Archive for 6 月, 2018

落とし物

時々、落とし物&忘れ物をする。
今回も東京へ行ったおり、ウォークマンを無くしてる。色々と探した挙句、行きの高速バス会社に連絡をした。すると、諦めていたウォークマンがバスの中に落としていたと言う事で落とし物係の所へ届いていた。

落とし物&忘れ物で出てこなかった物もあるが、出てきた物もある。だから拾い物をした時は、必ず交番なり警察の方へ届ける事にしている。見るからに安価と思われるオシャレ用品でも、本人が気に入って使ってる以上は無くすと悔しいものである。特に中学生や高校生辺りが身に着ける物でも、当の本人からすれば悔しいものだ。ただ、取りに来るかどうかは知らないが(笑)
丁度、県民文化会館へ勉強会へ行ったおり、雨の電停に上がった途端、足元でチャリッって音がした。見るとブレスレットか何かが落ちている。見るからに安物で傷も入っている。高校生辺りが身に着けてたのだろう、変な壊れ方はしてない。そのまま拾うと、帰りだから駅へ向かった。そして駅前交番へ入ると「落とし物を拾ったです」「何を拾われました」。年長者の警察官に聞かれ.「コレです」とテーブルの上に置くと、三人の警察官が覗き込んだ。一番若いと思われる女性巡査が書類を出し書き始めた。若い男性巡査が「落とし主が見つかったらどうしますか?御礼とか」「そんなの要らないよ。多分、この持ち主は中学生高校生位だと思うけど、傷だらけだから、お気に入りで使ってた筈。皆さんも、安い物でもお気に入りを無くすと悔しいでしょ。だから取りに来るかどうかは解らないけど届けにきたの」私の言葉に、三人とも頷きながらニコニコしてたのが印象的でした。
そして警察の受け取りを渡されたので、「謝礼は断ってるのに、コレ受け取るの」って言うと、女性巡査が「記録ですので受け取ってください」と言うので受け取ったけど、今は何処へ行ったか解らないのです(笑)。

 

こんにちわ初孫さん

本年3月21日に産まれた初孫。女の子だ。遅く成ったが、6月24日に漸く娘夫婦の住んでる関東の某地方都市に行ったのだが「サァ大変」であった。
昨年10月に我が治療院のリニューアル準備を始めたのは良いが、各種トラブルの連続(過去ブログに書いてある)で心理的に動く気に成れず、漸く片付けが一段落して心に余裕ができ、関東某地方都市へ行く事にしたのだが、せとうちバスのパイレーツ号(高速夜行バス)で渋谷まで行くのは解ってたが、そこから先の娘達の住居へ行く道順が解らない。娘に問い合わせても、婿に問い合わせても、何故か返事が無い。仕方なく、産休で故郷の群馬へ帰ってる患者さんに、娘夫婦に送ったメールと同じ内容の質問をメールで送ったら、正確に私の知りたい内容を回答してくれた。初めての年寄りでも解り易くシンプルな工程表である。患者さんの母上の発案だと言う。有りがたい事です。
そして渋谷から環状線に乗り途中の駅で乗り換え目的の駅に着き、駅前交番で2度、幾つかのお店で5度聞いたが解らない。マンション名も書いて無いから解らないのだ。結局4度目に聞いた薬局で「そこのローソンで聞いたら解るかも」と言ってくれたので、御礼を言って角を曲がったら不動産会社がある。「ローソンで聞くより、プロの此方で聞いた方が正解‼」と思い店に入ると若い社員さんが三人居た。三人が振り返ると、リュックを担いだ旅人姿のジジイが居り、番地でマンションの場所を聞く。一人の若い社員さんが黙って業務用のパソコンで地図を検索。30秒もしない内に「アッ、此処ですね」と画面を見せてくれたが解らない。するとその社員さんが窓から外を向き,「あそこのビルの角っこを右へ入ったら2件目ですよ」と言う。歩いて僅か3分程(笑)。御礼を言ってマンションへ。この頃に成り婿から電話が入る。娘達には午前9時を過ぎてメールを送り電話を掛けても返答がないので、「午前10時までに家が見つからなかったら、このまま新居浜へ帰ります」と留守電に入れておいたら、ようやく娘の携帯から婿が電話を掛けてきたようだ。私は目的地近くまで行ってても、目的地が見つからなかったら帰る事にしている。特に長距離の場合、疲れから気力が残って無い状態で活動する気が無いから。その辺りを解ってる娘が慌てて婿に電話させたのだろう。で建物は解ったが、ノッペリしたベランダばかりの外見故に、どの辺りの部屋か解らない。「誰か、窓から手を降れ」って言うと暫くして婿が顔を出し、正確に私の方を向いて手を降る。私も手を降り返し建物へ。共同玄関から目的部屋の呼び鈴を押し、鍵を開けて貰ってから入るシステムだ。田舎にもある平均的なセキュリティ・システムだ。これだと「いきなり押し入られる」とか、最近あった交番襲撃事件のような事件にあう事は少ないだろうが、家人がせめて玄関先まで出向かないと寂しいね。家に入ると、お土産などの荷物を出しながら「此処の駅前から一時間以上かかった」って言うと、「場所が解ってたら駅から4~5分の所なのに(笑)」と言うが、私はスマホを持たない主義だから、最低の事は連絡して貰ってないと、高い交通費とシンドイ目をして目的地を目の前に帰る所でした。
此処では、部屋に入ると先ず手を洗って孫を見て、忘れ無いうちにバイオのEM菌をリュックから出し、四国カルスト取水の[ぞっこん]って言うミネラル水を出した。四国生まれの娘にはあうが、九州男児の婿には体質的にあうかどうか。
そして疲れてたので横に成ると20分ほどウトウト寝てたようだ。その間に、娘には言ってた「飯は作るな]と言ってたが、婿が単身赴任で鍛えた一汁一菜の昼飯を作っており、黙ってよばれた。
後は写真とビデオで映像を確保。知らない土地で道に迷うと面倒だから午後3時過ぎには家を出て、渋谷の駅近くで時間を潰し、夜行高速バスで帰ってしたと言う話(笑)

