Archive for 3 月, 2019

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑱「脳脊髄液減少症」

[脳脊髄液減少症]は、もともと低髄圧症候群と呼ばれていた。治療には、脳外科医か一部の整形外科医が行うとされている。治療方法は、脊髄に何等かの原因(多くが鞭打ち症)で穴が開き脊髄液が漏れるから、この穴をブラッド・パッチと言う治療法で塞ぐと言う事だ。ブラッド・パッチとは、自家血を脊髄液に入れ、血液の瘡蓋で穴を塞ぐと言う方法。私がこの病気に出会ったのは、私がガン発症をする2程前だったと思う。

珍しく日曜日の午前中に自宅に居た私は、知人の来訪を受け待合室で話をしていると電話が鳴った。初めての患者さんからで、丁寧に「今日は、お休みですか?」って聞かれて、素直に「はい」って答えると(笑)、「済みません」と断りソロリと電話を切ろうとしたから、「もしもし、具合が悪いから電話してしてきたんじゃないの?」って聞くと、「はい、そうです」と答えたから、「良かったら、今からおいで」と言うと、午後が良いと言うので待つ事にした。ただ失敗したかなと思ったのが、土居町の人だったから来るだけで30分近く掛るのです(笑)。「おいで」と言った以上、知人には失礼をして貰い、治療の準備をして食事を済ませた。
約束の時間に来たが、具合の悪さをそんなに感じない。治療をしながら話を聞いてみると、「パニック障害で、新居浜K病院の精神科に掛っている」と言うが、精神科とかパニック障害の雰囲気がまるでない。4日後に治療に来たから様子を診ていると、頸椎を中心に歪みを感じる。「鞭打ちとか、何かで頭を打ったとか首を傷めたとかの記憶は無い?」と聞いたが「無い」と言ったが、5度目の治療の時、驚きの回答があった。
「七歳の時に、裏の畑に行こうとお姫様抱っこ形式で荷物を持ち線路を横切ろうとして、手前の線路に躓き、手を着く間も無く向かい側の線路で一直線に額を強打した」と言う。その時、頭から落ちたように倒れたから、首が身体に潜り込んだ感じがしたと言う。線路上の転倒で慌てた両親が駆け寄ったが、状況が解らず額を強打しただけでタン瘤が出来位にしか思わず、そのまま放置状態だったと言う。そして30歳で結婚し、その披露宴終了直後にパニック障害の強烈な発作を起こし始め、回り回って新居浜K病院の精神科に掛る事に成ったと言う。

鍼灸治療に関しては、当然だが幼い時から肩凝りで鍼と灸を受けており、灸を据えるに限っては、専門家の私が下を撒く程に上手(笑) 。そして自宅近辺の鍼灸院に掛っていたが、日曜対応して貰えず、電話番号を調べ当院に来たと言う。

幼い時の転倒で頭を打ち、首が身体にめり込んだと言う事で、K病院の整形外科の受診を勧めた。本人もその辺り解ってたから、即受診。頸椎のレントゲンを撮り現像が出来上がり、それを見た医師は、「これだったら、パニック障害を起こして当たり前」と言ったと言う。その一言を聞いた患者さんは、「先生、私がこの病院に掛っているは、正にパニックなんです‼」。誰にも理解されぬ症状に苦しみ、看護の両親や兄弟に心配を掛け、漸く治る糸口が出来た瞬間であった。

その整形外科医は、後に解った事だがブラッド・パッチでの脳脊髄液減少症のスペシャリストで、世界№2の症例数を持つ御仁だった。やがて、ブラッド・パッチの小手術を勧められたが、それ迄に新しい治療を勧められて受けると、それから何日も強烈な発作に悩まされる事で躊躇していた。患者さんから治療法その他の情報を聞き、既存の治療法では治す事・良く成る事は無いと判断し、私もブラッド・パッチを勧めた。

それでも、一縷の望みを掛けて治療後のパニック発作を出ない方法を探していたらしく、香川県M市のM総合病院の物療の治療が評判良いと話を持って来たが、「評判の良い病院の物療でも、その辺の病院や接骨院と何ら変わった事は無いと思う」と言うと随分と気分を害したが、本人が納得するように一度は受診を勧めた。そして何日かして受診をし、物療の治療方法を聞いたが、他の物療と同じ事から治療は受けずに帰って来たと言う。かと言って、このまま放って置く訳にも行かず、ブラッド・パッチを勧める内に受ける気になった。

やがてブラッド・パッチ治療を受けたのだが、反動で強烈なパニック発作を起こした。当然、勧めた私も彼女の恨み節を聞く事になったですけど(笑)。脳脊髄液の漏れを起こす穴は予想外に大きく、結局2回程のパッチを受けた。平素の生活は楽そうになったが、だからと言って動き過ぎると夜間のパニック発作が酷く成る。やがて入院治療と成ったが、外部の人間が鍼治療をする事は出来ないので、関係者一同、必死に隠れてやりました。

