Archive for 10 月, 2019

愛 情 考

今でもだが、年頃の頃から「私は、女性に絶対 モテない!!」と言う事をウリにしていた(笑)。その理由が、まず「太い」事が原因で嫌われていたのである。だから、年頃故に「嫁さん&彼女が居ないんだったら、声を掛けてみようか?」と お声が掛かるのだが、その後、何の音沙汰も無いから聞いてみると、「太いから嫌‼だって」と言う話。太さ加減にも色々あるが、「太い」と形容されだけで100%断りが来ていたようです(笑)。だから、「会ってみるか」の声が掛かったら、100%会う事にしていたが、全部で80幾つの話が来て、実際に相手が会うと言って来たのが僅か10回。その内、2つ程が仲人口で女が嫌がってるのに「男が会いたい言よるから」と言って無理矢理合わせ、後で大きなトラブルに成ったのもある。機会があれば、お聞かせしたい(笑)。 まだ結婚の話など関係の無い年頃でも、理由が解らぬが何故か女性に忌み嫌われていたようだ。私を理由無く忌み嫌ってた人と、後々、話をする機会があって話をすると、「あれ、噂と違ってズ~ット良い人なんだ‼と、驚きの表現をする。此れも後々解った事だが、父親が歯医者と言う事で、妬んだ連中が自分の立場を利用して私の足を引っ張ってた訳だ。実名と何を如何したかを書いても良いが、辞めておこう。其れとも聞きたい?(笑) そして、9回目か10回目に会った女性と一緒に成ったのが。此れも、何処でどうなったのか仲人から電話で断って来たのだが、たまたま私は往診中で電話を取ったのが母親。その断りの文句を聞いた時、怒り心頭、人を舐めた喰った断り文句だった。母親曰く、「アンタが電話を取らなくって良かった」と言う位の文言だった。 結局、色々考えて言いました。「見合いとか、それに準ずる話が来た時は、相手からどんな断り文言がでるか、一口千円掛けないか」と言う発言が出る位に心が荒んでいました。 やがて結婚し、子供が出来て、子供達が独り立ちしてみて考えてみると、女性にモテ無いと感じたのは結婚相手の話。結局、女性は結婚を永久就職として、ビジネスとして考えていたから。男の見た目の良さを追求するのは、自分の持ち物と考えるから。男と何ら変わりは無い。 結婚して子供が居るのに、「子供は要らないから別れてくれ」発言は、嫁さんに男が出来た証拠。多分、嫁さん居るのに「子供は要らんから別れてくれ」と言う男も同じだろうと思う。 ①その話を一番最初に聞いたのが、長年付き合いのある知人で結婚式に来て貰う予定のあった人。残念ながら結婚式には出て貰えなかったのだが、結婚式に出て貰えない理由を聞いたら、渋々答えてくれたのだが、「多分、嫁さんに男が居る筈。先生、注意して見張っといて」と言う。そして結婚して数カ月、新婚の嫁さんと夜間ドライブをしたのだが、赤信号で嫁さんがで「○○さんの奥さんが、さっきのタクシーに乗ってた」。時計を見たら午後10時。可笑しいと思い、家に帰りオートバイに乗り換え、聞いていた間男の家に向かった。細い表通りを曲がり、小さい車が一台通れる道に入ると、前方を誰かが歩いている。そのまま走ると、見覚えのあるジャージのズボンと尻(笑)。そのまま追い越すと、知らない家の広い庭先に入り、ヘッドライトを消しエンジンを切った。ブレーキランプが付かないようにし様子を伺ってると、知人妻は男の一人住まいの家に入ると、戸を閉めて鍵を掛けた。言い逃れの出来ない事実であり、後日、知人の元から逃げ、5年後に5人目の間男に殺されたと言う次第。 ⓶知り合いの商店主。「先生、嫁さんが子供要らぬから別れてくれって言うんだけど、どう思う」と聞かれたから、「好きな男が出来てるね。大体、女性が子供要らんって言う事は、嫌いに成った旦那の知を引いた子供など要らないって寸法さ」。商店主は、彼方此方で同じ事を言われてたらしく、グズグズしてる内に離婚が成立してないのに、不倫妻は不倫男の子を宿したしたと言う。※此処から先は、生々しい話になるからストップします。 ③やはり商店主。やはり嫁さんが「子供要らんから別れて」から事がデカくなり、私には直接的な話は無かったが、揉めに揉めて、やはり不倫妻は不倫男の子を宿し、子供でさえ「あんなオナゴ‼」って言い出した程だから、凄いものがある。やがて主人は酒に溺れ脳溢血を発症して亡く成った。 ※先日、引越ししたと言う女性と話をした。引越し理由を聞くと、「離婚したいけど、してくれないから無理矢理引越しした」と言う。離婚をしたい理由を聞いても何も言わないから、「結婚した時は好きだったんだろう?」と聞くと、「はい」と言い、少し恥ずかしそうに笑っていた。

