Archive for 10 月, 2010

また出ました。

今回は真面目な話。《週刊・東洋経済 10/30特大号》の38頁に、患者コミュニティサイト「ライフパレット」って言うネット上でガン情報を発信している組織のアンケートに答えていたら、私の書いた短いコメントが載ってます。「何処!?何処!?」って、聞いたり探さなくても四国の人間のコメントは、この見開きで私一人だから絶対に解ります(爆)。でもネ~、ただでさえ短く書いたコメントが10文字ほど削られてるから、ますます短く成ってます~(笑)

どうも私は根っからの明るい性格なのか、馬鹿なのか、単なる変人なのか、自分でもヨウ~ト解らない部分があるとですよ。自分では普通だと思ってるが、人から言わせると超ド級の変人らしい。それでも、歳を取るに従って普通のオヤジになっるようです「ンッ?」。高校時代位迄の評価からしたら、随分と大人しい表現の評価に成ったようですから(爆)。と言うよりも、自分で思ってるだけで、ますます超ド級のインパクトに磨きが掛かってるかも(爆)。

 

「2千円切符」の話②

昨日、松山市で行われた県鍼灸師会へ出席してきました。タマには、勉強してる所もお聞かせしなくては(大汗!!)。

度々の移動では旅費が嵩む関係と事故の心配から、数年前からJRなりバスを使っての移動を心掛けてます。何年か前、瀬戸内バスとイヨテツ・バスが共同運行でJR新居浜駅~JR松山駅間の特急バス(高速無し主にR11を走る)を、片道1750円で走らせ始めた。数年後、JR四国との兼ね合いから1500円に値下がりした。結構安いと利用を始めたが、話を聞くと、4枚綴りの回数券を買うと片道1200円に成ると言う。結局、それを買って松山へ行きだした。

そして先日、JRの2000円切符で高松へ行ってからハマリ、昨日の松山での会に出席すべく調べているうち、新居浜駅~松山駅間のJR普通運賃が往復で3500円少々。時刻表を見ると行きも十分間に合う便があり、帰りも程よい便がある。到着時間も、特急バスより10分程度早い。会場は松山駅から歩いて10分も掛からない堀の内の市民会館。結局、1500円程浮くから、昼飯代も出る(爆)。一昨日の土曜日に切符を買いました(爆)。

昨日、愛妻は勤務する幼稚園の園長兼理事長と二人で広島である研修会に行くと言うから、朝、早起きして二人で薄暗い町並みを歩いて20分程の駅へ向かった。私は07:01発の普通電車。愛妻は、広島行きの高速バスに乗り換える都合で、理事長と待ち合わせて07:22発の特急電車。愛妻の見送り(笑)を受け、車内で時刻表を見ていると今治駅で私の乗る鈍行と、女房達が乗る特急が合流する。おまけに、私が乗ってる鈍行電車は今治駅で10数分間待ち合わせの為に停車する。

そこで、何時もの悪戯心が働いた。今治駅に着いた途端、トイレに走り用を足し乗ってた鈍行電車の出入り口に立ってると、下り特急が入ってきた。案の定、園長を引き連れた?愛妻がニコヤカに手を振りながら降りてきた。園長と挨拶を済ませ、馬鹿話をして別れた。

愛妻達は今治駅前から広島バスセンター行きの高速バスに乗換えをする理由は、運賃が一番安いらしい。広島では娘と会う約束らしいが、時間の関係でユックリ話す時間が無いと言う事で携帯電話で連絡を取り合い、愛妻と園長が路面電車で移動する途中、広大前の電停で娘が待ち、昇降扉が開いたら荷物の受け渡しをして別れると言ってたのが上手くいったらしい(笑)。