その内、担当医から患者に「何かあったら私が全責任を持つから、往診に来て貰ってくれ」と言われ、随分と楽に成ったが、この年の前から私が体調を崩し、この7月に酷く成り受診すると、別の項で出てくる末期ガンそしてそのまま入院。患者さんや知人達には「何日の月曜から、暫く入院します」と連絡してたから、入院当日、入院手続きも落ち着いたろうからと、午前10時過ぎると何本かの見舞い電話(笑)。その後、検査も漬けの毎日も終わり、外出禁止も解けた事から、外出をして何人かの入院している患者さんの見舞いを(笑)。

そうこう言う内にガン手術も済み、一通りの治療も終わり、やがて退院へ。

やがて患者さんも退院し元通りの治療に成ったのだが、面白い話が幾つか。彼女のパニック発作は夜間に起こる事が多く、御両親が24時間交代で転寝しながらの介抱になるから大変。当然、私も部分 巻き込まれる事に(笑)。

1回目が、夜中の深夜12時を過ぎた頃に携帯に着信。まず使う事が無い着信音を彼女専用にしてたから即、解る。電話を取ると、携帯の向こうではお父さんの怒る声がする。「先生もまだ養生が必要な時に、お前がそんなワガママ言ってどうする‼」と怒っている。「だけど、此処2~3日の連続発作。何とかして欲しい」と言い争ってる。フト電話が繋がってるのに気が付き、「先生~」「全部聞こえたわ。行くわ」で準備して出掛けたが、帰宅したのが午前3時過ぎ。

2回目が、午前6時前。5時半頃だったか、携帯電話で起こされた。前回より少々悪そう。こんな時の為に往診鞄は緊急出動(笑)出来るように用意はしている。家を出ると早朝故、車の往来が少ない。午前6時前には到着し、挨拶の後に一言。「午前9時には予約が入ってるから、発作の収まり方に関係なく8時半には帰ります」と宣言し、治療開始。寒い時期故、暖房に火を入れなきゃダメ。8時に自宅へ電話を入れると母親が出て来た。「私です。9時には患者さんが来られるから、ファンヒーターを起動させておいて下さい」と言うと、「あんた、こんなに朝早くと言うか昨夜からか、何処で何をしてた‼」と凄い剣幕。朝、新聞を取りに行くと私の車が無い。往診鞄も無いで、キレたらしい(笑)。「仔細は帰ってから説明するが、往診の仕事で早朝から出掛けました。この電話は携帯から掛けてるから、ユックリ説明はできない。では」で伝を切った。その間、患者さんは手を合わせて土下座状態で私に謝っている(笑)。で、8時半にはお邪魔し自宅へ。9時前に着いたのだが、患者さんが来ており、ファンヒーターを付けるに失敗し、大騒ぎに成っていた。

その後、彼女が嫌っていたマイナスイオン(ネガティブイオン)を追加し、此処では書けない特殊な治療法(任脈・督脈の閉鎖)を追加し、それ迄の治療が何だったのかと思える程な順調な回復をし、僅か1年で、トータル4年半で日常生活に支障が無いところまで良く成り、首都圏の嫁ぎ先へ戻ったと言うハッピーエンドでした(笑)

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑰「病気は治るか?」

「先生、この病気、何時治りますか?」と、質問されるケースがある。
最近の医師は、「良く成りますよ」とは言うが「治りますよ」とは言わなく成った。何故なら、本当の意味で治ると言う事は無いから。仮に「治る」と表現された本当の意味は、「日常生活に差し障り無いところ迄は、良く成りますよ」と言う意味合い。

例えば、私の胃ガン。本当の意味で治ったと言えるのは、切除した部分の胃や切除する為に切った部分の傷跡が、手術前と同じように一切無くなった事を意味するのです。言うなれば、トカゲの尻尾。切れても、尻尾は再生される。ただ此れも、切れた所の傷跡がどうなってるか解らないが、少なくても傷跡を確認できないから治ったと称する。

「治る」と言う表現、いい加減と言えばいい加減。最近の患者さん達は色々と情報が入るから、結構 物知りであるが、それはペーパー上の事であり、突き詰めた部分、臨床経験が無い分だけ詰めに甘さがある。臨床経験が幾ら在っても、何処かに詰めの甘さがある。何十年か前に短期間勤めた診療所の院長が、よく笑いながら言ってました。「患者達、何時治るんですか?聞くが、まるでワシが悪くしたみたいに言う。自分達が悪くしといて(笑)」

この話の延長線上では無いが、私はガンに成ってヨ~ク思い知った部分がある。以前からだが、多くの医師は患者の訴える不定愁訴は、あくまで他人事である。だから、私の甲状腺機能減退症は十何年も見落とされた以上の扱いを受け、何十人の医師から「痩せたら治る‼」とバカの一つ覚えのように言われ、一時は自分の命を諦めた程。最近では、痩せてても原因不明の病的な倦怠感・疲労感が続く場合、甲状腺ホルモンの検査を行うと言うから、隔世の感がある。末期ガンの症状がバリバリに出てても、「痩せたら治る‼」と言われるのが解ってるから、それを嫌い手遅れ状態に成るまで受診しなかったのである。最後に医師に掛かった時は、市内でも有名な見立ての良い医師で、医師である義理の叔父に頼んで診て貰ったのである。大正解でした(笑)。

