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愛媛マラソンに参加?

「愛媛マラソンに、参加してきました」とは言っても、県師会からケア・ボランティアに参加。
「今度の愛媛マラソンに」と言っただけで、大体7割前後の方々が「走るの」って聞きますが、冗談でも止めてくださいね~(笑)。大体が、ウォーキングと多少の心得がある空手なら解らんでもないが、走るって事に全く縁が無い私に」走るの?」っとは、冗談交じりで聞かれる事は嫌ですね~(笑)。
今回の愛媛マラソンは50回目となり、高橋尚子選手や土佐礼子選手、その他の名だたる方々が招待選手として参加。おまけにレース中盤から二人の選手がデッド・ヒート!! 優勝選手がゴール手前200mあたりからラスト・スパートをし、結局2秒差で勝敗が決まった。ケア・ボランティア用のテントがゴール脇の僅か30m程傍にあったから、結構、見ごたえがありましたよ。
今回の参加にあたっては、集合時間がレース当日の06:00だから土曜日から泊りがけに成るから例の2000円切符が使えず、土曜日に仕事が終わった19:47発の鈍行電車で行く事になり、結局は1750円の普通運賃切符を買った次第。顔見知りの職員の若者に、「チョッと、損した気分ですね」って笑われた。
今回は妖怪オバチャンに会うことも無く22:20過ぎにはJR松山駅に着き、駅前からホテルに電話を入れて歩いて松山市駅前のカプセルホテルへ。
松山には「松山駅」と呼ばれる駅が二つ。JRと市駅。何年か前、路面電車環状線で「松山駅へは、どちら周りが早いですか?」ってうら若き女性に聞いたら、「松山駅は二つある」って念を押された事があり、改めて認識した次第。田舎者は駄目ですね~(笑)。
明日のレースでゴールとなる堀之内の堀端を通り、市駅へ向かった。明日の仕事場は、何故かJRと市駅の中間にある。便利が良いといえばよいが、荷物を抱えては疲れます。
ホテルに到着後、カウンターで料金を前払いし、初めて利用だと言うとチャンと案内してくれた。私のベッドは二段重ねのカプセルの上。強度の閉所恐怖症と高所恐怖症などを持ち合わせている私は予約した時点で少々後悔はしていたが、いざカプセル内に入ってみると何も心配する事はなかった。圧迫感も無く、座って着替えや荷物整理をする限り何の心配も無い。快適である。最初にカプセル・ホテルを考案し実践した人は天才だと思う(笑)。
一通り荷物整理をすると、腹が減っている。こういう時って何故か本前の仕事が忙しく、バタバタとして夕食もあまり食べないてなかったので、ブランデーの水割りと非常食?と朝食用にと用意していたカップ麺を食べ、少々危険なんだが睡眠薬を飲み、携帯電話の目覚ましアラームをセットして爆睡。
朝は、スッキリ&クッキリと目覚ましが鳴る前に目覚め、着替えを済ませてカップ麺を食べ会場へ。会場には、参加会員のほとんどが集合し準備が始まっている。挨拶をし、準備をしていると地元の会員が自転車でやってきた。スタッフ・ジャンバーを渡そうとすると、「本日は選手として走る」と言う。私より3歳もオジンなのに頑張るな~。
やがて疾走前の選手がケアにやってきた。近くには製薬会社の看板を挙げたテントがあり、テーピングをやっている。何故か、そちらの方が繁盛している。多少、時間を持て余し気味ながら、僅かレースが始まる1~2時間ほどで50人そこそこのケアをしている。後はレース後に忙しくなるという話。打ち合わせや足りないところの養生をしている内に弁当が来ている。他のテントの役員やボラ参加者達が弁当を食べてると思った。時計を見ると11:00過ぎ。今の内に食べておかないと、09:30スタートだから、早い選手は12:00前には帰ってくる。
7インチのTVを持ってきていたメンバーが居たのでレースの生中継をみていると、フル・マラソンでは珍しいと感じる事が起こっている。コース後半で、二人の選手が首位爭いのデッド・ヒート!! 三位以下の選手は見えない。画面で見る限り、疲れた様子なんぞ無い!! 思わず、「凄いレースをやってる!!」って言った程。しばらくすると会場の堀之内に帰ってくると言う。ゴール傍のテントに居ながら、慌ててゴールの見える場所に走り、シッカリとゴールの瞬間を見てきた。1位と2位の差は僅か2秒。フル・マラソンで後半に凄いデッド・ヒートを繰り返した割に、二人とも普通に歩いて控え場所に。テレビカメラや記者は、2位の選手を後目に1位の選手を追う。この辺り、勝負の世界の厳しいところか。
その後、続々と選手がゴールをし手続きの終わった選手達が足を引き摺りながらケアテントに集まり始めた。テントに戻り、交代でケアをする。メンバーとベッドの数とケア希望の選手の数の問題で、一人10分~15分迄。手の空いた会員は集まる選手の整理役。これも交代。連絡時には、「呼び込みしてきて(笑)」が合図(笑)。
見てると連絡していた患者さんが待合椅子に座っている。私に気が付いてない。前に立ちはだかってもても下を向いたまま。そのうち顔を上げ私の顔を見て再び下を向いたが、再び顔を見て飛び上がって驚いた。失礼だな~。で、順番が来たが私の担当ベッド無かったが、事情を話して私がケア。
もう一人。新居浜選出の県会議員が完走をしたのは良いがボロボロ状態で、仲間に肩を支えて貰ってやってきた。彼は元々、新居浜市議だったが県会に行った人で、市議時代から私の事を知っており、後々知った事だが極真空手の元同門。私のケアに悲鳴を上げるから、「ヤメテよネ~、虐待してるみたいじゃないですか」と言ったら、「虐待の方がマシ~」と言う話。「極真の回し蹴りの方が痛いでしょ」「回し蹴りの方が痛く無い~」と言う、何とも虐待好きのサド的な乱暴者扱いをされてしまった(笑)。
やがてレースも終わったが、テントは16:00には明け渡す事になってるので15:30には終えて撤収。気の毒だが後半にゴールした選手ほど状態の悪い選手が多いので、我々の所では手の施しようが無い事となる。その場合は、救護の方に回って貰った方が良いという話。
16:00過ぎに反省会を開いて、私だけ16:00に失礼し、市駅へ行き所用を済ませて17:20発の新居浜駅行きの特急バスに。何故、帰りはバスかっていうと、多分寝てしまうから終点が新居浜駅のバスの方が乗り過ごしが無い(笑)事と、本来なら1500円の料金が1200円に成ってる回数券が一枚残ってたからと言うのが理由(笑)。
バスはJR松山駅を出ると松山市駅で停まり大街道で停まるのだが案の定、大街道で停まったまでは記憶があるが、目が覚めたのが西条市に入ってから、と言う事は、一時間半は爆睡してたことになる。さすが経験者だと感心(爆)。西条駅に停まってから新居浜駅までの間、やはりウツラウツラとしており確かな記憶が無い(笑)。新居浜駅では私を含めて5人の降車。駅前ロータリーに入った所で愛妻の車を確認直が、愛妻からの電話。「お父さん、バスが着いたわよ!!待ってるよ!!」と言う。「車を確認した」と言って電話を切り、寝ぼけ眼でヨタヨタと最後尾のシートから狭い通路を通り下車。
そうそう、西条で目を覚ました時、小用に行きたく成ったが目覚めと共に何時もの電車でないから「トイレ~‼」っても間に合わない。おおよその見当がついてたからバックの一番上の取り出しやすい所に簡易トイレを用意してた。それで用を足してたのだが、下車次第始末をする予定だったから、一度、駅の待合室に入り燃えるゴミのゴミ箱に入れちゃいました。で、何食わぬ顔で愛妻の車に乗り込み帰宅。自宅に戻り、風呂に入り。、ようやく真面な食事を済ませて就寝。
このブログも、新しいPCだから慣れてないし仕事の合間に書いてから丸一日半もかかりました(笑)。
 

