美容に

当院で、厚労省から「内科的病気に効果がある」と言われているマイナス・イオン治療器。普通なら、内科の病気には薬剤以外は認められる事は少ないが、当院で使ってる医療機器は、日本では稀な治療器で、恐らく日本初と思われる治療器である。

本当は私のガン治療の為に買った医療器なのだが、あまりにも効く事から患者さんにも使いだした。すると思わぬ効果が出るもんで、随分と驚いている。珍しい所では、女性の不感症から始まり、不妊症などなどかなり広範囲で婦人科系の病にも効果が上がる。

少々、下の話になるが、女性の不感症や男性のインポにも効果がある(笑)。私が病院勤務をしていた時、生理が終わってから数年と思しき女性から「鍼は不感症に効きますか?」って聞かれた事がある。一応は「効きますよ」とは答えたが、鍼灸治療を手品か魔法のように錯覚している方々が居る・

病気治療にしても不感症(これも病気か・笑)にしてもインポにしても、長々に悪くしたものを、一回や二回で完璧に治せと言うのも無理な話。歳を取ると言う事は、年々再々 老化をしている。鍼灸治療は、悪いと言う自覚症状を取りながら、その老化現象のスピードを抑えてるのです。映画のハリーポッターの世界でも、魔法で病気を治したり死なない方法が無いのです。

治療してても治らない&快方へ向かわない状態がありますが、可笑しいと思って色々聞いてみると、[しては成らない事を堂々とやってる]事があります。くれぐれも自分の身体の事だから、度が過ぎると困るけど。臆病な位に警戒心を持っても宜しいかと。

 

【近藤鍼灸院の健康新聞】㊺「自己愛性人格障害」

最近、とみに「自己愛性人格障害」と言う名を聞くようになった。私が最初に聞いたのが、10年程前か もう少し前位か。ネットやYouTubeにも掲載されてるので読んでみたりしたが、素人が経験した事を簡単に説明したものとか、専門家と呼ぶべきか精神科の医師などが色々と書いていたモノばかりで、書いた本人達でさえ十分理解してないから、具体的に「こうである!!」とハッキリと書かれて無い。意味は解っても人様に正確に説明しにくいものだった。
ところが、最新版扱いの2020年2月10日発行の「結局、自分のことしか考えない人たち~自己愛人間の対応術」と言うタイトルの本を手に入れた。ネットか新聞で紹介されてたから買って読んでみると、マア整理された具体的な書き方で充実した書き方である。まだ十分読んでは無いが、主なる部分を読んでみると、「あぁ、やっぱり彼奴のあの行動は典型的な自己愛性人格障害の行動であった訳だ!!」と思える事が幾つも書かれている。原因なども十分書かれている。ビックリしました。

そこで一つ御注意を。人間誰しも自分が一番可愛いのだ。だから自己愛を持ってて当たり前なのだが、この項のタイトル通り「自己愛性人格障害と言う病気」の話。この辺りを、どんなに説明しても理解できない人が多い。YouTubeから採った簡単な案内ビデオを見せたら、「これって、皆さん当たり前に持ってるんじゃないですか?」って返答だったから、回りくどい説明は辞め、「内容は違うけど、私はガン患者ってのはご存じですよね。このガン細胞って元気な筈の皆さんも持ってるのはご存じですよね。でもガン患者とは言わない」。此処まで説明すると、多くの人は理解する。結局、体内に普通に存在してるガン細胞がストレスや色々な事が原因で暴れだし、増殖してガンと呼ばれる肉塊となる。

それと同じで、誰しも持ってる自己愛が色々な事が原因で~~後は余り高くない千円でお釣がくる位だから、買って呼んだ方が良いかも(笑)。

 

年寄りの昔話。

高校に入って何を血迷ったかブラス・バンドに入部した。何事も3か月程は上達しない。おまけに、慣れた連中は「何をトロ臭い!!」と言った目で見る上に、「まだ出来ないんか!!」と言う輩も居て、長続きしなかった。それも高校に入ってからは減ったが、小学校の5年生位から酷くなり中学の1年生頃が最悪で、担任の女教師に特殊学級に放り込まれるところであった。明らかに、住友系の企業城下町サラリーマン社会の新居浜故に、数少ない自営業の息子だったから、やはり地位と名誉と財産が絡む妬みから敵対意識を持たれたのである。だから、何かにつけて仲間外れにされてました。それが、今だに続いているから何を言わんかである(笑)。