病気に因っては、検査で答が解らないケースがある。殆どが医師の思い込みで関係無い検査をしてるケースが多いから。私の甲状腺の病、薬剤師の友人が症状から見付けていたのだが、その話を受診した医師に言っても最後の一人を除いて、何人もの医師が一切無視したまま。この辺りが、患者の不定愁訴・病気の訴えなんて他人事だと言う次第。

「病気は、本当の意味で治らない」と言うと、「それなら、治療なんか受けないで放っておいた方が良い。金が掛からないから」と言う。

だが、話はそんな所じゃない。もっと壮絶な話、ある一人の男性がガンに成った。貧乏になり、保険証の掛け金ですら払え無い。国の指針では、「国民、誰でも保険証を持ち安心して病気治療が受けられる」ようにと国民皆保険制度を作った筈が、その男性のように生活保護も受けられず、何の補助も受けられないままに、将来の有る娘の高校進学費用に蓄えを回したから、結局、治療を受けられないまま亡くなったと言う話。それだけ、国も金次第で国民の命を犠牲にする。その辺り、以前にも書いた「人の命も金次第」の典型である。彼の窮状を知ってたのに、何もしなかった周囲の人々の怠慢であろう。

私にガンが見つかった時、まだ母親が元気で居たから金を借りれたから良いが、居なかったら娘の大学の費用、息子の高校の費用、等々も都合付けられぬから弱った筈である。「なら、病気や怪我をしなければ良かった筈」と言う人も居るが、多くの場合、誰も好き好んで病気をしたり怪我をする訳では無い。中には生活習慣病と言うのもあるが、なかなか難しい話である。「充分気を付けたからと言って、生活習慣病に成らないと言う確証が無いのである」。理屈通り、物事が進めば良いのだが難しい話。

「人の命も金次第」と言うには、もう一つ。病医院内で私のような鍼灸師が鍼治療を行えば、「混合治療」として槍玉に挙げられ、西洋医学の保険診療部分が自由診療の扱いと成る。理由は、「人の命は平等だから。金持ちだけが自由に保険外診療を受けられると言うのは可笑しい」と言うのだが、「金が無いばかりに最低の治療も受けられないと言うのは、可笑しくは無いのだろうか?」。「保険料を支払えないから」と健康保険証を取り上げ、結果的に治療を断念して亡く成る方を選ばせる。「他に方法がある」と言うが、市の対応が統一されて無いから、解るのに時間が掛かり、最悪手遅れ状態に。兎に角、行政の方法は手抜き過ぎますよ。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑯「歩きと食物と便秘の関係」

此処暫く、色々とあって歩く機会が減っていた。すると、「ヤッパリ‼」と言う感じで便秘がやって来た(笑)。そして突然のように「おやつ昆布」の食品が食べてくなって、1袋が100円チョイ位の1回分の量が入った物を何種類か買ってきて、美味しいヤツを探してみた。昔からある「都こんぶ」は好きなのだが、年老いた私の口には味が濃過ぎる。最近のおやつ昆布は、平均的に薄味で美味しく作られ、余程で無い限りハズレは無いと思う。

友人と24H営業の大型スーパーへ買物に行き、私が小型のおやつ昆布の袋を幾つか抱えていると、「ヨード中毒に成るよ」と笑ってる。「私には甲状腺機能減退症があるから、ヨード分が必要。此れ位では中毒には成らないよ」って笑った程。
其れからである。身体内部から激変する事があった。胃ガンの手術し消化器系のバランスが崩れ、普通の便~酷い便秘~酷い下痢便状態が交互に続いていた。歩いただけでは、改善が長続きしない。その便が普通に固まりかけ、何とキレまで良くなったのだ(笑)。今迄、生野菜・温野菜を幾ら食べても、これ程の事は無かった。昆布は繊維質の塊と言うが、野菜嫌いの私にとって食べ易く腸に良い結果を出し、身体に必要なヨード分が足りだしたと言う事は、私の命の種(笑)か。
そして3月17日の日曜日に役員会があり、例の如く電車で行ったのだが、家を出る前に順調な便を出し、前日にトータルで6㎞ほど歩いていたから、朝一から物凄い快調な便を出していたのが、普段の食事が、一度に食べられない事から少しづつ食べてたから関係で、会議中にも関わらず、昼から小出し(笑)で何度もトイレに。月曜日も順調に。私が、「歩く必要性を説いたのを、改めて実証した」と言う話。

松山辺りへ行くにも電車を使うのは、余程で無い限り歩かねば成らない状況を作る為なんですね。場合に因っては車も使う。時間があれば鈍行(普通電車)で、急ぎは特急で(笑)。