最近は私くらいの年寄りでもスマホを使い熟している人が多いが、「電話は通話と留守電とCメールがあったら、他の機能は要らない。何故なら、電池の性能が上がっても、色々と使ってるとイザ電話で会話と言う時に電池切れと言う事に成るから」と言うのが理由。それに、自営業で仕事してると治療室にパソコンが二台もあるから、基本的にそれで間に合う。今回は、その辺りを理解してない娘夫婦が非協力的であったから。そうそう、大学時代の友人が早稲田に居り、彼なりの行程表を聞いたが、ヤッパリ群馬出身の患者さんの母上のが最高‼ ただ大学時代の友人が「深夜高速バスは朝早い筈。混雑してる筈だから嵩張らない身軽な格好でおいで」と気遣い迄してくれたが、当日は日曜日で休みだから空いてました。それでも田舎の混雑した大きい駅くらいの人出があったように思います。それに都会の人は冷たいと言うが、休日の旅人姿だと親切でしたよ。怖い顔の私にも(笑)

最後に、秋葉原辺りでキャップにリュック姿だと、必ず「オタク」だと言われてた時代があったが、今はどうだろう。私はショルダーバックとリュックだけでキャップは無し。そしてオタクはヤンチャな連中に狙われて襲撃される事が多かったから、特殊警棒とスタンガンで防衛してると聞き及びます。実は、私も特殊警棒とスタンガンと極真空手で身を守ってきました・・・と言うより何も無かったです(笑)

 