でもね、そんな中にも庇ってくれる友人達も居たが、虐ねる側が圧倒的に多かったから、巻き添えを恐れて離れていったのです。その時の質の悪い連中の行動で{他人ってこんなモノ]と人間不信と成ったのは確かで、何事も苛めで仲間外れに成っても一人で黙々とする事をしておいて、後は黙って他の人間とは交わる事はしなかった。それも10位の時からですよ。酷くなったのは11歳から13歳位の時が、人生最初の地獄をもました。

鍼灸の資格を取って就職した岩崎病院でも同じで、私より後から入ってきた性格の良い看護師も、中卒の襤褸看護師集団に組み込まれて私の敵に!! 若しくは直ぐ辞めるとか!!

薄々解っては居たが、当方に来ている患者さんが「ワシの知り合いが岩崎病院に行ってて、話を聞いたら<此処の看護師、中卒ばっかりじゃないか!!>と驚いてた」と言う。私が当地で開業しても、来た患者さん達から病院の悪い評判を聞かされる事も多かったし、病院が何か行事する時は、「私の仕事を放ってでも病院の行事をだた働きで手伝いに来い!!」と理不尽な事を言いに来たり。マア理不尽な扱いは慣れては成らないが、やたら多いのには反吐が出そうです。

母親が黄泉の国に旅立って1か月が過ぎたが、良い思い出は一つも思い出さない。何時もギャーギャーと怒鳴り散らして怒ってばかり居たから、私は母親に[マントヒヒ]って綽名を付けていた。中一の夏休みの或る日、半分徹夜状態で何かをしてたから朝の7時か8時に床に着いた。ところが、どこかで男女の怒鳴り合いが聞こえる。目を覚ますと、昼食を食べてる父親に、凄い剣幕で子近所さんに聞こえる大声で怒鳴っていたのです。

そこで我が愚姉二人の話。家族の為に汗水垂らして仕事している父親が休息を兼ねて食事をしているのに、母親が大声で叱責する。内容は忘れたが常にその状態が続いていたから、愚姉達は父母の何方に就いて味方した方が自分にプラスとなるか、計算したら母親の味方をした方が得!!と成ったようです。だから次女はこの辺り巧いもんですよ。これを毒家族って言うんです。この何かがあったらキレまくり、ギャーギャーと怒鳴り散らすのは、母方の祖母ちゃんがそうだったから。だから長女だった我が母がソックリそのまま。

随分前から・・・10年以上経つか、「自己愛性人格障害」って精神病の話にこっている。最近「結局、自分のことしか考えない人たち~自己愛人間への対応術」と言う本を買ってみた。税込みで935円だから、高くはない。

買ってきてパラパラと捲って読んでみると、理解は出来てるが言葉として表現しにくかった部分が素晴らしい文言で表現されている。ただ部分、哲学的な表現になってる所があるの理解するのに時間の掛かる部分もある。だから何度か読み返しをしている。

私が何故、自己愛性人格障害の事を熱心に勉強を始めたか。10数年前と言うより20年近く前になるか、某障碍者グループとの付き合いが始まった。詳細は省くとして、リーダー格の一人がHPの制作会社を立ち上げており、私としりあった時は会社は友人に譲り、個人客相手の仕事をしていた。そして後の二人はPCの勉強を教わっていた。ただ、この二人、社会的にも個人的にも随分と問題児だった。その一人、Yと言う酷い嫌われ者が居たのだが驚いた事に、奴の嫌われている部分が若い時の私とソックリどころか瓜二つ!!(笑) Yの顔を見ていると、「昔の自分って、こんなに酷い人格障害があったのか!!」と、余りの恥ずかしさで赤面していくのが解る程だった。これらが10数年前。そうすると、徐々に周囲の対応も変わりだし、気分も楽になり始めた。だが、何十年も人格障害を持ちながらの生活だった故に、おいそれと治る訳でも無く時々失敗しますね(笑)。

