしてはどんなものか。奈々の父親と幼い時から深い付き合いのあった人間が、プッツリ切れたらどうなるか。図分と悪い噂も見聞きしているし、本人&母親&事務所が知られたく無い話があるし、それに輪を掛けて凄い噂も出てくる可能性もある。

いま人気があって落ち込んだ時、最後には地元のファン也が応援してくれ最後の砦に成ってくれる事を忘れて欲しくないですね。

 

嫌われる

最近、このタイトルで書いた記憶が・・・似た文章を書いた記憶が・・・認知症かも知れない(笑)。
余りトラブルを起こしたく無いから、大事な事にはなるべく触れないようにしている。ところが何かの拍子に触れちゃうと、後先考える暇無しに一声がでる。「それって可笑しい」類の言葉、簡単なモノだったら「チョット待って」て言い説明を始めると、大抵の人は黙って説明を聞く。此処まで来るのに随分と時間が掛かった。

最初は、邪魔をしているように取られ色々と言われた。そして事が上手く成就しなかった時に「だから言おうとしたのに、人の言う事を聞かないから~」ってその場を後にすると、修正ができないで応援を求める。そして恩掛けて修正する(笑) 。後で飲み物位は出てくる。自分でも随分とあくどいと思う(笑) やがて周囲の者達も要領を得て賢くなる。
私だって間違った事を言いたく無いし中途半端は嫌いだから、かなり確信を持った事で無いとなかなか口を挟まない。色々な意味を含め、それでも「そんな事あるか‼」って一喝する方々が居るが好きに言わせておくと、やはり気に成るのかアチコチで確認してるようで、私の発言が正解だから次第に信じるようになるようです。

最近では、私の言う事を「聞こうとしなかった」り「否定する人には」、次から何かあっても大事な事も言わなくなるのです。

公益社団法人に成った愛媛県鍼灸師会も、昔ながらの私の発言を無視する言動が続いていたが、ある人が言いました。

「先の事が見える先生が何か言っても、多くの人は大事な事も見えない予測できないから、『そんな事あるか‼』と否定するか無視するかしかできないのね。その証拠に、数年から長けりゃ何十年もして先生の言った通りに成る。すると、何張り言うと恥かくから無視するしかない。」と言う話。

だから監事になり、暫くは私の発言は無視&否定され続けたが、幹事の発言を無視&否定すると後々面倒に成る。話をジックリ聞くと、間違った事は言って無い。それどころか「この話、何年(何十年)前の何と言う会で私は発言したが、誰も聞いて無い話を逸らしたバカが居るから、今頃に成って同じアホなやり取りしかしていない」とまで発言するし、幹事に成って数か月後に二度目の理事会があったが、それまでに[監事*理事に成ったら読む本]ってのを手に入れている。相変わらずバカな質問発言が続く中で言った。

「みんな理事に成り長い人は何十年もしてるのに、前回も今回も相変わらずアホな言動が続いている」と言いながら本を出し「こう言う本があるんだから、せめて一冊 自費で手に入れ、必要な所だけでも読んどくべき」と言うと、会長はじめ役員全員がビックリ。「こんな本、あったんじゃ‼」とか言う話から「何処の本屋に会った」「何で調べた」って聞かれたから「本は本屋(笑)で、大体がネットで調べ、四国にある大手本屋にあるかも調べ、現物が高松にある大手の四国本店まで行って現物を見て買ってきた」と言うと、だれも下を向いたまま。暫くは大人しかった連中もまた蠢き始めたが、得意技の音声と映像で抑え込みに入っている。

 

ほうれんそう(報連相)と仕事とやる気と

過去に類を見ない程の高温で熱中症も多発している現在、人様に「やる気‼」と言っては気の毒どころか自分がやる気を無くしているかも知れない(笑)

