「生きる」

【生きる】同名タイトルの「ガンの白黒映画」がある。昭和27年度・黒澤明監督の芸術祭参加作品だ。関西の地方公務員が主役だが、ガンで死ぬ迄の仕事や私生活や死後に解る様々な人間模様が描かれている。60年程の時間差があるが、建物や車など以外の医療関係や人間関係・お役所仕事・色々なシーンであまり古さを感じさせない所が流石の映画でした。

【最高の人生の見つけ方】、チョットした話題をまいたガン系の洋画だ。俗に言う金持ちと貧乏人、人種差別的な話題などなど、複雑な人間社会をガンと言う病気を挟んだ二人の患者の一種コメディ系とも取れる映画。それ相応に、考えさせられる中身の濃い映画であった。

【余命一カ月の花嫁】は、愛媛県での封切が丁度 土曜日で、翌日曜日に県鍼灸師会でガン関係の話を依頼されてた時で、見終わった後に映画館の支配人に資料として広告を貰いに行くと枚数が足りない。で事情を話して白黒のコピーを30部程して頂いた。

【余命一カ月の花嫁・その後】(TBS)は、見損なったからyoutubeで番組を取りました(笑)。
「明日が来る事の奇跡」「自分の健康管理は自分で」って言って亡くなった花嫁さんの言葉。病気の進行と共に、ジワリジワリと苦しみながら死に近付いていく感覚は、決して健康な状態では理解できないものである。それだけに「明日が来る事の奇跡」「自分の健康管理は自分」と言う言葉には凄い迫力・説得力がある。

私も16年程前にガンが発覚。体調の悪さからウスウス気付いていたが、医師不信で病気で診て貰う事は無かったから、手遅れ状態でガンが見つかった訳だ。

当時、過去50年に及ぶ医師達の誤診から持病と成っていた甲状腺機能減退症を見落とされ、19歳の時に名古屋大学附属病院に病的な倦怠感と原因不明の微熱で受診に行った時、真面な問診・視診・触診もしないまま「そんなの過食と運動をすれば治る」とだけ言い帰らせようとしたから、「検査も無いんですか?」と言う言葉に「ジャア、やっとくか~」と面倒くさそうに言って手渡された検査依頼書には尿を取ってタンパクと糖を調べるチェックだけ。内心『コイツ馬鹿か‼』と思いながらトイレで尿を採取、「何日後に来い」と言う医師の言葉に再度病院へ行くと、「検査の結果、異状が無いから此処でする事は無い。それでは‼」と追い返しにかかったから、「他に検査は無いんですか?」と聞くと、「此処でやった検査以外、此処には一切無い‼」と強気な声で否定したではないか。思わず思ったのは、『名古屋大学付属病院での検査は尿検査以外無いし、尿検査で病気の全てを理解するのか!?』と思い、何度か再検査を求めたら、「そんなの(病的な倦怠感と原因不明の微熱)、痩せたら治る‼」と再度突っぱねたから、「ジャア、痩せる迄 この底シンドイ倦怠感と原因不明の微熱は我慢しなけりゃ成らないんですか!?」と聞いたら、「そんなの自分で考えろ‼」と怒鳴り散らして、自分が座っていた椅子を蹴り飛ばして診察室から逃げるように走り出たですよ。秘書役で居た看護師は二人が怒鳴り合いをしてる間も何も言わず医療器具を片付けており、挙句 医師が診察室から走り逃げたら、シワリと開いてるドアから尻を廊下に出し診察室の電気を消して何処かへ消えましたよ。これが、47年前の19歳の少年の時に体験した、国立でも一流部類の名古屋大学付属病院の内科医の言動で医師としての力量で、看護師の質も似たようなボロだった訳だ。と言うのは私自身、詳しい医学知識の無い少年でさえ、『此処が悪いと特定はできないが、何処か簡単な事が原因でこの悪さが起こっている』と体感していたのだ。それを診察をして探すのが医師の仕事の筈である。

それから間もなく体力的にも限界を感じ、大学を止め鍼灸学校へ変わった。すると同級生の一人に薬剤師M君が居て勉強会を作りたいと仲間を集めていたが、何故か私にはお声が掛からない(笑)。で、私から頼んで入会させて貰ったんだが、生来の生真面目さから会計係を任されたりもした。