家の片付けで発見

今の家に住み始めて52年。不要な物をボチボチ捨ててはいたが、ゴミから何からいっぱい出てるが、皆さんお待ちかねの.「お宝」は出てきた試は無い(笑) お宝と言えば、大生院の総合科学博物館にとってのお宝は随分と出た。担当者が驚く程の物と種類が出た。60年程前のテープレコーダー、5インチの白黒テレビで家庭用電源とカーバッテリーと乾電池で駆動できる物で、知らない若い人から「ラジオですか」と聞かれた程。
今では見る事も出来ない道具、50数年前のステレオや30数年前のビデオカメラとか、若かりし頃のオヤジが大人に成り金を稼ぎだし、いずれは使うのを諦めるのを解って買ったワープロとか、此処に書ききれない物を直ぐに飽きるのに目新しい物を買い漁ってたから始末に困っていた。
それに本。百科大辞典が二組とか、読んだ形跡の無い20数年前に何千円もした本が何冊も出てきたり、皆さんに売る事を勧められたが一冊50円位にしかならないのに、手間暇を掛けては経費倒れだから廃棄処分。
後、純金の塊とか象牙とかあればだが無いし、本音から言えば現ナマを残しておいてくれたら良かったのだが,「お前たち、こんな物は買えないだろう」と私の必要としない物をザクザク買い、結局、それらを始末しきれないまま鬱になりました。
だから、金があれば住むだけの家を買い、古い家と荷物は火を付けるか埋めてしまいたいのです。半年以上、一人で運べない物は業者とかシルバーに言って移動させ、後は細かく整理しながら移動させると、こう言うふうに成るのです。
まぁ、それ相応に逝った親父の背広やワイシャツ類は市の方に回し、靴は捨て、母親はまだ生きてるから指圧できないし、まだ後片付けの地獄は続き、お宝は出ないでしょう(笑)

 

驚きの「悪質な噂‼」

昨夜、スーパーへ食事を買いに行って知人女性に会った。二言三言話してる内に,「建物壊してるんだって? 仕事なんかどうするの?」って言う話が出た。思わず「エッ‼」って事に成り,「近々、工事に入って何れは鉄筋部分は撤去するが、工事中も仕事は休まない格好でするように成ってる。最も、シルバー人材センターのお蔭で3~4カ月 完成が遅れてるけどね。でもさ、誰よそんな悪質な噂を流したのは」って言うと「確かタクシー会社、○○○タクシーの運転手だったと思う」「エ~ッ、そのタクシー会社なら週2回 患者さんの送り迎えで来てるし、親父の代から60年も使ってる会社なのに、何を考えて嫌がらせするんだろうな‼」と言う事に成った。

悪質な噂と言えば、私がガンで入院した時に市鍼灸師会の役員が会からの見舞金を持って来た時、「軽い胃潰瘍位で長い入院生活やな~」と言う。「誰が胃潰瘍だと言った?」「先生から、直接聞いたよ」と言うが、彼とは[何の病気でどの位 入院するか]と言う話は一切してないのにだ。この辺りの話、思い当たる事がある。
1~2カ月の入院と言う事で、国保の請求書を出した後、会長宅に電話を入れた。跡継ぎの息子が出たので、「今回の入院、末期ガンで1~2カ月の入院に成るから電話をさせて貰った」私のその言葉に「エッ‼」と驚いた反応を示し「チョット待って下さい‼!と言って会長に報告に行ったのだろう。なかなか電話口に戻らない。暫くして跡継ぎ息子が電話口に出ると明るく軽い口調で「お大事に」とだけ言って電話は切れた。その様子から、会長は「あいつは(私の事)何時も嘘ばっかり言って‼」と、随分と聞くに堪えない話と喋り方でクチャグチャ私の事を罵倒してた筈。
それに私は嘘は言って無いのに、連中が知らない事を情報として言ってやってるのに、何の確認もしないで「バカタレが偉そうに嘘ばかり‼]と無視をする。何時もの事ですから。私の手柄は横取りし、悪い事は私の責任にする。それも夫婦揃ってであり、この跡継ぎも私を舐めた言い方しかしなかったので後日、小学生に言うように諭してやったら理解できたらしい。その後、私が愛媛新聞のガン関連の連載記事に写真入りで出た事から、この馬鹿親子も私の事を信用しなかった人々も、漸く信用したと言う次第。
ある人が言った。「先生は、凄い時は何十年も先の事が読める&解るから話をする。ところが多くの人は目先の事しか見えて無いから、先生が言った事は嘘と言う。何故なら見識が浅いから知識が無い上に、目先の事しか見えない人は鶏と同じで振り返ったら忘れるし、持っても僅かした持たず先生の言った事は忘れてるから[嘘吐き]って言いだすのね」と言う事でした。