今日から年末三連休。

三連休と言っても私は仕事中。時間の合間を縫って記録中。ただ、私がボラに行ってる愛媛県総合科学博物館(以後・科博)では、本日から25日までクリスマス・イベント真っ最中。高校生や他のボランティアさんの活動は昼間がメインだから、私のように仕事が終わってから短時間活動も珍しいらしい。

普段の科博は09:00~18:00迄の開館時間だが、クリスマス・イベントの時だけは09:00~21:00までの開館。夜に成ると、いま流行の電飾では無く、ガラス張りの円錐形のメイン・ホールの内側からや、白いプラネタリウム・ドームの外壁に、動くライティングで来館者を楽しませている。その他、芝生張りや噴水のある池には簡単な電飾があるから、ラブラブのアベックや小さい子供さん連れには宜しいかも。ただ寒空の夜と言う事と、今年はクリスマス寒波の関係と、科博自体が山に近い場所にあるから随分と寒いんです。ラブラブのアベックには部分、都合が良いかも(爆)。

と言う事で今夜から三日間、仕事が終わってから科博に行きます。科博にもHPがあるから、一度参考に覗いてみられては医如何だろう。

 

今年も、あと3週間。

色々とあった2011年も、あと3週間程を残すのみ。来年は辰年。還暦の私の干支。当たり前か(爆)。

2010年の夏の猛暑から体調を崩し、その後の冬の寒さで可笑しく成り、天候不順の夏を通り越して、この冬の天候不順の冬の寒さで体調が崩れっ放し。「何とか成りませんか~」と言っても、絶対無理!!(笑)。