そして医師の診断は受けて無いが、私は発達障害と言う病気も持っていると話してる内に、昨年、Yは松山の病院に行って検査を受けると「発達障害を持ってる」と診断され、改善方法の指導を受け努力しており、以前と比べると随分と人間らしくなってます(笑)。

これらの話のような[精神障害]系の話に限らず、自分の悪い所を改善するのは[気付き]と[それをどうするかを決めるのは自分]です。よく勉強しましょう。でもね、自己愛性人格障害の場合、決して自分のマイナスは認めません。多くの場合、悪い事は人の責任にして、自分の心の安息をしますから。紙幅の関係もありますります。上記の本を買って(笑)、勉強してみて下さい。

そうそう。1月11日に逝った母親の49日(納骨式)は2月28日に無事終えました。今頃、笠と草鞋を身に付けた旅支度で、どの辺りを歩いている事やら。閻魔様の逆鱗に触れなきゃ良いが(3月2日 記)

 

色々と思い出してみたら、総べては恨み節(笑)。

亡き人を思い出すと言うが1月11日に旅立った母親の事は思い出す事は殆ど無いし、涙も出ない。一昨年の11月1日に母親を亡くした患者さんは「思い出す事も無し涙も出ない」と言ってたが、母親存命中には「おふくろが」「おふくろが」と煩い位に言ってたから、母親が旅立ったら大騒ぎ&大泣きをすると思ったが、意外と思える位ににアッサリした別れであった。

私の場合、母親と二人の姉達が、女房に対しかなり酷い人権侵害をやってたから実家に帰ったまま。そんな女房を庇い切れなんだ私も情けないが。そんな関係での独り住まいだから、認知症にった母親の面倒を見切れな成って施設に入れたんです。アメリカに行ってる姉や近くに住んでる姉は、[何もしないで口だけ挟むだけ]だから、母親を姥捨て山に入れる感じで預かって貰った。だが、施設に入れた途端、母親が「此処から出して家に連れて帰ってくれ」と懇願したが、連れて帰ってもどうしようもないから預けておくしかない。

丁度、アメリカへ行ってる姉も帰っており、「お母さんが出してくれって言ってるんから、此処から出して!! 私の頼みも聞いて貰えんの?」と言ったが、認知症の入った母親を見ても無いオナゴの頼みなんか聞けるか!! 「出してくれたら、アパートを借りて二人で生活して絶対に面倒を見るから」と言った。だが私は「何を言うか素人が。出来るもんならやってみな。お前のやり口は、<絶対できる・絶対する>と言いながら、<出来無い事が解った>ら、<あんた、後はお願いね!!>ってアメリカへサッサと逃げて帰るのは解ってる。」とまで言うと、それから新居浜駅を朝8時ごろ発の普通列車に乗り、伊予氷見の施設まで行って、基本、施設の人々の手伝いがありながら、4日目頃には疲れで風邪を引き熱までだした。おまけに薬まで買いに走らされたんですよ。結局、それっきり毎日施設へ行く事も無くなったが、このバカ姉の口車に乗って施設から出してたりしたら、大変な出費と無駄が出たのですよ。

そして「連れて帰れ」と言う母親を、私は言い含めた。「家に連れて帰っても良いが、貴方があの家に帰ったら私はあの家を出るからね。そしたら貴方は食事やら何やら、訪問看護や訪問介護を頼んでも一人では生きていけない。当然、餓死か何かで逝ってしまう。すると、私が保護責任者放棄で犯罪者となる。それでも良いと言うなら、連れて帰ってあげる」と何度も何度も言いました。だって、近くに住んでる姉なんて、習い事や大した事をしてないのに「忙しい!! 忙しい!!」って、当家に殆ど寄り付かなんだ。娘にでさえ、「忙しいって、大した事をして無い」とまで言われたのだ。おまけに「母親が死んで49日も済んでない」のに、当家へ治療に来てはお仏壇の母親の骨に手を合わせる事無く、金の話をして「三分の一持って来い」「通帳出せ」って怒鳴り散らすのね。チョッと可笑しいとおもいませんか?