私が何故「歩く事を推奨する」かと言えば、ツボとツボを繫ぐ経絡は基本的に上下に走っている。歩くと足のツボやら経絡やらが刺激され、気の動きが活発化する。そうすると、内臓も刺激され働きが活発化する。と言う部分。別項にも書いてたが、かなり酷い頭痛も歩いて良くし、便秘も良くなったと言う話があった筈。

足が悪くて歩けない人は、リハビリと言う手がある。病医院でやってる形式だけじゃ無く、主に歩く時に使う筋肉を動かすようにマッサージをすれば良い。最初は痛がってても、筋肉の悪さが改善されると痛みは減る。それに、触って痛むと言う事は悪い証拠である。かと言って、闇雲にすると筋肉を傷める。やはり、それなりのプロに治療して貰って、方法論が解ってから自分でもやると良いのです。

良く「治療費が高いから」って、1回とか2回とかの治療で上っ面だけ習い、後は自分でやるからと止める人が多いが、まず長続きしないし、素人がチョコチョコとやって治る程、簡単な話ではないのです。やはり、自分の身体を詳しく様子を診ながら治療をする。治療なりを変更する時も同じです。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑮「食あたり」

多くの人が信用しない治療結果に、「腐った食品を食べて食あたり」に鍼灸治療が効くとは思って無いみたいですね(笑).

第一の理由に、昔と違って各種健康保険が完備され、多くの場合、病医院で医師の診察を受けられるから、「食あたり」では鍼灸院の門を叩く事は少ない。私も、本物の食あたりは臨床40数年で唯の一人。

写真関連の知り合いで大型スーパー内の写真店の雇われ店長だった。某日の日曜日、写真店に行くと居ない。女性職員に聞いてみた。

「店長は、昼休みに惣菜部門で稲荷寿司を買ってきたが、店舗が忙しく寿司を置いて手伝ってくれたのは良いが、寿司をウッカリ点灯したスタンドの真下に置いたままだった。気が付いたのが2時間以上経っており、おまけにお稲荷さんが糸を引いてるのに食べた。そして1時間程して腹痛と吐き気・下痢までが出た」と言う。

自宅に電話すると奥さんが電話に出たので様子を聞くと、「熱があるのか布団を掛けて一言も喋らず寝てます」と言うので、往診鞄を持って知人宅へ。

寝てる知人に声を掛けても反応は無し。仕方なく、左を下に寝てたので右下に寝かせ直し、まずは腹痛を取る事に。腹痛が取れると身体が真っ直ぐに成ったから、仰向けに。そこで動きの停まった消化器系の治療をし、消化器系の動きを活発化。次に。潰せにさせ、左足裏に食中りに著効のあるツボがあるから印を付け、奥さんに灸を据えて貰った。

「幾つ据えたら良いの?」に。「熱がるか、痛がるまで」と言うと「?」の顔で据え続けた。その間に往診鞄の片付けをしていると、「熱い‼熱い‼」と騒ぎ出したから止めて貰い、知人宅を後にしたのだが、「まら痛がりだしたら、夜中でも良いから連絡して」と言って帰ったのだが、結局、連絡無し。

明日の夕方、流石に連絡が無いから家に寄ってみると、「まだ熱っぽさがあるが、症状そのものは止まったまま。ズッと以前に、鍼治療は何度か受けた事があるが、鍼がこんなに効くとは思わなんだ」と言う。

「でもね、何でこんな事に成ったんだろうね?」と聞くから、「狸親父が、傷んだお稲荷さん食べたから罰が当たったのよ」で御終いでした。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑭「花粉症&アトピー系の症状」

花粉症やアトピー系の病気って、理論では鍼灸治療で治るように書いてますが難治性の病気である。そして「治りますか?」って聞かれた時には困ります。
俗に言う「治りますか?」って言葉の裏には、「一回か二回で完治する事を要求」してる事が多いのです。これでは、まず無理なのです。でも患者さんは、それを要求します。
鍼治療に来た患者さんに「定期的に治療してみては?」って提案しても、「差し当たり、この症状が取れれば良い」って人が多い。言ってみれば、売薬を飲んでその場しのぎをする感覚です。これでは、加齢と共に身体能力が落ちてるのを加速させるだけなのにね。治療って、基本的には「身体の老化スピ―ドを遅らせる事にある」のです。その中に、様々な症状を取っていくと言う現実がある。

治療の事を「手当て」って言いますが、御存知の通り「痛ければ、悪い所に手を当てる=手当て」。それが人間に知恵が出来ると、既存の手当てから色々な治療方法が考案され、今のような凄い数の方法ができてるのです。

脳脊髄液減少症って病で整形外科の医師と二人掛かりで治療して、日常生活が普通に何とか出来るように成る迄、4年半と言う年月を要した。医師曰く、「私は半年か長くて1年で治せる」と言ってある。おまけに、脳脊髄液減少症の治療に関しては世界で№2の実績を持ってたにも関わらずである。そして、世界№2の医師と共著の本を出す事に成った時、印刷に入る直前にストップを掛け1行だけ加筆したと言う。「鍼も、確かに効く」と。

