「先生、幸せに・・・」と、願われて。①

昭和63年5月頃より、事情あって治療院経営をしながら時間の都合を付けて西条市の某診療所に勤務を始めた。当時、パソコンやワープロ、今で言うIT関連の世界が目覚ましく進みだした頃だ。診療所勤めは、PCソフトを勉強する為や色々と金が必要と成った事から、収入の安定を図っての事だった。

勤めが始まった時、一つだけ心配な事があった。私より2~3日早く就職したソガ看護師から、非常に強い毒気が流れていたのだ。思わず勤め始めたばかりの診療所を辞めようかと思った程で、後々、本当に祟られて酷い目に会いました。
それでも順調に勤務も進んだのは良いが、10月に成り驚天動地の事故が起こった。午後5時を過ぎると、今治の私塾へコンピューター・ソフトを習いに行ってたのだが、授業が終わり帰宅途中、信号をぬけようとしていた所、真っ暗い所から赤信号を無視した老人が私の車に飛び込んだのだ。即死だった。避けようの無い事故であった。当時、この辺りの地方祭の最終日で、満月であったにも拘わらず雲がかかり、自販機の周辺以外は集落の集まった国道も真っ暗だった。で、「この事故の顛末は不起訴処分」。事件性の無い私の責任の無い事故として処理された筈だったのだが、色々と問題が出始めた。

死んだ老人の友人だったと思うが家族ぐるみの付き合いのあった一家が、私の担当していた患者として診療所へ鍼治療に来ていた。おまけに、婦長兼院長愛人だった愛人ハザマ看護師の友人一家。当面は、お互い気を揉みながら黙って仕事をしていが、ソガ看護師が私を妬んで作り話を愛人ハザマに喋り、ハザマがそれを院長に言い、当初は何事も無いままだったのが、業を煮やしたソガが汚い色気で院長子飼いの庭師を言い含めて、私を追い出しに掛かった。

ソガが私を妬んだ理由?、元々庭師達からも評判が良かった私は、当然のように患者や従業員からの受けが良く大事にされ続けてたから。それに、暇な時は事務所に居た関係でレセプトを書くのを手伝ったり、たまに院長が「これ知っとるか?」と言って、当時、話題に成ってた中国の言葉を幾つか持ってきた。私が何気なく反応した途端、その場に居た職員がパッと振り返った。「それって、○○○○じゃないですか」って答えると、院長曰く「やはり知ってたか」と言い、職員からため息が出た。事務長が院長の長男坊だった事もあり、「先生は、暇があったら本を読んでるし、何時も勉強してるからナ~。今迄の院長の質問に全問正解じゃ」と言う位、私の評価が良かった。

それに事務長の嫁さんが新居浜の同業者の姪っ子だった事もあり、ソガの妬みは増大し、私の事実無根の作り話を院長や愛人ハザマに言いだした。それでも私は黙っていると、気違い状態になったハザマが、拗ねた幼児がバタバタと暴れながら口汚く罵りだした。その余りの様子に、事務所関係者や頭から中立の立場を取っていた看護師などが全員振り返ってハザマを「どうしたん、この女」と驚いた様子で眺めていた程。

そしてソガは、世間常識の疎いハザマに常識的な何でも無い事を色々と知恵付けし、自分を知恵者のように振舞った。それを見ていた事務所関係者は「アホクサ~」と無視していたが、それがソガを苛立たせ、院長と愛人ハザマが私に対する嫌がらせを強くするように小細工をした。おまけに、愛人ハザマはソガにオモチャにされ、それを知らずに「曽我さん、それは私が、私が」と曽我を猫可愛がりし始めた。それでも、他の職員や入院の賄をしている院長家族や、入院している患者たちからは私に同情の声が上がり始めていた。

そして、この辺りに成る以前から、院長や愛人ハザマやソガの言動はテープに収められていたのですよ。当然、連中には解らないように録音しているのだが、相手に解らないように録音した私の行為を「盗聴した‼」と言う無知な人が居るのだが、私の行為は会話の当事者が録音したものだから「単なる記録」なのである。仮に盗聴だとしても、何の罰則も無いのである。ただ記録は証拠能力があるが、盗聴には証拠能力が無いのだ。

此処迄、ソガの主導で経営者側と庭師5人程のバカ男達が、私を本格的にイビリ出しに掛かったのは明白だったから、それらの多くの嫌がらせを院長に相談に行ったのを録音していたのだ。当然、パソコン関連の仕事をPCソフト教室の方に頼んでいたし、同級生の女性が新聞関連の仕事をしていから転職の相談もしていた。 こう言った場合、私のような人間はブラック社員と言うのだが、この診療所は前々から評判が悪かったからブラック企業なのである。愛人ハザマ&ソガの愚行を院長に「何とかしてくれ」と相談に行ったが、1週間ほどして呼ばれ、「連中に聞いたら、何もしてないと言う。それまで」と、小学生の相談に教師が木で鼻を括ったような回答しか出来ない程なのだ。頭が悪い証拠であり、仕事や自分の家庭より愛人との蜜月を選んだ訳だ。

そして新しい職場が見つからないまま、愛人ハザマの激しい口撃にプッツンした私は止める決意をした。ただ事務長が、「僕らは結局なんにもして上げられ無かったけど、先生は最後まで腕力に訴える事無く、紳士でとおしてくれた」と言われたがノ~(笑)。しして、その頃に入院してた患者さん達も、老若男女問わず「先生、幸せになってんね・・・」と送り出してくれました。

 

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