意外と言うか、殆どの新婚さんは新伴侶の事が好き‼それが、子供が出来てバタバタと言ってる内に、相手の粗が見え始め、考え方の違いから大小のトラブルが起き始める。そして何故か、結婚&離婚の最終的判断は女性が持ってるように感じる。殆どが、「機嫌を取って一緒に生活する意味が感じられない」系の話が出たり、「縛る物がモノが無く成ってノビノビと生活できる」と言う観点から、別居してからの女性は旦那の元に帰る事は少ないと感じる。

中には、某女性が話してるのが聞こえたのだが、「仲人を一生恨んでやる」と息巻いてるから話を聞いてると、「どうしても嫌いな男を無理矢理進められていた」のが、仲人曰く、「一緒に生活したらまた違ってくるから‼」と無理強いしたらしい。で結局、渋々嫌な男と一緒に成って子供迄産まれたのだが、どうしても男の事を好きに成れない。とうとうブチ切れて、「旦那と別れて仲人を訴えてやる‼」話に成ったらしいのだが、これも可笑しい。無理強いされた結果と言うが、最後に自分がOKの判断を下した訳だ。ある意味、仲人にも責任の一端があるにしても、最後は自分の判断だった訳だ。

この世の人間社会の愛憎劇も大体がパターン化されており、何かあっても予測が付く話ではある。

昔々、JR東日本のCMで山下達郎のXmas expressの曲をバックに一組の男女の愛の劇を表現したモノがある。YouTubeから何シリーズが入ったCMを貰ったのだが、40年程経った今でも当時の事を思い出し、女房と言うより女心を理解してやれて無かった事が、「可愛そうな事をした」と反省しきり。

何がそうさせてかと言うと、女の二面性が深い懐疑心と成っていた事。だって、私の母と姉二人が毒女毒婦だったから、何十年も見せ付けられていたら、怖い事実が目の前に沢山繰り返していた訳だ(笑)。こう言うと、「人それぞれだから」と解ったような事をウ人が必ず居るが、身近で起こる事実を参考に色々と見える事を分析していくと、大した違いは無いんですね。多少、人に因って代るが、根本部分は代わって無いんですね。全部が全部を見聞きした訳じゃ無いが、ほゞ間違いは無いと思います。

でもね、山下達郎氏の楽曲を聞いてると、もう一度、青春時代に帰れるなら、あんな恋愛をしてみたいと思います。

ご意見は、近藤鍼灸院連絡先まで。

 