何故か私は人望が無いと言うか、昔からだが若い連中からは信用されない事が多く、人生経験を多く積んだ年寄りからは「真面目できちんとした仕事をする」と評判だったが、タマ~に「年寄りの嘘は信用するが、若者の言う本当の話は信用できない‼」と言う人も居り、鍼灸学校時代に仲の良かった筈の人にズバリいわれたが、世話好きな人が私に事情を聞きに来たので理由を話すと,「私はそういう話を聞くと我慢出来ない」と仲裁してくれるし、後に問題の彼の奥さんになった人も「あの人(私の事)は貴方の考えるような人じゃ無い。生き方が下手で誤解され易いだけ。彼の言動をシッカリ見ててごらん‼」と言う次第。
私と言う人間、真面目にしてても誤解されるケースが非常に多いようだ。
普段の生活態度が成ってないのかも知れないが、それ以前に地方の寒村だった新居浜が住友の企業城下町町として急激に大きなった事で、住友企業とは直接的な関わり合いの無い自営業の父親に対する妬みで,「あそこは儲けてる」と言う話から、幼い時から周囲の子供ばかりか大人達からも無視&中間外れにされ、外で傷付いた心身を癒す家庭内でも他人の中で生活しているような状況でボロボロに成り、私が真面な精神状態で大人に成る方が不思議なのだ。
幼い時からチグハグ形で大人に成り、高齢者に成った今でも、心無い同業者や多くの大人たちから妬みに塗れた噂を流され、よくぞ生きてこられたと思う次第。なかには、こんな話を聞いても「金があるのに悩みがあるなんて贅沢じゃ‼」と罵倒された事も。見た目と内情が違い過ぎるから嘘吐きのように言われる。でもね、歳とって理解者が少し増えたから、チトましかなと。この辺り、「生きる」と言うガン患者の地方公務員の白黒映画があったが面白かったですよ。

 

イザ渋谷へ‼

戦争に行く訳じゃ無いが、私は病的な方向音痴。だから、渋谷マークシティでパイレーツ号を降りたら某県方面へ行くのだが、地図やら何やら準備をし皆に一番シンプルで行ける駅順を確認して書いているが不安で不安で(笑)
そんな私が鍼灸学校が終わった43年前、250㏄のモトクロス用オートバイに乗って北海道一周ソロ・ツーリングの旅をしてきたし、学生時代にも九州・阿蘇から北はオートバイで独り旅をしてるんですね。月刊誌大の日本全国道路地図一冊と口があれば、行けない所は無い。あるとすれば交通手段が無い離島とか高山とかだけ。解らなく成ったら、地図片手に交番辺りに行けば優しく詳しく教えてくれます(笑)。結構ガソリン・スタンドでも教えてくれますよ。ただ、私は地元民じゃないのに方向を東西南北で表現されるから注意(笑)
今回行く渋谷は48年前に大学受験で神奈川へ行ったおり、手紙をやり取りしていたうら若き可愛い女性に連絡して、試験が終わってからハチ公前で待ち合わせして、最終の四国連絡の電車出発までデートして帰ってきた思い出がある。
だが半世紀近くの時間経過で渋谷駅辺りは多分 大都会に成ってると思う。下調べをしてみると結構 案内板辺りも充実してるみたいだが、老眼が入った目で動作が鈍く成ってるから不安は不安。
こう書くと若く見えても、やはり歳は歳なりになっている。だから3月21日・春分の日から3カ月も経った孫は、首も半ば座り表情も活発化してると思う。赤ちゃんや子供は普通に大事に育てると気が付かない内に随分デッカク成ってるが、大人は歳を取り動作は鈍くなり背は低く成る。気が付くと「充分<立派な年寄りに成ってます(笑)」と、湿っぽい話は此処で終わり、娘夫婦や孫と僅か半日だが楽しんでこようと思う。

 