しかしネ~、冒頭の患者さんもだが、私も相当面倒は見たつもり。だから死んだ時は、正直「ホッとした」というのが本音。冷たいようだが、長く父親なり母親なりを<看取り続ける>って事は、<私自身の体力や時間を使ってる>、言わば<自分の命を削りながら看取ってきた>のね。それを<年取った両親を部分 看取った女房には遺産が行かず>、ほぼ何にも看取らなかった<姉達は[三分の一を寄こせ!!]って発言>する。法律では子供の数で親の遺産を山分けと成ってるが、<義務を果たさず堂々と権利のみを請求>するって厚顔無恥の典型である!!。やらずブッタクリの典型である!!

仕事上の都合で、休日は日曜日と元旦だけ。母親を施設に預けて約9年。松山へ会議に行く時は鈍行電車に乗り、帰りは伊予氷見で降りて施設へ。そのまま帰れば新居浜へは19時前後には到着するのに、施設へ寄ると20時位に。帰りの電車で疲れたからビールを飲み、飲み足らぬと駅でもう一本買い、空き缶を捨てに行こうとして階段で足を滑らせ、下まで滑り落ちた事も。約9年間、電車で行った時は夏の暑い日も冬の寒いも、駅から施設に歩きました。

タマ~に時間のある時には車で行く事も。時には、健康の為に讃岐方面に駅からウオーク大会に出掛け、帰りは新居浜駅を通り越し伊予氷見迄行って、面会済ませて新居浜へ。母親と同時期に入った入所者にしろ、途中で変わった施設長にしろ、私の行動力にはビックリしてました。と言うのも、認知症を患って無かったら施設に入れる事も無かったし、母親が帰りたがったのに、色々な意味を含めて姨捨山に放り出したと同じ罪悪寒もあったから。母親を施設に入れて数か月後、ある週刊誌に「高齢者と不動産を相続してはならない!!」と記事が出てたけど、両方とも相続した後(笑)。「もっと早く書いてくれよ~!!」って泣きましたヨ(笑)。

母親の旅立ち後、相続の手続きをしてるが、初めての事で解らぬ事もあり、銀行の人にも手伝って貰いながらやってるが、近くに住んでる姉は葬式一切の事も何も人任せだったから、何も出来ない。バタバタをしてるのに色々と聞いてくるが、理解力が無いし、私も2つも3つも用事を抱えてやってりがら、理解力の無い人間に説明する時間が勿体無いし、バタバタして置いた物が解らなく成ったりしてグチャグチャに!! 皆さん「一人で抱え込まない方が良い」と言ってはくれるのだが、姉に手伝わせたら余計にグチャグチャに成るし、「手伝わせた!!」と言って怒鳴り散らすんですよ。前に書いた通り、施設から持って帰った衣料品を下ろしに行ったら、「飯時に来て、私はご飯食べてベよるに!!」と怒りだしたから、「ワシや飯も喰っとらんわ!!」と怒鳴り返すと。それわそれはご近所さんに恥ずかしい位のどなり合いとなるんです。

このは話は極一部だが、信頼のおける方々に触りの話をして意見を聞いてみたら、「此処の話は複雑怪奇で何かが可笑しい」と呆れるのですよ。それも何人も。まあ何処にでも大なり小なりの似た話はあると思うが、「チョッとネ~」と言う話。

当家の女親子母親は欠けたが、頗る評判が悪いのです。当家の土地を売る話に成った時、何処からとも無く悪い評判が聞こえてきたから調べてみると、三人共、彼方此方で要らぬ事を言って相手を怒らせてるのね。私は他人の顔して事情を聴いてみたら、概ね親父の評判は良い。私の話は余り出なかったが悪い感情を持ってるふうは無かった。結局、女親子三人の悪口をボロボロに言ってたし、別の女性が「お宅のお姉さん、口賢く言ってるけど、心の通わぬ人だね」とか「気違い女じゃ」と言う話は必ず聞きます。その余波で、私も随分と悪く解釈されてたらしく、ある酒の席で「話してみると、聞いてた噂より随分と良い男じゃ!!」と言われた事がある。身内に変な奴が居ると困る典型でしょうな~。私も、女房や子供や孫の障害に成らないように気を付けないと(笑)。

 