誕 生 日

谷村新司の「誕生日~黄昏の街かどにて~」と言う曲の話では無い。今年も誕生日がやってくる。段々と後期高齢者の年代に成ってくる(笑)。
42歳のお祝いは自分で祝い、60歳還暦は家族が祝ってくれると言うが、42歳の時は貧乏の極致で人様をお呼びしてお祝い出来る状態では無く、私を入れて6人の家族で市内でも一押しの屋台ラーメンを食べに行った。7歳の娘は「このラーメン、美味しい」と喜んでくれたが2歳の息子は疲れて寝てしまっており、結局は食べられないまま。可愛そうな事をした。
そして還暦の時は、義母が亡く成ってからお疲れ会の食事に行ったのだが、女房が気を利かせて私の「還暦祝いの代わりにする」と言ったが、義母が亡く成ってからのお疲れ会だけに、義母を偲んだ食事会を私の還暦祝いにして貰う気にも成らず、年が明けてからに改めるよう言ったが聞き入れられず、結局は揉めてしまった。だから娘が還暦のお祝いといってたのも、金額の張るものばかりだったから、「まあまあ」と言ってるうちに半ばたち消えに成ったまま。だから健康長寿のお祝いが2つもダメに。

考えてみると、私の家族(女房と子供二人)が理由あってバラバラに成って7年、私は独居生活。冠婚葬祭を含めてお祝いやら何やかや、仕事以外の人的交流が縁遠くなってしまい、益々 孤立感が進んでいる。ただ一つ、3人の障碍者が毎年私の誕生日にはお祝いをしてくれ、ほぼ毎週の木曜日にはPC関連の集まりに寄り、四季折々には食事会に呼んでくれる。仕事抜きで集まる唯一の会合と成っている。

でもね、折角の三人の心に背くようだが、家族とは違う遠慮が入るから辛いモノがある。三人とも独身だが、リーダー格以外、自分の親兄弟が居る。私と言えば、親父が逝き、母親が寝たきりで施設に居る。二人の姉はトラブル続きで基本的な部分で縁が切れた。

女房は、アクの強い私の家族と折り合いが悪く、逝った自身の母親の世話をするべく実家に戻ったが、母親が逝ってしまってからでも帰る気配は無い。娘は結婚し子供も産まれ、親どころの話では無い。息子は、義母が亡くなってから私とトラブルに成り縁が切れてしまった。

よく言われるのだが、「先生、貴方は何かあったら、自分から皆さんにサヨナラする悪い所がある」と。そう言えば、私に責任の無いトラブルに巻き込まれた時も、私の尽力で解決したのだが、その時もその組織から身を引こうとした事がある。それも一度や二度では無い。自分でも、何故なんだろうと思う。

話は変わるが、私は父親から「子供は、命を掛けて親の犠牲になって守らなければ成らない」と言う教育を受けてきた。理由は、「お父さんは、親である天皇陛下を守る為、命を呈して戦争に行った。終戦が後一週間遅かったら、特攻機に乗って死んでいた」と言う話を何度も聞かされた。

幼心に何か変だと思いながら、「親孝行とは、死んで親に尽くす事」と言う考えが染みついて、大学へ行ってから二十歳頃まで心の奥底に根付いていた。だから、何時も自殺じゃ無い方法で、親の為に死ぬ事ばかりを考えていたように思う。そして結婚し、女房に言った事がある。「この家には、私の死を願ってるヤツが約二人居る」と。後日、女房は母親にその事を言ったら「そんな事あるか‼」って否定されたと言うが、実は口先では色々と言いながら、イザと成ったら母親と次女の姉が結託して殺そうとしてたのね。

「殺す」って行為、刃物系で切り殺す、突き殺す、一時話題に成った金属バットで殴り殺す、焼き殺す、飛び道具で打ち殺すと言うやり方では無く、長々に時間を掛けて精神的に追い込み自殺に追い込ませるとか、自律神経系をボロボロに病ませて病気で死なせる等々。これら自殺や病気で死んでも、原因を作った連中は余程の事が無い限り証拠が解りにくいから、多くの場合、立件される事は無い。自らの手を汚さぬ、ある意味 合法と言えば合法的な殺人方法ではある(笑)。だが最近、パワハラなどで職場の上司の言動で問題が起こったと、何処かの市町村の教育委員会のお偉方がお断りしてたですね。「イジメをしてはいけません」って言ってた教師が、集団で若い教師をイジメて問題になり、調べたら、まだ何人もの教師が被害にあってたと言う話。まだこれらは、被害者が自殺や病気で命を落とす事が無かったから良いのだが休職中と言う。