毎度、当ブログにコメントを戴いてる方々にも大感謝!! 折角覗きに来て戴いた方々にも御願い。コメントを下さいネ。覗いた以上は、御願いします(笑)。

今年の12月8日は、真珠湾攻撃から70年。地方新聞の愛媛新聞にも、それらの記事が出ていましたし、戦艦大和の奇跡の生還者で、最後の語り部と言われている八杉康夫さんの講演も聞いたり。特別、戦争に関する色々な話も聞きました。映画「男たちの大和」の戦闘シーンには、八杉さんの話を元に撮影された6カットほど有ったと言う。紙幅の関係で全部は紹介しにくいが、結局は「死ぬな。生きて帰ってこい」と言う、命の大切さを物語っていると思います。

経済を順調に伸ばそうと思ったら、やはり戦争しか無いと言う事実。第二次世界大戦後、幾つもの戦争があり、未だに冷戦状態の国もある。身近な所では、アメリカとロシア、そして韓国と北朝鮮。

政治的な国際会議などでは、日本は適当にあしらわれている事実。アメリカにですらだ。理由は、軍隊が無い事が原因。諸外国から言わせれば、自衛隊は軍備を持った国営の警備会社にしか過ぎない訳だ。こう言う話をすると右翼的な輩と言われるのだが、軍隊は絶対必要です。何故なら、警察や消防や海上保安署がある限り、個人が護身術としての武道なり格闘技を習う必要は絶対に無い筈なのだ!! あの永世中立国であったスイスでさえ、国際的に自国だけでは国民を守りきれないからと国連に加盟した事実。

日本の政界が混沌としてる上に、平均的な国民が生活するのに喘いでいる理由。一言で言えば、総理大臣はじめ各種大臣や官僚に、誰一人として貧乏人が居ない事と、大臣や官僚が政策なり何なりが失敗しても、民間のように失敗した個人が責任を取らなくても良い仕組みに成ってるから。大臣が問題起して大臣職を降りても、議員を辞めた訳じゃ無い。責任を取った格好で大臣職を降りただけ。本当に責任を取るなら、議員まで辞めるべき!! ついでに、人間も辞めた方が良いと思う。

過去の総理大臣の中で最後の大物総理と呼ばれているのが、田中角栄氏。何故なら、中学しか出ないで一国の首相になったから。それだけでは無く、殆どの人々が知らない話。陰で随分と自腹を切って、人様、国民の為に活動していた事。別に彼の世話に成った訳じゃ無いけど、今の二世・三世の坊ちゃん議員の体たらくを見ていたら腹が立つ。

年末に当り、まだまだ言いたい事・書きたい事は随分とある!!それらはオイオイとして、来年は干支の辰年の通り、辰年は荒れると言う。おまけに、噂のマヤ暦では歴史に残る大災害なりが起こって多くの人命や文化財が消えると言う話。

歴史的に見ても、昔の世界大恐慌の時の太陽の黒点の活動が、現在とソックリだと言う。この話、一言居士の方々に物言いが付くと思うが、俗に言う正確に残っている歴史上の事実とエビデンスが見事に合致している以上、この話を否定するのは感情的な話となります。「感情的では無い!!」と言うなら、歴史的事実とエビデンスを根底から覆す新事実とエビデンスをお持ちだと思うので、聞いてみたい。

紙幅の関係で飛び飛びな話に成りましたが、来年は各分野で少々荒れるのではないかと予想してます。今年も大晦日まで仕事はしています。博物館のボラ活動も、私の仕事が終わってからのクリスマス・イベントの活動で終り。挨拶出来なかったらいけません。「皆さん、良いお年を!!」。チョッと、早過ぎるか(爆)!!

 

戦艦大和からの生還者講演会

平成23年11月27日(日)13:00から、撃沈された戦艦大和の生き残り、生還者の八杉康夫さんの講演会が予定通りあった。

この日も通常通り、2000円切符で出かけた。ただ、講演会開始は13:30だからユックリしたら良かったのだが、例の貧乏性(笑)。新居浜発の下り鈍行電車としては始発になる07:01の電車に乗り込んだ。この日の講演会は、午後からだから午前中が空白状態。空いた時間が勿体無いから、予てからの所用を午前中に済ませるべく出掛けたのです。

本日、松山市内の移動はイヨテツの電車を何回も乗り継ぐ事になるから、割引の効く「IC・い~カード」を買ってアチコチに移動。一人でファミレス辺りに寄るのも嫌いだから、11:30に高島屋で弁当を買い、12:20には愛大キャンパスへ。

講演会会場は、キャンパス正門脇にある南加記念ホール。以前、ガン関連の松山市民講座があったホールだ。受付時間が12:30からだから、既に受付準備が始まっている。受付を済ませ、世話係の方を探して貰ったが連絡が付かない。仕方なく、少々早目だが会場内へ。で無いと一種の反則行為だが、指定席で無いから良い席が確保できないのです(笑)。この辺り、早い者勝ち!!ってヤツでご勘弁を。でもね、さすがに野暮を言う輩が一人も居ないのには感心!!