母親が旅立ちました。

令和3年1月11日・成人の日、午前1時59分に旅立った。享年100歳、満98歳。姉も来ていた関係で、席を外した間の旅立ちだった。
丁度2年前の朝8時過ぎ、預けていた施設から緊急の電話が入り、病院へ行ってくれと電話があり、慌てて行ったら緊急用の部屋で目を開けたまま横に成っている。話を聞くと、起床後パジャマから洋服に着替えさせた途端、体調不良を起こし、慌てて病院へ連れて行ったと言う。病院玄関に車が停まり、外来の看護師が心臓が止まっているに気が付き、その場で心臓マッサージをして「今は生きている」と言う状態であった。
傍にいた看護師が「顔を見てあげて下さい」「何か話し掛けてあげて下さい」と言う。「婆さん、シンドイか?」と声を掛けると、ギロッ!!と私の顔を見た。瞬間、「ワシの命が吸われた」と感じた。冗談ではなく本当に吸ったみたいで、翌日「腹空いた」と言いゼリーを食べたと言うし、その翌日「腹空いたから食事を」と言って、流動食だが当たり前の分量を食べたと言い。病院や施設では奇跡が起こったと話題に成ったと言う。病院に運ばれた日に、持って一両日と言う医師の言葉に葬儀会場を予約したんです(笑)。だからキャンセルしました。
そして、この状態が2度程あったが、今回、医師の「老衰です」と言う言葉通り、一か月チョイで逝きました。それでも回復基調で食事も始まったが、「食べられなく成ったら、死が近い」と言う通り、逝く一週間程前から食事はピタリと止まりました。

 

遅かりしの投稿。「年末年始」

今日はXmasイブだから、2020年も後8日。本日19:30からいきなりステーキへおよばれに。今回で三度目か。
私は高野山真言宗で在家出家した身だから仏教徒。今年の1月か2月かにキリスト教系で洗礼を受けさせられた。外国人から言わせたら、日本人のこう言った曖昧さが嫌だという。私は私で一神教は大嫌い(笑)。
大体、今の宗教って沢山あるが、本来、神とか仏とか呼ばれている御大は一人だけと考えている。その一人の御大を、着せ替え人形的に自分達の都合の良いように手を変え品を変え好きなようによっている。ましてや宗教戦争なんて、下等な人間の考える事であり御大は迷惑している筈。

 

出先でのトイレの話

まさかトイレの話を書こうとは(笑)。でもね面白い話が結構あるんですね。

まずトイレットペーパーの話だが、壁に「トイレットペーパー以外の物流さないで下さい」と言う下り。「じゃあ、今出した液体と固体は流してはいけないのかね?一体どうするの?」と一瞬思った程(笑)。最近は洋式のトイレ伽藍が当たり前に成ってきているみたいだし、それでも杜トイレットペーパー以外の物を捨てる人が居るのかね。

それと、地方の中型スーパーのトイレに、「トイレの中では食事をしないで下さい」って類の注意書きがあって、足元には透明のオカズ入れが捨てられているし、思わずわが目を疑った程。何故なら、尾籠な話だが食事中に不覚にもトイレに行きたく成った時、口の中に食べ物が入っていたら全部飲み込んでトイレへ走ります。汚物を出しながら口の中の物をモグモグと・・・考えただけでも嫌ですね(笑)。

 

「凛として愛」

同名の短編映画がある。日本の明治開国以来から、第二次世界大戦で敗戦と成り、それ以後 皆さん御存じの通り日本は近隣諸外国から国土を取られようとしている。さらに大手新聞社が反日行為や発言をし続けた売国奴の凶状。今や日本は、ボロボロに成っている。

三島由紀夫が自衛隊本部に乗り込み、革命を促したが誰も動かず、嘆きで割腹自殺。「凛として愛」には、歴史的な事実を元に映像を多く使って、現在の駄目に成った社会情勢を何とかしようとしている。だから、我々一般市民には馴染みの無かった思考も多く出ている。

第二次世界大戦の敗戦後、戦勝国の情報操作で何もかも無茶苦茶にされている事に多くの日本人は気が付いてない。憲法9条を盾に自衛隊解散・軍備放棄・戦争放棄を、徒党を組んで街中で堂々と喋っている御仁達が居るが、自分達は何をしようとしているのか解っているのだろうか。

自衛隊どころか、警察や海上保安まで廃止の方向へ向けていると感じる時もあるが、そんな方々は非常時はどうすんだろうね。歳を取り、平和ボケした頭で現在の世界情勢が解ってないから歴史&思い出の中だけで生きれるから進歩が無いんですよ。