やがて時が経ち、M君が言った。「近藤クン、いつも『シンドイ、シンドイ』って言ってるが、粘液水腫(甲状腺機能減退症からくる症状)と違うか?」と聞いてきた。「病院に掛かってみたら」と進言してくれたが、名古屋大学附属病院での出来事を話し、「アレ以来  医師不信にも成っており、多くの医師は私が手遅れ状態に成らないと病気を見つけられないし、最悪 死んでも理解されないだろう」と言うと、「新居浜の鍼治療で有名なI病院、親戚と言うじゃないか。相談したら?」「ご存じの通り親戚だから家庭医にしてるけど、所詮 田舎のヤブ医者です、検査しなけりゃ解らんような病気はよう見つけんワ」と言う私の言葉に、真っ暗な顔して黙ってしまいました。

で、鍼灸師の資格を取り、大阪の研究科へ勉強に行き、不覚にもI病院へ就職。就職して3年近く経ち、相変わらず私の病気の原因は不明のまま。シビレを切らして、有休を取り実家近くの評判の良い医院へ行った。健康保険証がI病院の社会保険だから「ヤバイのじゃないか」と気遣いしてくれたが近々辞める事を伝え診て貰ったが、検査用紙をみると、今迄の病院医院でバラバラにしてた検査を一括して検査しただけ。それを見て『此処でも無理か』と思ったが、一応 何等かの答えが見つかるまで任せてみる事に。

やがて1週間後に来いと言う話だったから行くと、「検査では異常が無い。痩せたら治る」の一言。名古屋大学付属病院の一件もありI病院の事もあり、再びキレて言った。「4~5年前、名古屋大学付属病院にかかった時、小便で糖とタンパクを調べただけで「『異常無いから此処でする事は無い‼』と言い放ち、他の検査を求めたら、『此処でした検査以外無い‼』と言われ、それでも食い下がると『そんなの痩せたら治る‼』『ジャア、痩せる迄 我慢しなけりゃならないのか!?』と聞くと、逆切れした医師は『そんなの自分で考えろ‼』って自分の座っていた椅子を蹴り飛ばして診察室から逃げるように出て行ったですよ」。

「そして体力的な問題から大学を止め鍼灸学校に入り、たまたま同級生に薬剤師が居て、私の[シンドイ」って口癖を聞いてて粘液水腫を疑り検査を勧めてくれたが、病院・医院にかかりその話をしても、何を思ってか誰一人 検査をしてくれる医師は居なかった」 と此処まで言って、ようやく検査をしてくれた。その検査の結果、病名は[甲状腺機能減退症]で、治療としては甲状腺ホルモンを飲み続ける事だけだった。この結果が出る迄、名古屋大学付属病院を受診して6年。症状はズッと前から出てたから、10数年は悩まされていた訳だ。

[見た目が健康そうに見える]だけに、身体症状に色々出てても理解されず、100%甘やかされて育った野良か、本人が幾ら苦痛を言っても仕舞には人格否定をする。これが社会の常識なんですよ。医師ですら理解されない・診付けられない病気を、医学知識も臨床経験も全く無い弩素人に、一体何が解ると言うのか‼。高度な医学知識を持ち臨床経験もある医師ですら、自らその病気の経験が無いと理解出来ないんですよ‼

私が退院してから1年程してからの話。入院前から酷い鞭打ち症が2度、それに甲状腺機能減退症で全身倦怠感が出る。それも低気圧が来ると酷いものである。その関係で平素から体調管理でマイントピア別子の温泉へ湯治に行ってたが、ある時、見掛けた事の無い年老いた女性二人が受付にいた。受付カウンターに着いた途端、つい「あぁ~シンド~」と口から出た。すると、受付の二人が「若い人がナニ言よるんヨ]とバカにしたように言うので、「若くて元気そうに見えるが、50過ぎた鞭打ちと末期ガンの患者だぜ」と言うと、「そんな良い体格して元気そうな人が末期ガンなら、私ら皆末期ガンじゃわ」と言うなり、奥へ引っ込んだ。心の中で『バカが又~』と思い『思い知らさせたろ』と次回、マイントピア別子へ行く時、愛媛新聞に写真入りで登場したガンの記事のコピーを持って行き二人に見せたところ、黙ったまま何処かへ消え二度と私の前に現れる事は無かった。

このような扱われ方をして65年間、病気で死ぬ事は無かったが、何度死ぬ事を考えた事か。常に病的な倦怠感はあるし、ガンや加齢からくる各種の身体症状と闘いながら、頑張ってますよ。面白い話、最近では痩せてても理解できない倦怠感の場合は、甲状腺ホルモンを知らべると言う。隔世の感を感じる。

 

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