私と言えば今治駅で小用を足してた筈が、今治駅と松山駅の中間で再び尿意。我慢をしてたが堪らず、駅ホームにトイレのある駅に停まった時に車掌さんに声を掛けた。「トイレに行きたいんジャガ」の私の言葉に、車掌さんは戸惑いの表情をしながらも、「この駅のトイレは、あそこです」って教えてくれたのでトイレにダッシュ。だが鈍行電車とは言え、何せ県都・松山市内の駅で二両編成。随分と多くの乗客が乗っている。下を向いたままトイレに走り、用を足すと下を向いて待ってた車掌さんに目礼して車内に戻った。やがて松山駅で降り堀の内の市民会館へ、所用時間10分。勉強会は二階会議室。内容はトリガー・ポイントに関するものだが、国際医療大学の講師だったから期待してた割に内相はショボく、「私が教えてやろうか」って程。1500円の会費と2000円の運賃と時間を使って得た内容は、「自信もって治療に当たれます」でした。

りは、JR松山駅16:20発の鈍行電車。会場を出て、1時間程の余裕があるから市駅のある「いよてつ高島屋」へ回ったのだが簡単な所用に意外に手間取り、慌てて路面電車でJR松山駅へ向かった。それでも、しぶとく家族への土産と握り飯二個とビールを買って跨線橋を渡り電車に飛び乗ると、まだ10分近くの余裕がある。荷物整理をしてて尿意に気が付き、ボックス席で相席になったうら若き女性に荷物番を頼み、跨線橋を渡ってホームのトイレで用を足し、走って電車に戻ると即発車。

今回の旅で感じた事、トイレ設備の無い鈍行電車の場合、早目に車掌さんに言っておけば、ホームにトイレのある駅を案内してくれる。少々遅れても、小便の場合は必ず待ってくれる。尾籠な話だが、大便の場合は10数分以上の停車時間のある駅で、車掌さんに言っておけば待ってくれるようです。国鉄時代より、随分と融通の利く乗客に優しい乗り物になったようです。

《陰の声》JR四国は運賃収入が減ってるから、ワガママ・オヤジの小便位は仕方が無いか。その辺りに放尿どころか、ヤケクソで脱糞までされたら目も当てられ無い(爆)。しかし今日の話は、「我ながら尾籠ダナ~」って思います(爆)。

トイレの話を持ち出したのは以前、JR松山行きの特急バスで、川内営業所近くで運転士にトイレの申し出をすると随分と嫌な顔をされてから、結局、簡易トイレを用意してバス車内で用を足してました。或る日など、左側の最前列座席で走行中のバスで用を足したから、当然、臭いで解る。降車する時、運転士から随分しつこく、「お客さん、忘れ物は?」って何度も聞かたんで、最後には「コレだろ?」って、綺麗に梱包した小便の入った袋を見せると、「済みません」って言ってたっけ。そしてこの日以来、私の指定席は左側の最後尾の端っこになりました。だって、この場所だと他の乗客から一番見えにくいし、運転士に臭いも嗅がれないし(爆)。

《バスでのオマケ話》ある日曜日、再び松山へ行くべく07:20発の始発を待ってると、発車までに時間があるのに松山行きのバスが駅前ロータリーに入ってきた。見てると、バスをロータリーの隅っこに停め、運転士が喫煙所へ向かった。気の毒だが早速後を追い、トイレの話を聞いてみた。すると、「早目に言ってくれたら、小便くらいなら良いですよ。さすがに大便ともなるとチョッと・・・」って笑ってる。そこで言いました。「以前、この便で川内営業所に近くに成ってトイレを御願いしたら、随分と嫌な顔をされた事がある。以後、簡易トイレをリュックに入れて何度か使った時がある。酷い時は、終点5分前に待ち切れなくなって使った事もある」って話をすると、「私は大丈夫ですから言ってください」って、優しく言ってくれました。そして、「一度、私も酷い目にあった事がある。小便が我慢し切れなくて川内営業所で用を足し、終点から営業所に戻ったところ、運転士がトイレに行ったってクレームが来てた事がある」と言うではないか。「それも酷い話ですね。運転士さんを人間扱いしてないよ」って言うと、随分と喜んでました。そして、「私、病気して手術を受けた時に導尿してから膀胱過活動に成ってるんで、今日は無いかも知れないけど、もしもの時は御願いします」って挨拶をし乗車したが、結局この日はトイレ騒ぎが無かったです(笑)。

と言う事で、トイレ設備の無い公共の乗り物での対処の方法でした。

 

「電話セールス」の話。

皆さんの御宅にも、電話セールスが入るのではないでしょうか?