席を確保し、弁当の巻き寿司を持ち出し、度付きサングラスを掛けたまま玄関前の受付脇でバタバタしてる世話係の方々を尻目に、ブランデーの水割りを巻き寿司を食べながら飲んでました(笑)。きっと、傍目には異様に映ってたと思います。自信を持って!!(爆)。

弁当ゴミを始末し会場内に入ると、演者の八杉さんも世話係の方々と一緒に動いている。ステージ奥には題目の書かれた幕が吊り下げられ、ステージに向って左側には5m程ある戦艦大和の写真、右側には1m強の初期の大和のプラモデル。たったそれだけのモノだが、嫌でも雰囲気作りがされている。

黙って様子を見ていると、八杉さんがプラモデルの方に歩み寄り聴講者と何か話始めた。当然、こう言う機会を逃す手は無いし、抜け目の無い私(爆)故に早速、話の輪に黙って紛れ込んだ(笑)。色々と話を聞き、集まった人々が質問する。八杉さんも、「何か質問が無いですか?」って聞かれる。フッと後を見ると、私を含めて十数人ほど集まっている。熱心な方々と言うか、講演が始まる前から凄い状態でした。途中からだが、思い出してICレコーダーを回した。そして、二次被爆者でもあり高齢と言う事で、13:00には控え室に戻られた。

やがて13:00には講演会が始まったのだが、司会者の言葉には驚いた。今日の講演会、実はドクター・ストップが掛かってると言う。先にも書いた84歳と言う高齢と二次被害者である分、最近に成って体調を崩していると言う。そして、今回の講演会が最後では無いかと言う話。自分の貴重な体験を後世に残すべく、ドクターを説き伏せての講演会だと言う。

やがて八杉さん本人がニコヤカに出て出てきて話を始めたのだが、高齢の被爆者でドクター・ストップが出てるようには見えない。本人曰く、「海軍で鍛えられ教えられた事に、人間は常にジェントルマンであれ!!」と言う事らしく、「人前に出た時は、常に紳士であれ!!」と言うのが基本に成ってると言う。差し詰め、女性ならレディーだろう。それも、人間形成に必要な15歳~18歳位の時期に叩き込まれた事は終世忘れないと言う。自分自身の過去を思い遣ると、確かに言える!!

話は海軍に入った頃から始まり、終了予定の15:00近くに成っても話は途中。「まだ良いですか?」と、何度も壇上から御世話係りに声を掛けながら話は続いた。やがて大和が沈む時の壮絶な話から、沈んだ直後の状況など、生還してから周囲の人々に話しても、特に外傷に関しては外科医からは絶対に信用されなかったと言う話。この時、その話をチャンと説明してましたが、納得!!

そして大和最後の出撃に際し、世話をしてくれてた31歳の上官が、当時は士官クラス以上の者にしか許されなかった家族との最後の面会に骨を折ってくれた話。映画「男たちの大和」に同じ状況のシーンがあるのです。先日、亡くなられた「男たちの大和」の原作者・辺見じゅん氏が、自らの取材による事実を元に作られたシーンではなかったろうか。

大和が沈んだ時、270余名と言われる生還者以上に生き残った兵士が居たと言う。生き残った筈の多くの兵士は、体力が持たずに沈んだ兵士も居たが、爆発した大和の破片が生還者を直撃!! それで亡くなったと言う!! 壮絶な話である!! 此処では、悪いが内容的に具体的に書けない話!! 八杉さんが、奇跡の生還者と呼ばれる所以だろう!!

その時、八杉さんを大切にしてくれた上司は、八杉さんが救援に来た巡洋艦に助けられたのを見届けた後、大和の沈んだ方向へ泳いで行き、やがては波間に見えなくなったと言う。その時の心情を涙ながらに話してました。「その後姿を見て、自分も一緒に死にたかった!!」と。多くの人達は、この話を聞いて「折角、助かったのに、わざに死にに行く事は無いだろう!!」って言うと思います。時代背景も違うし、状況も違う。ただ、命を掛けて闘った人で無いと解らない部分がある。

憶測でしか無いが、多分、八杉さんも「助かった!!」「良かった!!」って言う気持はあったと思うが、戦闘状態の中、それ以上に人と人との繋がりの中で、自分だけが生き残ったと言う罪悪感、と表現するが、生き残った事実が「自分だけが何故!!」って感情が湧くのも事実。自分一人が生き残った訳じゃ無いが、何故か「自分だけが!!」って感じるのです!!