脳脊髄液減少症の話は、又、別の項目で。

 

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【近藤鍼灸院の健康新聞】⑬「講演会 無事終了?」

3月9日、午後2時半からの講演会、午後4時には無事終わりました。

今回、西条から夫婦で来られてる患者さんが、来場して戴きました。本当は、西条の老人ホームの女性施設長も「行きたい」と言ってたが、仕事の都合で駄目でした。西条の患者さん夫婦、以前、西条市で行った県師会のイベント「鍼灸まつり」にも来場して戴いてます。治療ばかりでなく、勉強にも熱心。こんな人ばかりだと良いんですが(笑)

この講演会の話を振って来た管理薬剤師さんも、後日、随分と楽しい講演会だったと言って喜んでくれたが、頼まれた内容が全部喋れたのが不安(笑) でも随分と楽しい講演会だって良かったです。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑫「ジッとしてても目立つ」

健康新聞からしたら趣旨が違うが、私はジッとしてても随分と目立つらしい。
そう言えば、幼い時から何もしてないのにイジメの対象と成ったり、兎に角、色々と有りましたよ。大人に成ってからも、何かにつけて言い掛かりを付けられるが、仲の良かった某男性に「ガキ大将みたいだ」と言われた事がある。
ガキ大将と言えば単なる乱暴者のように取られるが、本来「弱きを助け強き・悪を挫く」らしい。中に強き・悪を挫くばかりか弱きをも挫く輩が居て、此奴が本物の乱暴者。

乱暴者と言えば、鍼灸学校時代の1級下だが年上の高橋と言うバカ男が居る。いや居たと言うべきか。もう死んじゃったから(笑)。

どう言う風に馬鹿なのかと言うと、私より1年後に入学したのに、20年程前か当時の新居浜鍼灸師会の会長に、「彼奴(私の事)は自分より後輩で、学校入学から入試、アパートの世話まで全部世話をしてやった」意味の暴言を言ったと言う。ところが会長からその話を聞く前に、当院へ来ていた女性患者から同じ内容の話を聞いていた。と言う事は、彼方此方でフザケタ事を言触らしている筈。

双方には、「アレは嘘‼私が校長に頼まれてアパートの世話はしてやったのは確かだが、彼奴の世話に一切成った事は無いどころか、金に汚い彼奴に迷惑を掛けられっ放しだった。免許取得年月日を見たら私の方が一年早い先輩である事が解る!!見せて貰ってみな‼先輩が後輩に世話に成るって事は無いだろう‼」と言っても、信じようとしなかった。

その後,市鍼灸師会の総会があった時、まだ理事と保険審査委員を兼務していた私に、会長が「何か言う事は無いですか?」と聞いたから、「審査とかじゃ無いんだが、高橋さん、あんた私の後輩のクセに、私が後輩のように言って学校入学をさせてやったとか、入学後もアパート探しから新生活の為の一切を面倒見たと言触らしてるよナ~。会長とウチに来た患者から同じ事を同じように聞いたが、全く寸部違わず言ってた。あの人が言よったとも言ってたから間違い無いし、その嘘間違いを証明してやろうか。免許証の発行年月日は何時なんだ?アンタの方がワシより1年遅い筈。ワシが歯医者の息子だからって、その世話をしたって大物振るってさ、いい加減にしなさいね。後でバレて、恥をかくのはアンタだからね‼」と言ってやりました。

ところが、問題は二次会に入ってから。カウンター席で会長の嫁さん(これも曲者)とデユエット曲を歌ってた時、マスターの「危ない‼」って声が聞こえて振り返ると、拳が私の顔面向けて飛んできた。反射的に避けたが、右コメカミを擦り眼鏡が飛んだ。状況を把握し、右方向を見ると高橋が此方に背を向けノウノウと椅子に座った。それを見て、私が座ってた椅子を退け、高橋の後頭部に全体重を掛けた肘打ちを噛ました。当然、高橋は避ける術も無く顔面をカウンターで強打。そのまま失神。その状態で髪の毛を掴み頭を殴り放題。本当は、髪の毛を掴み床の上に引き釣り落としてボコボコに蹴ってやろうかと思ったが、私の性格上 殺し兼ねないから止めました。カッ‼として何かしても、最後の最後には理性を持ってストップ。

それ以来、高橋は少なくとも私の前では大人しく成り、二次会に来て小さい声でガチャガチャ言っては、「オイハン、あっちへ行っとけ‼また去年のように成るぞ‼」と言うと、素直に何処かへ行きました。