永世中立国のスイスが、国際連盟に加入した理由を御存じか。時代は移り周辺諸外国も経済力を持ち、有事があった時に自国だけで守り切れなくなったからこそ、世界平和の為に国際協調を取った訳だ。此処迄書いても、「だらしが無い!!」とか色々言う方々が居るが、文句のある人は無法者の街へ放り込んで貰いなさい。身を持って理解できますよ。

その証拠に、アメリカ合衆国ほどの大国でも、自国だけでは無法者から異を守り切れない事は解ってるから、国際平和の同盟国を集めて何とかしようとしてるんだが、その辺りを理解しようとしないのか、理解できないのか。結局は加齢によるボケなんでしょうネ~。

タイトルの「凛として愛」のDVDが1000円で送って貰えるから、ご希望の方は・・・自己責任でお取り寄せ下さい。

 

親孝行と死ぬ事と犠牲になる事。

このタイトルじゃ、一体何を言いたいのかは解らない。そこで説明しましょう(笑)。
私が2~3歳頃から、親父に座敷へ呼ばれ正座させられ、説教なのか何なのか解らぬ話を聞かされた。親父にとって、私は大事な近藤家の跡取りだけに精神的に早く大人に成って欲しかった雰囲気があったのは幼心にも解る。でもね、2~3歳って年頃は、40歳も歳の差がある親に甘えたい年頃であり、近所の同学年の子供達と遊びた盛り。
だから親父が如何に素晴らしい事を言ってても、子供心には用事の無い話。逆に「年取ったら自然に身に着くワイ」と反感を持つだけ。その内、言うに事欠いて戦争中の話に成った。
「お父さんは、生き神様であり父親である天皇陛下を守る為、戦争に出かけて後一週間終戦が遅かったら特攻機に乗って出撃し、死んでいた」と、後々の常套句である。
「だからお前達子供は、特に男の子は親を守る為に犠牲に成って親を守らなければ成らない」と成る。「死んで親を守る事が親孝行であり、義務付けられている」。この話、時代錯誤以上に変な話ではあるが、2~3歳の、まだまだ白紙に近い脳みそに植え付けられたのだ。「子供は犠牲になり、死んで親を守るのが親孝行」と言う固定観念が出来ても仕方が無いだろう。[明らかな洗脳]である。だから、「死んで親を守る。親孝行をする」と言う部分が、二十歳位までは色濃く残っていたのも事実で、親父は最後まで「私にあらゆる面で犠牲を強いていた」のです。それこそ人権無視も良い所でしたよ。だが、この話をしても誰も信用してくれません。「お前の思い過ごしじゃ!!」と言って。

私は平均すると、多くの方々が体験した事の無い事を多く経験し見聞きしています。大昔、M清と言う国会議員がいた。テレビの政見放送があったから観ていると、「今度の選挙が終わったら、誰それ君が総理大臣になるのは明白で、彼と私は盟友だから、その節は私も大臣の椅子が貰えるから、当選させて下さい」とやっちゃったもんだから、確か落ちた筈。で政権放送の時の話を知り合いの本屋のオヤジにしたら、「そんな事あるか!!」と散々怒鳴り散らした。

このように、私が観た事・聞いた事・それもテレビの政見放送であった事を伝えても、聞き間違いで、私の事を嘘つき呼ばわり。だから、そんな輩には良い事も悪い事も何も言わなくなりました。すると、「お前は何にも言わないから、知らんのだろう」と無能無知呼ばわりしますよ。バカは困ります(笑)。

親父の話に戻ると、それこそ人権無視・人権侵害を家族に押し付けていたから、逝った瞬間、ホッとする部分もあった。ただ一つ、「女房と子供達が困らないように」と少し多めの金を残してくれたのは助かったが、姉が二人がこれを狙って暴れ、命まで狙われている。困ったもんです。(笑)

こう言う話を聞かせても、多くの人は「穏便に」と言うから、「録音物があるから聞いてください」って言うと、苦笑いしながら嫌がりますよ。

結局、親父は「子供は親の犠牲に成って当たり前!!。命を掛けて犠牲に成って当たり前!!」としたが、子供を持った多くの方親達は、そんな事を言いません。多くの場合「親は子供の為に犠牲に成って子供を守る!!」って言いますよね。中にはネグレクトなど児童虐待と言える行動で幼子の命を奪う親達の行動も、考え方や行動が子供達の命を犠牲にしているように思います。