私事で済まぬが、やはり末期ガンで余命宣告を受けて丸8年が過ぎた。今でこそ薄れたが、入院中に知り合った同病者の方々、ガン患者と称されるが、その知り合い仲良く成った方々が、入院中から退院して外来通院してても続々と逝っちゃうんですよ!! 二名ほど行方が解らないだけで、何人とかは言わないけど後の人は皆逝っちゃったですよ!! その時、やはり「自分だけが生き残った!!」って罪悪感みたいなモノが常にありましたよ。実は、今もなんですけどネ。一部かも知れないが、だからガン患者同士は「ガンと闘う戦友!!」って、異論はあるが表現するんでしょう。

この日、八杉さんの著書が売られていた。「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」(ワック書店¥1500-税別) って本。これには、もっと詳しく詳細な話が載せられている。機会があったら、一読されてみては如何だろう。本当の戦争の悲惨さ、命の大切さ、戦場での人間模様など等、単なる生還者の体験談だけでは無い、私の感想では無い何か、言い知れぬ何かを得る事が出来るかも。今日の私の感想より、もっと壮絶な話がより正確に理解できると思います。

本来、15:00で終わる筈の講演会も、終わったのが16:00近く。最後に、「時間が無いが、質問を受けると」成った。一人の御老体が手を挙げた。「質問では無いんだが」と断りを入れた後の話。八杉さんの話の中で、「大和が攻撃を受けた(確か瀬戸内海近辺)時、松山航空隊の面々はどうしていたんだろう?」と言う件のところで、「あの日、松山航空隊も偵察機をアチコチへ飛ばしていたし空襲なんかもあったりでバタバタしてました。だから、別に遊んでいた訳じゃ無いですよ」って話に一堂失笑した程で、なかなか後に成らないと聞けなかった話なんぞも出てきた。講演会終了直後、話した御老体はじめ数人の御老体が集まり、戦争中の「あの時は~」と言う話で、ある部分、同窓会や初対面の戦友会のような盛り上がりをし、電話番号や住所の遣り取りもしてた程だから、「何か凄い状況に成ってる!!」の一言でした。

講演会終了後、十数人の方々と共に八杉さんと話をさせて戴き、サインも戴き、写真にも一緒に撮っていただきました。6年前、西条市丹原町で講演をした時の記事はコピーして持って行ってたから、不躾に「要りますか?」って聞いたら、「要ります」って即答(笑)。当時の記事に掲載された写真を見て「若い!!」(笑)。

聴講者の中には、この日の講演会の為にだけ態々京都から来た若者も居たり、宇和島からとかも居たり。それだけ、世代を超えて奇跡の生還者の話を生で聞いてみたかったのでしょう。中には数人、小学生らしき子供たちも居たから驚き。

そんなこんなで、帰りの電車は通常より80分遅れの鈍行電車。土曜日の仕事が通常より忙しく、前々からの疲れに被さって尋常な疲れ方じゃ無い上に、日曜日も07:01発の電車に乗るのは解っているのに、就寝が日曜日の02:00過ぎ。おまけに、貧乏性が災いして午前中に松山市内をウロウロ。挙げ句が、幼子が遊園地で興奮して遊び過ぎて帰りの電車内で寝込んだのと同じ状況。疲れと睡眠不足の冷えた身体に電車の暖房が心地良く、一杯ヤッてるから電車が走り出すとウトウトと、瞬間爆睡状態(爆)。途中で、若い女性車掌さんに起こされた。「携帯電話、鳴ってましたヨ。で、気の毒ですけど、マナーモードにしておいて下さいネ」って、お叱りまで受けちゃった(笑)。

まだ続きがある。この若い女性車掌さん、実を言うと数ヶ月前、やはり松山からの帰りに乗った電車に乗車してた車掌さんで、おまけに例の私のトイレ騒ぎで長停まりしない伊予小松駅で、3分ほど停めさせた時の車掌さん。きっと覚えている筈で、「このオヤジ~、今度はトイレじゃ無く携帯電話をマナー・モードにしないで居眠りかい!! 煩いワガママ・ヤジジャ‼」と思われたに違いない(笑)。

今回の話は戦争や命の大切さの重い話だった筈が、以前にも書いたけど、「出掛けたら最後、ドラマの如く必ず何等かの話題が一つや二つ出てきます~!!」って話。今回も、少々オマケ的なドラマがありました(爆)。で、上記の若い女性車掌さん、平成30年春には特急の車掌さんに成ってましたよ。(喜‼)

 

済みませんが、「RFL・・・その後」が左上に!!

 申し訳無いですが、左上の「RFL・・・その後」を開けてお読み下さい。尚、コメントは此方に。

 