この高橋、鍼灸学校在学中から私に舐めた口をきき何度も喧嘩騒ぎに成り掛けた。時には、高橋が「己は、喧嘩売りよるんか‼」と怒鳴り散らしたから、「その喧嘩、買うてやるから建物から出ろ‼」とやると、高橋のジジイ同級生達は「近藤さん止めんかい。此奴、高校時代にボクシングをやってたから」と止めたから、「そうか。ワシは空手をやってた。ボクシングとじゃ殴り合いは負けるかも知れんが、蹴り殺してやるから引っ張り出せ‼」ってやると、連中は大人しく何処かへ行ったと言う経緯がある。それから10年以上経ってからの高橋の蛮行で、逆にやられて大人しく成ったと言う話でした。そして、この高橋、何年か前に亡くなったらしいが、何時死んだのかも知らなかったから葬式にも行って無い。

このように、ジッとしてても目立つ故、性格の悪い奴&頭の悪い奴らに陰で利用され、私にバレタら暴力沙汰で襲い掛かる。されでも、私が先に何かしたように言う輩が沢山いるのです。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑪「途中で復習」

【近藤鍼灸院の健康新聞】のこれまでの記事の中で、医学知識に限らず「如何に知識を持ってないと駄目なのか」が、十分お解り頂けたと思う。

過去、特に医療関連の知識に関しては「難しいから」と足を踏み入れようとしないケースが多かったように思います。ところが、健康保険が完備されるに従って多くの不定愁訴を訴える人々が増え、既存の医療機関や医師数では賄い切れず、悪く言えば手抜き診療が当たり前的なところが増えたように思います。その犠牲者の一人に私が居る(笑)。

やがて医師数が充足されると、足りないのが目に着いた歯科医師。だから多くの患者が集まり、金などの材料が個人負担が大きかった事から、「歯医者は儲かる!!」と言う無責任な言葉。当時、基本的には混合診療は認められなかったが、歯科に関しては材料の部分では随分と緩やかだった。

内情を知らない人々の、この「歯医者は儲かる!!」と言う無責任な言葉で、医科へ進める能力のある人でさえ歯科へ進み、資格を取った頃に後悔する人が多かったと言う。その一つに、街角に目に着くコンビニの数より、歯科医院の数の方が多いと言う現実。それが、鍼灸や柔道整復師の世界にまで波及している。今では「無資格者の整体」系の方が幅を利かせ、「国家資格保持者の鍼・灸・按摩マッサージ指圧・柔道整復師」より「知名度がある」と言う珍現象を招いている。

私と同年輩の歯科医師が後悔の一言。丁度、次女が大学進学の頃に、「歯医者は良い仕事だから、歯医者に成りなさい」と歯科大へ入学させたと言う。そして2年程経った頃、歯医者を取り巻く環境の悪さに気が付いて、「今では歯科大へ入れた事を後悔している」と言う話。

何故か親なり年寄りが、子供なり孫に歯科医師を勧める時、必ず「歯医者は良い仕事だから」と勧める事が多いように思う。その話で、ある家庭では大揉めに成ったと言う。ある商店の長男が、歯科医師に成った。だが生涯独身の為に、歯医者の跡継ぎが居ない。で、母親が目を付けたのが娘の子供。母親が娘に「あんたの息子を歯医者に仕立てなさい‼」と迫ったと言う。ところが娘にしたら、幼い時から親には「はい。はい」と、逆らう事無く全てを受け入れたが、流石に自分の子供にそうさせる気は無い。多額の金も要る。断ると、「お前は母親を殺す気か‼」と、凄い形相で迫ったと言う。母親の勝手さは、当時でも年間一千万円は必要と言われた学費や生活費を、全額 娘夫婦に持たせようとしたと言うから怖い。

高校時代の同級生に耳鼻咽喉科の次男坊が居た。長男は二浪の挙句、歯科大に入った。耳鼻咽喉科の父親は長男に「歯医者にしか成れんのか‼」と言ったと言う話。

ある歯科技工士は、「歯医者言うたら、跡継ぎは別として医者に成り損ねた連中が多い」と発言。その歯科技工士は親の跡継ぎだったし、長男坊が歯科技工士に成ったから、目出度し目出度しだろう。

よく聞く話だが、親の仕事の跡取りの話。上記に幾つか書いたが、本人が自ら「跡継ぎをしたい」とか「その仕事をしたい」とか言わない限り、決して強要すべきでは無いと思う。強要は人権問題である。私も親の跡継ぎをせず鍼灸の道へ進んだが、結婚してから特に親父からは私の家族に対する人権侵害以上の酷い扱いを受けていた。それれらを知人や同業者・患者さん達から受けていたし、多少、緩くなったとは言え現在でも続いてるとなったら、どう思われるだろうか。

ある30代の女性患者さん、私の父親の仕事を知らなかったからシツコク聞いた。だから要らぬ事を言わない約束で言うと、「先生、こんな所で何しよるん。お父さんが歯医者しよったんだったら、歯医者せにゃア」と言う。「だから要らぬ事を言うなって言ったろう‼。それを言うと縁が切れるぞ」「長男は親の跡継ぎだから」「まだ言ってる。本当に縁が切れるぞ‼」。 私の鍼治療が芯から気に入って来てるのに、懲りない。