三カ月過ぎての初顔合わせ

3月21日の春分の日に産まれた初孫と、漸く会う事に。

家のリフォームの為の部屋の片付けに半年以上も時を費やし、片付けが一段落した事から孫に会いに関東方面に。本当は工事が始まってからと思ったが、ただでさえシルバー人材センターのお蔭で2カ月程遅れ、その時期の寒さで体調を崩し、結果的に3カ月~4カ月程の遅れが出ている。
ところが、建築会社の担当者に片付けの確認をして貰おうと連絡すると14日(木)に行くと言う。そして木曜日、午前中に連絡無かったからメールをすると、昼から行くと言う。で、15時頃に来た担当者が「此処の工事が出来なくなりました」と言う事で少し大騒ぎ。結局、この担当者はアテに成らないから17日(日)に当建設会社の展示会に乗り込み、たまたま社長に会ったから直談判と言う格好で工事の仕切り直しとなった。
翌日の18日㈪に障碍者の知人と会うと担当者が辞めた事に付いて詳しく知っており、14日㈭の午前中、元担当者と営業の人間が殴り合いの喧嘩をしていたと言う話を、噂の段階かも知れないが誰かから聞いて来と言う。 確かに、元担当者から「今朝、我慢ならんで営業の人間と喧嘩して辞めてきた」とは聞いたが、殴り合いの話は無かった。皆、停年間近だと言うのに若いネ~。

孫に会いに行く話に戻ると、ズットこのブログを読んで頂いてる方々は「アレッ!?」と思うでしょう。実はアメリカの方から迷惑メールが沢山入りかけ、前回の孫の話の時など一日で200を超える迷惑メールが入った為、急遽 消した次第で、代わりにこの項を入れました。

 

今度は上手くいくか!?

部屋を8カ月程かかって工事が出来る所まで整理し、後は契約から工事開始の筈だったのだが、6月14日(木)、担当者が部屋の状況を確認に来る事に成っていた。来るのが遅い事からメールをすると「昼から行きます」と言う返信。15時頃に成り担当者が当家へ来た瞬間,「工事が出来なく成りました」と言うではないか。何が何やら解らぬまま「何で?」って聞くと,「前々から気に入らなかったんだが今日、営業と喧嘩して[辞めます‼]って出てきました。で、此処の工事はできません」て、それこそ当たり前的に言い放った。
で、色々話してる内に「雨漏りだけ見て」って頼むと原因を探し「防水テープで間に合わせする」と言いつつ帰ったのだが、無しのつぶて。結局。辞めた以上、当たり前だが元客に媚を売る必要は無い。かと言って返事が無いままに困ってると、数年に一度だけ来る患者さんの実家が建築会社。無理を頼むしかないと考えていると、何かの広告に無責任な元担当者の会社が美しが丘で展示会をするように成ってる。展示場所なら気軽に乗り込める。結局、予約もしないまま展示場に行くと、場所がハッキリしない。それでも迷いながらも探し当てると、受付テントに若い女性が一人。「なんか寂しいネ」と呟きながら車から降りると、受付嬢と一言二言話て申し込み用紙を書こうとすると男性が来た。顔を見ると若き社長である。名刺交換もしているが。私の顔は忘れている。
「社長、こんにちわ。近藤鍼灸院です」って言うと、態度が豹変,「先生、お久しぶりです」から、受付嬢を一人放ったらかしにして話が紆余曲折しながら進み、「明う日、担当者を行かせます」って事でその場を離れ、土居町の出雲大社教会へ挨拶に行き帰宅。
実は午前中、人形供養の事で小松町の子安大師へ相談に行ったが結局、何日か前にニュースでしていた松山の寺院の事しか解らず、その足で土居町まで走った訳だ。

この原稿は18日(日)午後に書いてるが、昼休み時間帯に会社の関係者が来てくれた。これで何もトラブル無しで終わってくれたら良いんだが・・・。
でもね、この話、昨年の10月頃から急に話が進みだしたのだが、また何か言われそうだが(笑)、昨年の私は六星占術の乱気って中殺界。「何か~変‼」って思いながら動いた結果が、今回の出来事。昨年の乱気の影響が今年に成って抜けないままになってたようだ。
私にとっての六星占術はガン告知をされた時に書いてた通り、「健弱の年の、健弱の月の、健弱の日に、{進行性で悪性の末期ガン]って告知された事から、100%じゃないにしても何かあった時にはチェックを入れてます」。参考の為。

 