「???」×10の話。

よく、「歯医者も医者だろう?」って聞かれる事がある。だから、必ず答える事にしている。「歯医者は、医者では無い」って。すると、必ず迷答が返ってくる。「エッ~!? だって、歯医者って医者って名が付いてる」「だから、歯医者は歯医者であり、医者では無い。歯医者が医者なら、歯って名をワザワザ付ける必要が無い」「内科医とか、外科医とか、産婦人科医とか言うじゃないか」「それは、医師免許を持った人が厚生労働省が認めた診療科の中で、勉強した得意な分野を表記してるだけ」「だから、歯医者は医者で、歯が得意だから歯医者になったんじゃないのか?」「歯医者だけ別で、医者とは違う学部へ行く。医者に成るには医学部へ、歯医者に成るには歯学部へってさ」「医者の学校って、みな同じなんじゃないのか?」「だから、医者は医学部へ行き、歯医者は歯学部へ行き、其々卒業してから国家試験を受け、受かったら保健所経由で厚生労働大臣に免許申請すると、厚生労働大臣名で免許が下りてから医者なり歯医者として仕事ができる」「そんなの解ってる!! だって医者も歯医者も医大へ行くだろう?」「だから、医科系の大学には何種類かあって、総合大学の医学部とか歯学部、医科の専門単科大学の医学部とか歯学部なんかがある。国立の単科大学としては、東京医科歯科大学って超難関の単科大学がある」「やっぱり歯医者は医者ジャ!!」「あのな~!! 法律的に言っても、医者と歯医者は別扱い。その証拠に、必ず【医師もしくは歯科医師もしくは薬剤師】って区別されている。医師も歯科医師も同じ免許なら、こんな区別は必要無い!!」「それは法律上の呼び方であって~」「だからヨ~!! 医者が歯の治療したくったって虫歯の治療は出来ないんだよ!! 歯医者が産婦人科の医者したいったって、出来ないんジャ!! 風邪引いたって言って歯医者の所に、いわゆる歯科医院へ行ったって、風邪薬の処方や注射をしてくれたり、胸部のレントゲン写真を撮ったりした事は無い筈ダロ~!! 歯科医院でお産をした話も聞いた事は無い!!」「・・・確かに・・・」「ただな、家族で医師免許や歯科医師免許を持った人が複数居た場合、そうなる場合があるけど、それはただ単に経費節約で同じ建物を共用してるだけ。超小型の病院みたいなモン」「・・・」「それと、チョッと特殊な分野に口腔外科がある。事故なんかで顎が粉砕骨折した場合など、歯科分野の話で歯列が解らない整形外科医や形成外科医だけじゃ治療が難しい場合、口腔外科医として講習を受けて厚労省から認可された歯科医師も部分だけ参入でしる。だから、口腔外科医の資格を持ってる歯科医師は、それ以外の医師が携わる一般治療はできないし、普通の口腔外科医であっても歯科診療・・・いわゆる虫歯治療や入歯製作は出来ないんじゃ!!」「・・・」「だから基本的に、どう言ったって医者は医者であり歯科治療は出来ないし、歯医者は歯医者であり歯科治療以外の一般治療は出来ない!!」「だったら何故、歯医者に医者と言う名前が付く? おかしいや!!」「それはそれ、法律の問題であって此処で論議する話とは違う。だから、区別の為に「医師」と「歯科医師」としてるだろう!? ・・・って、何回も同じ説明をさせるな!!」・・・と言う具合に、そこらの下手な漫才以上に面白い話となる。

また、次のような話もある。30数年前、ある警察官との話で困った事がある。職業を聞かれた事から、「鍼灸師ですよ」「最近、鍼灸師ってきくけど、一体それって何?」「鍼治療とか灸治療をする国家資格を持った医療関係の技術者」「そんな抽象的な説明を受けても解らん!!。具体的に説明しろ」と成ったのだが、詳細は忘れたが色々と例を挙げて説明をしても解ろうとしないと言うより、ワザとゴネ回しているようにしか見えない。挙げ句には、「それって、鍼灸治療師だろう」「法的な観点から言えば、そう言う資格は無い。もっと正確に言えば、「鍼師」「灸師」と言う別個の国家資格で、両方持ってる場合が多いから、「鍼灸師」って呼ぶケースが多いが、鍼灸治療師って呼び方は初めて聞いた!!「具体的に鍼灸治療師って言わないと、鍼灸師だけじゃ解らない奴が多いしワシも解らん!!」。思わず思ったのが、「ソレって、アンタの勉強不足で単なる世間知らずだろう」って、思わず喉元まで出てたが引っ込めました。

4コマ漫画の一つにあった話で、盛岡のドクターに大受けした話。ヤクザの抗争中、組事務所ドアに「ヤクザイシ 募集」と張り紙をしてる。たまたま勤め先を探していた薬剤師が、履歴書を持って抗争中の血だらけのヤクザに声を掛けた。ヤクザ曰く、「チョウド良い!! そこいらの怪我をした血だらけの連中の治療をしてくれ!!」「イヤ・・・僕は医者じゃないから・・・」「オメエ、組事務所の張り紙見て来たんだろう!!」「そうです」で、最後のコマに成ったら、「薬剤師=ヤクザ医師」の注釈が!!