昔から仕事において、「報告・連絡・相談」が重要視される。これが「ほうれんそう」と言われるのだが最近、全く守られて無い企業に出くわした。介護系の企業だが、7月25日頃に事情あって預けていた母親の健康保険証を借りていたのを、期日の関係で7月31日午後8時にに施設の近くを通り掛ったから、国道沿いの大型スーパ-の駐車場に入り電話を入れた。本来、施設は19時以後は面会はタブーなのだが、内容は内容だから寄る事にした。
当直が出たから「近藤ですが、近くまで来たから借りてた保険証を預かって貰おうと電話したんですが」「今、どちらに居られます?」「スーパー○○の駐車場に居ます」「近くですね」と迄は良かったが、何か色々と喋り出した。話を聞いてると、夜間のそう言った仕事は受け付けないと聞こえる話に成った。本来、私が近くまで来てるんだから「玄関まで来て頂いてベルを押して貰ったら、受け取りに玄関まで行きます」だけで済む筈が、余り色々と言うから「預かって貰えんなら、日を改めましょうか?」って言うと「保険証、持って来られて無いんですか?」と言う始末。人の話を聞かない態度にプツッと切れた私は「もうええわ」と言って電話を切った。
翌日、事務へ連絡すると「済みません。折角来て頂いたのに、大事な事だか周知しときます」って事で電話を切った。

そして翌日、前の日が20時で嫌がられたから早目に仕事を切り上げ、19時過ぎには玄関先まで車を乗りつけた。電話を掛け、当直が出たから身分を明かし「保険証を戻しに来た」と言うと「保険証・・・、戻しに来た・・・」「昨日、事務方に連絡したら保険証の事は周知しときますって事だったけど、聞いて無いのか?」「・・・私は聞いて・・・ません」とやり取りしている内に 再び切れた。「じゃあ、日を改めようか?」と言うと「私は介護だから、何も解りません」と言う話に成った。そのまま電話を切り病院へ向かった。昨夜と同じく電話を取った職員に「今、玄関先にいる」と言ったんだから玄関まで出てくれば良いのに、逃げてばかりであった。
保険証も病院で要るもんだから病院職員に説明して預かって貰えば良いのだが、借りたのが介護施設の担当者。後で何かあってはいけないので、大事な物は借りた人に直接返す事にしている。そして病院からの帰り、諦め切れないから施設の玄関先まで車で乗り付けインターホンを押したが何の反応も無い。暫くして再び鳴らしたがやはり反応が無い。結局、そのまま帰りました。
そして翌日、施設に電話を入れたら受け継いだ職員が出てきたから、「昨日は二回も寄ったのだが事が済んで無い。私は病院に行く前に早目寄ったんだが、電話を取った介護職員に『私は介護だから解りません』って言われ、病院の帰りに寄ってインターホンを二度押しても無視された」と言うと、「チョット、待って下さいと」言い暫くまたされたら施設長が出てきた。だろうね。長く居たって権限が無いから浅いとは言え施設長に代わるしか無いだろう。で、軽く説明した後に、「此処の介護の人達の知能って幼子並みだねと思いましたよ」って言うと、随分と嫌な顔をしてたが、そうでしょ、借りてた保険証を戻しに行ったけで。受け取て貰ったら良いだけが、大の男が二日、それも受付と打ち合わせの電話をして事が成就しない。受ける側の不手際でしょう。

実はね、この施設、前の施設長に「急ぎの用事で19時30頃に伺いたい」と言う私に対して、「明日でも明後日でも、来れる時の昼間に来て下さい」と暴言を吐いたから、「あんた等の仕事って、年寄りや病人と介護してる家族を含めて援護するのが仕事なのに、今の言いぐさはなんぞ‼」って一発噛ましたが此れも頭が悪かったから反省の色は無かったですね~。だからこの施設は後々も19時の仕事は受けないようにしてるようです。

 

世の中 理不尽だらけ

現在も犯罪が多く成りつつあるが、人の欲望も多様化し、我慢できない人々が新しい形の犯罪を増やしているような気がする。人口が減り、我慢する必要が少なく成った人達が増えた事なども一因ではないだろうか。

私の年代では学業成績の結果だけが、その人の人間としての全人格すべて時代があった。中一時代の私の女性担任。その女教師は自分のお気に入りの女子生徒を指し、「あの娘は成績も良く大人しいし人格者だから、悪い事をする筈が無い‼」と言い切ったのである。
ところが当時からでも、成績の良い人々は良い学校を出て良い職場に行って、我々下々の者に解らぬように悪い事をしており、タマ~に間抜けな奴が捕まっていたのですね。最近は下々の者も多少頭が良く成り、内部告発したり、悪な連中も欲呆けしてチョンボをしたりして、結構捕まっているのです。