木目込み人形

33年程前、母親が女学校時代の同級生の誘いで木目込み人形制作を始めた。何体か作った頃、女房が妊娠。
妊娠すると、人にも因るがお腹の赤ちゃんが男か女が予想できるらしい。で、女房は姑と木目込み人形を始めた。と同時に、ピンクとかハートとか女の子が好む可愛い物を選びだした。そして月が満ち出産。幼稚園に通う頃にはピンクだハートだと、女房の術中に入っていた。
話が代わるが、その4年後位に第二子妊娠。当時、機関車トーマスがテレビで放送されており、今度はトーマス・グッズを集めだした。やがて長男が産まれ大きくなるに従ってトーマス・グッズを追わいだした。見事に女房の術中に嵌ったようだ。息子が中学生位に成った頃、「おまえ、何故 そんなにトーマスが好きなんだ?」って聞いてみると、「解らんけど、生まれる前からトーマスの世界に入ってるようなんだ」と言う答え。

話を木目込み人形に戻そう。
長女を妊娠した時、女の子らしい女の子に育って欲しいと、女房自身がそれらしい雰囲気の世界に身を置いたと言う。その一つが素朴な木目込み人形だった訳だ。息子の時も、機関車トーマスの正義感の強いキャラクターの設定が好きだし、ノンビリした性格の機関車と言う事でトーマスを選んだと言う。見事、子供二人共、術中にはまった訳だ。

そして我が家の木目込み人形は齢30歳を過ぎると手入れの悪さも手伝い、「木目込み人形が粉吹き人形」と化身したから成仏させようと考えた訳だが人形供養してくれる寺を探してると、ニュースで人形供養をしている映像が流れたが、時既に遅し。別な格好で寺を探している。
なお[粉吹き人形]とは私の命名だが、本体に木を喰らう虫が入っており、木の内部を齧り木の粉が出てくるし、糊で張り付けた着物部類もボロボロ。それも、見にくい陰の場所からやられるから、気が付いた時は手遅れ状態でした。

家の改装工事の為の整理が出来たが、木目込み人形の事が計算違いで廊下に並んでいる。ケースは市のゴミとして出すが人形はそう言う訳にはいかない。人形を出して袋詰めにして、早目に成仏させてやらないと・・・。

 

整理完了は半ば嘘(笑)

整理が終わってるのは事実だが、幾つか荷物が残っている。
治療室の工事が完了したら移動する荷物があったり、待合室が完了したら移動する荷物・・・置く場所が無いから究極の方法を取りました。
そして手作りの木目込み人形。虫にやられて粉吹き人形に成ってるので始末するのだが、家族の手作りだから写真に撮りパソコンに整理し、人形は菩提寺か神社で処分していただく。
「荷物が残ってる‼」ってお叱りを受けそうだが、工事の進捗具合によって移動するだけだから、一応 片付いたとしました。

随分と前から言われてる事だが、俗に言う[農繁期]。
機械化が進みグループ作業で効率良く作業が進むから随分と早く済む筈なのだが、昔から言われる農繁期の時期に成るとパタッと暇になる(笑) 親父も独立した頃の農繁期時期に成ると「潰れるか‼」と言う位に暇に成ったと言うから、時代は繰り返されると言う事ですか。
丁度、片付けの最後の頃が農繁期だったお蔭で、意外に順調だったのかも(笑)。

 

リニューアル工事前の整理 間も無く終わり

昨年秋から、チョットした事が切っ掛けで建て替えの話が出て、費用の問題でリニューアルに変更。どの道 荷物整理は必要で、大きな家具や重い家具は引越し業者に頼み、軽いが一人では運べぬ家具類はシルバーに頼んだのだが、散々ゴネ回され2カ月程遅れ、その上に又ゴネ回されトータル4カ月程は遅れています。本来なら、リニューアル工事は終わり近くの筈。チョット、疲れました。
先日、介護経験のある知り合いと話してると、「先生、気張られんよ。何かした後に倒れて介護を受け始めた人の多くは気張り過ぎだった」と言ってました。
不肖私も高血圧で薬を飲まざるを得なくなり、時々 色々と有ります(笑) まあ、家(治療室)を直したはヒックリ返ったでは笑い話には成らない。
春分の日に初孫が産まれている。工事が始まったら様子を見に行ってやろうと思う。