「もう一つ言ってみようか?。跡継ぎを言うなら、氷屋の長男が脳外科医に成ったり、地主の長男が歯医者に成ったり、酒屋の長男が歯医者に成るってのは可笑しいじゃないか」「その人達は能力があったから」「話を逸らすな‼ 私は能力が無かったかも知れないが、跡継ぎの話は能力の有無の話では無いだろう。それに、こんな所で鍼なんかしよらんと歯医者せなと言うが、私には歯科医師の免許が無い。だからできない。貴方も私の鍼治療が気に入って来てるのに。こんな所で鍼治療は無いもんだ‼ それに、今から歯医者の免許を取るったって、鈍った脳で入試が受かるか?何年掛るか。仮に受かっても6年間の授業についていけるか。6年間の授業料や実習費・生活費をどう工面するか、此れだけの事をクリアしないと免許なんて取れないんだよ。仮に全て現役でクリアしても、資格取れた時には60歳代。老眼が入った目で何年仕事ができる。これだけの事を解ってて話した訳?。だから余り言うと縁が切れるぞって言ったのよ」

もう一人、10歳年上の西条の同業者。私の鍼灸学校の後輩。西条で「鍼灸まつり」をした時の実行委員長をしてたが、久しぶりに会って話をする機会があった。そうすると、私の子供の話に成り、まだ大学生だった長男の話に成った時、「そうじゃ、長男坊を歯科大にやって歯医者の跡継ぎをさせると言う手がある‼」と、我ながら名案&手柄とばかり喜々とした表情で話している。で、思わず言いました。

「跡取りを欲しがっていた親父が何年も前に亡くなり、息子本人は工業系の物創りの仕事をしたいと言ってる。幾ら国立の工業大学へ行ってても、歯科大受験となると随分とシンドイと思う。それに歯科大合格まで何年掛かり、卒業までストレートで抜けてもトータルで何年掛る。その間の生活費から学費・実習費まで幾ら掛ると思う。生活費の要らない親元から通ったとしても、学費・通学費やら何やらで6年で国公立の歯科大で最低でも6,000万円程は掛る時代と聞き及んでいる。ましてや名も知れぬ二流三流の私大ともなると、2億円とか3億円とか言われている。もう我々の年に成ったら、老後の生活費の心配をしなけりゃならん。私より10歳も年上のアンタが、その辺りを解って話をした訳か?。それとも、その位の金は親が残してるとでも思ったのか?冗談でも止めて欲しいね。余り人の家庭のプライバシーを話のネタに使ったらいかんぞ」って、言ってやりました。

まだまだ話は続きます。

よく、「歯医者も医者だろ?」って言葉。残念ながら、「歯医者は歯科医師と言う免許を持った歯医者であり、医師とは違う」と言う事。私がこの質問を始めて受けたのが中三の時の同級生に聞かれた。51年前の高校受験間際の時だった。最近でも、某公共施設の80歳近くの夜間受付の男性と話をしてると、「最近の若者は事が乱れとる」と言うと、「それはそうと、歯医者も医者だろ?」と聞いたから、「歯医者は歯科医師と言う国家資格を持った人で、俗に言う歯医者であり医者ではない」と説明したが、自分が思い込んでた知識の間違いを、悪く指摘されたと思ったか、「歯医者にも医者と言う名が付いてるから、医者だろう‼」「だから、歯医者は歯医者であり医者ではない」と言っても私の言葉を受け入れようとしない。面倒臭く成り、「法律が絡む場合、『医師、若しくは歯科医師、若しくは薬剤師』と言う表記に成ってるが、それでも歯医者も医者と言い切るの?貴方は最近の若者は言葉が乱れてると言ったが、言葉が乱れてるのはアンタだよ‼ だって、法的観点からも解り易いように説明しても、私の正論を頭から否定し、間違った言葉を言い張るってのは、乱れた言葉の極致だと思う。間違いは間違いとして何故素直に直そうとしないの?」と言うと、黙ってしまった。医師・歯科医師以外の医療関係者にも解って無い人が多過ぎる。だから、歯医者も医者なら、風邪気味の人が歯医者に行って「先生、チョット風邪気味なので風邪薬を出して貰えませんか?」って会話は成り立たない筈。妊婦さんがお産の為に歯科医院へ入院して、出産をしたとかの話は聞いた事が無い。勿論、産婦人科以外の診療科でも無いのだが、医科系の診療科なら・・・難しいか(笑)あるとすれば総合病院だが、それでも産婦人科への入院だ(笑)。

と言う位、歯科では歯科範疇に事しかできないが、他の診療科では最近は難しく成ったが、標榜している専門診療科以外の簡単な症状なら対処してくれるのだ。そこが医師と歯科医師の違いである。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】⑪「昔のお医者さん」