「薬剤師じゃ無く、腕の立つヤクザな外科医が必要だった」・・・と言う笑話。盛岡のドクターに話すと、「私は内科医だが、ヤクザ医師です」って笑ってました。古い話ですが(笑)。

 

血生臭い話。「怖~!!」

空手はヘッポコだが、何故か理不尽な扱いを受けると相手が潰れるか死ぬまで闘う私故、少々辟易している還暦近くのオヤジの話。

先月27日の日曜日、例の如く博物館へボラ活動へ行ったのだが、歳だけ取った世間知らずの馬鹿な担当者が舐めた口を利いたので、プッツンした私は館長や指定管理者の本部長を飛び越え、県の最高責任者である知事にクレームのメールを送りつけた。年老いた前知事なら多分、無視&握り潰しただろう内容だが、さすが若い知事だし成ったばかりだから対応が早かった。その日の内に、直接、館長に連絡があったと言うから、さすがです。そして事件(?笑)から二週間程で、ほぼ解決。

この辺り、過去に組織力のある大企業と事を構えてケリを付けたり、警察相手に科学捜査の事で解決した経験があった関係で、結構、難しい処理を一人でこなしちゃいます。高校時代迄の同級生が治療に来ているが、この辺りの話をしてみると、「僕等では解らない世界の話」って言う程だから、やはり私は妖怪のようで(笑)。

腕力と闘争心が無いと無理な空手はヘッポコだが、さほど優秀では無い筈の頭脳と闘争心だけは妖怪並と言うか、化け物なみと言うか、何と言うか(笑)。本当は、何事もトラブルの無い生活が最高なんですけどね~。何とか成りませんかネ~(笑)。

 

「電話セールス」の話。

皆さんの御宅にも、電話セールスが入るのではないでしょうか?

◆たった今、自宅電話に松山市のお城の近くにある温灸の専門店だと言う電話が入った。母親が出たのだが、高齢から聞き取れないと言うから電話を代わった。なかなかオッチリとした優しそうな口ぶりで話す。

「温灸は如何ですか?」「ウチは鍼灸院だよ」「アッ、そうなんですか」と言いつつ、「火を使わない温灸なんですが、如何ですか?」「すまないけど、ウチなら卸価格で手に入るよ」「アッ、そうなんですか。失礼しました」って、何度も丁寧に謝りながら電話が切れた。このように、自宅電話には素人向けの健康食品や健康機具など、金融品から始まって様々な店のセールスから電話がかかる。

◆一番面白かったのは、電話セールスを始めて間もないと思われる30歳半ばと思われる女性から名前も用件も言わずに、いきなり「奥様は、ご在宅でしょうか?」と切り出された。その物言いに少々カチン!!と来た私は、同居している母親も「奥様」って呼ばれてるから、「ウチには奥様と呼ばれてる女性が二人居る」って答えると、声が怒りっぽく変わり「奥様は居られますか」って再び聞いたから同じ答をすると、空いた手でボタンを押したのだろう。無音のままプツッ!!と電話が切れた。質の悪い電話セールスの見本でしょう。

質の悪い電話セールスは、もっと沢山ありましたので何れアップ致します。

 

研修旅行の後始末。部分、最悪!!

研修旅行から、無事に帰りました。ただ、皆さんにお知らせする内容では無いですが、本日早朝、出勤しようとした愛妻が事故に会い、頚椎捻挫と腰椎捻挫で寝込んでしまってます。

9日の土曜日、22:30発のフェリーで出掛ける為、辺地の集合場所へ21:00。にも拘らず、珍しく当院が連休と成る為、仕事が終わったのが20:10。早めだったが愛妻に集合場所へ送って貰ったら、既に1名来て待っている。話してる内に全員集合。今回の参加者は少なく14名だが、迎えに来た観光バスは25人乗りの新車。シートも武蔵丸関が座っても足元が楽々の良い車。全員喜び勇んで乗り込み、「新車の臭いがする~」って大騒ぎ。フェリー乗り場まで片道一時間。出発即宴会。ビールが出された。

フェリー乗り場へ着いても宴会は続き、乗船しても宴会は続く。懐具合が良い連中がオツマミを差し入れし、結局、00:00過ぎて自然お開きで就寝。枕が替わると眠れ無い私は、一番危険な睡眠薬とビールを呑んで就寝。朝06:00、呼吸も止まらず無事起床(笑)。船内バイキング朝食を済ませ、一路、伊勢神宮へ。伊勢神宮と言えば、今流行のパワー・スポット。此処で少々気に成ってた愛妻用の交通安全の御守。迷った挙げ句に、我々夫婦に厄除け御守。子供達には学業御守。気は心と言うものの、今に成って考えると買っておくべきだった。御守を買っても、事故は起こるものだが、でも、その時の迷いが後々心残りと成る。辛いです。

そして次は鳥羽水族館を回り、鳥羽シーサイドホテルへ。水族館から出てバスに乗り込む時、「トドと一緒に泳いできた」って言うと、運転手&ガイドさんに大受け。バスが出てからガイドさんが一言。「トドと一緒に泳いできたと言われた方がいましたが、アシカと一緒に芸をしてきたって方、いらっしゃいますか?」思わず「オイオイ、私のギャグをネコババしないでくれる~」って思ってる内に鳥羽シーサイドホテルへ。このホテル、迷路のようで部屋に帰るも風呂へ行くにも、恥ずかしい事に迷いました(笑)。挙げ句に、ホテル・マンに帰り道を聞いて無事部屋へ。