◆たった今、自宅電話に松山市のお城の近くにある温灸の専門店だと言う電話が入った。母親が出たのだが、高齢から聞き取れないと言うから電話を代わった。なかなかオッチリとした優しそうな口ぶりで話す。

「温灸は如何ですか?」「ウチは鍼灸院だよ」「アッ、そうなんですか」と言いつつ、「火を使わない温灸なんですが、如何ですか?」「すまないけど、ウチなら卸価格で手に入るよ」「アッ、そうなんですか。失礼しました」って、何度も丁寧に謝りながら電話が切れた。このように、自宅電話には素人向けの健康食品や健康機具など、金融品から始まって様々な店のセールスから電話がかかる。

◆一番面白かったのは、電話セールスを始めて間もないと思われる30歳半ばと思われる女性から名前も用件も言わずに、いきなり「奥様は、ご在宅でしょうか?」と切り出された。その物言いに少々カチン!!と来た私は、同居している母親も「奥様」って呼ばれてるから、「ウチには奥様と呼ばれてる女性が二人居る」って答えると、声が怒りっぽく変わり「奥様は居られますか」って再び聞いたから同じ答をすると、空いた手でボタンを押したのだろう。無音のままプツッ!!と電話が切れた。質の悪い電話セールスの見本でしょう。

質の悪い電話セールスは、もっと沢山ありましたので何れアップ致します。

 

研修旅行の後始末。部分、最悪!!

研修旅行から、無事に帰りました。ただ、皆さんにお知らせする内容では無いですが、本日早朝、出勤しようとした愛妻が事故に会い、頚椎捻挫と腰椎捻挫で寝込んでしまってます。

9日の土曜日、22:30発のフェリーで出掛ける為、辺地の集合場所へ21:00。にも拘らず、珍しく当院が連休と成る為、仕事が終わったのが20:10。早めだったが愛妻に集合場所へ送って貰ったら、既に1名来て待っている。話してる内に全員集合。今回の参加者は少なく14名だが、迎えに来た観光バスは25人乗りの新車。シートも武蔵丸関が座っても足元が楽々の良い車。全員喜び勇んで乗り込み、「新車の臭いがする~」って大騒ぎ。フェリー乗り場まで片道一時間。出発即宴会。ビールが出された。

フェリー乗り場へ着いても宴会は続き、乗船しても宴会は続く。懐具合が良い連中がオツマミを差し入れし、結局、00:00過ぎて自然お開きで就寝。枕が替わると眠れ無い私は、一番危険な睡眠薬とビールを呑んで就寝。朝06:00、呼吸も止まらず無事起床(笑)。船内バイキング朝食を済ませ、一路、伊勢神宮へ。伊勢神宮と言えば、今流行のパワー・スポット。此処で少々気に成ってた愛妻用の交通安全の御守。迷った挙げ句に、我々夫婦に厄除け御守。子供達には学業御守。気は心と言うものの、今に成って考えると買っておくべきだった。御守を買っても、事故は起こるものだが、でも、その時の迷いが後々心残りと成る。辛いです。

そして次は鳥羽水族館を回り、鳥羽シーサイドホテルへ。水族館から出てバスに乗り込む時、「トドと一緒に泳いできた」って言うと、運転手&ガイドさんに大受け。バスが出てからガイドさんが一言。「トドと一緒に泳いできたと言われた方がいましたが、アシカと一緒に芸をしてきたって方、いらっしゃいますか?」思わず「オイオイ、私のギャグをネコババしないでくれる~」って思ってる内に鳥羽シーサイドホテルへ。このホテル、迷路のようで部屋に帰るも風呂へ行くにも、恥ずかしい事に迷いました(笑)。挙げ句に、ホテル・マンに帰り道を聞いて無事部屋へ。