今でも根強く残っているが、面白い話がある。
一部重複するが、私が中学一年生(13歳)の頃、担任と家族ぐるみで折り合いが悪く、彼女の誘いで私のイジメグループができ、当時の角野中学校の中一生の担任グループから理由も無く常に目の敵にされていた。本当は、女教師の妬みからから発生した誤解なのだが・・・。年齢的に言って更年期障害の出た年頃のオバン教師は、訳の解らぬ何かを叫びながら、子供達の頭を分厚い教科書で叩き回った事もある。中には、仲間に入らない教師もいたが極少数。私が現在地で独して数年後、グループ外の教師が治療に来た。話をしていると、「君らが中一の頃、多くの問題教師がしていた事を今頃やると、人権問題で父兄に吊し上げられ職も失ってたよ」と言った程だから。いかに壮絶な事実であったか。
もう一人、体育教師。元バレーボール選手だったらしいが、身長が余りにも低かったから現役選手を諦め中学教師と成ったらしい。だから体育の時間でバレーボールをする事が多かったが、この男にも目を付けられた。軽いパスの練習中、私の傍にきてボールを受ける手元を見て「お前は、飛んできたボールを手の平で受けよる‼」と怒鳴り始める。挙句、「こうするんじゃ‼」と目の前でして見せる。同じ事をしても、「お前は解らんのか‼ 頭の悪い‼」と罵倒を始める。他の同級生は、その男教師の性格と頭の悪さを知ってるから[下を向いたまま、黙々と練習している]始末。結局、誰からの助けも無いままに、「ボールを受ける時は‼ 指は伸ばしたまま受けろ‼」と言い出した。そんな事をしたら指はボロボロいに成ってしまう。だが、教師は何が目的でそうやらせるのか解らない。ボールを受けた瞬間は、指は伸ばさず軽く曲げてクッションの役目をさせて受け、トスをした時に初めて指は伸びるのである。それをトスをした時の伸ばし切った状態でボールを受け、ボールを突くように押し出せと指導したのである。当然、両手の指10本は腱鞘炎を発症し、50数年経った今でも指が疼いているのです。その指から肘までも痛みが走ってますよ。後々、オリンピックレベルに近いバレーボール選手に、問題教師に指導されたボールの受け方を見せたところ、「間違ってる。そんな事したら、指がボロボロに痛めるのは解ってる筈だ」と言ってました。その問題教師は青木と言い、練習中にボールに乗った為、頭から後ろに転倒。むち打ちで随分と長く入院してましたよ。

私がこのように教師にですら目の敵のように扱われていたのは、教育現場でも組合活動が真っ盛りの時代だったから、まず父親が自営業者だったから労働者の敵扱いでしたよ。教師の間でも組合活動の激しかった頃だから、「個人でも人を雇って仕事をしているのは資産家で敵」と言う考えで、「資産家は労働力を搾取して・・・」と、私の父親に面と言えないから息子の私に色々と文句を言い、挙句に女性担任が職員室で「アイツ(私の事)を特殊学級に放り込んでやる‼」と息巻いていたと言う。その状況を見た二年生の先輩が心配し、「何かあったんか?」と聞きにきた位だから、さぞ凄い言動だったと推察できる。先輩には事情を話したが、反応は冷たかった。

最近、「私も歳を取り、何かに付けて我慢ができなく成った」と言うより今でもだが、私が何かを言ってもまず信用されない。「普段から冗談やバカばっかり言うからだ」と言うケースがあるが、殆どが相手の知らない新しい情報や事実を平気で喋るから、情報力の無い多くの人々が「私の話を嘘&冗談」と解釈する能力しかないのである。だから私の言った話が、早ければ数日、遅ければ何年もして表面化するのです。記憶している中では、私の話を一切聞かずに頭から潰した輩がいるが、30年後に私が言った通りに話が進みだし、40年以上経って表面化して私に喰い付かれて何も言えずにビクビクしている。

私も多分、気付かない部分で同じ過ちをしていると思う。だから最低、聞いて貰えなかった事を聞いて貰い、当時、何故私の話を聞かなかったのか聞こうとしなかったのかを問い質しても何の回答も無い。だから、相手の当時の状態を説明してやると、己の過ちを少しは認めます。そして、何故そこまで問い詰めるのか。同じ過ちを繰り返す事で生じる無駄な時間を無くす事を目的としている。