昔の戦争映画を観ていると、特攻隊や死に行く兵隊さんは「天皇陛下万歳!!」って叫びながら死んでいくシーンが多かったように思うが、[連合艦隊]とか[男たちの大和]に成ると、「死ぬな、生きて帰ってこい!!」って言葉が当たり前に使われており、若い士官がズッと若い兵隊に、「これからは、お前達 若者が日本を救わねば」と、命綱を若者に譲り死んでいったシーンもある。

「終戦直後の日本人男性の平均年齢は幾つだったか?」と言う問いに、「ン~40幾つ」とか「50幾つ」と言う答えが返ったらしいが、私の記憶に間違い無ければ24歳位だったと思う。何故かと言えば「多くの働き盛りの男達は、戦争に取られて死んじゃったから、生き残りの多くが幼子赤子か高齢者・病人・怪我人ばかりだから」。これを考えると、私の父親の考え方は、戦争当時は間違いで無かったと言えるか(笑)。

 

私は朴念仁

私は、病的な朴念仁である(笑)。

令和12月も中盤を過ぎた現在、時期的なモノでJR東海の古いが名物のTVCMのXmas ExpressやCinderella Expressを観ている。YouTubeから撮ったモノ。山下達郎氏の曲だが、何年も経ってるのに古さを感じさせない。名曲である証拠。

この曲がテレビから流れても曲の美しさに気を取られており、歌詞のをほとんど聞いて無かったように思う。ただ端々で聞こえる歌詞に、恋をする女性の心の美しさを表現されているのに、何故か違和感を感じていた。と言うのも、昔から太めの体系の私は、多くの女性や心無いクソガキ男共から人間じゃ無いような言動でボロボロにされていた。特に女性陣と言うより、女性は随分ときつい言動で私を潰しに掛かってると思える内容を吐くんですね。男共も団体で暴力を振るいにくる。だから、私の表情は時によって能面のような表情で黙っていた部分もありました。と言うのも、友人と話をしていて笑っても、言い掛かりをつけて暴力を振るいにきた輩が居るんです。だから、その対策として高校一年の時から空手を習いかけたんです。見事に的中しましたよ(笑)。

こう言った幼い時の経験から、愛の歌なんかで愛とか恋とか色々と表現しても、作り事とバッサリ断じてました。そこには、母親と二人の姉の存在がある。他人の前では余所行きの綺麗な言動で飾っても、家に帰るとそれはそれは口に出して言うのも憚れる事ばかりの言動。そのギャップが不気味で気持ちわるく、女の強かさを観たようで怖い(笑)。

それに、病院勤務をしていた関係で、年頃(笑)に成った私に嫁さんを世話する話が沸き起こる。当然、私を気に入った患者さん達が結婚の世話をしようとする。「先生、嫁さん居るん?」「彼女、居るん?」「婚約者、居るん?」と賑やかだった。「居ない」と言うと「釣書き用意して」という。しかし、誰も用意した釣書きを寄こせと言わない。「ヤッパリな~」と思いながら切り出すと、「太いと言ったら、みな嫌ジャ言うた」と言う話。ボディ・ビルダーを見ても肥満体と言う女が沢山居るんですね。

10個程そんな話があってからキレまして、数を数えたらトータルで80幾つ。その内、見合いに進んだのが10個程。それも全部が太いと言う断り。ただ一つ、私から断ったのが1つだけ。理由は釣書きに入っていた写真を見て「頭が悪い」って断った。普通、女性の場合、服のコーディネートって素晴らしいモノを持ってるのに、結婚適齢期なのに中学生位の女性の服装だったから。この辺りで、頭の良し悪しを判断されるとは思わなかっただろう。

そんなこんなで、恋愛には一切縁が無かったし、結婚問題に関して私が鍼灸師である事が罪であるような言動を取る女性が多く、非常に傷付けられる事が多かった。殆どが社会的地位と見た目の悪さで結婚問題が潰れていったんですね。だから、歌の文句で幾ら綺麗事言ったって、「アホクサ~!!馬鹿じゃないんか!!もっと現実を正しく見ろよ!!」と心底思ってましたね。