翌二日目、二見が浦と信楽焼きの窯元へ。残念ながら、狸の置物は平凡過ぎて買わず一輪挿しを。後は、一路辺地へ。なんせ、お伊勢さんとも成ると、随分と遠いから疲れました。考えてみると、土曜日にバスに乗り込んで、帰ってくる迄に、色々な種類の350ml缶ビールを1ケース以上は呑んでました。空手道場の忘年会で呑んでると、「貴方、ガン患者なんですよ」って言われてますが、実はそうなんですよネ~。何でも呑みすぎ等のやりすぎは良くないけど、ビールが呑める間は転移再発の恐れは皆無に等しい。と思ってますが、過ぎには注意します。

で昨日、珍しい連休明けだったから、やはり忙しく、仕事が終わったのが20:00過ぎ。そして今朝、珍しく普段は惰眠を貪ってる時間に起床し座ってると、女房が内玄関から出て暫くすると、表で異常な音がする。慌てて外に出ると、丁度、前の廃業した八百屋さんのシャッターに愛妻の車がメリ込み、車から出てきたばかりの愛妻が、「お父さん、事故っちゃった」と言う。女房の安全を確認し。車が片側車線を塞いでるから、「車を駐車場へバックさせとけ」と言い、家に戻ると携帯電話とデジカメを持ち、110番しながら駐車場へ出て具合を聞くと、「ぶつかった瞬間、ドアで頭を打ってチョッと意識が無くなって前の家に突っ込んだ」と言う。警察への通報も終わり、事故相手に話しかけてみると、薬でラリッた雰囲気。この薬でラリッタ雰囲気は、事故後の緊張とは種類が違うから、明らかに区別がつきます。案の定、裏隣の精神病院へ通院してる男性だった。

やがてパトカーが来た時には現場写真も撮り終え、ICレコーダーも持ち出しており、事故の対応に備えました。担当の警察官には、「頭を打って軽い意識障害もあったらしいから鞭打ちの心配があるし、腰も痛めてるみたい」って言うと、「暫くして余りだったら病院に行って、診断書を貰って出して下さい」で処理が終り、保険会社&修理工場にも連絡していたから処置が済んだ頃、女房が異常を訴えだしたから病院に行かせると、鞭打ちなら平均的に2週間の診断が3週間と成ってたから、随分酷い状態だったようです。で、最初に書いた「交通安全護り」じゃ無く「厄除け」を買った事が気に成ってるんです。我々夫婦が、この夏に新車にしたばかりだから、共に御払いと御守も新調すべきだったと反省しかり。後悔先に立たずの典型でした。

 

「リレー・フォー・ライフ(命のリレー)」の話。

[リレー・フォー・ライフ(命のリレー。以後RFL)]とは、「貴方から私へ、私から貴方へ、襷に込めて」のサブ・タイトルで、「がん患者・家族・市民が時間を共有し、一体と成って共に考え、支えあうイベント」。具体的には、1チーム10人程度のチームを組み、襷をリレーしながら競技場のグランドを24時間歩く。

本来、1985年にアメリカで一人の医師が24時間競技場で走り続け、友人・知人などから多額の寄附を募り、ガン患者支援にあてた事から始まったと言い、この活動に賛同した人々が、翌年から数名のチームを組み、交代で24時間歩き続ける事で寄附を募ると言うイベントを開始。今では、毎年全米5000箇所以上、アメリカ国外では19箇国(以上)、600箇所以上で開催されていると言う。

日本では、財団法人・日本対がん協会(JCS)がアメリカ対がん協会(ACS)とライセンス契約を結び、2006年に茨城県つくば市で初開催された。

四国では2008年に高知県南国市で、2009年には高知県(場所不明)で開催された。2010年には、高知県に続き愛媛県でも開催される事になった。各種マスコミでニュース紹介されたから、ご存知の方も多いと思いますので、詳細はネットなりで調べていただいた方が宜しいかと。

