Archive for 11 月, 2017

今年の気象は異常?

もうすぐ12月だが、11月の段階で年末のような気がする。

歳取って寒さに弱く成った訳ではなく、本年夏位から異常な暑さ、雨が降れば大量の雨が降り各地で土砂災害。

挙句には「100年分の雨が降った」とか表現される。

日本だけの局地的な現象で無く、かなり広い範囲で起こってた筈。

時が経ち、暑いから寒く成り始めると それこそストーンと言う雰囲気で寒くなったし、天気も晴れたり雨が降ったり目まぐるしい。

この異常気象は、人類が地球をイジメ過ぎたからか(笑)

 

「本を出さないか」と言う話。

15年と少々前、私は末期ガンに犯され余命9ヶ月とまで言われた。

丁度、娘が大学進学を果たし見送って4か月後、体調不良から受診すると結果的に末期ガン。何事にも好奇心が強い私は、闘病生活を簡単に記録しておいたのを、退院後、ワープロしか持って無かった私は整理し一冊の本形式で仕上げた。丁度、大手出版社が原稿募集をしていたので連絡し、コピーして送った。

結果は、何万分の1の確率しかない出版会議に合格。話がボチボチと進む間に200万円と言う自己資金が必要と言う事で、出版の話は頓挫した。だって、娘の進学で金を使い、私の治療で金を使い、2カ月も仕事を休んでると、金の有りがたさと虚しさを感じます。

そして治療費の支払いに関し、幾何かの財産を持ってた親と同居してた事で、満期近い定期を解約に行こうとした女房を呼び止めた母親は、「それは置いといて、入院費は貸してやるから」と言う事に成った。高額医療費で国保から殆ど戻り、生命保険から出た分で返しました。(笑) ただ、抗がん剤を使っただけ一銭も残らなかった。

その辺りまで、闘病記と言う格好でその辺りまで書いてたのと、年甲斐も無く悪戯をしてたので、看護師や仲良く成った患者ばかりか、少し医師を相手に遊んだ部分もあった。そんな関係か、末期ガンと言う鬱積しそうな重病人の割に、貧血もしていた関係で輸血をしながら入院室の廊下を散歩していて担当医に見咎められられた。

「近藤さん、そんな格好で病院中をウロウロされては困ります」「そうですか?」「そうですかでは無くて、輸血をしなけりゃならない程の重病人が、沢山の点滴袋に血液袋をスタンドにぶら下げてウロウロしては、知らない人が見たらたまげます」。と言った具合に、マアマア規則を破って大暴れしたと言った訳でも無かったので、ある部分、入院生活を楽しくエンジョイしてたから担当の看護師ばかりか別のチームの看護師に頭を洗って貰ったりして、担当看護師に「若い看護師に洗って貰って良かったわね」と皮肉られ「はい」って返事して落ち込ましたり(笑)。

規則以外に仕来りみたいなのもあるから、面倒臭くなって飄々と適当に生活してたから、周囲の人々が気を利かして声を掛けたところに用事を頼んだりするから、普通の家庭生活の延長線上の生活だったような気がする。それに一発ギャグ的に驚かしたり悪戯してたりしてたから「あのオヤジ、またやってる‼」って具合に、笑顔でガンを飛ばされたり(笑)

15年まえ原稿コピーを読んだ編集者曰、「先生、皆さんが先生の事を妖怪扱いするって言ってたけど、失礼ですが確かに妖怪の如くパワフルに生活していると思います」って事で出版会議に受かった事など話を聞いたが、自己資金に200万円が要ると言う事で話が頓挫。そして15年経って費用の安い文庫本で出さないかと話が来たが、自己資金が100万円程。やはり頓挫しました。

 

11月3日は文化の日

11月3日は文化の日で、日本中 等しく祝日となる。

ところが、当院は㈰以外は仕事をしている。これを「野良の節句働き」と言う。この話、以前にも書きました(笑)当院の この野良の節句働きの成り立ちは、休みが平日の職場に勤務し仕事の途中で抜け出せない方々の要望でもあった。勤務時間も不規則で帰宅が遅く成ると言う。で思いついたのが祝祭日の仕事。

二人の子供達も学校へ通いだし、親と一緒に出掛ける事も少なく成ってたから、休日は日曜日で間に合う事も多く成っていた。で、即決定。当初は油分と暇だったが波があるにしてもボツボツと患者さんが来はじめた。

今だに一つ話に成ってるのに、ある年の新居浜祭りの時、一人の患者さんが言った。

「先生、今度の祭りはどうするん?中日が土曜日、最終日が日曜だぜ」「ン~、じゃあ土曜日は昼まであけとくわ」「はい決まり、この先生は一度言ったら必ず実行男やからな~(笑)」

そして17土曜日、開けても誰も来ないし電話も掛からない。

「クソ~やられたか‼ 10時過ぎたら閉めたロ」と言いながらウロウロしてると、10時に成った途端、見慣れた顔の患者サン達が集まりだした。あれよあれよと言う内に、11時迄に10人の患者さんが集まり、11時半には11人目の患者さんが来た。

「先生、12時半までに終わりますか」「無理ですね。そこに座ってる患者さんが終わるのが多分..、15時頃に成ると思う」「解りました。来週来ます」と帰って行った。結局、来院してた患者さん、一人も帰る事無く全員終わったのが15時でした(笑)

実はこの間にも太鼓台の御花集めが何人が来て、仕事でワイワイやってるのに集めに来てウダウダ言うから一喝して帰らせた。

そして11月3日の文化の日は、文化人で無い私の誕生日でもある。何故か此処何年か障碍者の仲間から誕生日祝いをやってくれる。それも食事+プレゼント付で(笑)事情あって此処数年 一人住まいの私にとって割り勘の食事会でも十分楽しいのだが、誠に嬉しい次第です。

それと、今年の誕生日から「高齢者」と言う名が付き「介護保険証」が届きました(笑)

 

再 開

何度も止まりながら、今回は随分と長い間お休みさせて頂きました。

その間に色々とありまして、一番大きなニュースは公益社団法人と成った愛媛県鍼灸師会の監事を仰せつかった事。本来は立候補制度で選挙と成る筈が色々とあって受けた訳だが、面白い話がある。

監事に成って最初の丸2年間、それまでも嫌がらせの言動を繰り返していた人々が、3年目に入った途端、変に大人しく成った。すると、その人々のリーダーの巾着的な人が表立って嫌がらせをはじめたのね。5年目に入って数カ月の現在、やはり直接的&遠回し的に続いているから、時々、名前を出さずに起こった現象を言ってます。

でもね、社会的な活動の中で呆れるのは、嫌がらせなり何成り、やる事や言動が小学生の喧嘩と同レベルの発言がや行動が続いてるんですね。アメリカの選挙を見ていても、同じレベル、小学生並みの言動をテレビカメラの前で行い、それを放映しているという事実。何とか大人の言動ができないものですかね~(笑) 再開の第一声でした。