そんな私に人生最大のモテ期が来たんですね(笑)。まず一つ、相思相愛的に気に入ったが飛んだ邪魔が入って潰れた。そして二つ目、やはり結婚に縁が薄かった従妹と結婚しようかと。そして三つ目、同時期に二つ話が来てたので話の早かった方に会い付き合いだした。それが今の嫁さん。もう片方は、本人も家族も一押しだったらしいが困りました。

ただ結婚後、女性の心の在り方に不信感を拭い切れなかった私は、さぞ酷かったと思う。ただ病気をして入院した時、妻は仕事から帰って食事を済ませると、ネットで夜中の2時3時まで代替医療を探し、見付かったのを早速試してみると私にはズバリ適合!!愛情の賜物と思ったですよ。そして退院しても、私の為に色々と努力を惜しまなかったですね。

手術したのが8月。9月に入って直ぐ退院したが1年と余命宣告を受けていた。娘が九州の大学に居たから、地方祭期間を利用し様子見を兼ねて福岡へ。妻は木曜日午後に出発。息子は金曜日が普通通りの授業で土曜日が半ドン。結局、土曜日は出席日数の加減での出席だから休ませ、二人で金曜日の夜に松山観光港から出発。途中、スペース・ワールドへ行きたいと言ってたから3時間ほど遊んだのは良いが、駅へ行くと人身事故があって電車が止まっている。それも福岡方面で事故ってるから迷惑だ。それでも1時間少々で電車が走りだした。

そこへ女房から電話が掛かった。走行中の電車内ははご法度扱いだけに、「いま電車内だぞ」「解ってる」と言ってる間、周囲からの視線の矢が我が身に刺さる(笑)。この時点で、我が家で携帯電話を持ってるのは私と大学へ行った娘のみ。だから待ち合わせ場所っても時間がズタズタに成ってるし、私の身を案じてるの解るから、「スペース・ワールド駅を出たのが●●時頃だったから、緑の窓口へ行って●●時のワールド駅発の準急は何時頃に成るか聞いた方が早い。だって、九州へ今朝上陸したばかりだから何も解らん」。此処で、ようやく刺さっていた視線の矢が減りだしました(笑)。失礼な車内通話をしてる相手が遠くから来て、電車の事故で何もかもガタガタに成ってるのを心配した家族からだと解って、まだ邪魔をする者は居なかったようで(笑)。

そして福岡駅に到着し、言われていた中央改札口に向かってると、大きな柱の傍で妻が手を振っている。顔を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしている。この時は、さすがに息子の心配より私を優先したようだ。だって、大手術をして僅か2か月半、新居浜から九州へ入り、時間待ちを兼ねて息子に朝食を食べさせ、息子のたっての願いでスペース・ワールドで暫しの楽しみをさせ、事故で電車が遅れたのだ。顔を見ると、埃で変に薄黒く成っていたようだが、特別 体の異常は無いとみたようだ。

この時、初めて歌の文句・歌詞に書き込まれていた愛とか恋とかをウッスラと体感したように思う。それ迄、虐め抜かれて傷着いた事しか考えられて無かった事を恥じる一瞬でもあった。考えてみると、結婚し子供が生まれてから女性にモテだしたような気がする(笑)。きっと思い過ごしだろう(笑)。それも、女房が辛い思いをして私を良い男にしたのかも知れない。

余禄を一つ。地元の住民は良い病院と言うが、他の医療施設の職員から悪い噂しか聞こえなかった。だから私が色々と話すと、「ヤッパリ、あの噂は本当なんだ」言う言葉。なのに、勤めていが検査技師に「お前なんか嫁さん来るか!!」とか物療の男にが「結婚できんぞ」とか言われ、とどのつまりは結婚式の時に読んだサザエサンのフグタさん状態の星加晃が、もと勤めていた病院医師と言う事で呼んでやってたのに、終宴直前に私達の所に来て、女房に言いました。「あんた、何でこんな男と一緒に成ったん」って。このような人格しか持ってない人間が医者だってネ~。医者として大した腕も無いから年寄り病院に鞍替えしちゃってサ~(笑)。