「誕生日の話」が悪い癖の寄道で、随分と話がズレたが、長々と生きてると色々とあるもんです。悪く言ったら、産まれるんじゃ無かったと言いたい(笑)。

産まれる話だが、私の母親は、何かあったら「誰のお陰で生活できよる‼」「誰のお陰で大きな家に住める‼」と、私に言ってました。それが私が結婚すると女房も巻き添えになり、同じ事を言われ始めた。特に、私達夫婦と母親が居間で話してると、突如として「誰のお陰で‼」が始まるのである。それも私達が結婚してからは、和気藹々と話してると、何となく母親の表情が可笑しくなる。そして、「何でも知ってると思って偉そうに‼ 誰のお陰で云々‼」と始まるのである。結局、自分の知恵知識のレベルが余りにも低く狭い為、話に付いて来れなくなりいきなりキレるのである。次女も随分と似た所があり、長女はモロ母親とソックリ‼ 自分の知恵知識で理解出来なく成ったらキレ、気違いのような顔で怒鳴り散らし大暴れするのである。

※何度かあるが、食堂で私達夫婦と母親の三人で話してると、マタマタ母親がキレだした。余り酷く成らない内に私が言った。「なあ婆さんよ、一つ聞いて良いか?」から始まり、

「あのな我々と話してて、簡単な内容の話をしてるのに、付いてこれなく成ったら、『何でも知ってる思うて、誰のお陰で生活できよんぞ‼』系の文句を必ず怒鳴り散らすが、誰が産んでくれって頼んだ。あんた等夫婦が上に成り下に成り気持ちの良い事しといて、ソリャ無いだろう。それに、子供が産まれたら養育するのが親の責任だろう」

って言うと、ニタニタと笑いだした。だって、息子達夫婦の前で息子が産まれた件を息子に言われたら、ソリャ恥ずかしいわな~。※

皆さんは、何故、自分の身内の恥を晒すのかとお思いだろうが、新居浜と言う住友の企業城下町で、私は親の稼ぎで良い生活をしていると思われ、妬まれ、虐められ続けて大人に成ったんですよ。この項でも、前の項でも書いてる通り、外で虐められ仲間外れにされ、本来なら外で受けた傷を癒す筈の家庭でも、他人様と同じ内容のレベルで虐められてたんです。それが自然と外に漏れだしたら、家に遊びに来ていた友人達が一人二人と来なく成りましたよ。だから、中二の時に今の家に引っ越して来たから、角野中学校から泉川中学校に転校しましたよ。それ故、高校時代まで付き合ってた友達らしき人物達とは、鍼灸学校を卒業して完全に切れました。

それでも一番最後まで付き合ってたHと言う男。家庭では私の事を侮蔑的な呼び方をしてました。高3の時からブラバンの後輩達も呼んでたのを聞いてたから解ります。それで随分と腹が立ったのは、このHの父親。市内でも珍しい剣道の超高段者で名誉会長か何かしてたのだが、私が市鍼灸師会の役員をしてた時の話。たまたま鍼灸師会の総会があり、続けて宴会もあったのだが、お開きに成って部屋から出ると、このH父親が居る。私の顔を見るなり、侮蔑的な名を何度も呼びながら、私の手を握ったまま話さないのだ。それはまだ良いとしても、侮蔑的な名前をズット連呼してるのには負けました。思わず、顔面に蹴りを入れてやろうかと思った程。だって、私も50歳を過ぎ、小さいとは言え会の役を2つもしてた時期。その辺りを解らず、小学生に喋りかけるような内容を大きな声で言うのである。結局、頭も性格も悪いんだろうな~。やがては仲間に呼ばれて私の手を離したが、今でもだが「こんな輩は放し飼いにするな‼」と怒鳴り散らしたいですよ。