「昔のお医者さんって、診察技術に素晴しいモノを持ってました。」

こんな表現をすると、若い先生方からお叱りを受けそうだが、本来なら視診・問診・触診などを駆使して、検査なんか最後の最後、自分の診断結果が正しいかどうかを確認の為にする程度であった筈。ところが今は検査ありきで、忙しい事もあるだろうから仕方が無いにしても、検査の為の診察すらしないから、全く的外れの検査をして、「何処も悪くありません」と言う医師の何と多い事か。

私が比較的評判の良い内科に行った時も、症状がバリバリに出てるのに、間違った検査をして「異常無いから、今日はこれで良い」と帰され掛けたから、「先生、待って下さいよ。検査に異常無いったって、外からでも解る症状が此れだけ出てるんだ。最低、この症状を取らなければ可笑しだろう‼」って迫り、渋々薬が出た程。

話が違うが、本当にあった笑い話を一つ。何年か前、頭が痛いと中年の男性患者が来た。カルテを取りながら、「頭の何処が痛いですか?」「頭が痛いんです」「頭が痛いのは解るけど、頭の何処が痛いですか?」と、三回ほど繰り返した途端、「頭が痛い言うたら、頭が痛いんだよ‼」って、叱られました。「もう一つ聞いて良いですか?貴方の頭には上下前後左右が有るでしょ?」って聞いて、初めて「アッ‼」と言う顔をして、「頭の横が痛い」と言う話に成った。この時に頭の痛み方、締め付けられるように痛むのか、血管の拍動に合わせてザクザク痛むのか等々で、治療するツボが随分と代わって来るんですね。本来、薬だって同じ筈なんだが、何時の頃からか医師の多くが、同じように患者から頭が痛いって訴えられた時、多くが細かい症状に関係無く「痛み止め出しておくからね」と言う事が多い裏付けと撮りました。私も経験者だから解ります。この話、頭痛に限らないケースも多いようです。

それと、新しい診療所や病院が出来ると、自分の身体に不具合が生じた場合に、一度は受診してみる事にしています。何故なら、当院に来られた患者さんに、場合に因っては医師の診察を受けて貰う必要がある場合もあるからです。自分が受診してみるとか、現に当院に来ている患者さんの評判を聞きながら選びます。

最近の若い医師は、何かあれば即「エビデンスを‼」って言われるが、数値だけで解らない部分、医師の見立て違いで全く違う検査をすると「問題無し」の答が出ます。例えば、私を診た全ての医師は、私の甲状腺機能減退症を予想出来ず、何かの関係で検査結果が出て初めて「こんな凄い数値が出るとは思わなかった‼」と言う次第。

私の従妹の旦那が歯科医師で、ある日、酷い体調不良を起こし3カ月程経って友人の内科医に診て貰ったが異常無し。だが体調不良が続くので再び3カ月程して診て貰うと、何と「手遅れ状態の末期ガン。余命3カ月‼」と言う答えが出て、本当に3か月後に亡くなった。最初に体調不良を感じてから半年目。ガンと解ってから、従妹が内科医の父親に[さるのこしかけ]を見せて、「これ、効くだろうか?」と聞いたが、「ワシは、そんなの知らん」の一言で投与を諦めたと言う。

そして何年かして、私の末期の胃ガンが発覚。私が入院してから、女房がネットで探してくれた代替医療が効いた事から、国際手配をして続けた。後で聞いた話、神様にもお願いしたと言う。「お父さんを助けて下さい」と。すると「今回は助けてやろう」と言う言葉が聞こえ、辺りが明るくなったと言い、「お父さんは助かる‼」と確信を持ったと言う。そればかりでは無いが、お蔭で私は16年も余分に生きているんです(笑)。結局は、本人と周囲の人々のモノの考え方と努力・行動力だろう。

愛媛新聞のガン・シリーズ記事に私が写真入りで出ているが、最後に私の言葉の『自分の一番の主治医は、自分ですから』としていが、これはタイトルの「昔のお医者さん」では無く「昔からのお医者さん」ではないかと思う(笑)。

余禄だが、退院してから暫くして立ち上がったガン患者会に1年程在籍していた時に、一人の女性会員から聞いた話。妹さんが車同士の衝突事故にあい、念の為にと受けた検査で初期の肺ガンが見つかったと言う。性格的に随分と明るい妹さんだったのが、「肺ガン」と言う病名を聞いた途端、それはそれは家族でさえ見るのも声を掛けるのも憚る程の落ち込みがあったと言う。ガンに限らず何でもだが「気分の落ち込み=ストレス」は物事を悪化させる。家族ばかりか友人知人が一生懸命に「初期だから大丈夫よ‼」と励ましたが、結局、立ち直る事なく亡くなったと言う。

これも、その人の性格と言ってしまえばそれ迄だが、普段から何かあり追い詰められた時、「私はもう駄目‼」では無く、「此のままじゃあダメ‼ 何とかしなくちゃ!!」って、私は自然に考えてます。何にしたって、「自分の身の上に起こった現実は、他人事では無く自分の事なんだから、人様の手助けを受けながらでも、自分が主になって動かにゃ‼」。それが、「自分の一番の主治医は、自分 ですから」の一言に尽きると思います。