実は昨年、私も高知県のRFLに参加すべくウロウロしてましたが色々な問題で断念。そして今年、愛媛で開催される事に成ったから、準備段階から個人参加の申し込みをしてました。ところが5月、本業の師会で同じ日に大イベントの計画が持ち上がり、上層部で準備が進んでいたらしいが完全決定の連絡が1週間前。もしもの事があってはと、参加費+00円を封書で送りつけて正式登録をして戴いてたんですが、師会イベントの決定連絡が入った段階で、丁重に不参加の連絡をさせていただいた。そして、来年以降も開催されるようだったら、是非参加させて欲しい旨を連絡しておくと、「参加を待ってます」と丁重に返事が返ってきた。

末期ガンで入院して以来、ズッと歩く事、いわゆるウォーキング推進をし実行してきました。入院中なんぞ見舞い客がきても点滴中に寝てるか、起きてると思ったら点滴スタンドを引っ張りながら病院中を歩き回ってたから、担当看護師なんぞ見舞い客に「この人(私)は、まともにベッドに居た試が無い!!」と呆れ返ってボヤイテたと言うし、担当医からも点滴+輸血中にも拘らず歩き回ってたから注意を受けた位だから普通じゃなかったようで(笑)。

そして退院後、3年間は休みや仕事が終わってから時間が取れる時は歩いて歩いて歩き通しました。最高は、7時間程で30数㎞。そして西条市のJR西条駅までの15kmなどが多い方で、後は10㎞前後は朝飯前で歩いてました。そして手術後、丸3年を過ぎて極真空手を習い始めたのです。3週間後には大量下血を起して緊急入院で検査をしても異常が見当たらない事から即退院、現在に至ってますが、さすがに極真空手を始めてからは年齢的&体力的に運動量が多過ぎてウォーキングは嫌でも止まってしまいましたが、それでも日曜日に開催される新居浜近郊のウォーキング大会には参加してます。だから、このRFL も参加予定が無理に成ったのです。それでも、11月14日(日)開催「水の都※西条アクアルート・ウォーク(JR西条駅主催)」に参加予定で申し込み済み。参加費は千円。その中には保険代と米っ子パン&野菜ジュースの昼弁当が入ってると言うが、胃が殆ど無くなった私でも少ないと思うから、握り飯2個とゆで卵2個は予備食糧(笑)で持って行こうと試案している。今年の4月4日(日)にも、坂出市で行われた「つるつるツーデーウォーク」ってウォーキング大会があり、さすがに最長35㎞コースは自信が無かったし、無理して翌日の仕事や空手の稽古に差し支えては嫌だったので20kmコースに参加。小高い山ルートも含まれてた割に、休憩時間を除くと20㎞を4時間で完歩してたから、マァ~良いとしなければ成らないですか。

 

二年振りの研修旅行。

二年ぶりと言っても、二年おきの研修旅行だから当たり前か(笑)。

二年に一度、10月の第2週目の日曜と月曜、たいてい日曜・祝日の連休になるのだが、この時を利用して市鍼灸師会の研修旅行がある。基本的に祝祭日は平常通り、平日と同じく仕事をしているのだが、大病以後、研修旅行に参加する事にしましたので、二年に一度のこの時だけは御許し下さい。

昨年の新居浜地方祭の時、中日が土曜日。ウッカリと、「午前中、やってるからね」って言っておくと、10:00から患者さんが詰掛け、11:30の段階で最後となる11人目の患者さんが来院。私の顔を見て、「12:00頃までに終わりますか?」と聞かれたが、待合室には、まだ3人の患者さんが待ってる。「多分、貴方が入れるのは14:00頃に成ると思う」「・・・来週、来ます」って帰ったのだが、結果的に最後の患者さんと成った10人目の患者さんの治療が終わったのが14:30過ぎ。遅い昼食を食べ、祭見物に行ったと言う嬉しい悲鳴の一日でした。

この年の祭前後は、事情あって私独り。だから常備菜は作らせず、22:00を過ぎてスーパーに行き、半額と成った寿司や普段は食べさせて貰えない食材(笑)を買ってきて冷蔵庫に入れ、祭の三日三晩は贅沢三昧(爆)。たまには良いものですね(笑)。

話が祭りに飛びましたが、何故かと言うと、15日~18日まで地方祭だから。今年の10月は遊んでばかりのようですが、何年に一度の事ですから御許し下さい。