 

消費税10%に思う

とうとう、本日10月1日から消費税が10%に。言い方を代えると1割の消費税。この方が重々しく感じる。
私の買い溜めは、ウイスキー3本とビール一1ケースと化粧品が一種類と、トイレットペーパー。少々驚いたのが、16ロール入ったのを3袋ずつは予備で置いてたのだが、1袋しか無い。土日に探してみたが、安い16ロール売りのペーパー売り切れており、多くて12ロールいりで、其れも匂い付きの高級品ばかり。おまけに巻のメーター数が50mとか25mとかのばかり。結局、3店目のスーパーに安いのがあったから少しだけ大目に。と言うのは、住人は私一人だが患者さんも使うから少な目の買い溜め(笑)をしてないとね。
そして、もっと驚いたのが食品の大量買いをしてる人々の何と多かった事か‼
基本的に食品は8%のままの筈だが、据え置きの買い物籠5庫も6個も買って帰る人も。レジで。「食品は当分、8%のままなのにね」って言うと、レジの女性も困った顔で「そうなんです」との話。

この辺りの話、特に便所紙(トイレットペーパー)の買い占めでは、私位の年代以上の人は覚えてますよね。オイルショックの時に、トイレットペーパ―が無く成るって、大恐慌的時の騒乱みたいな事実があった事。それを彷彿させる出来事でした。こんな事は一部なのだが、ニュースソースのテレビ局は、そんな映像ばかりを狙ってた節がある。この噂の主は吹田市の団地の主婦なのだが、たまたま大阪へ勉強に行ってたおり、吹田市の団地内にある医療施設で手伝ってくれと学校側から言われ、言ってからその話を聞き、医院の奥さんが、「騒ぎの主、すぐそこの奥さんよ」って丁寧(笑)に教えてくれた。

まあ、集まった税金は政府が無駄遣いしないようにお願いして、大事に使って欲しいですね。

 

行きつく所は

昼休み時間帯、所用があってイオンに。必要な物を買い金を払い、歳と顔の話に成った。歳と言えば私の場合、40台後半から50台後半と言われる。顔と言えば、やはり「怖い顔」と言われる。最近は、笑顔が「綺麗だ」「可愛い」と言われる事が多く成り、「清ましてると怖い」と言われる。「やはり笑顔で居なきゃ‼。可愛い笑顔してるんだから‼」って言われます。

そして、強面俳優の竹内力。最近、可愛い顔でコント番組にも出演。夜中にテレビ付けると「怖い顔の芸能人」的な番組をやってて、いきなり竹内力の顔が大写しに。その顔は、明らかに強面じゃなく可愛い笑顔の竹内力(笑)。思わず、「なんだ‼ このギャップは‼」って叫んだ程。竹内力の、このギャップ出演は随分と前かららしく、私が知らなかっただけらしい(笑)。最近は、このギャップを応用して結構 楽しい番組を作って評判らしい。

そして今日、私も店員さんもサービスカウンターのレジが空いてたから、少しだけ話に。すると、今回はショッキングな発言が。「黙って居ると、何処かへ叩き売られそうな感じがする」と、言われた。初めての表現だ。

そして先日、19時過ぎにになるからと電話が入ったから待ってると、腰痛を訴える小6の女の子。当然だが、母親が付いて来ている。気を紛らわす為に必要な話や色々な話をしていると、母親が私の事を「オイチャン」と呼びました。その昔からか、治療に来た中学生も何人か私の事をオイチャンとや呼んだのが居るが、大人は初めて。それにオバサンタイプの女性を中心に、「近藤さん」と呼ぶ人が居るが、逆に違和感がある。

この辺りの話を大学時代の友人にすると、「知人に私立中学の先生が居て、女子生徒から[爺チャン]と呼ばれているらしい。それでも叱る事も無く諭す事も無い感じだ」と言う。と成ると、若いオバチャンからオイチャンと呼ばれても、巣不思議はないのだろうか(笑)