翌二日目、二見が浦と信楽焼きの窯元へ。残念ながら、狸の置物は平凡過ぎて買わず一輪挿しを。後は、一路辺地へ。なんせ、お伊勢さんとも成ると、随分と遠いから疲れました。考えてみると、土曜日にバスに乗り込んで、帰ってくる迄に、色々な種類の350ml缶ビールを1ケース以上は呑んでました。空手道場の忘年会で呑んでると、「貴方、ガン患者なんですよ」って言われてますが、実はそうなんですよネ~。何でも呑みすぎ等のやりすぎは良くないけど、ビールが呑める間は転移再発の恐れは皆無に等しい。と思ってますが、過ぎには注意します。

で昨日、珍しい連休明けだったから、やはり忙しく、仕事が終わったのが20:00過ぎ。そして今朝、珍しく普段は惰眠を貪ってる時間に起床し座ってると、女房が内玄関から出て暫くすると、表で異常な音がする。慌てて外に出ると、丁度、前の廃業した八百屋さんのシャッターに愛妻の車がメリ込み、車から出てきたばかりの愛妻が、「お父さん、事故っちゃった」と言う。女房の安全を確認し。車が片側車線を塞いでるから、「車を駐車場へバックさせとけ」と言い、家に戻ると携帯電話とデジカメを持ち、110番しながら駐車場へ出て具合を聞くと、「ぶつかった瞬間、ドアで頭を打ってチョッと意識が無くなって前の家に突っ込んだ」と言う。警察への通報も終わり、事故相手に話しかけてみると、薬でラリッた雰囲気。この薬でラリッタ雰囲気は、事故後の緊張とは種類が違うから、明らかに区別がつきます。案の定、裏隣の精神病院へ通院してる男性だった。

やがてパトカーが来た時には現場写真も撮り終え、ICレコーダーも持ち出しており、事故の対応に備えました。担当の警察官には、「頭を打って軽い意識障害もあったらしいから鞭打ちの心配があるし、腰も痛めてるみたい」って言うと、「暫くして余りだったら病院に行って、診断書を貰って出して下さい」で処理が終り、保険会社&修理工場にも連絡していたから処置が済んだ頃、女房が異常を訴えだしたから病院に行かせると、鞭打ちなら平均的に2週間の診断が3週間と成ってたから、随分酷い状態だったようです。で、最初に書いた「交通安全護り」じゃ無く「厄除け」を買った事が気に成ってるんです。我々夫婦が、この夏に新車にしたばかりだから、共に御払いと御守も新調すべきだったと反省しかり。後悔先に立たずの典型でした。

 

もう10月。

年月の経つのは早いですね~、歳を取ると(笑)。

明日から、もう10月。全国的に秋祭りが始まる頃。ついでに、本業も含めて色々な行事が重なる時期でもある。ダブル・ブッキングならまだしも、トリプル・ブッキングの時もある。

3日(日)は、例の如く09:00~16:00まで空手の試合の選手係。

9日(土)正午から10日(日)正午まで、リレー・フォー・ライフ(命のリレー)って、ガン患者と家族を支援する24時間歩きの大会がある。

9日(土)21:00から11日(月・祝日)19:00迄、2年に一度の市鍼灸師会から研修旅行があるが本当は祝祭日は仕事してる筈なんですけど、二年に一度の研修旅行の時だけは休みを貰ってます。おまけにリレー・フォー・ライフと被ってます。申し込みは随分前からしてたのに、心残りで・・・。

15日(金)から18(月)まで、新居浜太鼓祭。

24日(日)は、10:00~15:00まで県鍼灸師会で研修会。

16日と31日の日曜日は、県立総合科学博物館でボランティア活動予定。

そして10月はトリプル・ブッキングは無かったが、11月にはあるんですよ~。トリプル・ブッキングとも成ると後の二つは削る事に成るが、ツイテル事に、無理してでも削れる分ばかりでした。

11月も下旬に成ると、日曜日の昼間に所用があり夕方から忘年会と言う話も出ているから、何をやってる事やら。

9月28日(火)も、19:00~21:00まで会議があるのに、仕事が終わったのが19:40を回っており、慌てて出掛けて現地に行ったのが20:00。世話役曰く、「一仕事終り、毎月この会」に参加するって凄い努力です。それも呑める口を持ってるのに、一仕事終わったら呑みたい筈なのに此処へ来て、おまけに21:00を回ったら往診と言うもう一仕事あると言う。感服します」と偉く驚いてたが、私にとっては毎日の普通の生活の一時。それでも、人様は驚きますね~。